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あれは毛玉(けだま)なんだなっ。(4)

「あちゃ、こっちにもいたのか」


 優を自分の背後に押しやり、左右のフルーレを抜いたハルが苦々しげに言う。その後ろで後ずさりする優のバットを握る両手に緊張が滲んでいる。

 すうっと、木々の合間の虚空に白く輝く瞳が浮かび上がった。うるるうと低く響く低音と、枝の破砕音。

 白樺に手爪をかけてのっそりと姿を表したのは、雪のように白く、とても柔らかそうな毛を纏った“獣人”。

 階段下で凝固していた鼻の長いタイプの“獣人”と似ているが、鼻まわりはもう少しぼてっとした印象。

 優が認識している“獣人”としての基本的な体の構造に違いはないが、これまでに見てきた個体とは大きな差がある。

 身長は百八十センチほどで、体重は優とは桁が違うように見える。顔の面積と不釣り合いな、落花生と同程度の大きさしかない目、黒豆に似た質感の鼻。

 斜めに傾いた三角形の両耳、白い毛に覆われた丸っこい体に似合う、先太りしたふさふさな尻尾の持ち主がゆっくりとハルへ近寄ってくる。

 

白鼻しろはな!」


 ハルの鋭い叫びに強い緊迫を感じた優の全身に焼けつくような恐怖が染み込んでいく。白鼻と呼ばれた大型の“獣人”はハルから五メートルほどの距離で止まり、つぶらだが淀んだ瞳でハルと優を交互に見つめてから口を開いた。


「こんばんは」


 この状況と不釣り合いな挨拶によって逆に恐怖を煽られた優がごくりと唾をのむ。白鼻が大股で三歩進んでハルの脳天へ爪を振り下ろすが、上手く回避したハルに懐へ潜られた。ハルはフルーレを白鼻の腹部に突き立てようと試みたが、白鼻が蹴り上げた膝によって阻止される。

 しかめっ面になったハルが右へ跳ぶ。


「あぁ、いい夜ですねぇぇぇーぇぇー」


 ホラ貝を連想させる鈍く伸びた声を出した白鼻の牙が、屈んだハルの頭が元あった位置で噛み合うと、硬質な金属同士が衝突したときのような音。


「はい、いくよッ!」


 気合いの声に続き、ハルは首、喉、腕と連続で斬撃を見舞うが、白鼻は意に介さなかった。傷から光の霧を噴射しながらハルのフルーレをむんずと掴み、ハルごと持ち上げる。


「ーーあっ!」


 雑木林へ投げ飛ばされていくハルの姿に、優が短い悲鳴を漏らした。その声に反応したのか、白鼻は優のほうに向き直り、のそりと歩き出す。


「……っー!」


 優へ何かを叫んだマコの声が遠くから響いたが、優にその意味を聞きとる余裕はなかった。痙攣と見紛うほどに激しく震えた手でバットを前に出す。

 つと、白鼻が止まった。中腰になって

バットを見つめ、左足を貧乏ゆすりのように小刻みに動かしている。

 逃げ出したい、でも下手に動けば襲ってくるかもしれない。だけど、動かなくても結局は同じ結果になるのなら、いちかばちか逃げたほうがいい。

 そう理解していても、優の足は地面に釘で打ちつけられたように動かない。


「っー!」


 四匹の“獣人”に囲まれたマコが何かを叫んでも、優は動けなかった。白鼻は機敏に上半身を起こし、


「なにを見ていますかっ!」


 と鋭く叫び、優が構えるバットを手の内側にある肉球で弾き飛ばした。その衝撃でよろめいた優へ、両腕を広げた白鼻が迫ったとき、雑木林から飛び出してきたハルが白鼻の尻尾を両手で掴んだ。

 驚いた顔の白鼻が緩慢に振り向いた先でハルのフルーレが横に薙がれた。

 光の霧が噴き出す。


「優、早く逃げて! 塔のほうへ行って!」


 優を逃げるようにと促し、白鼻と睨み合うハルの向こうにある木々が不自然に揺れ始めていた。

 ガサガサ、ガサササ。

“獣人”が集まってきてるんだーー

 逃げないと。だけど、ハルは大丈夫……?

