さり気なく伸ばした手
小さい頃のことは今でもよく覚えている。
私は祖父ちゃんと祖母ちゃんに育てられたと言っても過言ではない。
共働きだったうちの両親が祖父ちゃん家に近い保育園を選んだらしく、仕事を終えたお母さんが車で迎えにくるのを祖父ちゃん家で夜まで待つ、という生活だったからだ。
祖父ちゃん家の隣には同じ保育園に通う同い年の男の子が住んでいて、よく一緒に裏山に登ったりチャンバラしたりして遊んだ。
そんな毎日が楽しかったから小学校に入っても祖父ちゃん家に帰り続けた。
でも部活が始まって忙しくなると、祖父ちゃん家に帰ることも、隣の家の男の子と遊ぶこともなくなっていった。
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「たからー早くおいでー」
「はーい」
月日は流れ、高校3年生になった私。
お盆も間近に迫った今日、久々に家族全員で祖父ちゃんと祖母ちゃんに会いに行くことになった。
「姉さん達は今日の夜こっちに着くらしいわよ。でもほんと久しぶりよね、兄弟家族が勢ぞろいするのって」
生まれ育った家に帰る喜びからか、久々に可愛い甥っ子姪っ子に会えるからか、お母さんはいつもより上機嫌だ。
私は、お父さんが運転する車に揺られながら、小さい頃なれ親しんだものへとどんどん近づいていく景色をひたすら眺めていた。
そして辿り着いた、お正月ぶりの祖父ちゃん家。
そんなに遠くない距離だというのに、くたびれたように嬉しそうに中へ入っていく皆とは離れ、祖父ちゃん家を見上げてみる。
幼い頃の私にとって、自分家よりもホームだったこの場所。
あの頃は無邪気だったな、受験とか進路とか何も考えず走り回って……。
なんだか無性にノスタルジックな気分に浸っていると――
「あ」
――どこからか、よく知っているような、ぜんぜん知らないような声が聞こえた。
「え?」
浸って遠い目になっている姿を誰かに見られてしまうなんて……!
内心で焦りつつ辺りを見回した先にいたのは、隣の家の男の子、孝太だった。
夏休みだと言うのに制服姿で暑そうだ。
「よぉ」
「……よっ」
「来てたのか」
「今来たとこ。 そっちは……もしかして部活帰り?」
「おう」
孝太とは同じ高校に通っている。
でも、一度も同じクラスになったこともないし、孝太のいる集団と私とでは毛色が違いすぎてほとんど会うこともない。
孝太は所謂イケメンで、ぱっちりした目をした可愛い系の顔立ちながら、うちの高校で最強とも言われている剣道男子だ。
そのため、下級生から影できゃーきゃー言われている。
影で、というのは、本人が表立って騒がれることを嫌うから。
何せこの孝太くん、可愛い顔をしているくせに性格は全然可愛くなくて、歯に衣着せぬ発言の多い俺様系なのだ。
昔はあんなに可愛かったのに……と嘆くこと多々あり。
同級生はその辺りよく分かっているのでそこまで信者はいないみたい。……まあ、その分、本気な方々もこっそり多いらしいけど。
ちなみに私は、美術部所属の平々凡々な目立たない一般女子です。
うわー、こうやって話すのも久しぶりだ。
なんか……照れくさい。いやむしろ、気まずい。
「すごいね、総体終わっても続けてるんだね、剣道」
「ん、まあな」
「へえー頑張ってるんだ。居眠り魔で有名な須崎君が」
「コーチが来いって煩いから仕方なくに決まってんだろうが」
「またまたー」
「あら、孝太君!」
当たり障りのない会話をし、どうにかして祖父ちゃん家に入ろうと思っていたら、様子を見に来たらしいお母さん登場。
……なんだろう、嫌な予感しかしない。
「お久しぶりです」
「大きくなってー、いい男になったじゃない! ねっ、たから!」
「え」
振らないでー!
なんか恥ずかしいから振らないでー!
だよね~なんてこっ恥ずかしいことが言える訳もなく、笑って誤魔化すしかできないコミュニケーション能力の低い自分が嫌いだ。
「照れちゃってこの娘は~。――そうだ、せっかくだから夕飯できるまで孝太君に遊んでもらいなさい! 昔みたいに、ねっ」
「ちょ、お母さんっ!?」
「はい、いってらっしゃーい!」
やめて止まってお母さーん!
――こうして、とてつもなく機嫌がいいお母さんに言いくるめられ、今私は孝太が私服に着替え終わるのを外で待っている訳です。
何してんだろ自分……、何話せばいいんだろ自分……。
ガチャッ
1人頭を垂れ途方に暮れていると、着替え終わった孝太が出てきた。
「なんか、ごめんね」
「まったくだ。……相変わらずだな、おばさん」
「ほんとすみません、いつまでも子供扱いでほんとすみません!」
「仕方ねーから付き合ってやる」
「ありがとうございます!」
「裏山にでも行くか?」
「……うんっ」
小さい頃よく遊んでた裏山を孝太が覚えていてくれたことが、何よりも嬉しいな。
――なんて、余裕でいれたのもこの時だけだった。
「もう少しだな」
久しぶりに登る山道は記憶の中のものよりも険しくて、正直懐かしんでる余裕なんかない。
前を歩く孝太に着いていくのがやっとだ。
新緑の中を歩くイケメン野郎はなんて爽やかなんだろう。
運動なんて授業でしかやってないせいでこんなにもぜえはあ言っている文化部人間の今の状態なんて分かるかってくらいの軽快さが憎たらしい。
……背中大きくなったな~。
「子供の頃って元気だったんだなー」
「このぐらいでヘバるとか情けねーな」
「孝太みたいに鍛えてないもん!」
パタッ
ぶーぶー言いながら歩いてたらいきなり立ち止まる孝太。
「どしたの?」
ぶつかりそうになり驚いて問いかければ、前を向いたまま話し出す。
「……久しぶりに聞いた」
「え?」
「お前が俺を下の名前で呼ぶのなんて久しぶりに聞いた」
「……そうだっけ?」
「そうだよ。たまーに呼ぶ時も須崎君だったし」
「あ、ごめんごめん。須崎君がよかった? なら今からすざ「孝太でいい」……へ?」
「孝太でいいっつってんだろ、たから」
振り向きながら私の名前を呼んだ孝太は、昔みたいな無邪気な笑顔で――
「え、あ、その……うん、分かった……孝太」
――体中の血が集まってるんじゃないかってぐらい私の顔は真っ赤だと思う。
いや、真っ赤に違いない。
孝太の顔がさっきまでの笑顔から一転して学校でよく見る俺様な笑みに変わっていたのだから。
「なんか、ズルい!」
「何のことだよ」
またぶーぶー言いながらも歩くのを再会した私達の間には少し前までの変なよそよそしさはなくなっていた。
前を歩く孝太を見ながら思う。
もしかして、今なら、きっと……
期待を込めて、
さり気なく伸ばした手
ギュッと握って、昔みたいに。
「ねえ孝太ー」
「何?」
「哲哉元気?」
「……知るか」