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家政魔導士の異世界生活

【短編版】家政魔導士の冒険「冒険中の家政婦業承ります!」

作者: 文庫 妖

息抜きに巷で人気の異世界トリップを書いてみたくなりました。

 ストリィディア王国北方の領都トリス。その繁華街に程近い場所に佇む漆喰壁の建物の、風に揺れる看板を見上げて、男は栗毛の前髪の下の、その紫紺の瞳を細めた。閉店した旅館を改築したものだという冒険者組合(ギルド)トリス支部のその建物からは、賑やかな喧噪が漏れ聞こえて来る。離れていたのは三年足らずだが、活気溢れるこの空気がひどく懐かしい。

 キィ。年季が入って飴色に艶めく木の扉を押し開けると、蝶番の軋む音。室内の喧噪が一瞬だけ止み、こちらを窺うような視線が突き刺さる。久しぶりに見る馴染みの顔もあれば、見慣れない顔も幾つか増えている。ほとんどは直ぐに興味を無くして雑談に戻って行ったが、何人かの顔見知りは気さくに挨拶を飛ばして来る。それに片手で答えながらカウンターに向かうと、中央を陣取っていた赤毛の男が帳簿を繰る手を止めて男を見上げた。

「よう。久しぶりだなアレク」

 男は節くれだった手を伸ばして寄越す。その手を力強く握り締めながら、アレクもまた笑みを返した。

「S級冒険者様も遂にギルドマスターか。就任おめでとうと言うべきか?」

「先代が隠居するってんでな。そろそろ落ち着きてぇと思ってたところで、丁度空いた席に座らせてもらってるのさ……にしても、今度の旅は随分とのんびりだったじゃねぇか」

「まぁな。人使いの荒い依頼者で随分長く拘束されてしまった」

「帰ってきたばっかりかい」

「いや、半月前だ。しばらく実家で骨休めしてきた」

「なるほどな」

 ギルドマスターを務めるザックはニヤリと笑った。

「なら気力も十分ってことでひとつ依頼を頼まれちゃくれねぇか。Aランクの依頼なんだが、パーティメンバーがイマイチ揃わねぇで困ってんだ」

「……人使いの荒いのがここにも居たか」

 手渡された依頼表を見て、思わず顔を顰める。

「フィブリア原生林奥地のマンティコア討伐。なるほど、集まらんわけだ。難易度が高い上に面倒と来た」

 ただ往復するだけでも十日はかかる道程だ。道中遭遇する魔獣の相手をしながらの道行きを考慮すれば半月は戻れない勘定。鬱蒼と茂った森のじっとり湿った空気は快適とは言い難く、その半月の行程を硬く塩辛い携帯食と安眠とは程遠い不快な寝床で乗り切らなければならないのである。高額報酬に道中の経費も加算されているとは言え、依頼による拘束期間と討伐の難易度、そして半月に及ぶ不快過ぎる道程を思えば決して割の良い仕事ではない。

 世の為人の為を掲げる冒険者組合(ギルド)と言えど、慈善事業ではない。冒険者にとっては生活の為、糧を得る為の術だ。多少報酬額は低くとも、難易度と達成率、そして報酬の釣り合いが良い依頼に人気が集中するのが常なのだ。

「もう二月ふたつきも放置されてる依頼なんだ。観光組合からもせっつかれてる。やってもいいって言ってくれてる連中は何人か居るんだが、送り出してやるにゃあちょっとばかり人手不足でな。最悪俺が出ようかと思ってたところだ。実質S級の魔法剣士が引き受けてくれるんなら、多少の人数不足は問題にならんだろう」

「……帰ってすぐにまた野宿生活に逆戻りとは……」

 半月の休養期間があったとはいえ、長期の仕事帰りだ。正直言えば、今日のところは顔見せと準備運動程度の依頼で済ませたかった。憂鬱な顔を隠しもしないアレクに、ザックは名案があるとでも言うように意味深な笑みを浮かべて見せた。

「本当にやってくれるんなら、パーティにとっておきの奴をひとり付けてやる。今丁度手が空いてるんでな。帰還祝いにそいつの雇い料は俺が出してやるよ」

雇用型(ソロタイプ)の冒険者か。なんだかわからんが気前が良いな。強いのか?」

「いや、完全な後方支援系の魔導士だ。戦闘には全く向かねぇが、連れて行くだけで依頼成功率が上がる」

「……ほう? 余程のやり手か運気の持ち主のようだな」

 眉唾の儲け話でも掴まされたような気になり、胡乱な視線を向けてやると、ザックは連れて行きゃ分かる、と自信満々に言い切った。

「ここ一年トリス支部の難易度の高い依頼の成功率と達成率が他の支部より飛び抜けて良いのはそいつのおかげなんだ。楽を覚えちまったら修行にならんから低級パーティには入れてやれんが、今回の依頼は条件を満たしてる。連れてってみろよ、損はねぇぜ」

 わざわざ自分の懐を痛めてまでその運気の上がる魔導士とやらを押し付けてくるのだから、余程この放置された依頼を片付けてしまいたいらしい。

「……わかった、引き受けよう。メンバーとの顔合わせを頼む」

 諦めて是と答えると、ザックは赤毛を揺らして満足げに笑った。



 討伐隊のメンバーとして集まったのは、馴染みの双剣使いの他は、顔と名程度しか知らない弓使いの青年に治療術師の女。いずれもB級以上の上位冒険者ながら、後衛に偏った顔ぶれだ。なるほど、これは確かにマンティコアの討伐隊としては些か心許ない。

 そして問題の魔導士の女。使い魔としては珍しいスライムを連れているその女は、大陸北西部では滅多に見ないクリーム色の肌に、艶やかな黒髪と黒に近い濃茶色の瞳の平坦な顔立ちだった。東方系だろうか。目立って美しい顔ではないが、穏やかで控えめな笑顔が印象的な女だった。肌艶や顔付きから二十歳そこそこかと思ったが、聞けば三十路の自分とほとんど変わらぬ歳だというから驚いた。治療術師のエレンは何か若さの秘訣でもあるのかと詰め寄っていたが、他民族と比べて童顔で若々しく見えるのが特徴の民族の出なのだという。

