警報、台風
「佳奈ちゃん、この前借りた本、返しに来たよー」
ん? 誰なんだろうか、違うクラスの子か。綺麗な人だ……。この時、僕に警報が出た。まるで、今まで晴れていた中に、一つの嵐が接近した。と、言わんばかりに。
「あ、ありがとう! わざわざこっちに来なくてもいいのに」
「面白かったから、早く感想も言いたかったんだ! それに……」
彼女が何かを言い出そうとした瞬間、ガラガラ! と、大きな音を立てて扉が開いた。
「授業が始まるぞ。早く席につかんか!」出た……。いつもいつも、偉そうにしてる先生だ。
「じゃあ私、クラスに戻るね」
「うん、またあとでね!」
彼女が去っていった。さっき彼女が言い出そうとしていた、それに……。僕の頭の中で、彼女の言いかけた言葉が、引っかかる。
その出来事があったあと、僕はクラス名簿などを見たりし、彼女の名前を探しだした。
――角田 美癒
いい名前だ。と、僕は思う。確かに美しいし、癒やされた。美癒ちゃんか……。改めて今、僕の中にある虫か。警告か。評価か。……、うごめいた。
角田美癒、彼女は僕の理想に当てはめると、八〇点……、百点に近い存在。
この時、僕の中にある。志田佳奈の評価が〇点に落ちてしまった。僕はさり気ない日常でも、少し、相手が気づかない程度に、距離を離していった。今思えば、志田には、この距離感が離れていくのを、感じていたのだろう。
しかし、今の僕にあるのは、角田美癒を百点に当てはめることだけだった。
「冬樹ー、何ぼけっとしてんだ?」
危ない危ない、僕としたことが、理想の八割を行く子が現れてから、僕の頭の集中、考えが、台風に吹き飛ばされ、大雨の日のような、彼女に対する思いの雲で、覆われていた。
「あ、小川。いたのか……」
「いたってなんだよ、いたって!」
つい、思っていることまでもが、口に出てしまった。
「今日の放課後、練習が休みだから一緒に帰ろうって約束しただろ」
昼間約束したことでさえも、僕の頭から吹き飛んでいたのか……。それぐらい、僕の頭に衝撃が走ったのだった。
「そうだったなー、んじゃ行くとしますか」
そして僕は、小川と一緒に教室を出ようとした。
ドンッ!
「キャッ!」 「うわぁ!」
小川が誰かとぶつかった。
なんと、角田美癒だった。
「大丈夫ですか……」
「あ、は、はい!すみません……、あ、小川さん?!」
この子、小川のことを知っているのか……? まぁ、そうだよな。同じ学校だし。当然だ。しかし、彼女が小川とぶつかったと分かったあと、頬を赤らめていた。僕の推測だと、これはもしかして、恋なのか……。いや、そんなわけない。僕は必死に、自分に言い聞かせた。
「ちょっと、足が……」少し、足を捻ってしまったようだ。
「すまん、わりぃけど俺、この子を保健室に連れて行くけど、お前はどうする?」
「あ、ああ、じゃあ俺は帰るかな。お大事にね」
一緒に行きたかった。けど、彼女の視線が、僕に対する視線が、何処かに行ってくれ、二人きりにさせてくれ。と、言わんばかりに、僕は思えた。
僕は悲しくなった。涙が出そうだ。まだ、確信したわけではないが、彼女は小川が好きだ。
待てよ、小川はどう思っているんだ。小川はたしか、志田が好きだった。しかし、僕のことが好きだとわかったから、今、小川の想いを寄せている子は……いないのかもしれない。
――この時、僕の体の一部に、異変が、僕の頭が、整理しきれず、爆発しそうになる。
今、小川と角田は、保健室に二人でいる。そして、角田は小川に、想いを寄せている……。そして、小川は、失恋したばかりだ……。
***
チュンチュン。次の日の朝は、僕にとって、いつも以上に、重い、重い、朝となった。
朝……。朝……。時計を見た。時計には日付も書いてあった。昨日の明日か……。
昨日に戻ってくれ。そして、あの時、ぶつからなければ……。僕の中には、負の感情。それが雲のように、覆っている。
電車を降りると、小川と出会う。今日の僕は、小川の肩を、指先だけで叩いた。
「お、冬樹! 昨日はすまんな……」
「いや、小川こそ大丈夫だったのか」小川より、角田の方が心配だった。
「ああ、大丈夫だぜ。このとおりな」両手を広げて言う。
「それと、あの子、角田って言うらしいな。あの後、保健室の金沢先生に見てもらったけど、明日になれば大丈夫だ! って言ってたし、保健室出る頃には、ちゃんと歩いてたし大丈夫だろ!」
僕が、僕が聞きたいのはそんなことじゃない。確かに怪我の方も心配だった。けれど、今の僕は、そんなこと。些細なこと。心配なのは……二人の関係。この時の僕は、周りから見れば、暗い顔をしていたのだろう。いや、そうだったのだ。
「おい、なんで暗い顔してるんだ?」小川が気にかける。
黙れ……、僕の頭の中で、言葉が一つ。暗闇の中から、太陽のように出てきた。しかし、言葉は暗い闇。だけど、今の僕には太陽の存在なのだ。
「あ、いや、それはよかった! 早く行かないと遅れちまうぜ!」作った笑顔を見せ、僕は言い返し、小川の前を走り行く。
「おい、待てよ!」小川が後を追う。
小川が失恋した時、小川もこんな気持だったんだろうな。そして、その彼女が、友達の僕に取られる。でも、今はまったく逆の立場なのだ。僕は小川の気持ちが、心底伝わってくる。けれど、やっぱり、今の僕には、嫉妬しか出てこないのだ。
***
チュンチュン。朝だ。
「起きなさい、今日は小川くんが家に来るんでしょう」
母が起こしに来た。そうだ。今日は小川が、何か話があるから僕の家に遊びに来る約束をしていた。
――ピンポン
チャイムが鳴る。小川が来た。
「よう! 冬樹、今日は相談があって来たんだ」
相談? 何だろうか、もしかして、小川、お前と角田が仲がいいから、今度の初デートどうしよう。とかそういうのじゃないだろうな。そんな、ネガティブな、負の発想をしてしまう。
「お前って今、志田と付き合ってるのか……?」
ん? そうか、僕が今、志田と付き合ってて、デートとか行ってるのかと、最初に聞いてから質問でもするつもりなのか。
「いや、付き合ってないな」僕はムスっとして言った。
「まじで! じゃあ俺、志田を本気で狙う。いいか?」
おいおい、待て待て、何を言ってるんだこいつは。何が起きた。何があったんだ……?
「どういうことだ……?」
「実は俺、この前ぶつかった子、角田に告白されたんだよ。でも、俺はどうしても、志田が好きで。だから、お前に確認しに来た」
「なんの確認なんだよ!」
僕の頭の中は、爆発寸前だ。何が何なのか、訳が分からなかった。
「とりあえず、俺は志田を狙う!」
角田は、小川がやっぱり好きだった。けれど、小川はその想いを拒否した。そして、小川は志田をまだ好きで、諦めたくない。
そう、これはもしかして、チャンス。
――チャンス
今、僕の頭の中は、晴天だ。チャンスという、希望の太陽、この前の暗い太陽とは違う。この太陽は、周りの雲を取り払ってくれていた。
晴天だ。