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最強の飯屋、ダンジョンで開店します ~元S級の料理にはバフがつくらしい~  作者: 元ROM専


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第9話「道草」

 夜が明ける前に、カイは屋台を畳んだ。


 荷物は最小限にした。背負い籠と包丁一本。採ってきた食材を入れる布袋を三枚。水筒に鉱泉水を詰めて、腰に提げた。


 出発前に、茸の炊き込み握り飯を四つ作った。昨日裂いた岩窟茸を細かく刻んで洞窟米と一緒に炊いたものだ。茸の出汁で米が炊けている。保存袋に入れておけば冷めない。


 十五層の安全地帯を出ると、通路の空気が変わった。湿り気を帯びた冷たい風が、奥から吹いてくる。


「イーリス」


 声をかけると、通路の壁にもたれて待っていた影が動いた。


「遅い」


「約束より早いぞ」


「あたしの方がもっと早い」


 外套を被ったイーリスが、カイの横に並んだ。背丈はカイの肩くらいしかない。


「三十層まで、どのルートでいくの」


「歩いていく。急いで行けば二時間ちょっとだな」


「転送門は?」


「使わない。転送門を使えば三十層まで一瞬だけど、歩きながら食材を見たい」


 イーリスが足を止めた。


「……十五層分、歩くの?」


「いつもそうしてる。道中にいい食材が落ちていることがあるんだ」


 イーリスは小さくため息をついた。


「……あなた、変な人」


「よく言われる」


 十六層に入った。


 天井が低くなって、壁が湿っている。苔が岩の表面を覆っていた。薄い緑色の苔が、魔石の光を反射してぼんやり光っている。


 カイが足を止めた。


「イーリス、ちょっと待ってくれ」


 壁に近づいて、苔に顔を寄せた。匂いを嗅ぐ。指で少しだけ削り取って、舌に乗せた。


「……青い香り。苦味はない。粘り気がある」


「何してるの」


「この苔、使えるかもしれない。海苔みたいな……いや、もうちょっと粘りが強い」


 ぬるぬるした緑色のもの。汁物に入れると、とろっとした食感になる。


 カイは布袋を取り出して、壁の苔を丁寧に削り取った。両手のひらに収まるくらいの量。


「これ、乾かしたら出汁が取れると思う。洞窟の苔だから、洞苔か」


 イーリスはカイを見上げていた。変人を見る目をしていた。


「……苔を食べる人、初めて見た」


「食べるんじゃない。出汁を取るんだ」


「同じでしょ」


「全然違う」


 カイは苔を袋に入れて、また歩き出した。


 十七層。通路が広くなった。天井から水滴が落ちてくる。足元に浅い水たまりができていて、歩くたびにぴちゃぴちゃと音がした。


 壁の窪みに、拳くらいの白いものがびっしり生えていた。貝のような形をしている。


 カイはまた足を止めた。


「これは……」


 指で触れた。硬い。殻だ。爪で叩くと、こんこんと乾いた音がした。


「岩貝か。食えそうだな」


「食べたことない。匂いは……ほとんどしない」


 イーリスが鼻を寄せた。


「殻の中だ。割らないと匂いは分からない」


 カイは包丁の背で殻を叩いた。こん、こん、こん。三回目で小さな亀裂が入った。そこに刃先を差し込んで、てこの要領で開ける。


 白い身が現れた。透き通った汁が殻の中に溜まっている。


 匂いが広がった。


 イーリスの鼻が動いた。


「……海。知らないけど、これ、たぶん海の匂い」


「分かるか。磯の香りだ。鉱泉水に浸かってるから、塩気もある」


 カイは殻の中の汁を一口すすった。


「うまい。いい出汁になる」


 岩貝を十個ほど採って、布袋に入れた。殻ごと入れるから袋が重い。


 イーリスが手を出した。


「……持つ」


「いいのか」


「あたしの方が力ある」


 イーリスは袋を片手で軽々と持ち上げた。カイが両手で持っていた重さを、枝でも持つみたいに提げている。


 カイは素直に感心した。


「助かる。ありがとう」


「……別に」


 カイは歩きながら、小さな火を起こした。通路の窪みに枯れた苔を集めて、火竜草の乾燥葉で着火する。


「ちょっと休憩」


