2章 証拠
今回は証拠探し回です。
葵が躓くような物は見当たらなかった。
その場は至って平面的で、段差も障害物も彼女の目線の先にはありはしない。
「足、引っ掻けたのかな…」
葵は首をかしげる。
なにせ、何かに躓いたとしか思えぬ転倒だったがゆえに、足を引っ掻けたなどと説明がつかなかったのだ。
葵は空間とにらめっこをするが、やはり何も無い。
ただ、誰かの死体があったであろうという証明のみが存在していた。
「取り敢えず、暗幕を開けないと…」
彼女の目は決して悪いわけでは無い、ただ、探し物をするには暗すぎる、先程と同様に身に危険が及ぶのも避けたいと思っての行動だった。
「…眩しぃ」
スイッチを引き、一気に暗幕を開け、窓ガラス越しに陽の光を取り入れる。
葵の暗闇に慣れてきた眼にとっては驚きだったのだろう、視界が一瞬白み見えなくなる。
だが、それもすぐに慣れ、葵の目は相も変わらず晴れながら降っている天気雨に包まれた景色を捉えた。
「何か…手がかりを探そう」
振り向いて見えた景色に彼女は驚く。
それは先程のように夜の闇に似た暗さを持つ空間とは思えぬほどに明るく色づき、よもや別の部屋と言われても差し支えない程に雰囲気が変わっていた。
あるものを除いて
「やっぱり…この白いテープ、人の形してる…大きいなぁ…丁度、成人男性一人分くらいは多分あるかな?」
「にしても…リアルな血は得意じゃないなぁ…」
床に残された夥しい量の血痕と白いテープは自ずと先程の部屋と同じと物語っていた。
葵は思わず顔を青くし、口元を手で押さえる。
葵はゲームで血を見ることはあったが、現実でないと割りきっており平然を保てていた。テレビなどでも見るが、他人事のように捉え、恐れなど持ってはいなかった。
だが、今自分の前で乾いていないドロッとした真っ赤な液体にはついつい恐怖を抱いてしまう
「な、なにか他に…無いかな…?」
できるだけその液体に目を向けないようにしながら映写室を見渡す。
すると、死体近くの扉とは逆の方向に位置する扉の前に、何かがキラリと光を反射したのが目に写る
葵は無意識にか意識的に血を見たくないからかその場へ急ぎ走り寄る。
「…これ、包丁?」
落ちていたのは刃の反りが緩やかで大きい刃渡り30cm程の牛刀だった。勿論、刃には血痕が付着していた。
それも先程の血痕と同じくまだ息があったようにあまり乾いておらず、葵はやはり嘔吐く。
「…ダメ、しっかり…確かめないと」
心に強く言い聞かせ、指紋が残らぬようにハンカチを柄に被せて持つ。
被害者はこれで刺殺されたのだろうか?だったら犯人は私じゃない、そう葵は思っていた
被害者が男性ならば、ただの会社員の女性が包丁を刺して引き抜くなんて簡単にできるだろうか。
もし自分が犯人であれば毒殺やテコの原理を利用した絞殺とかがやっとだろう。
葵はハンカチ越しに手に持った包丁と、死体があったであろう場所を横目にそのように考えていた。
「…スーツ探そう」
葵は自分が犯人ではないと確証付ける為に次はスーツを探し始める。
仮にこれで自分が人を殺めたとすれば、包丁を抜いたのだろうからスーツに返り血が付いてどこかに捨ててしまった可能性があると考えての行動だった。
「あ、あの…神崎さん…」
「だ、誰!?」
葵は不意に聞こえた女性の声に警戒し、身構える。
だが、包丁は向けなかった。
「なんだ…相沢さんか…」
「ヒィ!ご、ごめんなさい!」
気弱な同僚の女性― 相沢 猫であった事に葵は胸を撫で下ろしホッとする。
「相沢さん、ここで亡くなったのって…誰?」
白いテープの形と血を見ただけではそれが誰かと明確に判断することは無理なので聞いてはみるが、それが自分の彼氏― 神田 春樹で無いことを願ってはいたものの心の中で少しだけ諦めていた。
「…え?…取り敢えずここ、出ましょうか」
相沢は少し白いテープの方を見てから言う。
流石に血が残された場所で平然と話なんてできないか、自分も含めて。
葵はそう結論付けると黙って部屋を出る。
「えぇっと自殺か他殺かって騒がれてて…神崎さん、気を落とさないで下さい…ね」
「…ううん。良いよ、それ以上言わなくても。覚悟は…してた」
葵は申し訳なさそうにうっすら涙を浮かべ、体を縮めながら相沢が言った気を落とさないでの一言で悟ってしまう、死んでしまったのは、彼だと。
「か、神崎さんは何を…?」
