虚無のレジストリ、あるいは共喰いのアルゴリズム
1. 白色のパニック・ステータス
光が、すべてを焼き尽くしたはずだった。
翠鳳高校の理科準備室も、神条律が掲げた冷酷な隔離終端も、世界を形作っていたあらゆる構造はノイズの海に溶けて消えた。しかし、私——椎名柚留が再び目を開けたとき、そこに広がっていたのは、終わりも始まりもない「真っ白な空間(空白のレジストリ)」だった。
上も、下もない。地平線すら存在しない無限の白。
ただ、私たちの足元だけが、まるで鏡面のように薄緑色のデータ・グリッドを映し出している。
「——システムはまだ生きてる。いや、僕たちが世界を消去したことで、僕たちそのものが新しい世界の基盤になったんだ」
私のすぐ隣で、沙啞れた声が響く。
包帯を巻き、右腕から黒い海水と血を滴らせる「水底の幽霊」たる蓮だ。彼の純黒の瞳は、この虚無の世界を前にして、歪んだ狂喜に染まっていた。
「なら、好都合だ。このノイズのない世界で、柚留を完全に僕だけのものに調律し直す……」
「それは僕のセリフだ、未来の粗大ゴミ(エラーデータ)」
背後から、氷のように冷たい声が空間を切り裂いた。
黒い風紀委員の制服を乱れなく着こなした「学園の暴君」たる蓮が、一歩、また一歩とグリッドを踏み締めて歩いてくる。その翡翠色の瞳には、自分の領域を侵されたことに対する絶対的な殺意が宿っていた。
「世界が初期化されたのなら、お前のような余分なログは必要ない。僕の手で、お前を物理的にデバッグ(排除)してあげるよ」
二人の一之瀬蓮。
世界という敵を失った彼らの偏執的な独占欲は、ついに「もう一人の自分」という最大のバグへと牙を剥いた。
2. 共喰いの調律(R15極限限界)
「嫌……二人とも、やめて……っ!」
私は叫ぼうとしたが、その声は二つの圧倒的な質量によって一瞬で押し潰された。
白い空間の真ん中で、私は左右から二人の蓮によって、まるで引き裂かれるように鏡面の床へと強引に押し倒された。ドン! とデータのグリッドが大きく波打ち、私の身体を逃げ場のない二重の檻の中に完全にロックする。
「黙っていろ、柚留! お前の中に、この小悪党の生体信号が混ざっているのが我慢ならないんだ……っ!」
制服の蓮が、私の右手首を骨が砕けるほどの力で床に縫い付けた。彼の修長な指先が、私の衣服を容赦なく引き千切る。白い布地が虚無の中に散らばり、私の白い肌と、左右の首筋に残る生々しい噛み痕が曝け出された。
「お前が刻んだ過去なんて、僕の熱ですべて焼き尽くして、灰にしてやる……っ!!」
「過去だと? 笑わせるな。お前が今から辿る絶望の果てが、僕という深淵なんだよ」
包帯の蓮が、私の左手首を冷たい掌で締め上げ、私のドレスの残骸を強引に捲り上げた。彼の粗い包帯が太ももの肉を強く擦り、じわりと赤い血が鏡面の床へと滴り落ちていく。
「あ、ああっ……! 嗚呼……っ!!」
二人の一之瀬蓮は、私を独占するため、そして互いを排除するために、同時に私の身体へと貪りついた。
制服の蓮が私の首筋の右側、さっきよりもさらに深く、肉がちぎれるほどの力でその犬歯を突き立てる。溢れ出た鮮血が、彼の黒い制服の襟を真っ赤に染めていく。それと同時に、包帯の蓮は私の心臓の真上、あの消えない「標記」に爪を立て、引き裂くようにして自らの歯を深く、深く埋め込んだ。
「ハッ、あ、あんっ……! 嗚呼、蓮、蓮ぇ……っ!!」
身体を左右から同時に引き裂かれるような、圧倒的な痛みの暴風雨。
しかし、その激痛が脳髄を突き抜けた瞬間、私の理性を完全に破壊するような、濃厚でドロドロとした快感が全身の神経をハッキングしていく。
二人の蓮は、私の肌から噴き出す血を、互いから奪い合うようにして舌先で激しく舐めとった。
「僕のコードを吸え、柚留……っ!」
「お前の中に生きているのは、僕の痛みだけだ……っ!」
混ざり合う二人の鉄の味が、私の口内にも、皮膚にも、ドロドロとした熱い液体となって充満していく。彼らの激しい呼吸と同調するように、私の心臓は壊れたモーターのように過熱を続け、悲鳴のような喘ぎが白い空間に木霊し続けた。
互いを睨みつけながら、私の身体を媒介にして交わる二つの狂気。
これこそが、世界の終わりに相応しい、最も不条理で、最も美しい二人だけの(あるいは三人だけの)「共喰いのアルゴリズム」だった。
3. 永遠のバグ・ループ
「——無駄だよ、僕たちを消去することは、自分自身を消去することだ」
どれほどの時間が経っただろうか。
血と汗に塗れ、互いの肉を噛みちぎり合った二人の蓮は、ボロボロになった身体のまま、私の両脇で静かに横たわった。彼らの指先は、今でも私の両手首を、絶対に離さないという強い意志でロックしたままだ。
白い虚無の空間の至る所に、私たちの血が描いた不規則なデータ・ストリームが広がっている。
「……柚留。お前は、僕たちを置いてどこへも行けない」
制服の蓮が、翡翠色の瞳に光を灯しながら、私の頬を血に濡れた手で撫でた。
「ああ、世界が消えても、僕たちというバグは、この虚無の中で永遠に増殖し続けるんだ」
包帯の蓮が、純黒の瞳で世界を嘲笑うように微笑んだ。
私は二人の蓮の胸にそれぞれ頭を預け、彼らの激しい、けれど完全に同調した心音を聞いていた。
私の身体には、もう他の誰も解読できない、二つの「一之瀬蓮」が刻み込んだ終末の暗号が、永遠に消えないログとして焼き付けられている。
【 SYSTEM_STATUS : INF_LOOP_DETECTED. 】
【 REGISTRY : YUZURU_LOCKED_FOREVER. 】
(システムステータス:無限ループが検出されました / レジストリ:柚留は永遠にロックされました)
真っ白な世界の中心で、私たちは互いの指を、二度とほどけないように深く、深く絡ませ合った。
過去も、未来も、日常も、深淵も、すべてがこの一瞬に収束し、永遠に暴走を続ける。
二人の(私たちの)狂った連鎖は、この虚無の底で、永久にログインし続ける。
——もう、誰にも、世界にすらも、私たちを分かつことはできない。