 岩貝を二つ、殻ごと火の上に置いた。


「何してるの」


「焼き岩貝。殻が開いたら食べ頃だ」


 火にかけられた殻がかたかたと揺れ始めた。隙間から白い蒸気が噴いて、殻の中で汁がぐつぐつ煮えている音がする。磯の香りが濃くなった。


 ぱかっと殻が開いた。


 中の白い身が汁の中で縮んでいる。煮えた汁が殻の縁でぶくぶく泡立っていた。


「熱いぞ。気をつけろ」


 カイが一つをイーリスに渡した。イーリスは殻を持って、中の身をつまんだ。汁が指に垂れた。


「っ……熱い」


 口に入れた。


「……生の時と全然違う。噛んだら中から汁が出てくる」


「煮えると身の旨味が汁に出て、汁が身に染みる。自分の出汁で自分を煮てるんだ」


 イーリスは殻に残った汁まで飲み干した。


 カイは保存袋から茸の炊き込み握り飯を二つ出した。


「握り飯も食っとけ。まだ先は長い」


 イーリスは握り飯をかじった。茸の旨味が米に染みている。焼き岩貝の後に食べると、貝の塩気と茸の香りが口の中で重なった。


「……なんで移動中にこんなの出てくるの」


「飯屋だからな」


 十八層に降りると、空気が変わった。


 湿気が減って、代わりに土と岩の匂いが濃くなった。通路の壁に爪痕がある。リザードマンの縄張りだ。Dランク相当のモンスターが巡回している層。


 イーリスが腕を伸ばして、カイを止めた。


「この先、三匹いる」


「分かるのか」


「匂いで分かる。爬虫類の独特の匂い。三匹。右の壁沿いに二匹、通路の奥に一匹」


 カイは頷いて、そのまま歩き出した。


 リザードマンが通路の陰から顔を出した。鳴き声のないトカゲの頭に、人間くらいの体。鱗が魔石の光を反射している。


 カイの足音を聞いて、こちらを向いた。


 一瞬、動きが止まった。


 そしてリザードマンは、壁の裂け目に引っ込んだ。音もなく。残りの二匹も、気配が消えた。


 イーリスは目を丸くしていた。


「……逃げた」


「ああ。この辺のやつは臆病だからな」


「臆病じゃないと思うけど」


 イーリスはカイの横顔を見上げていた。


「何だ?」


「……何でもない。行こう」


 二十層は地下湖だった。


 天井から落ちる水滴が湖面に波紋を作っている。青白い藻が湖底を覆っていて、水面に光が揺れていた。カイにとっては馴染みの場所だ。地底魚の仕入れ先。


「ここは通るだけだ。魚は帰りに寄ろう」


「あたしもここは知ってる。水がきれい」


「飲んだことあるか」


「ある。悪くない」


「だろ。この水で出汁を取ると、鉱物の甘さが出るんだ」


 二十層の安全地帯を抜けた。転送門が青い光を放っていた。数人の冒険者が門の前で装備を確認している。Cランクのプレートが光っている。


 カイは転送門を素通りした。


 冒険者の一人がカイを見た。腰のギルドプレートを確認して、眉をひそめた。


「おい。あのFランク、下に降りるのか?」


「連れがいるな。あの背丈、子供か?」


「やめとけよ、二十層から下は環境そのものが違う。Fランクがどうにかなる場所じゃ……」


 声が背中越しに聞こえた。


「イーリス、二十一層から先って壁の苔は生えてるか?」


「……え? ああ、ないと思う。暑いから」


「そうか。味噌に使えるかと思ったんだが」


 二十一層に入ると、空気が変わった。


 湿気が消えた。代わりに、乾いた熱が足元から這い上がってくる。壁の岩が赤みを帯びている。溶岩帯の入口だ。


「暑くなってきたな」


「そう? あたしはこっちの方が楽」


 イーリスが外套の襟を引っ張った。汗ではない。暑さでもない。壁の苔を採る時、岩貝を持つ時、外套の裾が邪魔だった。ずっと気になっていた。


「動きにくくないか? それ」


 カイが何気なく言った。荷物を背負い直しながら、イーリスの外套を見ていた。


 イーリスの手が止まった。


 二人きりだ。周りに誰もいない。溶岩帯の乾いた空気。ここならーー。


 外套を脱いだ。


 銀色の髪が、溶岩の赤い光を受けて流れ落ちた。腰まである。頭の両脇から、二本の角が伸びている。先端が尖って、溶岩の赤い光を受けている。背中から、薄い翼が二枚、ふわりと広がった。折り畳まれていた分だけ、伸びをするように開いた。