 だが、見た目は問題ではない。必要なのはその能力だ。女は家政魔導士という聞き慣れない肩書を名乗った。冒険中の戦闘以外の雑務を一手に引き受けてくれるという。他の者達は噂を聞き知っているらしく、彼女が同行すると聞いて目を輝かせていた。何度か組んだことがあるという双剣使いのクレメンスは、彼女の実力は自分が保証すると言い切った。

 ならばお手並み拝見といこうではないか。

 自己紹介と打ち合わせを済ませると一旦解散し、翌日早朝旅立つこととなった。




「……か、快適過ぎる」

 アレクは思わず唸るように呟いた。隣では弓使いのリヌスがしみじみと頷いている。実のところ、既に初日の夜にはその台詞が喉元まで出かかってはいたのだが、あっさりと称賛の言葉を吐くのがどうにも悔しく、それを口にする前に飲み込んだ。だが、三日目にはとうとう認めざるを得なくなった。

 それもこれもシオリという女の気遣いと仕事ぶりが素晴らしく、一晩休めば前日の疲れもすっかり取れる。いかに不快な道行きと言えども、一日を乗り越えれば夜には温かい食事に風呂、そして寝床が約束されるのだ。メンバーの士気も鰻上りで気力も気合も十分。マンティコアの居る奥地まで最低でも五日の道程を、三日目にして既に目的地も間近の場所まで来てしまったのである。このまま行けば、明日の昼前には奥地に到達するだろう。



 家政魔導士。魔力が低い故に戦闘職の魔導士としては役に立てず、代わりに魔法を利用して冒険中の炊事洗濯等の雑務を一手に引き受ける事から名付けた独自の職業なのだそうだ。移動と戦闘で疲れ切ったところへもって、炊事だのなんだのというのは出来ればご免被りたいというのが冒険者の本音だ。食事などは簡単な調理をすることもあるにはあるが、全て干し肉や乾パンのような簡易保存食で済ませてしまう者も多い。それを全て引き受けるというのだから有難いと言えばそうなのだが、しかしそれでは単なる家政婦ではないかと思いきや、このシオリひとり居るだけで恐ろしく快適な休息を得られるのである。

 初日の野営でまず驚かされたのが、風呂を提供されたことだった。

「お風呂の支度が出来ましたので、食事の用意が出来るまで、ごゆっくりどうぞ」

「風呂!?」

 冒険中の野営地、それも野外の原生林でまさかの風呂。アレクは度肝を抜いた。滅多に動じないはずの彼の声が半ば裏返る。野営地の設営中に何かやっているなとは思っていたが、よもや風呂の支度をしていようとは。

「洗濯物があるようでしたら、こちらに出しておいてくださいね。朝までには洗って乾かしますので」

 水場も無いのにどうやって!? という疑問を差し挟む余地もなく、勝手知ったる様子のクレメンスに引き摺られて、簡易天幕の中に連れ込まれた。一番風呂は男性からどうぞという女性陣の勧めで有難くそうさせてもらうことにするのはいいとして、それにしても、風呂。風呂とは。行水とは違うのか。

 リヌスと二人で呆然としている間に、クレメンスは湯船の中だ。ともかく装備を外し服を脱いで、湯船の縁に立つ。円柱状に硬く押し固められた地面に満たされた温かい湯。魔力の残滓を感じ取り、アレクは唸った。

「……魔法か?」

「大したものだろう?」

 まるで自分の事のように自慢げにクレメンスは言った。

「土魔法で地面を整形して固化し、水魔法で満たして火魔法で適温にするのだそうだ」

「……確かに魔力こそ低いようだが、精度は上級魔導士並みだな。見事なものだ」

 魔力の低さ故か湯船こそ小さいが、待ち時間で体を清めて交代で浸かれば大の男三人でも十分に使用に足る大きさだ。湯船にそろりと足を浸けて湯温に慣らし、徐々に身体を沈めていくと、思わず深い溜息が漏れる。温かい湯で体の凝りも解れ、蓄積した疲労も消えていくような心持ちだ。

「極楽~~」

 リヌスはうっとりと目を閉じ、夢心地のようだった。ひとしきり風呂を堪能し、用意されていた石鹸を拝借して身体の汚れを落とす。汗と埃塗れのまま寝る事を想定していたアレクは、清潔な身体で替えの服に着替えると、既にかなり満たされた気分で天幕を出た。

「……ん?」

 辺りに漂う旨そうな香りに腹を刺激されつつ、ふとある事に気付いて首を傾げた。原生林の中でねっとりと湿っているはずの空気が、何故かほどよく調湿されてさらりとしている。風呂上がりの汗の引きも早い。

「どういうことだ?」

「……どうかしました?」

 天幕の傍らで食事の支度をしていたシオリが顔を上げた。

「いや、空気の不快さが消えているな、と」

「ああ、それでしたら」

 シオリは支度中の手を休めないまま、にっこりとほほ笑んだ。

「火魔法と風魔法で野営地の結界内の湿度を調節しました。あのままでは寝苦しいと思いましたので。除湿した水分はお風呂のお湯張りに再利用しました」

「そ、そうか」

 なんとも贅沢な魔法の使い方である。思いもよらない魔法利用法に感心しているうちにエレンが入浴を済ませ、食事の支度も整ったようだった。

「あのね、食事前に申し訳ないんだけど、髪の毛乾かして貰えるかしら。噂で聞いて、気になってたの」

 しばらく躊躇う素振りを見せていたエレンが遠慮がちに申し出る。

「いいですよ。ではそこに後ろを向いて座って頂けますか」

 何が始まるのか。大人しく言われるままに地面に座るエレンを興味深く眺めていると、シオリは両の手を軽く広げて術式を展開した。右手に火魔法、左手に風魔法。微弱な二つの魔法が両の手の上で溶け合い、温かい熱を帯びた風が生まれた。

