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あれは毛玉(けだま)なんだなっ。(1)

 “獣人”は鼻をひくつかせ、耳を小刻みに動かしている。やがて自分を見上げる優を鋭い眼光でひと睨みし、外壁に爪をかけてひさしから上へと移動。返しを器用に乗り越えてから屋根の上で立ち上がり、ゆっくりとした口調で何か言葉を発し始めた。

 尻尾が小刻みに揺れている。


「ゆー……け、こ……ひが……の、ら、なるー……」


 優はそれを、歌だと思った。明確なリズムはなく、フレーズは小さな声と比例して途切れ途切れ。だけど何故か、歌だと感じた。どこか懐かしくさえもある。

 “獣人”は北西の方角へ向けて同じフレーズを繰り返し歌い続ける。

 今なら逃げられるかも。そう考えた優だが、脱力感は歩行を困難にするほどに強くなっていた。

 立って、歩き出すまでに十数秒。頼りない足どりでどこかに隠れようと家の中に入った優だったが、急に力が抜け、居間のソファー脇に倒れてしまう。

 歩けなかった。どこも痛くないのに動けない。足が石か金属になったように。

 それでもここに留まるわけにはいなかった。必死に這って進もうとするが、やはり上手くいかない。

 間接という間接を接着剤で固められたような感覚に陥った優は、自分が認識してきた死とは違う形の死が近づいているように感じ、目を開けていることが怖くてたまらなくなった。


「あー、いたいた。見つけたよー」


 だから、声が耳に届こうが、何の希望にもならなかった。人の声なんて幻聴に違いない。塔の窓で動いていた人影も“獣人”で、人間はいないんだ。


「あー、これはダメだねー。ハル、団子だんごー」

「りょうかいなんだな」


 語尾が独特な女性の声が追加されても優は自分の耳を信じていなかった。たとえ幻聴じゃないとしても、喋っているのは“獣人”になんだからと。


「はい、お口を開けてね」


 顎に触れる人間の肌の感触に、優はハッと目を見開いた。目の前には、緩やかに目尻が下がった黒髪の若い女性がブーツのヒールカウンターからパチンコ玉ほどの大きさの丸い何かを摘まんで差し出す姿があって。

 あ、紫色だ……優がそう思うと同時、女性は指で摘まんだ丸い何かを優の口の奥へ強引にねじ込んだ。すると、口の中にウニに似た生臭さが広がり、海産物を得意としない優は激しくせき込む。


「おー、大丈夫かー」


 脇に手を入れられて起こされた優が自分の背中をさする少年へ目を向けると、黒髪の少年が自分を心配そうに見つめているように見えた。


「マコ、それで、どうしよっか」

「んー、とりあえず、彼をおぶっていくわけにもいかないからさー。その間に集まってきちゃうだろうけど、彼が動けるようになるまで待とうかー」

「りょうかいっす。キミ、早く回復しないと、塔へ行けなくなっちゃうよ?」


 細い体にアンバランスな、極端に大きく膨らんだ胸の辺りにまで黒髪を伸ばした女性が優の両肩を揺さぶる。

 優がぼうとして眺めるその手指は細く、肌の質感はとても優しかった。

 本当に人間だ、優は認識する。


「ーーあ、あの」


 何を飲まされたのかを確かめようとする優を制するかのように少年が素早く優の目の前に回り込んで言った。


「俺がマコで、こっちが妹。俺たち兄弟なんだー。とりあえず、君を助けに来たよー」

「あたしがハルね。いやあ、びっくりしたなあ、町から人が下りてきたときは」


 出し抜けに兄弟と言われても、優は今いちピンと来なかった。髪と瞳の色が黒、端正な顔立ちであること以外、二人に似た部分はない。

 浅黒い肌のマコは二重の吊り目で、女優を思わせる透き通った肌のハルは一重でややタレ目。

 鼻の形や高さもまるで違う。たとえ性別が違っても、兄弟ならどこかしら声が似るものだが、それも感じられない。

 マコは低くまろやかな声なのに対し、今にも歌い出しそうな、軽快かつリズミカルなハルの声。

 二人は優より年上に見えるが、歳は大きく離れていないような印象で、マコとハルという名前も日本人的。

 それだけでも今の優にとっては大きな救いになり、少しは落ち着いて言葉を交わせそうだった。


「あ……の、僕は優です。な、さっき、何を飲んだんでしょうか……」


 質問しながらも、優はちょっとした予想を立てられていた。噛んでもいないのに味はとんでもなく不味かったけど、あれを飲んでから脱力感と間接の固定感が少しずつ小さくなってきている。