「…言うなら捜索、かな」
葵は少し目をそらして答える。
それは神田春樹が死んだという現実からも同時に目をそらしたように。
「…そうだ、私のスーツ知らない?」
「えぇ?あ、あの…すいません…知らないです」
「じゃ、じゃあ他の人は?」
起きてから未だに一度も物音も人の声も姿も、誰かがそこに存在していると証明される物は一切無かった。
それを不思議にも思った葵は質問する
「皆さん…は、ここで、人が…亡くなったのを知って…帰りました」
「そうなの?…誰か起こしてくれれば良かったのに。もしかして相沢さんは、私を起こしに来てくれたの?」
相沢はゆっくりと頷き、葵はそれに静かに喜んだ
「…ありがとう」
「い、いえ…。あの…帰らないんですか?け、警察も…既に呼んでますし…」
「…やらなきゃいけないことがあるから、残るよ」
葵はそう言い残して相沢から離れていく。
これ以上迷惑はかけれない、自分で何とかしよう、そう思いつつ離れていく。
* * *
葵は相沢と別れてから一人で他の部屋へスーツやそれ以外の証拠を探していた。
2部屋ほど探索を終えた頃、廊下のゴミ箱にスーツが捨てられていたことに気づく。
「あ、あった!!」
葵は自分の名前の書かれたスーツに心底喜ぶが、少し慌てていた。
血がついていないかどうか確かめるために慌ただしくスーツを隅々まで確認するが、黒いスーツはただ黒いだけで、赤い異色などどこにも無かった。
「良かった…………でも、まだ証拠になるもの無いかな」
葵はスーツを着、他の部屋の探索を続ける。
壁に紙が貼られていた、それはシフト表だった。
葵は自分の働いていた時刻などを確かめる
「午前8時から昼の4時までか…証拠にはならないかな」
葵はため息を吐き肩をすくめる。
ふと見た廊下の先の嵌め殺しの窓の外は完全に曇り、豪雨となっていた。
葵はその雨に少しだけ親近感のような物を感じていた。
まるで、葵の愛人の死へ対する哀しんで沈んだ心を表すようだったからか。
「…?あれは…相沢さん?」
葵が寝ていた部屋に相沢が入って行く。
葵は隠れるようにひっそりと移動して部屋の扉を静かに開ける。
「…信じたくないけど」
それは悪戯でPCの画面に貼られた赤い文字の紙の犯人では無いかと言うこと。
葵はそれを信じたくは無いし、有り得ないとも思うが、もし仮にそうだとしたら理由を問いたいと強く願いつつ部屋へ入る。
相沢の姿は無かった。
葵は徐に自分のいた席のPCの画面を見る。
― 貴女は笑うことしか許されぬ愚かな愚かな道化師の人形。
紙には消された後も足された後も無く、変えられた形跡も無く新しくそう書かれていた。
「変わってる…」
「神崎さん?」
葵が振り向くと、そこにいたのは―血塗れで赤くなった服を着た自分によく似た、笑顔の女性だった。
葵は後ろへ後ずさりつつ目を擦る。
次に見えたのは相沢で葵は自分の目を疑うと同時に安心する。
「あ…相沢さんか…ビックリした」
「ご、ごめんなさい…」
「どうしてここにいるの?」
妙な汗をかきつつ葵は相沢に尋ねる。すると相沢は青ざめた顔をしつつ『神崎』と書かれた名札をポケットから取り出して葵に渡した
「途中で…これ、拾ったので…」
「ありがとう。…あの、相沢さん?」
「な、なんですか?」
「これ、もしかして…相沢さんが?」
葵は疑いたくは無いが、違うのであればそうだと確証を得たくて訊く。
「どれ、ですか?」
「え?この紙のことだけど…」
「紙って…なんですか?」
相沢はふざけているわけでは無い、いや寧ろ本気だった。
赤い文字が書かれた紙は相沢には見えていないのだ。
「…ううん。変なこと訊いてごめん」
「え、は、はい。あの、私…帰りますけど…神崎さんはどうしますか?」
「…まだ残るよ。心配してくれてありがとう」
相沢は軽く会釈して部屋を後にし、葵は椅子に座って少し休む。
思えば、どうしてあの裁判ごっこに遇うのだろう。なにか条件があるのか、あれは夢なのか?
葵は悩む。ふと自分の名札を見る。
「………っ!」
それを見た瞬間、葵は肝を冷やした。
名札には、血のような赤色が端にこべりついていたからだ。
そこで葵はまた悩む。スーツには無かったのになぜ名札だけに付着しているのかが気になってしまう
悩んでいると、無慈悲にも睡魔が襲ってくる。葵はそれに耐えれずにその場で微睡んで意識を閉ざす。
最初の方のおかしな点に気付けたでしょうか?