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最強の飯屋、ダンジョンで開店します ~元S級の料理にはバフがつくらしい~  作者: 元ROM専


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第6話「近かったから」

 カイが十五層の安全地帯に戻ると、屋台の前に誰かが座っていた。


 銀色の髪。外套を深く被って、丸太の上で膝を抱えている。


「イーリス」


 少女が顔を上げた。金色の瞳がカイを見る。


「遅い」


「すまん。岩窟茸を採るのに手間取った」


 カイは背負い籠を下ろした。中には火竜草の根と、天井から剥がした岩窟茸が詰まっている。乾いた茸の香ばしい匂いが籠から漏れた。


「来てくれたのか」


「……近かったから」


 十五層は近くない。三十層から十五階層ぶん登ってきている。カイはそこには触れなかった。


「ちょうどよかった。今日は新しいスープを作ろうと思ってたんだ。食っていけ」


 イーリスは立ち上がらなかった。


 カイはそれを「はい」と受け取って、屋台の準備を始めた。


 火竜草の根を洗って、薄く輪切りにする。断面から赤い汁がにじみ、ぴりっとした辛味の香りが立った。岩窟茸は手で裂く。繊維に沿って割ると、乾いた香ばしさの中に、深い旨味を含んだ匂いが隠れていた。


「いい茸だ。乾燥してるから出汁が濃く出る」


 鍋に鉱泉水を入れて、岩窟茸を放り込む。弱火にかけて、出汁を引く。透明な水がゆっくり琥珀色に変わっていく。


 イーリスの鼻がひくりと動いた。


「……何の匂い」


「岩窟茸の出汁だ。三十層の洞窟の天井に張り付いてる茸で、乾燥した熱い空気で育つから、味が凝縮してる」


「知ってる。あたしも食べたことある。でも、こんな匂いはしなかった」


「洗い方と切り方の問題だな。繊維に沿って手で裂くと、細胞が壊れにくいから香りが逃げない。包丁で切ると断面が潰れて匂いが飛ぶんだ」


 イーリスは黙った。外套の中で、指先がぎゅっと膝を掴んだ。


 出汁が十分に出たところで、カイは火竜草の根を加えた。赤い色素が溶け出して、琥珀色のスープが赤く染まっていく。辛味と旨味が混ざった湯気が立ちのぼった。


「カイさーん!」


 通路の奥から、聞き慣れた声。ルークが走ってきた。後ろにミラ、トビー、エリカ。


「今日は何です……」


 屋台の前に座っている少女が目に入った。ルークが立ち止まる。


 銀色の髪。見たことのない顔だ。


「誰?」


 トビーがルークの肩越しに覗き込んだ。


 イーリスがこちらを見て、四人を順番に眺めてからすぐカイの方に戻った。興味なし、という顔だ。


「ああ、紹介するよ。イーリスだ。昨日、三十層で会った」


「三十層!?」


 トビーの声が裏返った。


「カイさん、昨日三十層に行ったんですか」


「食材を採りにな」


「食材を採りに三十層」ミラが手帳を取り出した。「Fランクが。単独で。三十層に」


「だから食材が」


「聞いてます。聞いた上で言ってます。ありえません」


 カイは困ったように頭を掻いた。


「イーリスさん、よろしくね」


 ルークが頭を下げた。イーリスはちらりと見ただけだった。


「……別に。ご飯を食べに来ただけ」


「同じだよ。俺たちも飯食いに来てる」


 ルークが笑った。イーリスは目を逸らした。


 重い足音が近づいてきた。


 ヴァルダだった。大剣を背負って、いつもの歩幅で安全地帯に入ってくる。屋台の前に人が増えているのを見て、片眉を上げた。


「繁盛してるな」


「おう。今日はヴァルダさんのために特別メニューだ」


「特別メニュー?」


「薬膳スープ。ヴァルダさんの右側の古傷に効くと思う」


 ヴァルダの目が鋭くなった。


「右側の古傷。お前、なぜ知っている」


「食器を渡す時の手の動きで分かった。右腕の可動域が左より狭い。筋繊維が固まってるんだろ。長年の蓄積だ」


「……食器を渡す時の手の動きで」


「ああ。気になったから、深層のキノコを採ってきた。こいつの出汁は体の奥まで染みるんだ」


 ヴァルダは黙って丸太に座った。目がカイの手を追っている。食器の受け渡しで古傷の位置を特定した。


 カイは鍋の蓋を開けた。


 スープの色が、深い赤に変わっていた。岩窟茸の出汁と火竜草の辛味が合わさって、鍋の中で渦を巻いている。湯気は赤みを帯びて、鼻に届くと喉の奥がじんわり温まる。


 カイは保存袋に手を入れた。奥から乾燥した木の根を一本取り出す。黒くて硬い。表面に細かいひびが入っていた。


「深層の甘根だ。四十層付近に生えてる。苦いんだけど、煮込むと甘くなる」


 包丁の背で叩いて砕き、鍋に落とした。もう一つ、小さな乾燥した実を指で潰して加える。


「こっちは結晶鹿の胃から取った香辛実。体を温める」


 保存袋の中で何年も眠っていた食材だ。ヴァルダの傷を見た昨日から、この組み合わせが頭にあった。


「仕上げだ」


 カイは岩塩をひとつまみ、それから火蜥蜴の脂を一片、鍋に落とした。脂がスープに溶けた瞬間、匂いが一段変わった。甘根の苦みが消えて、丸い甘さに変わっている。辛味と甘みが重なって、鼻の奥がじんわり温まる。