 小柄な体に、人間にはないものが三つ。角。翼。そして腰の後ろから覗く、細い尻尾。


 カイは足を止めて、イーリスを見た。


「ふーん。角あるんだな」


 イーリスの体が固まった。


「……それだけ?」


「ああ。道理で頭のあたりが赤くなってたのか。昨日から気になってたんだ」


 カイは歩き出した。


「翼も生えてるんだな。背中で動いてたの、あれか」


「驚かないの」


「何に?」


「あたし、人間じゃないんだけど」


「知ってる。骨格も匂いも違うからな」


 イーリスの足が止まった。


「分かってたのに何も言わなかったの?」


「言う必要があるか? 腹が減ってるやつに飯を食わせるのに、種族は関係ないだろ」


 カイは振り返った。


「それより、その翼って暑さに関係あるか? 外套脱いだ方が楽なら、ずっと脱いどけよ。動きやすいだろ」


 イーリスは脱いだ外套を腕に抱えたまま、数秒黙っていた。


 角の根元から薄く湯気が立った。甘い焦げたような匂いが、乾いた空気に混じった。翼がぱたぱたと揺れた。尻尾の先が小さく跳ねた。全部、隠す必要がなくなった。


「……うるさい。言われなくても脱ぐつもりだった」


「そうか。じゃあ行くぞ。あっちから火穂麦の匂いがする」


 カイはもう前を向いていた。


 二十二層で、カイがしゃがんだ。


 通路の壁際に、赤い穂をつけた草が群生していた。穂先が微かに光っている。揺れるたびに、ぱちぱちと小さな火花が散った。


「あった。火穂麦だ」


 カイの顔が明るくなった。しゃがみ込んで、穂先を見つめている。火花が顔の近くで弾けるが、気にしていない。


「触らない方がいい。火傷する」


「大丈夫だ。採り方は分かってる」


 カイは水筒の水を手ぬぐいに含ませて、穂の根元をそっと掴んだ。じゅっと蒸気が上がったが、火花が消えた。その隙に穂を折り取る。慣れた手つきだった。


「こいつは粥にも麺にもなる。ルークの妹用に多めに採っておきたい」


「穂麦で麺が打てるの?」


「粉にして練ればいける。粥とは違う食感になるはずだ」


 穂を五本ほど折り取って、濡れた布に包んだ。


「あなた、本当に食材のことしか考えてないのね」


「当たり前だ。飯屋だからな」


 イーリスは呆れた顔で、でも口元がほんの少しだけ上がっていた。


 二十五層の安全地帯で水を飲んだ。


 ここまで来ると空気が完全に乾いている。息を吸うと喉の奥がひりつく。岩壁が赤黒い光を放っていて、地面に触れると温かかった。


 カイは先ほど採った火穂麦の穂を一本取り出した。殻がついたまま、熱い岩の上に粒を並べた。


 ぱちっ。ぱちぱちっ。


 粒が弾けた。殻が割れて、中の白い実がふくらんでいる。熱で膨張して、元の倍くらいの大きさになった。


「なんか、前にどこかでこれ見た気がする」


 カイは弾けた粒をつまんで口に入れた。軽い食感。噛むとほのかに甘い。


「面白いな。これはおやつにいい」


 イーリスの前に弾けた粒を並べた。イーリスが一つつまんで口に入れた。


「……軽い。ふわふわしてる」


「だろ。歩きながら食える」


 二人で弾けた火穂麦をつまみながら、残りの握り飯を食べた。


 安全地帯にはBランクのパーティが一組いた。重装備の四人組だ。溶岩帯の攻略装備で、耐熱の魔道具が全身に光っている。


 その四人が、カイとイーリスを見て固まった。


「おい。あのFランクのプレート、見間違いか?」


「二十五層だぞここ。装備もないし、包丁一本と籠だけだ」


「子供も連れてる。何かの間違いだろ」


「……プレートを偽造してるんじゃないのか?」


「イーリス。この先に石乳樹があるんだよな」


「うん。二十八層の壁沿い。分かりにくい場所だけど、匂いで分かる」


「頼む。案内してくれ」


 二人が安全地帯を出ていくのを、Bランクのパーティが無言で見送った。


 二十七層で、火蜥蜴が現れた。


 体長二メートルほどの赤い蜥蜴だ。Cランク相当。口から熱気が漏れている。通路の真ん中に陣取って、こちらを見ていた。


 カイは立ち止まらなかった。


 火蜥蜴の横を通り過ぎた。蜥蜴の目がカイを追った。体が強張って、腹を地面につけた。威嚇ではない。服従だ。


 通り過ぎた後、カイが振り返った。


「あの蜥蜴、火穂麦を食ってるやつだな。肉に甘みがあるって聞いたことがある」


「……今、何が起きたか分かってる?」


「何が?」


「いい。何でもない」


 二十八層。イーリスの鼻が上を向いた。


「ここ。匂いがする」


 通路の壁が少し広がっている場所だった。天井近くの岩の裂け目に、灰色の木が生えていた。根が岩を抱くように広がって、幹は人の腕ほどの太さしかない。目立たない。注意して見なければ、ただの岩の一部に見える。


「これが石乳樹」


「うん。幹を傷つけると汁が出る」


 カイは岩壁を登った。手がかりを探って、体を引き上げる。料理人の手で岩を掴み、包丁を背中に差したまま、壁を三メートルほど登った。エプロン姿で岩壁を登る男の姿を、イーリスは下から見上げていた。


