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ちいちゃん

作者: Jenny

青柳市子、それが僕の歳の離れた妹の名前だ。

父は開業医、母も大学病院で教授を勤める医者。

兄貴は地方で開業、僕も医者、もう一人の妹も医者に嫁いだ。

祖父の時代から医者の家計に生まれた、いちばん下の市子。産まれた時はかわいい宝物、かわいいかわいい赤ちゃんを、兄貴と僕と妹で代わる代わる抱っこしていた。

市子がはいはいして歩くようになるとかわいさ100倍、市子はホントにかわいい顔をしている。おメメがばっちり、頬っぺたぷくぷく。父は身長180センチ男前、母も自慢の綺麗な人、客観的に見ても、兄貴も僕もかなりのイケメン、もうひとりの妹幸子も綺麗な自慢の妹。

兄貴は2つ上、幸子は3つ下、市子は幸子から10年経って生まれた妹。ほんとにかわいくて、青柳家でいちばんかわいい子供だと思った。ぼくのかわいい妹、自慢の妹。


市子が8歳のある夏の日、買物から戻った幸子と市子が洗面所で顔を洗いながら話していた。

市子は言った。

「いっちゃん、幸っちゃんの半分位しかないけど、ちゃんとできるんだからね!」

「分かってるよ、いっちゃん、さあ、カルピス飲もう」

幸子は汗を拭きながらいつものように笑って市子を見ていた。

青柳家の洗面所、キッチン、それから市子が出入りする各部屋には、父が作った、3段の階段が着いた台が置いてある。

小さい市子が手の届かない所にあるものを自分で取れるようにするためだ。

市子はカルピスが大好き。カルピスウォーターとかじゃなく、家の冷蔵庫にはいつもカルピスの原液があった。カルピスウォーターなんて薄い!と市子はちょっと濃いめのカルピスに氷を浮かべて飲むのが大好きだった。たまにオレンジカルピスを飲むのも好きだった。飲み終わるとキッチンの3段の階段の着いた台によっこいしょと上って、ちゃんとコップを洗い、片付けた。幼い頃からしっかりした子だった。