 六つの器にスープを注いだ。


 赤い液体の中に、裂いた岩窟茸と火竜草の輪切りが浮いている。湯気が器のふちを越えて、六人の顔に届いた。


 ルーク達は器を受け取る前から唾を飲んでいた。


 ヴァルダは器を持ち上げて、一口飲んだ。


 辛い。最初に来るのは、舌を刺すぴりっとした辛味だった。だがすぐに、その奥から旨味が押し上げてくる。茸の出汁が辛味を包み込んで、甘みに変える。飲み込むと、喉から胸に落ちて、そこからじわりと熱が広がっていく。


 右肩が、温かい。


 ヴァルダは器を下ろした。右腕を動かしてみる。いつもの引っかかりが、ほんの少し、柔らかい。


「……効いてるのか。一杯で」


「たまに飲みに来てくれたら、そのうち楽になると思う」


「お前は医者か」


「飯屋だ」


 ヴァルダは二杯目を注いだ。黙って飲んだ。


 イーリスは、まだ器に手をつけていなかった。


 器を両手で包んで、湯気を吸い込んでいる。目を閉じて、匂いだけを味わっている。


 ミラがその様子を見ていた。不思議な子だ、と思った。食べる前に匂いをここまで丁寧に確かめる人間を、見たことがない。


 イーリスが目を開けた。器を口につけた。


 一口。


 岩窟茸を噛んだら、繊維の間から出汁がじゅわりと溢れた。外套の背中がばさりと膨らんで、すぐに戻った。


 もう一口。


 出汁の奥から、火竜草の辛味が追いかけてくる。額に汗が浮いた。鼻が通る。息を吸ったら、匂いが三倍になった。


 器が空になった。


「どうだ?」


 カイが聞いた。


 イーリスは口を開いた。閉じた。もう一度開いた。


「……口の中が」


「うん」


「こう、ぶわっとして」


「ぶわっと」


「最初にぴりって来て、そのあと、なんか、こう」


 イーリスの手が空中で何かを掴むように動いた。言葉が出てこない。舌は全部を捉えている。なのに、言葉が出てこない。


「辛味の奥から旨味が来て、飲み込んだ後も温かさが残る。そういうことか?」


 カイがあっさり言った。


 イーリスの動きが止まった。


「……そう。それ」


 声が小さかった。外套の布を押し上げている角の根元から、薄く湯気が立った。一瞬だけ。


 ルークは鼻をひくつかせた。今、甘い焦げた匂いがしなかったか。


 トビーがルークの袖を引っ張った。


「ルーク、あの子の外套、なんか動いてなかった?」


「気のせいだろ」


「気のせいじゃないって。背中のあたりがばさって」


「しっ」


 ミラが二人を黙らせた。手帳に何かを書き込んでいる。「銀髪、金瞳、外套の下に何かを隠している。匂いだけでスープの構成要素を判別した。味覚が異常に鋭い」。


 エリカはイーリスをじっと見ていた。あの子の体温が、人間と違う。触れなくても分かる。少し高い。それに、背中の辺りから微量の魔力が漏れている。


 エリカは口をつぐんだ。まだ確信がない。


「おかわり」


 イーリスが器を突き出した。


「おう」


 カイが笑って注ぐ。イーリスは二杯目も三杯目も飲み干した。飲むたびに外套の裾が揺れていたが、カイは気にしなかった。


「よく食うな。見ていて気持ちいいぞ」


「……うるさい」


 イーリスは顔を背けた。耳が赤い。外套の隙間から、角の先がかすかに覗いていた。


 ヴァルダだけが、その角を見ていた。


 竜人族。


 二十年の経験が、即座に答えを出した。銀髪、金瞳、体温が高い、背中に翼、頭に角。五十層以上の深層に住む、希少な亜人種。


 なぜこんなところにいる。


 ヴァルダはカイを見た。カイは鍋の底に残ったスープをイーリスの器に注いでいた。「最後の一杯だぞ」と笑いながら。竜人族の少女に、何の疑問も持たずに飯を食わせている。


 この男は、本当に何も気づいていないのか。


 それとも、気づいた上で気にしていないのか。


 ヴァルダは杯を傾けた。面白い飯屋だ。


「カイ」


「ん?」


「明日も来る。あと、このスープ、酒に合いそうだ。酒は置いてないのか」


「酒か。地上に買い出しに行けばあるけど、品揃えが悪くてな」


「私が持ってくる」


「お、それは助かる。つまみも作るよ」


 ヴァルダが去っていく。ルーク達も帰り支度を始めた。


 イーリスだけが、まだ丸太の上に座っていた。空の器を膝に載せて。


「イーリス、そろそろ帰るか?」


「……あなた、明日もここにいるの」


「毎日いるぞ」


「毎日」


「飯屋だからな。毎日営業だ」


 イーリスは立ち上がった。器をカイに返した。今度はすぐに返した。


「明日も来る」


「おう。何が食いたい?」


 イーリスは考えた。


「あなたが一番美味いと思うやつ」


 カイの顔が、ぱっと明るくなった。


「任せろ」


 イーリスは背を向けて歩き出した。三歩で立ち止まった。


「カイ」


「ん?」


 振り返らなかった。背中のまま。


「あのスープ。悪くなかった」


 それだけ言って、走って行った。外套がばたばたとはためいて、銀色の髪が揺れた。通路の闇に消えていく。


 カイは鍋を洗いながら、呟いた。


「悪くなかった、か。厳しいな。次はもうちょっと喜んでもらえるもの作らないと」


 鍋をすすぎながら、もう次の料理を考えていた。あの子の舌に合うものを作りたい。

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