 石乳樹の幹に触れた。温かい。この深さの岩の温度が伝わっているのか、木自体が熱を持っているのか。


 包丁の先で、幹に浅い切れ目を入れた。


 白い汁が滲み出した。


 とろりとした白い液体が、切り口からゆっくり垂れてくる。カイは水筒の蓋を受け皿にして、液体を集めた。


 匂いを嗅いだ。


 目を閉じた。


 甘い。草の匂いの奥に、脂の丸い香りがある。舌にまとわりつく粘り気。この匂いは知っている。なぜか、よく知っている。


 白い液体を温めて、穀物と一緒に煮る。弱った体に染み込んでいく、優しい味。朝、まだ暗いうちに仕込んで、湯気が立ちのぼる頃に出す。


 鍋に注いで、火加減を調整して、木べらでゆっくり回す。手順だけが、鮮明だった。


「どう?」


 イーリスが下から見上げていた。


「最高だ。これがあれば、ルークの妹に食わせるもんが作れる」


 カイは白い汁を水筒いっぱいに集めた。樹液の出が弱くなったところで止めた。採りすぎると木が硬化して液が止まると、イーリスが言っていた。


 壁を降りて、蓋を閉じた水筒を光にかざした。白い液体が揺れている。


「ありがとう、イーリス。お前がいなかったら見つけられなかった」


 イーリスの翼がばさっと広がった。


「……別に。あたしが知ってただけ」


「それが大事なんだ。食材を知ってることは、料理人にとって一番の力だ」


 イーリスは黙った。角の根元がほんのり熱を持っていた。


 三十層の安全地帯に着いた。乾いた岩山に囲まれた広い空間。残留溶岩が赤い光を放っていて、空気が熱い。


 火竜草の群生地は安全地帯のすぐ外だ。赤い茎に炎のような葉をつけた草が、岩の裂け目からまっすぐ伸びている。


 カイは慣れた手つきで根元を掘り、十本ほど引き抜いた。切り口から真っ赤な汁が滲む。鼻を突く辛い匂いが広がった。


「これで、しばらくは持つ」


 布袋に火竜草を入れて、背負い籠に詰めた。籠の中身は、苔、岩貝、火穂麦、石乳樹の樹液、火竜草。十五層分の道草の成果だ。


 カイは籠を背負い直して、満足そうに息をついた。


「いい仕入れだった」


 イーリスは安全地帯の岩に腰かけていた。翼を畳んで、尻尾を岩の上に垂らしている。


「ねえ」


「ん?」


「あなた、何回も止まって、苔食べて、貝割って、火花の出る草に手突っ込んで、蜥蜴の横を素通りして、壁を登った」


「ああ。食材が多い道だったな」


「それ普通の行動じゃないって、分かってる?」


 カイは首を傾げた。


「俺はただの飯屋だぞ。食材を探してるだけだ」


 イーリスは膝を抱えて、カイを見上げた。金色の瞳が、赤い溶岩の光を映していた。


「……ただの飯屋は、Cランクのモンスターに道を譲られたりしない」


「あれは臆病なだけだって」


「臆病じゃない」


 イーリスの声が低い。翼がぴくっと立った。


「あなたが怖いの。あの蜥蜴は、あなたが怖かったの」