「待て待て待て待て!」

 最上級難易度とも言われている魔法合成が目の前でいとも容易く行われた事に驚愕し、アレクは目を剥いた。

「ちょっと待て。二種類の魔法を同時発動して合成するなど大魔導士でも困難だとも言われている。少なくとも俺は成功例を見た事が無い。お前、低級魔導士とか言ってなかったか」

「ええ、その通りですが」

 シオリは答えながら、温風をエレンの髪の毛に向けて発動した。濡れ髪が徐々に乾き、綺麗な金髪がさらさらと風に靡く。

「細かい作業は得意なんです。元々そういう手先の細かい仕事が得意な民族の出ですし、低い魔力が返って微調整しやすいらしくて、それで」

 事も無げに言うが、それがどれだけ重大な事かわかっているのだろうか。歴史に名を遺す程の大魔導士の中には成功させた者も居るには居るが、複数魔法の合成は魔導士の長年の夢、永遠の研究課題だ。

「凄いわ……噂には聞いていたけれど、本当に魔法を合成できるのね」

 艶やかな金髪を指先でさらりと撫でながら、エレンは呟くように言った。

「以前同行した知人も何度か試してみたらしいがね。どうしても魔力が片方に偏って、合成どころかもう片方の魔法を消滅させてしまうのだそうだ」

 クレメンスの言葉に照れたようにシオリは顔を赤らめたが、気を取り直したように笑って言った。

「食事が冷めてしまいますから、温かいうちに頂きましょう」

 釈然としないが、促されるままに皿を受け取る。軽い金属で作られた仕切り付きの皿には、香辛料の香ばしい香りを放ち飴色に輝く豚肉とピラフが盛られ、野菜屑と豚肉の欠片が浮いたスープを満たしたカップが一緒に手渡される。誰かの喉がごくりと鳴った。

「さあどうぞ」

 シオリの合図を待つ暇も無く料理をがっつき始めたリヌスを横目に、豚肉を口にする。まずはスープからいくのがセオリーなのだろうが、腹と食欲を刺激するこの香ばしい香りはどうにも我慢ならなかった。塩気と甘味の加減が絶妙な甘辛いソースと香ばしく焼けた豚肉の旨味が口一杯に広がった。濃厚な味わいと共に生姜と大蒜にんにくの香りが鼻を抜ける。旨い。咀嚼のペースも早まり、あっと言う間に平らげてしまった。皿の底に旨味の溶け込んだソースが残っている。

(――勿体無いな)

 ちらりと横を見ると、クレメンスがソースをこそげてピラフに絡めていた。なるほど、上手い事を考えるものだ。これならばソースまで余さず食べ切ることが出来る。感心しながらソースを絡めたピラフを口に運んだ。ぱらりと炊き上げられたピラフととろみのある濃厚なソースが絶妙に絡み合う。これも旨い。出汁の効いたスープも具の野菜屑ひとつ残さずに啜り終えると、後には空になった皿と膨れた腹が残された。旅の最中とあって量こそ少ないものの、思いがけず温かい風呂と旨い食事に有り付けて、アレクはすっかり満足しきってしまった。

 これだけでも相当なものだが、食器洗いと洗濯を済ます前に寝床を整えると言われ、まだ何かあるのかと内心驚いた。そもそも整えるような寝床があっただろうか。せいぜい寝袋と毛布を広げるくらいなのだが。

 見ているとシオリは焚火から少し離れた地面を両手で探り、此処だと決めた場所で土魔法の術式を展開したようだった。見る間に地面が平らにならされ、土が柔らかく細かい粒に変化していく。そのうちに片手から風魔法が発動し、土の湿り気を飛ばしていった。それが終わるとさらりと乾いた土の粒子が徐々に押し固められ、最終的には綺麗に整地された領域が出来上がる。パーティメンバー全員が並んで眠れるだけの広さだ。触ってみると、押し固められたと思っていた地面は予想していたような硬さは無く、程良い弾力を保っていた。

「こちらで休んでくださいね。ベッドのようにはいきませんが、普通の地面に寝るよりは多少良いかと思います」

「いや、有難い。これだけでも大分違う。快適に休めそうだ」

 食事を終えた他のメンバーはそれぞれの寝床を確保すると、得物の手入れと明日の支度を始めたようだった。これが終われば就寝だ。見張りは二人ずつ三時間ごとの交代で話が付いた。シオリは朝食の支度も兼ねたいということで、順番は一番最後を希望した。二人ずつだと最後の番はシオリ一人になる。使い魔のスライム――名はルリィだという――は危険感知能力があるから大丈夫とは言われたが、流石に不安が残る。そこはアレクが引き受けることにした。元より一人旅に慣れているのだ。多少睡眠時間が短くともさほど問題は無い。

 寝床を整えたシオリは、水魔法で呼び出した水で食器を濯ぎ、排水をルリィが嬉しそうに(そう見えた)飲み干す。風魔法で乾燥させられた食器を背嚢に仕舞い込むと、次は入浴と洗濯らしい。気が乗って声を掛ける。

「……洗濯はどうやるんだ?」

「ご覧になりますか?」

 興味があるのかリヌスとエレンが近寄ってきた。既に見知っているクレメンスは得物の手入れを続けていたが、仲間達の様子を微笑ましく思うのか、口元が緩い弧を描いている。

 シオリは背嚢から目の細かい網を袋状に縫い閉じた物を何枚か取り出し、汚れ物をメンバー毎に分けてその網の袋に詰めていく。洗濯網というらしい。

「洗い物に多少負荷が掛かりますので、保護のために使うんですよ」

 言いながら水魔法で水柱を作り出し、そこに石鹸の削り滓を溶かして洗濯網を放り込む。それから水柱に魔力を流し込むと、内部で緩やかな水流が発生したようだった。洗濯網がくるくると回り、微かな石鹸の香が辺りに漂う。