幸子と市子はカルピスを飲み終わると二人で昼寝をしていた。


医大生だった僕と兄貴はその頃コーヒーに凝っていた。

いろんな種類のコーヒー豆を買い込んでコーヒーミルで引いて自分たちでブレンドして楽しんでいた。

エアコンの効いたリビングでお昼寝しているかわいい妹たちの横で、僕と兄貴はいつものようにコーヒーを楽しんでいた。

市子がなんとなく目を覚ました。

市子はまだ眠い目を擦りながら、

「いい匂いがする。兄ちゃんたち何飲んでるの?」

と起き上がって僕たちの方へ歩いてきた。

「いっちゃんにはまだ早い、これは大人の飲み物だよ。」

僕が言うと、兄貴が、

「いいじゃん、ちょっとだけ、ちいちゃんも飲んでみる?」と、コーヒーブラックを市子に飲ませた。

「ちいちゃんって言うな!」

と膨れながら市子は兄貴のカップの苦いコーヒーを一口ゴクリ、

「まずいっ」

市子は酷い顔をした。

酷い顔をした市子もかわいい、かわいい子はどんなへんな顔をしてもかわいい。

僕も釣られて、

「じゃあ、こっちも。」

と僕のコーヒーを与えた。

市子は口直しができると思ったのか、僕のコーヒーをゴクリ、

「まずい!」

次に兄貴が、

「ちいちゃん、これ舐めてみな」と、あろうことか引いたばかりのブルーマウンテンの粉を市子の口に押し込んだ。

「兄さん!何するんだ!」

兄貴の顔がいつもと違っていた。

市子はオェッてなって、大きな目に目と同じ大きさの涙を浮かべた。

その顔があまりにかわいくて、兄貴が我に帰った。


オェッってなってる市子の前で、僕は兄貴に、どうしたんだ、いっちゃんを殺す気が、と小声で尋ねた。

兄貴は言った。

実は今、教授のお嬢さんと付き合っていて、市子のこと、言えなくて、市子がいなけりゃ完璧な家族なのに、と苦痛の表情を浮かべた。

オェッてなりながらもそれを聞いていた市子は、

「兄ちゃんたち、いっちゃんがいらないんだ。」と泣き出した。

その声で幸子が起きた。

2人の兄の前で泣いてる市子を見て駆け寄ってきた幸子、市子の口にはコーヒーの粉、幸子は叫んだ「いっちゃんに何をしたの!」

市子は幸子に抱き着き泣きじゃくった。

「まさか市子にコーヒー飲ませたの、お口の粉は何?コーヒー食べさせたの?」

お兄ちゃん、市子を殺そうとしたの!」

市子はわんわん泣きだした。

兄貴が慌てて市子を抱き抱え、洗面所に連れていった。僕と幸子も続いた。

「ちいちゃん、お口を濯いで、ガラガラしてからペッて吐いて。」

市子は苦しそうにガラガラ、ペッを繰り返しながら、「ちぃちゃんって言うな、兄ちゃん大嫌いだ。」と泣き叫んだ。

「カルピス飲もうね、今作ってあげる。」

幸子が言った。

「牛乳の方がいいんじゃないのか?」

兄貴が言った。

「牛乳のがいいかな。」

幸子が僕に聞いた。

「うーん、体の中でコーヒー牛乳になるから牛乳のがいいかも。」

兄貴が続けて言った。

「砂糖も入れて、ちいちゃんにはまだブラックは早い!」

「何言ってるの、お兄ちゃんたち!」

「ちいちゃんって言うな!」市子は泣きながら叫び続けていた。


「お父さんに言うからね!」

幸子が叫んだ。兄貴は顔を真っ青にして、市子にごめん、と何度も謝って、砂糖たっぷりの牛乳を飲ませ、カルピスも飲ませ、市子のご機嫌をとろうとしていたけど、兄貴が、ちいちゃん、と呼ぶ度、市子はちいちゃんって呼ぶな!と泣きながら叫ぶ、そんな午後が終わった。