「あれね、団子だんご。キミのアニマを補充してるんだな」

「え……アニマ、ですか……?」

「そー、アニマ。あー、やっぱり知らないんだねー。まー、そのあたりは後で説明するからさー。とりあえず優は、アニマが回復したらちゃんと戦えるんだよねー?」


 優は考えた。アニマとは、ライトノベルなどで“魂”と同じような意味を持つ言葉だったと思うけど、まさか……

 でも、どうであろうとも、自分に戦うことなんて出来るわけないのに、と。

 少し癖っ毛でマッシュカットのような

黒髪のマコは、不自然に長い刀のようなものを右側のベルト鞘に。黒髪をストレートに流したハルはフェンシングのフルーレをやや太くしたような二本の細身の剣を左右のベルト鞘に差している。

 ファンタジーの世界から飛び出してきたかのような二人の佇まいを前に、優は自分との大きな違いを感じていた。


「す、すみません。戦えません。僕は中学生で、空手とか剣道は習ってません」


 言い終わってから、自分が言ってしまった単語の意味が通じるだろうかと思った優だったが、やはり無理なようだった。二人は困った顔をしている。


「んと、言ってることがわかんないけど、戦えないのなら、キミはどうやってここまで来たの?」

「え? あ、あの、大谷町から歩いて」

「オーヤチョー……?」


 ハルは呆気にとられたような顔になり、隣に立つマコを見る。マコは唇を閉じて暫く黙ったあと、変わらずに間の抜けた声で言った。


「まー、だいぶ酷く攻撃されてたしさ、混乱してるんでしょー。とりあえずユタカが戦えないのはわかったよー」


 優と同じくらいの背丈のマコが、自分より五センチほど背の高いハルの頭をポンと叩き、息をするように慣れた動作で刀を抜いてから踵を返す。


「さーて、奴らが本格的に集まってくるまでに優のアニマが動ける量まで回復するか、賭けるしかないねー」

「そうだよ、ユタカ。キミの回復が遅ければ遅いほど、あいつらは集まってきちゃうんだからね。少しでも早く塔へ行かなきゃ」


 ハルはそう言い、左手で刀を構えたマコに倣うように左右の脇差しを抜いて構える。その様子を戸惑いながら眺める優も、おおよその状況は飲み込めていた。

 突然の登場だったけど、目の前にいるマコさんとハルさんは自分を助けようとしてくれている。

 団子、という名の何かを飲まされたら、すごく不味かったけど、少しずつ体が動くようになってきた。信じられない話だけど、創作の世界に出てくる回復薬みたいなものなのかな。

 マコさんとハルさんは僕が動けるようになるまではここで“獣人”の襲撃を耐えるつもりで、回復したら塔へ向かう。

 それはとてもありがたいことだけど……

 ふと、優は思った。でも、どうやって自分に気づいたんだろう。


「……いろんな疑問があると思うけどね、凝固ぎょうこしないで帰れたらお互いのことを話しあお。今は大人しくしてて」

「ぎょ、ぎょうこ、ですか?」

「うん、そう」


 言っていることの意味はわからないが、ハルは微笑んでいた。朗らかで柔らかい笑顔に思わずドキリとした優は目を逸らしてしまう。

 優の心境に気づいたのか、ハルはウインクをしてからマコの隣へ移動。

 二人のモデルのような体のラインが出る、スリムな藍色のローブの腰を絞るように巻かれた茶色のベルト鞘、同じく茶色のブーツ。ヒールカウンターの部分には団子を収納するための細工が施されているようだ。

 マコだけがベルトの左側に小さな袋をぶら下げているが、それ以外はほとんど同じ服装だと言える二人の背中に、優は戸惑いを感じていた。

 二人は自分とそう違わない年齢に見えるのに、武器を構える背中がすごく自然だ。ここでは、そうならざるを得ないほどに戦いが日常茶飯事なんだろうか。

 相手は、さっきのーー


「あっ、あの。この家の屋根に、さっきの、あの……」

「あー、あいつはもう凝固させたよー。でもあいつ、屋根で歌って、仲間を呼んでただろー。優も聞いたんじゃないかー? あの変な歌さー」

「歌……」


 掠れていたあの声はやっぱり歌だったのか。なんだか、悲しくなるような。

 優は“獣人”の歌について少し考えたあと、マコに向かって頷いてみせた。

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