「シルクとかレースのような繊細な物や泥汚れだと手洗いでなければ無理ですが、汗や埃くらいなら、これで十分綺麗になります」

 数分ほど洗ってから洗濯網が取り出される。汚れた水は土魔法で作った溝から結界の外に排水され、もう一度作り出された水柱にホワイトビネガーを溶かして再び洗濯網が投入された。

「酢を入れたのは何故だ?」

「石鹸のアルカリ性を酢の酸性で中和するんです。そうすると、乾かしたときにふんわりと仕上がりますよ」

「そ、そうか」

 台詞の前半はいまいち理解出来なかったが、要するに仕上がりが良くなるということらしい。再び水流の発生した水柱を眺めているうちに、濯ぎも終わったようだ。取り出された衣類は風魔法で軽く水気を切られた後に、木の枝に張られた縄に吊るされていく。

「手際がいいなぁ……」

 流れるような作業にリヌスがぼそりと呟き、エレンと二人でそれに同意した。

 吊るしてしまえばそれで終わりかと思いきや、風魔法と火魔法の合成魔法が発動され、湿った衣類の周囲に温風が発生した。薄手の物は直ぐに乾きはじめ、厚手の物も表面の湿気が飛ばされていく。再び当たり前のように使われた合成魔法にはもうこの際触れないでおくことにした。

「さすがに乾くまでずっと発動させているのは大変ですので、大まかに湿気を飛ばしたら、あとはこのまま朝まで吊るしておけば乾きます」

「すげー……」

 リヌスは最早単語でしか言葉を発しなくなっている。エレンは魔法の利用法で何か思うところがあるのか、しきりに考え込む様子を見せた。

(大したものだ)

 称賛の言葉は敢えて口には出さなかったが、内心舌を巻いていた。魔法をある意味完全に使いこなしている。一見大掛かりな魔法のようにも見えるが、放出される魔力量は実際にはさほど多くは無い。連発している割に疲労がほとんど見受けられないのはその為なのだろう。そして一晩休めばほぼ全快という低い魔力量が、かえって強みにもなっているのだという。自らの欠点を逆に利点に変えたその在り様は、伸び悩む冒険者の参考にもなるのではないだろうか。

「それでは私もお風呂を頂いて来ます」

 そう言い置いて天幕の中に消えたシオリを見送りながら、そんなことを思った。

 翌日の朝は爽快な目覚めだった。完全にとは言わないまでも、野営中という事を考慮すれば十分過ぎる回復度だ。

「おはようございます」

 アレクよりも早くに起き出していたシオリは既に身支度を済ませていた。前の見張りを務めていたクレメンスらは既に寝支度を始めていた。シオリが小さなたらいに水魔法の水を満たして差し出してくる。これで洗顔しろということらしい。シオリに短く謝意を伝え、顔を洗い口を漱いで身形を整えた。汚れた水を捨てようとしてふと足元を見ると、物欲しそうな顔で(……そう見えた)見上げているルリィと目が合った(ような気がした)。

「……飲みたいなら、新しい水かスープを分けて貰え」

 さすがに自らの身支度で出した汚水を与えるのは抵抗があり、その旨を伝えるとルリィは大人しく主人の元に戻って行く。透明なゼラチン質の体内に小さな核を内包しただけの単純な構造のスライムの、一体どの器官で思考しているのかは不明だが、使い魔として在るのは知性の高い証拠だ。意思疎通は可能のようだ。

 手際良く朝食の支度を終えて、魔法の明かりで読書を始めるシオリと足元でふるふると蠢くルリィをなんとは無しに眺めているうちに、夜が明け仲間達が起き出してくる。

 朝食は硬めに焼き上げられたパンに昨夜の残りを温め直したスープ、そして炙った腸詰肉だった。千切ったパンをスープに浸し、腸詰肉を齧る。温かい食事はそれだけで活力の源となった。



 こうして一行は初日と同様に順調な二日目を終え、三日目の夜を迎える頃にはシオリの能力を十分に理解することとなったのである。数えきれないほどの依頼をこなし、幾つもの死線を掻い潜って来た上級ランクの冒険者だからこそ彼女の有難みが分かる。

 長期間の野営を必要とする依頼はそれだけでも難易度が上がる。幾ら慣れているとは言え、十分とは言えない携帯食の食事に快適とは言い難い環境での睡眠、そして日を追う毎に清潔とは言い難い状況になっていく身体は、日数を重ねればそれだけ精神も体力も削っていく。疲労は徐々に蓄積し、動きや判断力が鈍るようになる。こうなれば十分に能力を出し切ることは困難だ。それはそのまま依頼の成否にも直結する。時には命さえも左右した。

 そんな中で、仲間の体調を管理し世話する者が居てくれたなら、どうか。

 快適に調湿された野営結界の中で食後に供された薬草茶を啜りながら、アレクは甲斐甲斐しく働くシオリを眺めていた。

「お前、ソロで活動しているようだが、特定のパーティに入ったりはしないのか? その働きぶりなら引く手数多だろう」

 何気なく口にした疑問だった。だが、弛緩していた空気が凍り、シオリの穏やかな表情が強張るのを見て、地雷を踏んだことに気付く。

「……皆さんには良くして頂いてはおりますが、どうあっても低級魔導士の身。長く一緒に居れば、どうしても足手纏いになってしまいますから」

 微かな苦みの混じる言葉。それに痛みにも似た何かを感じて、アレクは内心舌打ちした。下手を打った。触れてはならない話題だったか。誰でも触れられたくないものはある。勿論、自分にもだ。

「……お風呂、頂いて来ますね」

 居たたまれなくなったのか、シオリは視線を逸らしたまま言うと、天幕の中へ隠れるように入ってしまった。

 緊張していた空気が少しばかり緩んだ。誰からともなく溜息が漏れる。

「……すまん。空気を悪くした」

「仕方無いわ。しばらく留守していて知らなかったんだもの」

 言いつつもエレンは気遣うような視線を天幕に向ける。

 しばらくの沈黙が下りた。

「――彼女さあ」

 ぽつりとリヌスが言った。

「捨てられたんだよ、前のパーティに」

「……捨てられた?」

 穏やかではない話だが、冒険者の世界ではよくある事だ。弱い者は切り捨てられる。どれだけ苦楽を共にした仲間でも、伸び悩み、足手纏いになるようならば、脱退を促されることもある。アレクの考えを察したのだろうリヌスは、普段は人の善さそうな顔を苦々しく歪めて見せた。