「いっちゃん、いっちゃんのことは幸っちゃんがずっと守るから、いっちゃん泣かないで!」

「幸っちゃん!」

市子は幸子の胸に縋りついていた。

「幸っちゃんいつかお嫁に行っちゃう。」

「いっちゃんも連れていく。」

「うそ!」

「ホントだよ、いっちゃんが大好き、世界で一番大好き、いっちゃんを連れてくから、絶対守るから!」

二人の妹が愛しくなったのか、兄貴はうなだれていた。


夜になって、父が帰ってきた。市子は泣き止んでいたが、すごく不機嫌な顔をしてご飯を食べていた。

兄貴は珍しく顔色が悪い、父と目を合わせないようにしていた。

父は普段と違う食卓の様子に、「どうした?何かあったのか?」と子供たちに尋ねたが誰も返事をしない。

「いっちゃん、今日はご機嫌が悪いね。」

父が市子に尋ねると、

「兄ちゃんたちはいっちゃんがいらないんだ。」

市子は言った。

「お兄ちゃんたちいっちゃんを殺そうとしたのよ。」

幸子が言った。

「えっ?何、どういうことだ?」

父はわけがわからずにいたが、食後、市子以外の子供を自分の書斎に呼んだ。

「ばかもーん!」

初めて聞いた父のあんな興奮した声。


父は言った。


あの子のことは、お前たちに頼むようなことはしない。あの子が一生暮らせるように、私達親がちゃんとしてやるつもりだ。

お前たちそれでも医者の家に生まれ、医者になろうとしている人間か。

いいか、青柳家は、恵まれた家だ。そこにあの子が生まれた、医者の家に生まれた。あの子が医者の家に生まれたのは本当に幸せなことだと思わないか。

市子が生まれて、私は本当の医者になれた気がする。

息子たちよ、市子を治せとは言わない、だけど、治らない病を抱えて生きなければならない患者さんとその家族の思いがわかるだろ、市子が生まれたおかげだ。

市子はまだ幸せだ。

自分の足で歩ける。

自分でカルピスも作れる。

普通の人より大変だが、なんでもやろうとしている。


「いっちゃんは私が守る、結婚する時、絶対いっちゃんを連れていく!」

泣きながら、先に部屋を出た幸子は、市子といっしょにお風呂に入り、今日3杯めのカルピスを飲んだ後、歯を磨いて市子のベッドでいっしょに寝てしまった。



市子はいっちゃん、

いちばん小さい妹だから、兄貴や僕がちいちゃん、って呼ぶと、

「ちいちゃんって呼ぶな!いっちゃんももうすぐ幸っちゃんや兄ちゃんみたいにおっきくなるんだからね!」

必ず言うようになったのはいつからだろう。無性に抵抗していた。

まだ知らないはずなのに、勘の鋭い子だから気付いていたのかもしれない。





「結婚する時は絶対いっちゃん連れていく」

そう言ってた幸子が25歳で結婚した時、市子は家に残った。幸っちゃんたまに遊びにきてくれればいいよ。

幸子が子供を連れて実家に遊びにきたとき、幸子の子供を抱っこして、やっと自分より小さい家族を抱っこしてとても満足そうだった。

その時もまだ、我が家には市子のための3段の階段のついた台はあった。



兄貴は結局、教授のお嬢さんと結婚した。教授のお嬢さんは、市子を見た時、なんてかわいいの、とニッコリ笑った。





幸子の子供が大きくなって、市子より大きくなって、市子はもうすっかり叔母さんになっても、僕が時々ふざけて、ちいちゃんと呼ぶと、

「ちいちゃんって呼ぶな!いっちゃんはほんとは大きくなりたかたたんだ!一日でいいから、幸っちゃんみたいな大きさになってみたいんだ!」

って、伯母さんになってもかわいい目に目と同じ大きさの涙を浮かべて怒るんだ。


かわいい、かわいい、僕の妹。



僕は医者になり、父は引退して、母はまだ忙しく働いている。



あれから何度夏が過ぎただろう。


今日はお休み。自分の部屋で医学書を読む僕、父は縁側に座って読書。

市子は3段の階段のついた台に上って、洗濯物を干している。

家の中で市子にできないことはない。

僕は、結婚しないと思う。市子がいれば何も不満はない。


市子はトラウマだったのかコーヒーは飲まない。

大人になってもカルピスが大好き。

洗濯物干し終わったら、カルピス飲むだろう。


市子はまだ小さいまま。

いっちゃんは、大きくなれない病気を抱えて医者の家に生まれた。

頑張ってホルモン注射とかしてみても、大きくなれなかった。

医者が4人もいて治せないなんて、なんて情けない。

いっちゃんは、歳の離れた妹。

父と母はいっちゃんが最後に一人になっても生きていけるだけのお金を貯金した。

僕はなるべく長くいっちゃんといっしょに過ごそうと思う。

青柳家は、結構豪邸だ。

いっちゃんが小さいままおばあちゃんになったら、掃除とか大変だ。普通の人の倍の距離を歩く。3段の階段がついた台にも上れなくなる日がくる。

父や母や兄弟が先に死んでも、いっちゃんは生きていけるだろうか。

歳の離れた小さいいっちゃんのために、何ができるのか。

とりあえず、カルピスさんに、死ぬまでカルピス届けてもらう契約ができるか尋ねてみよう。


いっちゃんが呼んでる。

「兄ちゃんもカルピス飲む?」

僕はコーヒーが大好きなので、いつもいっちゃんの隣でコーヒーを飲む、その時間、大好きなカルピス飲んでるのに不機嫌な市子。


不機嫌な顔もかわいいよ。

大好き市子。

世界でいちばんかわいい妹。


世界でいちばん大好きな市子。



夏が来る度、コーヒー飲んでオエッてなって、目に目と同じ大きさの涙を浮かべた市子の顔を思い出す。こんなにかわいい妹になんてことしたんだ。いっちゃんも忘れてないよね。ごめんね。傍にいるからね。




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