 そう考えた優だが、ハルへの心配は紙のように薄っぺらいことを自覚していた。本当は、助けてくれたハルを置いて逃げ出す情けない自分をこれ以上嫌いにならないための、免罪符。

 だって、僕は戦えないんだ。


「うわっ、うわわわわーっ」


 絶叫した優が塔へと駆け出す。大きくひしゃげたバットを拾い、道と田んぼの区別をせずに塔へと一直線。

 転んで泥に顔を沈めても怯まず、塔だけを見て走りーーその右側後から姿を現したものに唖然となって立ち止まった。

 ドドッ、ドドドッ。四肢で大地を叩きながら原付バイクのような速度で迫るそれは、艶とした黒毛に包まれた、鼻の長いタイプの“獣人”。

 白目を覆い隠す淀んだ黒い瞳。一見して筋肉の塊だとわかるその巨体は白鼻に高さと厚みにおいて勝っていた。

 優は踵を返して塔と反対方向へ必死に逃げるが、後方の恐ろしい気配はすぐに近くなり、走る優の首筋に鼻息をあてるほどに接近。

 目を細めた“獣人”は優のパーカーフードを掴み、優を軽石のように投げ飛ばした。優の体はあぜ道でバウンドし、二十メートルほど先のぬかるんだ田んぼに埋まってしまうが、それでも痛みはなく、光の霧も出ていない。

 団子の効果を実感しながら難なく上半身を起こした優が前方を見ると、“獣人”は移動せず、だらんと力なく下がった左腕を右手でさすっていた。


「ユタカー……」


 ようやく優の耳にもマコが自分の名を呼ぶ声が届いたが、勇気づけられるほどに近い声ではなかった。

 体の動きに異常がないことで、優は感覚的に理解する。ここでは、筋肉の断裂や骨へのダメージとかによる体の動きへの影響がないんだ。

 いや、もしかしたら、筋肉とか骨じたいがない……? それって、どういうことなんだろう。ユウレイみたいに、魂だけの存在になった……?

 優が立ち上がると“獣人”の耳がぴくんと動き、左腕を下ろしたままで二足走行を開始。四つ足で地面を駆けていたときほどではないが、街乗りの自転車と同じくらいの速さはあった。

 優の視界の端に倒れている白鼻の傍で他の“獣人”と戦うハルと、ハルよりも近い位置から自分のほうへ走り出すマコの姿が映る。

 ダメだ。優はそう思った。“獣人”のほうがずっと速い。このまま後ろへ逃げてもすぐに追いつかれる。なら、少しでも早くマコさんに近づいたほうが……

 優は田んぼを全速力で縦断するが、“獣人”は優と自分の軌道が最も早く交わる点へと速度を上げ、優のその狭い背中を右足で蹴りつける。


「あっーー」

  

 悲鳴を伸ばした優は田んぼの中の古びた農業用トラクターに叩きつけられ、後頭部から首にかけて浅い裂傷を負ってしまう。勢いのない光の霧が傷から出て、優は思わず首の後ろへ手をやった。

 “獣人”が近づいてくる。

 優はすがるような眼差しでマコを見たが、来るであろう“獣人”の一撃よりも前に優を助けられる距離ではなかった。

 脇に落ちたバットを拾い、必死の思いで前に突き出した優だったが、時間稼ぎにもならなかった。“獣人”はバットの先が触れるかという位置で止まり、牙を剥き出しにして言う。


「元に戻せ、動かないぞ」


 何を言われているか、優には全く理解できなかった。元に戻せ? 動かない?


「腕、腕だ。動かないぞ、戻せ!」


 言葉を重ねられるたびに優の困惑は強まっていく。腕? 腕が動かないから、僕に治せって……?


「ーー戻さないなら、凝固」

「ひっ!」


 “獣人”に背中を向けて駆け出した優に、後ろ手で握ったバットの先が何かに接触したような感覚があった。

 それが何であるかを確かめるような余裕もない優はがむしゃらに走り、あぜ道で転んでしまった。慌てて起き上がり、走り出そうとしたときに“獣人”が追ってくる気配がないと気づく。

 怖々と振り向いた優の目に、両腕を力なく垂らしながら頭を上下左右に振り回す“獣人”の姿が映った。


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