放課後の不和音(ディスコード)と、図書室の静寂
校内弓道大会の狂乱から数日が過ぎ、翠鳳高校はいつも通りの退屈で平穏な日常を取り戻したかのように見えた。
けれど、私と蓮の間のシステム(せかい)は、あの日を境に、より一層不安定な熱を帯びて作動し続けていた。制服の襟元をどれだけきっちりと閉めても、肌に残る噛み痕の疼きが、あの更衣室での濃密な時間を絶え間なく脳にフラッシュバックさせてくる。
「——椎名さん、ちょっといいかな」
放課後の渡り廊下。夕日が差し込む窓際で私を待ち受けていたのは、サッカー部の橘 蒼汰だった。あの日、蓮にプレゼントを沒収されて以来、彼はあからさまに蓮を敵視するようになっていた。
「橘くん? どうかしたの?」
私はいつもの「完璧な女神」の微笑みを浮かべる。
「お前さ、あの一之瀬に何か弱みでも握られてんの?」
橘は真剣な目を私に向けて、一歩近づいてきた。「あいつ、お前を見る目が普通じゃない。幼馴染ってレベルを超えてるだろ。……もし嫌なことされてんなら、俺に言えよ。あんな陰気な風紀委員長、俺がぶっ潰してやるから」
「そんなこと、ないよ。蓮は、ただ私を心配してくれてるだけで……」
「心配の仕方が異常なんだよ!」
橘が私の手首を掴もうと、乱暴に手を伸ばした——その時。
「——その汚い手を引っ込めろ、橘」
背後から、凍りつくような冷徹な声が響いた。
振り返ると、そこにはいつの間にか蓮が立っていた。彼の翡翠色の瞳は、陽光を浴びているはずなのに、光を一切反射しない漆黒の闇のように濁りきっている。
「またお前か、一之瀬……!」
橘が身構える。
「校内での一般生徒への強引な接触、および風紀を乱す言動。これ以上椎名さんに近づくなら、部活動の停止処分を生徒会に申請する」
蓮は感情の消えた声で淡々と言い放ち、橘と私の間に割り込んだ。
「チッ……いつもいつも、邪魔しやがって……!」
橘は激しく蓮を睨みつけると、廊下の壁を強く叩いて去っていった。
廊下に二人きりの沈黙が訪れる。蓮は振り返ると、私の手首を無言で強く掴んだ。その指先は、怒りと嫉妬で微かに震えていた。
「蓮、痛いよ……」
「橘が、お前に触れようとした。……あいつの視線が、お前の身体を舐めるように見ていた」
蓮の声は低く、壊れた機械のように不穏な音を立てていた。「図書室へ行くぞ、柚留。……お前のシステムを、もう一度僕のコードで調律し直さなければいけない」
放課後の旧館図書室。
新館ができてからはほとんど利用者のいないこの場所は、古い紙の匂いと、静まり返った空気だけが満ちている。
蓮は入り口の重い木製の扉を閉めると、慣れた手つきで内側から鍵を掛けた。
夕日が遮光カーテンの隙間から差し込み、長い本棚の影を床に不気味に伸ばしている。
「蓮……ここは、誰か来るかもしれないよ……?」
「来ない。ここは僕が風紀の見回りで施錠を任されているエリアだ」
蓮は私の言葉を拒絶するように、私を一番奥の、世界史の本棚の陰へと押し込んだ。背中が冷たい本棚に当たり、何冊かの古い本が揺れる。
「蓮、怒ってる……?」
「怒っているさ。お前が僕だけのドールなのに、外のノイズ(男たち)が次から次へとお前に近づいてくる。……神条先輩も、橘も、全員消去してしまいたいほどにね」
蓮は私の両手首を本棚に押し付け、逃げられないように身体で私を拘束した。彼のずぶ濡れの汗の匂いと、私に対する狂おしいほどの執着の熱が、狭い本棚の隙間に充満していく。
蓮は私の制服のブラウスの襟元に手をかけると、昨日新しく縫い直したばかりのボタンを、躊躇いなく引き千切った。
「あっ……!」
パチパチとボタンが弾け飛び、静かな図書室の床に空しく転がる。
夕日の赤い光が、私の剥き出しになった鎖骨と、そこに残る赤紫色の噛み痕を妖しく照らし出した。
「蓮、もう……そこは昨日も……っ」
「足りない。お前の身体のすべてのセクターに、僕以外の痕跡を残さないように、もっと深く、強く刻み込まなければ安心できないんだ」
蓮の翡翠色の瞳が、暗闇の中で獣のように発光する。彼は私の叫びを塞ぐように、深く、激しい口づけを交わした。
「ん……っ、ふ……あ……」
呼吸をすべて奪われ、頭の中が酸素不足で白くなっていく。蓮の引き締まった身体が、私の身体を完全に本棚に押し付け、彼の血の滲む指先が、私の細い腰の肉を強く掐りあげた。
蓮は唇を離すと、激しい息を吐きながら、私の首筋の、まだ新しく皮膚が再生しかけていた場所へと、再び鋭い犬歯を突き立てた。
「あ、っ……! 痛い……蓮……っ!!」
図書室の静寂を切り裂くような、私の小さな悲鳴。
けれど、その痛みの向こう側から、ドロドロとした甘い快感が溢れ出し、私の理性を完全に破壊していく。蓮の熱い吐息が肌に触れるたび、私の身体は小さく跳ね、彼の黒髪に指を絡めて、より深く自分の中に迎え入れようとしていた。
「柚留……、お前は僕の最高傑作だ。誰にも渡さない、誰にも触れさせない……。僕の熱だけで、その身体を満たしていろ」
「うん……蓮……、もっと強く……。私を、あんたの印で、完全に満たして……」
窓の外では、遠くで運動部の声が聞こえる、そんな普通の放課後。
けれど、この薄暗い図書室の片隅だけは、世界で一番不条理で、一番濃密な、二人だけの絶対的な飼育箱だった。
蓮は何度も、何度も、私の肌に新しい痕跡を刻み続けた。二人の狂った同期は、もう、誰にも止めることはできない。




