青空の下へ
この物語はフィクションです。当り前ですがそのことを踏まえたうえでお楽しみください
「起きたまえ、アレン。アレン・ティーモ」
呼び起こされて意識が覚醒しきらないまま目を開けると、ベッドで仰向けになっている俺を覗き込むヤハウェ・サーペント博士と目があった。
「終わりですか?」
「ああ、今日の予定は終了だ」
上体を起こして部屋の白い壁に埋め込まれている時計に表示されている数字を見ると、俺がここで眠りについてから三時間ほどが経過していた。ほぼ予定通りだ。
「気分は?」
「普通です」
「身体に異常はないかね?」
「はい」
そうやって俺が質問に答えるたびに、サーペント博士は手元の携帯端末に何かを入力していく。何ら変わることのない、いつも通りの手順だ。
俺が今いるのは研究所の一角にある処置室と呼ばれる部屋。床も壁も天井も白を基調としているこの部屋には、俺が座っているベッドやそれを照らすように設置されている直径一メートルほどの巨大なライトの他、いろいろな計器や医療器具が置いてある。ここ第三処置室以外にも処置室はいくつもあるが、使用目的が一緒なのでどこも内装は似たり寄ったりだ。
「よし、今のところ問題はなさそうだな」
全ての問診が終わると、サーペント博士は白衣を着た男に端末を手渡し、
「今日はこれで終わりだが、何か異変があったらすぐに報告するように」
「分かってますよ」
「それと、次の処置日は四日後だ」
「四日後? 一週間後じゃないんですか?」
部屋を出ようとしていた俺は驚いて、足を止めて訊き返した。
処置を行ってから次の処置までの期間はその時の状況よって異なるが、どんなに短くても一週間を切ったことは、俺の記憶にある限りでは一度もない。そしてその期間は処置が終わった後の様子見期間でもあるのだから、それをこれ以上縮めることに何か利点があるとは思えない。いったいどういう訳なのだろうか。
「もうあまり時間が無いのでな。予定を早めることにした」
「時間って、何の時間ですか?」
「それはこちらの話だ。気にするな」
「はあ。でも、その日は学校がありますけど」
処置は朝から夕方まで時間をかけて行われるので、平日にやるとなると学校の授業とかぶってしまう。とはいえ、どちらを優先するべきかなんてことは言われずとも分かっているし、ここに来たくないと思っているわけでもない。だからこれに確認以上の意味合いはない。
「休みたまえ。そんなものよりこちらの方がはるかに重要だ」
「まあそうですよね。それじゃあ、これからは四日置きでやるんですか?」
「そのつもりだが、次回以降の予定はこれからの経過を見て考える」
「つまり、もっと早まるかもしれないってことですか?」
「そうなることを願っているよ。君達次第だがな」
そう言って、サーペント博士は俺の胸を指差した。
患者服から普段着に着替えて休憩室に行くと、金髪を背中の中ほどまで伸ばした少女が、丸机の傍で、すでに文庫本を読んで待っていた。
「エヴリン」
歩み寄りながら名前を呼ぶと、椅子に腰掛けている少女は顔を上げた。着ている服は俺と同様に支給品の白いシャツと長ズボンで、それぞれ左胸と右腰のあたりに研究室のマークがついている。ただ、ズボンの色については俺が青でエヴリンがピンクと異なっている。
「あ、お兄ちゃん。やっと終わったんだ」
「ああ。そっちは今日は早いんだな」
俺より三歳年下、すなわち十二歳のエヴリンも俺と同じように処置を毎週受けているが、終わるのはたいてい俺より遅く、エヴリンが先に休憩室に来ているというのはとても稀だ。どんな理由があるのかは分からないが。
「午後の処置は中止だってさ」
エヴリンは本を閉じて机に置くと、両手を組んで身体を伸ばす。
「中止? 何かあったのか?」
「なんか体調が良くないからとか何とか言ってた」
「大丈夫なのか?」
俺達にとって体調が悪くなるということはそこまで珍しいことではないし、それを理由に処置を見送ることもある。しかし同時に、体調不良がそのまま死に繋がるということも十分にあり得ることだ。なので、ちょっとしたものでも甘く見ることはできない。
「ちょっと熱があっただけで別になんともないわよ。博士が過保護すぎるだけ」
不満そうにエヴリンは口を尖らせた。
「ならいいけどな。そういえば、予定を早めるとか何とかで今度の処置は四日後って言ってたけど、そっちでは何か言ってたか?」
「あ、それこっちでも言ってたよ。わたしだけじゃなかったんだ」
「みたいだな。もしかしてお前、昼からずっとここで待ってたのか?」
「そうよ。おかげで一冊読み終わっちゃったんだから」
「部屋に戻ってればいいのに。なんでわざわざこんなところで」
「うーんと、何となく」
「そうかい。何読んでたんだ」
俺は先程までエヴリンが呼んでいたカバー付きの本を手に取ると、パラパラとページをめくる。最初の四ページにカラーイラストが載っていて、ところどころにモノクロの挿絵がついているタイプの本だ。俺はあまり本を読まないが、エヴリンは暇さえあれば本を広げている。
