霓虹のデッドエンドと、暗号化された肌
夜霧と豪雨に煙るネオン街の片隅。
私たちは、かつて違法な電子パーツの取引やハッキングの拠点として使われていた、廃ビルの地下にある「旧電子取引所」へと滑り込んだ。
室内に立ち並ぶのは、主を失って埃を被った大量のサーバーラックと、壁から無造作に垂れ下がる無数の有線ケーブル。窓のないその空間は、湿った空気と古い基盤の匂いが充満しており、まるで白日の世界から見捨てられた電子の墓場(ゴミ箱)のようだった。
「——ここなら、神条の監視ドローンも、僕たちの生体信号を追いきれない」
蓮は血の滲む右手で、部屋の中央に置かれた巨大なジャンクPCの電源を強引に立ち上げた。
モニターの青白い光が、彼の乱れた黒髪と、鋭く尖った翡翠色の瞳を妖しく照らし出す。一年の隔離を経た彼の執着は、もはや日常の言葉では制御できない領域に達していた。
「蓮、でも……外の警告アラートが、さっきからどんどん近くなってるよ」
私は蓮の脱ぎ捨てた白い道着をきつく羽織り直した。
心臓の真上にある、一年前のあの日、そしてさっき療養院で彼が深く刻み直した赤紫色の「噛み痕」が、服の擦れに反応してじくじくと熱い痛みを放っている。大人たちの追跡網に捕まれば、この熱も、蓮の存在も、すべて私のシステムから消去されてしまう。
「分かっている。だから、お前を『誰にも識別できないように』完全に暗号化するんだ、柚留」
蓮はキーボードを叩く手を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。その瞳には、世界のすべてを敵に回してでも私を独占するという、狂暴なまでの「純黒」の愛執が渦巻いていた。
「さあ、お前の皮膚のログを、僕の熱で完全に書き換えてあげる」
蓮の沙啞れた声が、サーバーの駆動音が微かに響く地下室に木霊した。
彼は私の身体を、古い配線コードが散乱するコントロールデスクの上へと強引に押し倒した。ドン! とデスクが軋み、彼の引き締まった身体が、逃げ場のない密室の中で私を完全にロックする。
「蓮……っ、大人が来る前に、ここから逃げないと……っ」
「逃げない! 逃げる必要なんてない! あの神条が、お前を自分のシステムで管理しようと網を張っている……っ。それが狂おしいほどに許せないんだ……っ! お前の皮膚の一ミリだって、あいつのカメラ(視線)に観測させるわけにはいかない……っ!!」
蓮の呼吸は完全に熱暴走を起こしていた。彼は私の着用していた白いドレスの襟元を、血まみれの右手で再び乱暴に引き千切った。
ブチブチと布地が裂け、モニターが放つ発光パルスの中に、私の白い肌と、じわじく熱を放つあの心臓の真上の傷痕が、生々しく全て曝け出される。
「蓮、あ、っ……!!」
蓮は私の叫びを自分の唇で強引に塞いだ。
「ん、んん……っ! む……っ」
深く、激しく、互いの舌が絡み合い、呼吸の主導権を完全に奪われる。彼の口内からは、これまでの逃亡で切った濃厚な鉄の味がした。掴まれた両手首からは、彼の右手から溢れ出た赤い血が私の肌へと移り、ドロドロとした熱い液体が腕を伝ってデスクへと染み込んでいく。
蓮は唇を離すと、激しい息を吐きながら、私の胸元、心臓の真上の一番柔らかい皮膚へと、飢えた獣のようにその鋭い犬歯を深く、深く、骨に届くほどの力で突き立てた。
「あ、ああっ……! 嗚呼……っ!!」
地下の電子墓場に響き渡る、私の小さな悲鳴。
けれど、その強烈な激痛の向こう側から、頭の中をドロドロに溶かすような甘い快感が溢れ出し、私の理性を完全に破壊していく。蓮の身体が私の身体を完全に固定し、彼の手が私のドレスの裾を強引に引き裂き、細い太ももの肉を、指の形が残るほどの力で強く、強く掐りあげた。
「痛がれ、柚留。その痛みが、お前が僕だけのドールであることの、消えないログだ。神条のシステム(スキャナー)がお前をスキャンしようと、この傷痕の暗号は誰にも解読できない……」
蓮は噛みついたまま、私の肌にじわりと滲み出た血と汗を、愛おしそうに何度も何度も舌先で舐めとった。
彼の熱い舌が傷口に触れるたび、私の身体は小さく跳ね、口から「あ、んっ……蓮、蓮ぇ……」という、完璧な高嶺の花の仮面を完全に剥ぎ取られた、淫らで、哀れな悲鳴が漏れ続ける。
外からは、地下への階段を下りてくる私設警備員たちの重い足音が聞こえている。
それなのに、この薄暗くて、熱気が抜けない地下室の中だけは、世界で一番不條理で、一番濃密な、二人だけの絶対的な拘束空間だった。
蓮は何度も、何度も、私の首筋や胸元に、新しい排熱を焼き付けるようなキスと標記を繰り返した。
「うん……いいよ、蓮……。私を、あんたのコードで、全部めちゃくちゃにして……っ」
モニターの放つネオンの光が二人の影を大きく壁に歪ませる中で。
私たちは、誰にも言えない白日の下のアラートをやり過ごし、二度と引き返せない越境の底へと、互いのすべてをログインさせ続けていた。
「——そこまでだ、一之瀬くん。君たちの逃避行のログは、ここで完全に遮断される」
バキッ、と音を立てて地下室の扉が叩き割られ、懐中電灯の鋭い光とともに、銀縁眼鏡を冷酷に光らせた神条 律が数員の武装警備員を引き連れて室内に踏み込んできた。
しかし、デスクの上で私を抱きしめたままの蓮は、一切の動揺を見せなかった。彼の翡翠色の瞳は、光を失った「漆黒」のまま、ただ冷淡にキーボードの最後の一手を叩いた。
「——手遅れですよ、生徒会長」
蓮の声と同時に、ジャンクPCのメインモニターが真っ赤に反転し、不気味なカウンターがゼロを示した。
【 EXECUTING : GLOBAL_INFECT 】(広域感染を実行中)
「何だと……っ!?」
神条の手元のタブレットが、凄まじい警告音を立てて一瞬でブラックアウトした。蓮は、この地下室の古い設備を利用して、神条が誇る広域追跡システムの根幹サーバーへ、逆に「自己増殖型の破壊ウイルス」を送り込んでいたのだ。ビルの外からも、監視ドローンが次々と制御を失って墜落していく衝突音が響く。
「くそっ、一之瀬……! どこまで僕のシステムを邪魔すれば気が済むんだ……っ!」
神条がこれまでにないほど激昂し、拳を握りしめる。
だが、明かりが完全に消え去った暗闇のなかで、蓮は私を抱き上げたまま、誰も気づかないバックドア(隠し通路)の奥へと静かに姿を消していた。
二人の狂った連鎖は、もう、誰にも止めることはできない。