「比喩的な意味じゃあないんだよ。文字通りの意味で(・・・・・・・・)捨てられたんだ」






 ――四年程前、当時はまだ冒険者として活躍していたザックが依頼遂行中にひとりの少女を保護した。意識の無い状態で森林の中に倒れているところを発見したという。意識を回復した少女と対応した彼らは困惑した。少女は言葉も通じず、どうにか身振り手振りで意思疎通した結果聞き出したのがシオリという名のみだった。異国人の様相をした明らかに訳ありの様子の少女を彼らは持て余したが、身元も分からぬ民間人の少女を立場上捨て置くわけにもいかず、その身柄は組合(ギルド)に預けられることになった。

 しばらく経ち、日常会話程度はこなせるようになった頃、少女だと思っていたシオリが既に二十代も半ばの成人女性だと知り、皆驚いたという。だが、年齢と出身国まで聞き出したはいいが、地図上に該当する国は無かった。地図にも乗らぬ小国か、はたまた未開部族の出か。組合(ギルド)でも意見は割れたが結論は出なかった。何故あの場所で倒れていたのか、どこからどうやってあの場所まで来たのか、それすらも分からなかった。シオリは己の身に起きた事を察したのか、故郷への帰還を諦めた様子だったという。

 ともかく、成人女性ということならば、生活の糧を得るために職を得なければならない。まず最初は組合(ギルド)の女中から始めた。家事や雑用をする傍らで、言葉や歴史、文化を学んだ。生き抜く為に必死なのか、吸収は早かった。貪欲に必要なだけの知識を学ぶ。辺境の未開部族かと思われていたが、独り立ち出来るだけの知識を得た頃には、そう思う者はほとんど居なくなった。その立ち振る舞い、物の考え方、学び方、知識の生かし方――そのどれを取っても、高度に洗練された文化の中で生活をしてきた事を示していた。


 とはいえ、近隣では見ない異国人風の容貌と身元不明で訳ありの身とあっては雇い入れてくれるところはなく、結局そのまま冒険者として登録することにしたのだという。試験さえ通れば、身元不明だろうが訳ありだろうが、そういった複雑な事情を抱えた者達の受け皿としても機能する冒険者組合(ギルド)だ。

 試験を難なく通過し、適性検査の結果、魔力を有していることが判明した。だが、その魔力量は極めて低く、魔導士として上を目指せるかと言えば微妙なところだった。それでもシオリはその道を選んだ。成功を目指すのではなく、生活するための手段なのだからそれでも構わないのだと。

 こうしてシオリは冒険者となった。始めは遺失物捜索や薬草摘みなど、初級の冒険者でも忌避するような手間のかかる割に実入りの少ない地味な依頼を積極的に受けて、地道に経験値と報酬を稼いでいく。

 人柄の良さと仕事の丁寧さ故か、最低ランクの依頼だけでもある程度の信頼を勝ち得ると、そのうち初級のパーティにも誘われるようになった。人数合わせや穴埋めのための一時的な加入だったが、そこでも一定の評価を得たようだった。敢えて低級魔導士でも最低ランクだということを相手に伝え、その上で戦闘の役には立てない代わりに冒険中の雑務を引き受ける。数ヶ月経つ頃には、珍しい魔法の使い方で旅先でも快適に過ごせるという噂が組合(ギルド)でも知られるようになっていた。シオリが入れば依頼の成功率も上がる。伸び悩むパーティは積極的に彼女を雇った。魔法によって整えられた快適な野営環境と細やかな気遣いは、確かに冒険者たちの士気を上げた。低級魔導士としての活路を独自の方法で見出したシオリは着実に経験値を稼いでレベルを上げ、貢献度を認められてD級への昇格を認められた。


 そして、冒険者になって一年と半分が過ぎた頃、「暁」の名を冠するパーティに誘われた。一時加入ではなく正式なメンバーとしてだった。D級のメンバーで構成された暁は、C級昇格を目指してはいるものの近頃は成績も伸び悩み、シオリの能力に目を付けたという。

 固定パーティでの活動経験は無く、自身の魔力の低さを自覚していたシオリは相当悩む様子だったという。しかし、暁の熱心な勧誘と、そしてシオリ自身も恐らく身の置き場が欲しかったのだろう――暁への参加を決めた。

 暁の問題点はメンバー構成のバランスの悪さだった。成績低迷の理由はそこにあった。力押しの通る依頼ばかりのE級の頃は、五人中四人が前衛職という偏った構成でも問題は無かった。だが、数日の野営を要する依頼も多いD級に昇格すればそれも徐々に難しくなった。

 そこへ適切な支援が行えるシオリが加入したことで、状況が変った。疲労を翌日に持ち越さず十分な回復が望めるために、多少の無理がきくようになった。依頼達成率も上昇し、経験値を稼ぎランク昇格への点数も順調に稼いでいった。身寄りの無いシオリにも居場所ができた。メンバーの魔法剣士とも特に親しくする様子を見せ始め、ザックを始め彼女を見守ってきた者達も安堵した。


 だが、三ヶ月を過ぎた頃、僅かな異変が生じた。最初に気付いたのは同じ支部で活動する薬師の男だった。

(――装備の質に差がある)

 最近は成績も良く羽振りが良いらしい暁は、頻繁に装備を替えるようになった。古参のメンバーは少しずつ装備の買い替えを進め、数ヶ月前と比較しても立派な物になっている。それに引きかえシオリだけは以前のまま。装備に拘らないたちなのか、それとも。