「時代小説よ」
そしてエヴリンの読む本は、そのほとんどがある共通点を持っている。
「また人が地上に住んでた頃の話か」
「そ」
エヴリンは立ち上がると、俺の手から本を取り上げた。
「ほら、早く食堂行こう。わたしお腹すいちゃった」
***
今から数百年ほど前に起こった第四次世界大戦は、まさに最終戦争だったという。全ての国家が戦いに参加し、多くの人が死に、今までに築かれてきた文化や歴史ある物はことごとく破壊され、そして地球を殺した。その時に使われた大量破壊兵器が発した有害物質によって大陸中が汚染され、地上は生物の生きることのできない荒廃した土地となったのだ。それでも、人類は地下シェルターに逃げ込むことによって、今日まで生きながらえてきた。
最初はただの避難施設でしかなかったシェルターは、幾度とない改修を経て今や大きな街となっていて、シェルターごとに程度の差はあるが、かつて人が住んでいた地上とほぼ同じ環境が整えられている。そして、大陸の各地に点在しているシェルターは全て地下トンネルによって繋がれていて、一つの中央政府によって管理されている。このシェルター群のことを地底国などと呼ぶ人もいるが、実際のところ正式に定められた名称というものは存在しない。
地下での暮らしに不自由はほとんどない。けれども、避難所という名称が意味する通り、この地下都市は恒久的なものではなく、所詮一時的な避難場所でしかないという考えが一般的だ。いつか地上に戻る、という思いを抱いている人も少なくなく、政府もそのような方針を持っている。
だが、その目標を達成するためには、大きな課題をクリアしなければならなかった。
第四次世界大戦の果てに死の土地となった地表の状態については、調査によればこの数百年の間に有害物質の濃度が許容範囲にまで下がったようなのでほとんど問題にならない。実際に地上に出た調査隊によって、自然を取り戻した姿も確認されている。
問題があるのは人間の方だった。数百年に渡ってシェルターという環境を制御された閉鎖空間に住み続けた人間は、自然環境で生きるための耐性を失ってしまったのだ。もちろん、防護服で身を固めれば地上に出ることはできる。だがそれでは活動時間に限界があるし、行動も制約される。なので、それは地上で恒久的に生活できるということを全く意味しない。
その問題を解決するため、政府は研究を進めた。それが、《人類再生計画》と呼ばれるものだ。
自然界で生きて行くために必要な抵抗力を人工的に付与しようという計画。しかしそのための技術を確立するには、人体実験を繰り返し行わなければならなかった。だが、生きている人間を実験に使うということは、道徳的に許容されることではない。けれども、実際にやってみなければその成果も危険性も確かめられず、計画を進めるためには人体実験は避けることはできなかった。
そこで政府は、被検体とするべく、二十七人の子供を人工的に生み出したのだ。
一人の人間としてではなく、初めから実験のために造られたものであるならば、それをどう使おうとそこに道徳的な問題は存在しない。
そうやって誕生したのが、被検体Aのアレン・ティーモであり、被検体Eのエヴリン・ティーモである。政府は、この実験のことを少なくとも公式には公表してはいない。だから、俺達の生い立ちに関することも機密事項という扱いになっている。
かつては多くの兄弟姉妹――被検体仲間がいたが、みな実験の過程で死んでしまい、残っているのは俺とエヴリンの二人だけになってしまった。だが彼ら二十五人の命と引き換えに得られた実験結果は、全て俺達二人の身体にフィールドバックされている。
俺とエヴリンがまだ生きているのは、運がよかっただけにすぎない。
死ぬのが先か、実験が終わるのが先か。
ただそれだけだ。
といっても、四六時中研究所に軟禁されているということはない。体内に埋め込まれたいくつものナノマシンによって身体状況を常にモニタリングされているとはいえ、日頃の生活自体は同年代の一般人とさほど変わらない。日常生活を営むにあたって、なにか問題が発生しないかをチェックするのも重要なことだからだ。だから平日は学校に行くし、帰りに寄り道をすれば、時間があれば遊びにも行く。
だから処置日から三日後の放課後、俺とエヴリンは学校から研究所に帰るべく、街路樹が植えられた歩道を並んで歩いていた。エヴリンに言わせれば、ビルの多いこの辺りの街並みはかつて地上にあった街を模して作られたもので、グリタネ・ストリートという名前もそこからとられているらしい。
「それでさ、アリスったら下見てなくて階段踏み外して転げ落ちちゃったの」
隣を歩くエヴリンは、さっきからそうやって笑いながら俺に話しかけてくる。学校で友達がたくさんいるらしいエヴリンは、訊いてもないのに毎日学校での出来事をうるさいくらいに聞かせてくるのだ。