 カイはぽかんとした。


「俺が? まさか。料理人が怖いわけないだろ」


 イーリスは何か言いかけて、口を閉じた。


 イーリスは立ち上がった。


「帰ろう。帰り道でまた止まるんでしょ」


「当然だ。二十層で魚も獲りたいし」


「……やっぱり変な人」


 二人は三十層の安全地帯を出た。来た道を戻る。カイの背中の籠が、行きよりずっと重い。


 帰りは道草が少なかった。行きで見つけたものを覚えているから、迷わない。二十層で地底魚を三匹捕って、十八層を足早に抜けた。


 十五層の安全地帯が見えた時、イーリスが小さく声を出した。


「あ」


 安全地帯に、見慣れた四人組がいた。ルーク達だ。


 ルークがカイに気づいて駆け寄った。


「カイさん! 朝からいなかったので、心配して……」


 カイの背中の籠を見た。籠から火竜草の赤い葉がはみ出している。


「三十層に行ってきたのか?」ミラが手帳を出した。


「仕入れだ。火竜草が切れたからな」


「Fランクが単独で三十層?」


「単独じゃない。イーリスが案内してくれた」


 ルーク達の目がイーリスに向いた。外套を脱いだイーリスを見るのは、これが初めてだ。銀色の髪。角。翼。尻尾。


 トビーの口が開いたまま閉じなかった。


「え、角……翼……え?」


「竜人族、か」ミラが手帳に手を伸ばしかけて、止めた。


 ルークはイーリスの目を見た。金色の瞳が、少しだけ揺れている。


「イーリスさん。外套、脱いだんですね」


「……暑かっただけ」


 トビーがルークの袖を引いた。


「二人で三十層って……デートみたいだな」


 イーリスの角の根元がかっと赤くなった。尻尾の先が地面を叩いた。


 カイは籠を降ろして、中身を並べ始めた。


「ルーク。妹さんの好きな味、聞いてきたか」


 ルークの表情が変わった。朝の緊張が戻ってきた。


「はい。甘いものが好きで、酸っぱいのは苦手で、今は固いものが食べられないって。量は……ほとんど食べられないって、母さんが」


 カイは頷いた。


 籠の中から、石乳樹の樹液が入った水筒を取り出した。蓋を開けると、甘い脂肪の香りが広がった。


「甘くて、柔らかくて、少量で体に染み込むもの」


 火穂麦の穂を取り出した。殻を剥いて、橙色の粒を掌に転がした。


「火穂麦の粥を作る。この麦を、石乳樹の樹液と鉱泉水で煮る」


 頭の中に、完成形が見えた。白い液体の中で、橙色の粒がとろとろに崩れていく。湯気が甘く立ちのぼる。一口で体の芯が温まる、優しい食べ物。


「明日の朝、作る。持っていってやれ」


 ルークの目が光った。


「ありがとうございます。本当に」


 カイは火穂麦の粒を一粒つまんで、光にかざした。橙色が溶岩のように透けている。

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