 直接相手と対峙する前衛と異なり、どうしても後衛職の装備は後回しにされがちなのは分かる。だが、それでは同じ後衛職の女との差に説明がつかない。

 薬師は自身も後衛職だからこそ知っていた。報酬の分け前で前衛職と差が付けられることは珍しくない。新参者ゆえに配分が少ないこともあるだろう。

 そう思い、彼はシオリの様子が気になりはしたが、その時はそれきりで終わった。


 しかし、その後も状況は徐々に悪くなっていく。

 依頼達成後の宴席で、シオリの姿を見なくなった。古参メンバーのみで盛り上がる光景は、他者の目からもやはり違和感があった。そのうち古参メンバーはC級への昇格を果たしたが、シオリはD級のまま。シオリ加入後からの彼らの活躍ぶりを見れば、少なからず彼女の貢献も影響しているはずだった。にも関わらず査定は低評価なのだという。

 半年を数える頃には、彼らの関係の異様さが際立つようになり、シオリは搾取されているのではないかという噂が囁かれるようになった。

 暁の好成績はシオリの貢献があったからこそでは無かったのか。だというのにシオリのあの扱いはどういうことか。組合(ギルド)に意見する者も少なくなかった。だが事勿れ主義の先代マスターは、この意見を聞き流した。

「一方的な搾取等の不正を防止する為、報酬の分配は組合(ギルド)を通して行われている。暁も同様だ。シオリも報酬は受け取っている。昇格が無かった件については、暁からの報告で彼女の貢献度が低いと判断されたからに過ぎない。足手纏いになっているのだ」

 そう言って取り合わなかった。

 暁のメンバーも、シオリへの不満を隠そうとはしなかった。確かに初期の頃は良かったものの、ここ数ヶ月は暁の成績は再び悪化の傾向にあった。失敗こそしないものの達成率は低く、満足の行く結果が得られていない。シオリが思うような働きをしなくなった。移動中や戦闘中の動きも悪く、足手纏いになる一方だと。

 ならば彼女を脱退させれば済む話だ。にも関わらず、暁は彼女を手放すのを嫌がった。

 シオリ自身も他の冒険者との接触を避けているのか、報酬の分配時以外は組合(ギルド)にも一切顔を出さず、依頼で街を離れる時と買い物に出かける以外は定宿に引き籠っているようだった。


 ――何かがおかしい。


 S級冒険者への指名依頼で組合(ギルド)を空ける事も多かったザックは、この時初めてシオリの様子を知り、有志を募って独自に調査を始めた。有志は直ぐに集まった。暁に加入して以来シオリを完全に囲い込まれ、その恩恵を一切受けられなくなったことで、他の冒険者からは不満も出始めていたからだった。

 組合(ギルド)職員や近隣店舗への聞き込みの結果得られた事実は、パーティの旅先での食費や消耗品代は全てシオリが支払っているらしいこと、他のメンバーはその浮いた費用を全て装備代や遊興費に充てているらしいことだった。これではシオリが彼女自身の為に使える金はほとんど残らないはずだ。パーティの酒宴にも参加できるわけがない。

 そして、最近では暁の実力に見合わない難易度の依頼を引き受けるようになったという事実。シオリが参加したことによる成功で味を占めたか、それとも己の実力と過信したか。理由はどうあれ、それはいかにシオリの支援があれど、達成は難しいと思われるものばかりだった。その頃からだ。シオリの様子に変化が生じたのは。

 間違いない。彼女は搾取されている。恐らく成績の低迷の責任を擦り付けられ、パーティの為に報酬を使う事を懲罰的に強要されている。報酬は全てパーティの食費や消耗品代に消え、装備を整える余裕もない。その上で無理な依頼に同行させられている。


 ――ある程度の証拠を集め、いざ突き付けようとしたその矢先、事件は起きた。

 組合(ギルド)を通さない直接依頼を受けて旅立った暁が数日後、シオリを伴わずに帰還したのだ。シオリはどうしたのか。皆は当然彼らに詰め寄った。だが暁のリーダーだった剣士は悪びれもせずに言った。

「シオリは自力歩行が難しい怪我を負った。こちらも身の危険が迫って、止むを得ず彼女を置いて脱出することを余儀なくされたんだ。そう責めないでくれ」

 冒険者緊急避難法――冒険中、自らの生命に危険が迫った場合、負傷者を放置して立ち去っても違法性を問われない。これを適用したのだと。

 ならばせめて彼女の居場所をと問うたが、彼らは頑として口を割ろうとはしなかった。守秘義務により、依頼での行先も依頼人の素性も一切明かせないと言う。

「仲間の命より守秘義務を取るってのか。まだ命はあったんだろう。今からでも遅くはない。お前らに無理なら俺が行ってやる」

 もし手遅れだとしても、せめて弔ってやりたい。

 S級のザックに凄まれC級の彼らは震え上がったが、それでも明かそうとはしなかった。

「依頼人は帝国の上級貴族なんだ。強く口止めされているし、報酬にその分も上乗せされている。下手に明かせば我々に類が及ぶ。勘弁してくれないか」

 そう言われてしまえばそれ以上の追及は難しかった。帝国との国交はあるとは言え、その関係は極めて微妙だ。気位が高く選民意識の強い帝国の上級貴族の機嫌を損ねれば、厄介事になるのは目に見えている。

 だが、それではシオリは。調べようにも直接依頼となれば組合(ギルド)にも記録は残らない。決して口外はしないとしつこく食い下がってみたが、結局聞き出せないまま彼らは逃げるように定宿に戻って行った。


 ――組合(ギルド)に暗澹たる空気が漂ったまま、数日が過ぎた。ザックらは出来る限りの手を尽くしたが、件の依頼人とやらもトリスに立ち寄らずに別れたらしく、手掛かりは得られなかった。

 打つ手は無しか。誰もが諦めかけた時、シオリが帰還したという知らせがあった。トリス西門の外で、瑠璃色のスライムに抱えられるようにして倒れているところを保護されたのだ。辛うじて意識はあったものの発熱と衰弱が酷く、危険な状態だった。懸命な治療の末に一命は取り留めたものの、精神的な疲労も影響してか寝込む日が何日も続いた。その間、瑠璃色のスライムは彼女の傍を片時も離れなかった。シオリをここまで運んだのはこのスライムだと彼女は言った。食料を分け与えた事を恩義に感じてのことらしい。