一方で俺はというと、エヴリンのように話題を提供してくれる友達はほとんどいない。同じ教室で過ごすのだからそれなりに話はするが、その程度でしかない。同級生達と一緒にいて彼らの話を聞いていると、やっぱり被検体である自分と普通の人間である彼らは本質的に違うものだ、と感じてしまい、あまり深くまで突っ込んでいけないのだ。だから、俺が本当に気を許せる相手はエヴリンしかいない。
エヴリンから意識を外して見上げると、遥か高いところに午後の青い空を映し出した天井――《まがい物の空》がある。この《まがい物の空》は単にシェルター内部を照らすだけでなく、時間とともに移り変わる太陽や月、そして星や雲までも映し出す機能を備えていている。おそらくシェルターで最大の装置でその動きを止めることは無いが、俺からしてみればどうしてそこまで力を入れる必要があるのか分からない代物だ。
この空のさらに上に、地上と呼ばれるかつて人が住んでいた世界がある。
ずっとそう教えられてきたが、俺はそれがいまいちピンとこない。嘘を教えられているとは思っていないが、そのような世界を上手く想像できず、死後の世界とか、そういった手の届かない場所にある不思議で漠然としたものと感じてしまうのだ。人が地上で暮らしていたという話も、神の国から追放された男と女が今の人間の始まりだとかいう神話のような、荒唐無稽な話に思えてしまう。
「それで歴史の先生が最近地震多いよねって話を初めてさ、授業があんまり進まなかったんだよ。面白いところだったのにさ。あ、そうだ。ねえ、今日ってこれから暇?」
そう訊かれて、俺は視線をエヴリンに向ける。
「そりゃ暇だけど、何でだ?」
「先週、第四区画に大陸歴史博物館出来たでしょ。行ってみない」
そう言うエヴリンの声は弾んでいた。
そういえば、何処でかは忘れたがそんな広告を見たことがある。展示内容は人間が地上で暮らしていた時代という、例によってエヴリンが大喜びしそうなものらしい。
「今からか?」
「そ。だって明日は処置日でしょ」
「なら-――」
と言いかけて、俺は口をつぐんだ。
なら明後日にすればいいだろ、と返そうと思ったのだが、それは憚られたからだ。なぜなら、処置という綱渡りをしている俺達には、明後日が来ないかもしれないからだ。ここ最近は気にすることはほとんどなくなってきたが、かといってそういう考えを完全に払拭することはできない。
「ねえ、いいでしょ」
「まあ別にいいけど」
面倒なので一人で行かせるという選択肢もあるが、そこまでして拒否する理由もないので俺は承諾した。
博物館の建物に入ってすぐの説明によれば、扱っている時代はあの第四次世界大戦より百年ほど前らしい。
展示会場に入るとまず初めに、青い海に浮かぶ大陸の立体的な映像をスクリーンに映し出した大きな台があった。三日月形で大部分が緑色のそれは、半球型のシェルターとそれらを繋ぐトンネルで構成されているシェルター群とは似ても似つかない形だ。そしてその大陸は国境と呼ばれるたくさんの不規則な線でいくつにも区切られていて、それぞれ国名と国旗が表示されている。
「すごいよね。こうやって人が百以上の国に分かれて暮らしてただなんて」
俺の右隣りに立つエヴリンはそう言うと、スクリーン上の表示切り替えパネルをタッチした。すると国名や国旗の表示が消え、代わりにシェルターの位置が赤い丸で表示される。
大陸の概観図やシェルターの位置関係を示したマップなどは見たことあるが、こういうタイプの地図を見るのは初めてだった。
そしてエヴリンは、その赤丸の中で二番大きな国の一角にあるものを指差して言う。
「わたし達が住んでる第一シェルターはここなんだよね」
「ふうん。にしても随分と偏ってるんだな」
シェルターは大陸全土にまんべんなくあるというわけではなく、密集しているか全くないかの両極端だ。そしてその傾向は概ね国ごとに分かれているが、密集している国も大陸全体からすればほんの一部でしかない。
「シェルターを作るのにはお金がかかるからね。貧乏な国は作れなかったんだよ」
「金があるところが作ってやったりしなかったのか?」
「やったところで得が無いから、やろうとする国は無かったみたい」
「でも同じ人間だろ」
「昔はそういう考えが無かったみたいなんだよね。だからさ、第四次大戦で、シェルター持ってない国の人はみんな死んじゃったの」
「酷い話だな」
「だよね」
そうやってエヴリンの解説を受けながら、俺達は会場を移動する。
歴史の授業で習うことではあるが、人々がいくつもの国に分かれていがみ合い、ましてや殺し合いをしていたなんてことは、にわかには信じがたいことだ。そういった過去があるからこそ、今の人間はシェルターに住んでいるわけであるが。やっぱり、そういったことも含めて人が地上に住んでいたころの話というのは神秘的だ。エヴリンがこの時代に惹かれるのも、そういった理由からかもしれない。
「でもね、そうやってお金のない国が滅んだから、今みたいに平和な世界になったんじゃないかって言われてもいるの」
「どういうことだ?」
「手を結ぶくらいなら死んだほうがマシだ、って考えの人たちが昔は多くて、それが原因で戦争が起こってたんだけど、第四次大戦でそういう人たちがみんないなくなっちゃったから。逆に、第四次大戦を耐えられるようなシェルターを持ってた国の人たちには、そういう考えの人は少なかったみたい。だから戦争の後、生き残った人たちで協力し合うことができたんじゃないかって」
「そっか」
雄弁に知識を披露するエヴリンに、俺は少しばかり感心しつつ相槌を打つ。思い起こせば、こうやってエヴリンから話を聞かせてもらうということは、今まであまりなかったことだ。
俺達はいったん廊下に出てから、次の展示部屋に進む。
《文化と伝統》と入り口には表記されている。
「貧乏な国の人たちは第四次大戦で国ごと滅んじゃったからさ、そういう人たちが持ってた文化とか伝統も一緒に消えちゃったの」
部屋に入ってしばらくすると、我がガイド様が再び口を開いた。
「でも、記録とかは他の国にも残ってたんじゃないのか?」
「そうだけど、その記録も戦争で失われちゃったし、そういった記録には残らないような、もっとローカルな伝統とかもたくさんあったから」
「そうなのか」
「でもね。記録には残らなくても、人の記憶には残ってたみたい」
「どういうことだ?」
「昔にもその手のマニアはいたみたいでさ、そういう人達のおかげで今に伝わってるものもあるの。ここに展示されてるのは、そういう類のものみたい」
エヴリンはそう言いながら、ショーケースの奥に展示されている高さ二十センチほどの土人形に視線を送る。説明によれば、どこぞの国で作られていた伝統品のレプリカらしい。学校で使う教科書では見たことのないものだ。
「すごいよね。滅んだ後でも、こうやって後の時代にちゃんと伝えられていくなんて。……ううん、こうやって語り継がれてる限り、本当の意味で滅びたりはしないね」
「そうだな」
俺は小さく頷く。
今の時代には一切伝わっていないというものは無数にあるだろう。むしろ、ちゃんと伝わっていることのほうが圧倒的に少数かもしれない。ただ、そういった伝わっていないものが無数にあったところで、俺達はそれらがあったことさえ知らない。本当に滅んでしまったものは、滅んでしまったということさえ知られることはないのだ。
その後も俺達は、順路に沿って展示を見て回った。そしてその間、エヴリンはその博識っぷりを無駄に発揮続けた。
***
エヴリンと歴史博物館を訪れた日から、約半年の時が過ぎた。
この半年間、サーペント博士は常に何か焦っている様子だった。安全性を多少捨ててでも計画を進めたがっているようで、処置も通常より短い間隔――基本的には四日、長くても一週間――で行われた。以前と比べて、明らかに実験のペースが上がっている。
この日、午前中の処置を終えた俺とエヴリンは、いつものように研究所の食堂で昼食を摂っていた。さっきまでは結構人がいたが、今はもう少なくなっている。
ここを利用するのは研究所の関係者、つまり《人類再生計画》の関係者だけだ。子供は俺とエヴリンだけであとは大人しかいない。昔はそうでもなかったのだが。
「そう言えばさ」
「何?」
俺が口を開くと向かいに座るエヴリンは、最後に残しておいたリンゴを頬張りながら俺に目を向けてきた。
「ベティが死んでからもう二年経つだろ」
「そうだけど?」
俺の妹でありエヴリンの姉であるベティは、今のところ最後に死んだ被検体だ。いや、俺とエヴリンのように遺伝子的な繋がりは無いので、正確には義理の妹で義理の姉ということになるかもしれない。
「そんであれからずっと俺達二人だけでやってきたけど、まだ新しい奴が作られたりしないよな」
「そう言えば確かに。何でだろう」
「さあな。なんか理由があるんだろうけど」
ベティが死んで以降、俺とエヴリンはどちらも死ぬことなく実験を継続してこれた。だがベティが死んで間もないころの俺自身は、今日まで生きていけるとは思っていなかった。ベティが死んだのは、最初の被検体が生み出されて実験が開始されてから十三年目で、あいつが死んだのは二十五番目だ。つまり、ざっくりと計算して一年に二人のペースで死んでいたことになる。だから、俺もそう経たないうちに死ぬものだと思っていた。なんだかんだで何事も無いまま二年間やってこれたおかげでその辺りの意識が薄くなっているが、実験には常に危険が伴っているということに変わりはない。にもかかわらず、被検体の“補充”がされていないというのは不思議なことだ。
「でもさ、それならマークが生まれてから一人も作られてないよね」
「だよな。マークが生まれてから十年経つし、だからいまさら新しく作られるってことはないんだろうけど、そこら辺どうするつもりなんだろうな」