 しかし、それにしても。

 シオリの身体には暁の剣士が言うような怪我は何処にも見当たらなかった。それに、いかに命の危険が迫ったからとて大の男が四人も居て、誰もこの小柄なシオリを運んでやろうとは思わなかったのか。

 暁のメンバーはシオリの帰還を知っても喜ぶどころか気まずい顔をするのみだった。いよいよ何かあると問い詰めた結果、シオリの恋人と目されていた魔法剣士がとうとう口を割った。

「貴族の護衛で入った迷宮(ダンジョン)で装備類を沢山入手出来たんだ。依頼人は自分の目的の物さえ手に入れば、あとはこっちの物にしてもいいと言って……」

 数ヶ月に及ぶ無理が祟って道中倒れたシオリを捨て置くよう命じたのは依頼人の帝国貴族だ。貴族主義の思想が根強い彼らにとって、冒険者の女の命ごとき些末なことだ。シオリよりも依頼の完遂を優先するよう言い募り、暁もそれに従ったのだ。足手纏いと蔑む女を運ぶより、戦利品をより多く持ち帰ることを彼らは選んでしまった。

 ――そんな理由でシオリは、迷宮(ダンジョン)の深部に捨てられた。



「――胸糞の悪い話だ」

 苦虫を何匹も噛み潰したような顔でアレクは吐き捨てた。仲間を道具のように扱い、道具のように捨てるなど。人道に悖る所業だ。

「それで、その暁とやらはどうなったんだ。さすがにお咎め無しとはいかんだろう」

「魔物が出て逃げざるを得なかったのは本当だと押し切られてな。五人の証言を立証も出来んが覆すことも不可能で、結局お咎めは無しだ」

「ただまぁ、シオリが抜けた後は依頼も失敗続きで散々でさあ。それまでぎりぎりでも依頼達成出来てたのは、やっぱりシオリが居たからだったってわけさ。終いにゃメンバーだった召喚士の女を死なせて、トリスに居辛くなって他所の支部に移って行ったよ」

「……そうか」

 アレクは天幕に視線を向けた。ようやく得たと思った仲間(居場所)に捨てられた時、シオリは何を思っただろうか。誰も来ない迷宮(ダンジョン)の奥底で熱に浮かされながら、ただひとりきりで。

 入浴を済ませて出て来たシオリは、気まずそうにこちらに頭を下げて見せると、洗濯のために天幕の裏に消えた。

「……様子を見て来る」

 そっとしておくべきなのかもしれないが、寂し気な背中が気にかかった。

 天幕の裏手に歩みを進めると、座り込んでくるくると洗い物が回る水柱をぼんやり眺めるシオリと、寄り添うように佇むルリィの姿が目に入った。微かに耳を打つ、歌声。



兎追いし彼の山

小鮒釣りし彼の川

夢は今も巡りて

忘れ難き故郷


如何にいます父母

恙無しや友がき

雨に風につけても

思い出づる故郷……



 故国の歌だろうか。耳慣れぬ言葉で紡がれる歌の意味は分からなかったが、異国情緒漂うそれは、ひどく甘く悲しげに響いて胸を打つ。

「――シオリ」

 儚げなその姿が消えてしまうかのような錯覚に陥り、思わずその名を呼んだ。歌が止んだ。

「さっきは不躾な事を聞いた。すまなかったな」

「いいえ。大丈夫ですよ」

 わざわざ心配して来てくださったんですねとシオリは笑った。

「それはまあ――仲間だからな」

 落とした言葉にシオリの目が見開かれ、それから笑みの形に細められた。

「嬉しいですね、仲間、って」

 それは何を思っての言葉だったのか正しくは理解出来なかったが、それでも自分の言葉がシオリの心の柔らかい部分に触れたことだけは確かだと思った。

「……さあ、手伝ってやるから早く休むぞ。明日はいよいよ討伐だ」

「はい」

 洗濯が終わるのを待ってシオリに手を差し出す。躊躇いがちに伸ばされた手を握り返すと、引き寄せて立たせてやった。

 辛い目に遭いながらもこの稼業に戻ってきた強い女。だが、その姿はどこか危うく儚い。ついそのままこの胸に抱き寄せたくなったが、すんでのところで踏み止まった。



 ――翌日。

 シオリの心尽くしで十分に身体を休めた一行は、とうとうマンティコアの住処へと到達した。向こうもこちらの気配を察知したのか、肌を刺すような殺気が強くなる。各々身構え得物を構える中、緊張を破るようにリヌスが呑気に言った。