「わたしが知るわけないでしょ」
「いや分かってるけどさ」
二十七人目の被検体であるマークが生み出されたのは今から十年前で、それ以降は一人も生み出されていない。これ以上の被検体は作らないということを決定したのだろう。どういう訳かは見当も付かないが。
「なあエヴリン」
「今度は何?」
「俺達、いつまで生きられると思う?」
「何よ、急に」
最後のリンゴを口に運ぼうとしていたエヴリンの右手が止まる。
「いや、何かって訳じゃないけど……俺達だって何時までもこうしてられるわけじゃないだろ。そのうちベティ達みたいに――」
「何でそんなこと言うの?」
俺の言葉を最後まで聞くことなく、エヴリンが右手を下ろして言った。心なしか普段より低めの声で、表情も先ほどまでの気を抜いた感じから真剣味が増す。
「何でって……」
俺は答えに詰まる。
何となく頭に浮かんだから話題に出しただけで、それに理由など無い。だが、そんないい加減な答えを許さないような雰囲気をエヴリンは放っていた。
そうやって当惑した俺が黙ったままでいると、痺れを切らしたのかエヴリンが再び問いかけてきた。変わらず、その内に怒りを秘めているかのように。
「ねえ、なんでそんな、死ぬなんて話するの?」
「だって俺達は被検体で、何時死んでもおかしくないだろ」
「お兄ちゃんは死にたいの?」
「そんな訳ないだろ。お前はどうなんだよ」
「わたしも死にたくない。ちゃんと実験を終えて、地上に出たい」
そうエヴリンの口から紡がれた、彼女の願い。
今まで十二年間一緒に暮らしてきたが、こんな話を聞いたのは初めてだった。
「それ、本気で言ってるのか?」
「当たり前でしょ。みんながここまでして行こうとしてる地上がどんな場所か、実際に見てみたいの。映像や本みたいなものじゃなくて、ちゃんと自分の目で」
「そんなことできると思ってるのか?」
「わたしはやるよ。絶対に地上に出てみせる」
エヴリンは少しの迷いもない目で俺を見据え、揺らぎのない声で決意を表す。
「だから、もうそんなこと言わないで」
「ああ……」
怒りを含むようなエヴリンの物言いに気圧されて、俺はそう気のない返事をして目を伏せることしかできなかった。
想像だにしていなかったエヴリンの思いに対する衝撃。そして、人の触れてはいけない部分に触れてしまったという後ろめたさ。
エヴリンも俺と似たような考えを持っていると思っていたが、それはとんだ思い違いだった。呆れるほどの《人が地上に住んでいた時代》好きも、それに関連してのことなのだろう。俺からすれば途方もない考えだが、エヴリンは本気だった。
そんな事実に直面して、俺はどうアクションを起こすべきか考えあぐねていた。
「じゃ、そろそろ時間だし、行こう」
しかしそんな俺の心情とは裏腹に、何事もなかったかのようにいつもの態度に戻ったエヴリンは、食器を載せたトレイを持って立ち上がった。
「あ、ああ」
先ほどのことに心を引きずられながらも、エヴリンに釣られて俺も腰を浮かしてトレイを掴む。
その時、地面が大きく揺れた。
俺はバランスを崩して尻餅をつき、エヴリン後ろに倒れてトレイをひっくり返す。
「地震?」
「だな」
揺れに晒されながら、俺はエヴリンの言葉を肯定する。
机と椅子が揺れにあわせてガタガタと音を立てて動き、離れた場所では食器が割れる音がした。電気が数秒ほど消えたが、すぐに復活する。
そしてそのままの体勢で待っていると、しばらくして揺れは収まった。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ。あーあ。もう、ソースが服についちゃったじゃん」
エヴリンは悲観そうに言い、尻餅をついたまま白いシャツの各所に付着した茶色いシミをタオルで拭う。
「そんなもん後で洗えばいいだろ」
俺は立ち上がって食堂を見回す。
「落ちなかったらどうするのよ」
「どうせ支給品のシャツだろ。――でもびっくりしたな、こんな大きいのって初めてじゃないか」
「そうだね」
ひどい揺れだったが、目に見える建物の異常は壁にひびが入ったり、ガラスが割れたり物が倒れた程度だった。倒壊といった深刻な事態にはなりそうにないし、緊急事態を告げる放送もない。食堂内にいる他の人達も、過度に慌てることなく比較的落ち着いている。窓の外に視線をやってみたが、窓とは距離がある上にここは三階なので道路の様子は分からない。ひび割れたガラス越しに向かいの建物が見えるが、これもまた異常な様子は見られない。
「もういいや、行こ」
無駄な足掻きだと悟ったのか、シャツを擦ることを止めたエヴリンは、散らばった食器を集めて立ち上がる。
「そうだな」
とりあえず、何時までもここにとどまっていても仕方がない。俺達は食器を返却口に返して食堂を後にした。
「二人とも、着いてきたまえ」
更衣室に向かう途中の廊下で、反対からやって来たサーペント博士は俺達を見るや否やそう言い放った。どうやら俺達を呼びに行くところだったらしい。
ほとんど走るような速さでその背中を追う。その間、「着替えなくていいのか?」とか「処置は中止なのか?」というような俺達の質問には一切答えてくれなかった。
そして辿り着いたのは、《中央情報室》という部屋だった。情報室という名に違わず、室内には所狭しと様々なコンピュータが並んでいる。一般の家庭用パソコンから、大きな業務用まで。さっきの地震の影響か、全てが稼動しているというわけではないようだ。
「座りたまえ」
サーペント博士が俺達を連れて行ったのは、その中でも会議エリアのようなところだった。大きなモニターとそれに対して垂直になるように置かれている黒い長机が、白いパーティションで囲まれている。そこでは、一人の男がノートパソコンを開いてすでに席についていた。よく顔を知っている、サーペント博士の部下の一人だ。
俺達は、中ほどより少しモニター寄りの椅子に腰を下ろす。サーペント博士はモニターに最も近い机の先端部分に座り、彼の部下達はその近くだ。
「どうしたんです? 地震と関係あるんですか?」
「その通りだ」
俺の問いに、サーペント博士は不気味なくらいに落ち着いた口調で答え、
「《人類再生計画》は現時点を持って終了とする」
と続けた。
「それって、実験はもう終わりってことですか?」
エヴリンが期待のこもった声で訊ねる。
「そうだ。だが、すべての工程が終了したというわけではない」
「……どういうことです?」
「これ以上実験を続ける必要性がなくなった、と言ったところだな」
「だからどういうことなんです?」
何を言いたいのかが分からず、エヴリンに続いて俺も問い返した。
「今から順番に説明する。君達には、全てを知ってもらわねばならないからな。トニー、例のものをモニターに映せ」
「はい博士」
男がモニターに繋がれたノートパソコンを操作すると、真っ暗だった画面が明るくなり大陸と思しきものが映しだされた。そして男がさらにパソコンを操作すると、画面の中で大陸が六つに分裂し始めた。
「これは一体?」
「これは、これから始まる大陸崩壊をシミュレーションしたものだ」
両肘を机に突いて左右の手を顔の前で組んだサーペント博士は、なおも落ち着いた口調で説明する。
「二ヶ月前から各所で地震が頻発していたのはこれの予兆だったのだよ。多発する地震を受けて調査と分析を始めた政府の研究機関は約一ヶ月ほど前、あと数年のうちに地殻変動によって大陸が六つに分裂するという予測と、それによってシェルター群の崩壊が引き起こされるという見解を示した」
「もしかしてそれが……」
「さっきの大きな地震はこれのはじまりだ。聞いたところによれば、分裂部分に位置するシェルターでは、すでに崩壊や溶岩の流入が始まっているらしい。終焉の時は予想よりも遙かに早くやってきたのだよ」
世界の終焉。
そんな突拍子もないことをいきなり聞かされてすぐには信じろというのは、いささか無理な話だ。けれども、サーペント博士がわざわざ手間をかけてまでこんなくだらない嘘をつくとも思えない。俺の中で理性と感情が別々の方向を向いている、そんな感じだ。
モニターの中では、別れた大陸がなおも移動し続けている。
「第十三シェルターの映像が着てますが、見ますか?」
「出してくれ」
トニーがパソコンを操作し、モニターの映像が切り替わる。
今度はシミュレータではなく動画だ。ビルが立ち並ぶごく普通の街並みで、どこか高いところから撮影したものらしい。そう思って見ていると、画面が激しく揺れた。
「早送りします」
映像が早送りになる。そしてしばらく経つと、映像の中では地面が割れだし、建物が崩れ、上から物が落ちてきて街が暗くなり、赤い溶岩が街を流れ出し、最後には映像が途切れる。
その一連の惨事を見て俺は息を呑む。
「皮肉なものだな。かつて人類は科学の力によって自然を征服したつもりになっていた。だがその科学の力によって地下に追いやられ、そして今、自然の力によって滅びようとしている」
「何か、対策とかはないんですか?」
身を乗り出すような勢いで、俺の後ろからエヴリンが訊く。
「もちろん検討はした。が、この自然の巨大な力に対抗する術は人類にはないと結論づけられた。それでも技術者の連中はなんとか使用と足掻いてたみたいだが、所詮は無駄な足掻きだ。だが、対抗する術は無くとも、逃れる手段ならあった」
「人が、地上に戻る」
エヴリンがそう言うと、サーペント博士は頷いて見せた。
「そのためにも、我々は一刻も早く《人類再生計画》を完了させる必要に迫られた」
「だから実験のペースを早めたんですか」
「そうだ。だが結局は間に合わなかった。科学者連中の見立てによれば、ここも二十四時間以内に崩壊が始まるとのことだ。もっとも、実際にそれほど猶予が残されているとは思えないが」
それはあまりにも短いタイムリミットだった。