「無事マンティコアを倒したら、シオリの唐揚げが食べたいなぁ」

 一瞬目を丸くしたクレメンスが次にはニヤリと笑う。

「なら私は焼き鳥が良い。あれを肴に酒を飲んでみたいものだ」

「じゃあ、私はマチェドニアがいいわ。果物のミントシロップ漬、食後のデザートにはぴったりだわ」

 クレメンスに続いてエレンが言うと、アレクもそれに乗った。

「では俺はあの豚の生姜焼きとやらだ。あの濃い味のソースが気に入った」

「皆ばらばら!」

 シオリは笑った。

「じゃあ、今夜の献立は皆の好物!」

 強敵を前にして歓声が上がる。士気は高い。行ける。

 アレクは愛剣に魔法の力を添わせながら言った。

「シオリ、お前は? お前は何かあるか」

「私ですか?」

 聞かれるとは思わなかったか、シオリは目を瞬かせた。

「……そうですね、なら私は――」

 続く言葉は重低音の咆哮に掻き消された。圧倒的な力を伴う風が木々を揺らし、醜悪な人面の魔獣が姿を現す。

「行くぞ!」

「応!」

 戦いの火蓋は切って落とされた。









「……確かにマンティコアだ。依頼は完遂だな。ご苦労さん、よくやってくれた」

 首検めを終えたザックは大きく息を吐くと、依頼の完了を告げた。途端に組合(ギルド)内に歓声が満ち溢れる。

「さすがアレクだ。S級同然というのも伊達ではないな」

「クレメンスの双剣捌き、俺も見たかったぜ」

「飛行系の魔獣ならリヌスも外せねぇな! ずば抜けた動体視力で飛ぶ鳥も落とすって話じゃねぇか」

「見てよ、怪我も疲れもほとんど無いわ。後方支援にエレンやシオリが居れば安心というのは本当ね」

 仲間達が取り囲まれ口々に褒めそやされるのを尻目に、アレクはザックに視線を流した。目が合う。

「……どうだったよ。トリス支部(うち)のとっておきは」

「見事なものだ。道中快適で疲れ知らずだった」

 アレクの手放しの称賛にザックは満足げだ。

「――で、シオリ(あいつ)は今フリーなのか?」

「あ? ソロだっつったろ」

 意味を取り違えたらしいザックに、アレクは意味深な笑みを浮かべて見せた。

「そういう意味じゃない。決まった相手は居るのかという意味だ」

 ザックの陽気な笑みが消え、探るような視線が突き刺さる。

「居ねぇよ。居ねぇが、それがどうした」

「気に入った。あの女は俺が貰い受ける」

「ああ?」

 ザックの瞳に剣呑な光が宿る。竜さえ射殺すような視線のまま顔を寄せ、声を潜めて威嚇する。

「お前とあいつじゃ身分が違い過ぎる。何かあって傷付くのはあいつだ。いいとこの坊ちゃんが気紛れで適当に遊ぶだけのつもりならやめておけ」

 一線を退いて大分丸くなったとは言え、元S級の名は伊達ではない。殺気にすら似た怒気を放たれ、それを正面から平然と受け止めて、アレクは唇を笑みの形に刻んだ。

「遊びなものか。本気だ、俺は。この歳まで散々国の為に働いてきたんだ。妻ぐらいは自分の惚れた女を望んでも罰は当たるまいよ」

 そうだ。自分はあの女に惹かれた。稀有な女だ。常識に囚われない発想、自らの欠点を利点に変える胆力、自らの力で立とうとするその強さ、旅の中にあっても行き届いたその気配り、喜怒哀楽の振れ幅が小さい穏やかに凪いだ顔――。

「簡単に言うけどな、周りが黙っちゃいねぇことはわかるだろうが。もう一度言うがな、何かあって槍玉にあげられるのはあいつのほうなんだぞ。わかってんだろ、そんくれぇは」

 珍しく言い募るザックに、アレクもまた獰猛な笑みを見せる。

「……随分と食い下がるじゃないか。なんだかんだ言って手放したくないのはあんたのほうじゃないのか、公爵閣下(・・・・)

 ザックは凄絶な笑みを浮かべた。挑発に乗ってくれるようだ。

「あいつは俺が拾った。妹みてぇなもんだ。兄として妹の幸せを願うのは当然だろうが。あいつは十分に傷付いたんだ。これ以上傷付けるような真似をしてみろ。いくらお前でも許さねぇぞ、王兄殿下(・・・・)

 背後の喧噪を他所に密かに行われた睨み合いは、やがてザックの方から逸らされた。

「あいつの傷付くところはもう二度と見たくねぇ」

「その話なら道中聞いた――俺はな、ザック。あいつの居場所になってやりたい」

 ザックは諦めたように短く溜息を吐いた。

「……その言葉、違えるんじゃねぇぞ。出来るもんならやってみろ、アレクセイ」

「……ああ、任せておけ。ブレイザック」




『そうですね、なら私は――』

 あの時掻き消された言葉の続き。

『私は、居場所が欲しい』

 微かな声だったが、それでもその願いは確かにアレクの耳に届いた。

 強い女だ。だが、時折見せる儚い表情はアレクの胸を焼いた。故国を離れた見知らぬ土地で、曖昧な身の上で居る事の心細さはアレクにはわからない。だが、もし許されるならば、彼女のよすが、その心の拠り所になりたかった。

「シオリ」

 熱気からようやく解放され、一時の仲間達と別れを告げて組合(ギルド)を後にしたその背中に声を掛ける。

 宵闇の気配が迫る街並みの景色を背に、シオリは振り返った。

「無事マンティコアを倒して俺達はお前の心尽くしの手料理に有り付いたが、お前の欲しいものは手に入ったか?」

 押し黙ったままのシオリの手を取り、騎士のように口付ける。

「もしお前が望むなら、俺が居場所になってやる」

 言葉の意味を理解して徐々に赤らむその顔を眺めながら、

(――さて、どうやって口説き落とそうか)

そんなことを考える。楽しくなるだろうこれからの日々を思い、アレクは口の端を吊り上げた。

・シオリ……31歳。B級冒険者。家政魔導士。日本人。

・アレク……34歳。A級冒険者。魔法剣士。面倒なのでS級昇格を蹴っている。

・クレメンス……36歳。A級冒険者。双剣使い。

・リヌス……28歳。A級冒険者。弓使い。

・エレン……27歳。B級冒険者。治療術師。

・ザック……40歳。元S級冒険者。ギルドマスター。

・ルリィ……?歳。使い魔スライム。「一飯の恩(キリッ」




※作中の「ふるさと」の歌詞は著作権保護期間が満了しているようなので、そのまま掲載させていただきました。


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[良い点] ・ルリィ……?歳。使い魔スライム。「一飯の恩(キリッ」 癒しのスライムちゃんが笑撃のラストになろうとは。めっさホッコリしました。
[一言] とても面白かったです! アレクもザックもシオリもルリィもみんな好きだー! 連載、楽しみに待ってます。
[良い点] シオリ視点ではないからこそ伝わるシオリの人柄や温かさ、そして抱えてる物の重さに惹き付けられました。 ふるさとを歌うシオリに涙がこぼれました。 どうか彼女が幸せになりますように。 アレクが彼…
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