首を捻ってエヴリンの表情を伺うと、エヴリンは無表情のまま視線を机に落としていた。
俺にしてみれば、来るときが来たというにすぎない。思っていたよりもだいぶ形が違うが、実験で死ぬのもシェルターの崩壊で死ぬのも、どちらも死ぬということに変わりはない。俺達の犠牲が生かされることがないというのは残念であるが。
しかし、エヴリンはそうではないだろう。食堂で夢を語ったエヴリンが今何を思っているのか、それを推し量ることは俺には出来なかった。
「それでも、まだ希望はある」
「何なんですか、それは」
エヴリンが顔を上げると、サーペント博士は俺達を順番に見やりながら答える。
「君達のことだ。アレン、エヴリン」
「わたし達が?」
「そうだ。現時点で私のような普通の人間が地上に出れば間違いなく死ぬだろう。しかし長年に渡って処置を受けてきた君達なら、生き残れる可能性がある」
「実験は終わってたんですか?」
という俺の質問に、サーペント博士は首を横に振る。
「そうではない。さっき言った通り、《人類再生計画》はまだいくつもの行程を残している。だからあくまでも可能性の話だ。地上の環境に耐えられるという保証は何処にもない」
「それで、俺達にどうしろって言うんです?」
「君達二人には、地上に逃れてもらう」
「地上に……」
俺の背後でエヴリンが声を漏らすのが聞こえた。
「これは決定事項だ。君達に拒否権はない」
俺とエヴリンは互いに顔を見合わせた。
拒否権がないのはいつもの事だ。《人類再生計画》において俺達被検体の意思が考慮されたことなどない。もっとも、今回の場合は拒否権があったところでそれを行使したりはしないだろう。
「ウォーレン、準備は?」
「出来てます」
サーペント博士の呼びかけに、パーティションの向こうから男が返事をした。するとサーペント博士はゆっくりと立ち上がる。
「よし、では行こう。ついて来たまえ、案内する」
「何処に行くんです?」
俺が席を立ちながら訊くと、サーペント博士は会議エリアを出たところで振り向いた。
「地上への出口だ」
俺達はエレベーターで上に向かう。大人が二十人ほど乗れるであろうこのエレベーターに乗っているのは、俺とエヴリンとサーペント博士、それとトニーにウォーレンの五人だけだ。
サーペント博士に連れられて研究所を出た俺達は、車でシェルターの端まで行き、警察が警備している門を抜けてこのエレベーターに乗った。もちろん、俺もエヴリンもこんな所に来るのは初めてである。
エレベーターは重厚な音を立てて上昇し続ける。時々響く大きめの音は、まるで地上までの残り時間をカウントしているようだ。その音が未知の世界に近付いているということを俺に強く意識させ、俺の胸は次第に高鳴っていく。そして同時に、期待と比例するように不安も膨らんでいく。
俺の隣に立つエヴリンはさっきからずっと落ち着きなくもじもじしていて、その顔から何かの感情を読み取ることはできない。わくわくしている様にも見えるし、緊張しているようにも見える。ここに来るまで、俺達は一度も言葉を交わしていない。
ガコン、という大きな音を立ててエレベーターが停止する。
そこは、大小さまざまな機械が置いてある薄暗い部屋だった。部屋というより格納庫といったほうがしっくりくるかもしれない。作業服を着た人が何人かいるが、何か作業をしているといった様子は見られない。
「ここは?」
「調査のために地上に出る時の拠点だ」
前を歩くサーペント博士が振り向くことなく俺の疑問に答えると、その「地上に出る」という言葉が俺の心に深く食い込んできた。
「私は荷物を」
そう言って、トニーが俺達から離れ、端に止めてある四足歩行ロボットに向かう。
五人分の足音が反響する。何故か、耳が捉える音はそればかりだ。
俺達は、一番奥にある大きな扉に行き着いた。高さ五メートル、幅十メートルほどだ。
「そこで待っていろ」
サーペント博士は扉の脇にあるコンソールへ行くと、キーを操作してから右手の人差し指を押し付けた。
すると、鉄扉がゆっくりとした動作で左右にスライドして開いた。
扉の奥には何もなかった。ただ少しばかり窪んでいるだけだ。
「入りたまえ」
戻ってきたサーペント博士が俺とエヴリンをその中へ促し、俺達はそれに従う。
そこで俺は、これがエレベーターであることに気付いた。考えてみれば当たり前だが、サーペント博士は俺達を地上への出口へと案内すると言ったのだ。地上に出るためには、当然ながらさらに上に行かなければならない。
と、向こうから四足歩行の大型ロボットがやって来た。短く太い足で長い胴体を支えるそれは、どちらかといえば緩慢な動きで歩を進めている。
政府が地上調査に使用しているというロボットだが、実際に見るのは初めてだ。エヴリンも興味を惹かれたようで、その一挙手一投足を食いつくように見ている。
その巨体がエレベーター内に収まると、コックピットからトニーが降りてきた。そして
彼はそのままエレベーターから出る。中に残されたのは、俺とエヴリンとロボットだけだ。
「地上に出るには、あとはこのエレベーターで上るだけだ。地上で必要になるものはそこの《AT―4》に搭載されている。チェックしたな?」
「はい」
サーペント博士の確認する声にトニーが答える。
どうやら、このロボットは《AT―4》という名称らしい。
そんなどうでもいいことが思考回路の一部を支配する。この期に及んで、俺はまだ現実感が湧かずにいた。
本当に自分なんかが地上に出るのかだろうか。まるで、映画の中の世界を見ているかのような気分だ。
「それと、これを持って行け」
そう言って、サーペント博士はウォーレンから受け取った赤い掌サイズの立方体型デバイスを俺に差し出してきた。俺はそれを手に取り、
「何ですかこれは?」
「そこには人類の全てが詰まっている。我々はまもなく死に絶えるだろうが、君達がそれを後世に伝え続ける限り、我々は滅びはしない」
ここに来て初めて力強く言うと、サーペント博士は下がってエレベーターから少し距離を取る。
「では、これで別れだ」
「博士達は……」
「我々に残された道は、納得する形で最期を迎えることだけだ」
サーペント博士が右手を挙げると、それが合図なのか、扉が音を立てて閉まり始めた。それに従い、向こうに見える光景が徐々に狭まっていく。
ヤハウェ・サーペント。俺にとっては育ての親とも生みの親とも言える存在。だが俺達の間に愛情のようなものは存在しない。研究者と被検体という関係をずっと続けてきただけで、それ以上でもそれ以下でもない。だから、別れに際して悲しみのような感情が出てくるわけはない。では、この心を引っ張られるような思いは何であろうか。俺には分からない。
ついに扉が完全に閉じられ、向こうは見えなくなった。そしてエレベーターは小さく振動し、上昇を始める。
俺とエヴリン、今度こそ二人だけになった。
「なあ」
俺は視線を前方に固定したまま話しかける。
「何?」
若干トーンの低い声が返ってきた。
「今、どんな気持ちだ?」
答えはすぐには返ってこなかった。
俺は無言のまま、下に流れていく壁を見つめてエヴリンが口を開くのを待つ。
「お兄ちゃんは、どうなの?」
「俺か。正直言って、自分でもよく分からない」
「わたしも。今までずっと地上に出たいと思ってたはずなのに。夢が叶うはずなのに、嬉しいはずなのに、ちゃんと嬉しいのに、あんまり喜べない」
俺は相変わらず前を見続けているので、エヴリンがどんな顔をしているのか分からない。でも、エヴリンが心の底から喜べない理由は何となく分かる。それは、これが今まで描いてきたものとはかけ離れているからだ。
「博士は、俺達が地上の環境に耐えられる保証はないって言ってた」
「うん」
「不安か?」
「そりゃあね」
「多分、防護服ならロボットの中にあると思う。着るか? 先に俺が耐えられるか試してみる」
「いい。防護服っていっても、いつまでも着てられるわけじゃない。死ぬにしても、ちゃんと外の世界を身体で感じたい」
赤いパトランプが点ると共にやかましい警告音が喚き立て、「まもなく地上に出ます。防護服を着用してください」と女性の声によるアナウンスが流れる。
「お兄ちゃんこそ着れば」
「いいよ別に。俺はお前と一緒にいるから」
俺だけが生き残っても仕方がない。
俺には何もない。夢も、希望も。だからせめて、そういったものを持っているエヴリンを支えていきたい。
上から光が差し込んできた。
見上げると、天井が左右に割れて青い空が覗いている。その眩しさに、俺は思わず右手をかざした。
エレベーターが完全に地上に達し、停止する。
頭上に広がる青い空は、シェルターで見続けてきた《まがい物の空》と確かに似ている。けれども地上の空はとても澄んでいて、どこまでも高かった。眺めていると、自分がとてもちっぽけな存在に思えてくる。そして地上は、昼のシェルターよりもずっと明るい。これが太陽の輝きなのだろうか。
風が頬を優しくなでる。
俺達が出た地点の周囲は、たくさんの草木に覆われていた。街路樹のように規則正しく並び同じ高さでそろっているなんてことはなく、無秩序にそれぞれに植物が草や枝を好き勝手に伸ばし、ものによっては花を咲かせ、風に揺られている。
目の前の自然に俺は圧倒された。不安なんてものは何処かに吹っ飛んでしまった。
「これが」
「地上」
俺とエヴリンの言葉が交差し、俺達は互いの顔を見た。
エヴリンも、目の前の警官に言葉が出ないといった様子だ。
この状況では、どんな言葉でも陳腐になってしまう。俺達が今まで住んでいた世界とはあまりにも違いすぎる。
それでも、俺はエヴリンから視線を外し、あえて言うことにした。
「俺達は、これからここで、二人だけで生きていかなきゃならない」
「そうだね」
「それじゃあ、行こう」
「うん」
そう言って、俺達は最初の一歩を踏み出した。