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最強の飯屋、ダンジョンで開店します ~元S級の料理にはバフがつくらしい~  作者: 元ROM専


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第4話「常連と新客」

 朝から、カイは機嫌がよかった。


 昨日のうちに仕込んでおいた出汁が、いい色に仕上がっている。地底魚の骨と頭を弱火でじっくり煮出して、一晩置いた。白い出汁が薄い黄金色に変わって、澄んだ魚の香りが立っている。鍋の蓋を開けるたびに、ふわっと広がる匂いが安全地帯の空気を塗り替えた。


「よし。今日はこいつで煮付けだ」


 残りの一匹を台に乗せ、包丁を入れる。三枚おろし。骨に沿って刃を滑らせて、身を二枚に分ける。骨に残った身を指の腹で確かめて、一つも無駄にしない。頭は出汁に使ったから、もうない。尾に近い部分は脂が少ないから、出汁に戻して二番出汁を取る。


「中骨のあたりが一番旨いんだよな」


 カイは中骨を指で触って、身の厚さを確かめた。爪の先で身の弾力を試す。これは出汁で煮る。身を二つに切り分けて、皮目に浅く切り込みを入れた。包丁の先が皮を裂く音が、小さくぱちりと鳴った。


 鍋に出汁を張る。鉱泉水で割って、岩塩をひとつまみ。


 保存袋に手を入れた。奥から小さな瓶を取り出す。中に琥珀色の結晶が詰まっている。深層の岩蜜蜂が巣に溜める蜜を、乾燥させて固めたものだ。


 結晶をひとかけ、指で割って鍋に落とした。出汁に溶けて、ほんのり甘い匂いが立つ。


 火にかける。沸騰する直前に、身を入れた。


 鍋の中で、透明だった出汁が白く濁り始める。地底魚の脂が溶け出しているのだ。骨出汁の旨味と、身の脂が合わさって、湯気の匂いが変わった。


 甘い。


 魚の脂から来る、深い甘さ。そこに骨出汁のコクが重なって、匂いだけで唾液が出る。


「火が強いな。もう少し落とそう」


 カイは火を細めた。鍋の縁で出汁がぷくぷくと小さな泡を立てている。ぐらぐら煮ると身が崩れる。弱火でゆっくり、出汁を含ませるように煮る。


「あと二十分くらいかな」


 鍋の蓋を少しずらして被せ、カイは腕を伸ばした。魔石灯の光がぼんやりと温かい。煮える音だけが聞こえている。


 その静けさを、足音が破った。


 重い足音だった。ルーク達の軽い足取りではない。一歩ごとに地面が軋む。鉄の靴底が石畳を叩いている。


 カイが顔を上げると、大きな影が立っていた。


 女だった。


 長身。カイより頭半分は高い。肩幅が広く、腕は日焼けして傷だらけだ。短く切り揃えた黒髪。背中に大剣を背負っている。大剣の柄が肩越しに見えていて、刃こぼれの跡が何箇所もあった。


 鎧は使い込まれた革と鉄の複合型。ところどころ修繕の跡がある。年季の入った装備だ。そして、胸元にギルドの認識票がぶら下がっている。


 カイの目が、認識票の色を見た。


 銀色。A級の証だ。


「ここか」


 女が低い声で言った。カイの屋台を見下ろしている。


「十五層の安全地帯に、飯屋があるって噂を聞いた。本当だったとはな」


「いらっしゃい」


 カイはいつもの調子で答えた。


「今日は地底魚の煮付けだ。ちょうど煮えるところだから待っててくれ」


「地底魚?」


 女の目が少し細まった。


「二十層以下の水場にしかいないやつだな。お前、どうやって手に入れた」


「自分で獲った」


「自分で」


「ああ。昨日、二十層まで行ってきた」


 女は黙った。三秒ほど、カイの顔をじっと見ていた。目が値踏みするように動いている。


 カイは気にせず鍋に戻った。蓋を開けて、煮え具合を確認する。菜箸で身の表面を軽く押して、弾力を確かめた。指先に伝わる感触で、火の通り具合を測っている。


「あと五分くらいだな。座って待ってくれ」


「……名前は」


「カイ。カイ・ヴェルナー」


「ヴァルダだ。ヴァルダ・クレイン」


 ヴァルダは屋台の前の丸太に腰を下ろした。大剣が地面に触れて、がちゃりと音を立てた。


 そのとき、通路の奥から声が聞こえた。


「カイさーん! 来ましたよ!」


 ルークだった。後ろにミラ、トビー、エリカが続いている。もう顔馴染みだ。


 ルークは走ってきて、屋台の前に着いた。ヴァルダの背中が目に入った。


 大剣。傷だらけの腕。A級の認識票。


 ルークの表情が固まった。後ろでトビーがルークの背中にぶつかった。


「なんだよルーク、急に止まる」


「しっ」


 トビーがルークの肩越しに覗き込んで、固まった。


「A級だよA級!」


 声が裏返った。ルークが振り返って口の前に指を立てた。


「落ち着け」


「落ち着けるか! なんでA級がカイさんの屋台にいるんだよ!」


 ミラがトビーの腕をつかんだ。


「声が大きい」


「お、来たか」カイは鍋をかき混ぜながら振り返った。「今日は煮付けだ。言っただろ。ちょうどもう一人来てるから、五人分に分けるぞ」


「あの、カイさん」


「ん?」


「あの人……」


「ああ、ヴァルダさんだ。今日初めて来た」


 カイはそれ以上の説明をしなかった。客が増えたのが嬉しそうだった。五人分の器を並べ始めている。


 ヴァルダが振り返って、四人を見た。


「Fランクか。お前ら、この階層にいるには若いな」


 ルークは背筋が伸びた。A級冒険者の視線は、それだけで圧がある。


「は、はい。最近ここで食事をしていて」


「ほう」


 ヴァルダの目がミラの手帳に留まった。ミラは反射的に手帳を背中に隠した。指先が白くなるほど強く握っている。


「煮付け、できたぞ」


 カイの声が割って入った。


 鍋から立ちのぼる湯気が、空間全体に広がった。


 骨出汁の匂いが先に広がった。一拍置いて、岩蜜蜂の甘さと魚の脂が追いかけてくる。


 携帯食をかじっていた通りすがりの冒険者が、足を止めた。手に持った乾パンと、鍋から漂う匂いを交互に見ている。だが近づいてはこない。ダンジョンの中の銅貨三枚の飯屋。やはり怪しいのだ。


 ヴァルダの鼻が動いた。


 二十年以上ダンジョンに潜ってきた。携帯食と乾パンで育った。食事に期待したことなど、もう何年もない。


 なのに、この匂いはなんだ。


 カイは木の器に出汁を張り、煮付けた身を盛った。白い身に、黄金色の出汁が染み込んでいる。表面がてらてらと光っている。脂だ。出汁と脂が一体になって、身の繊維の間に入り込んでいる。


 握り飯も五つ並べた。煮付けの汁に浸しながら食べると美味い。


「熱いから気をつけろ」


 煮付けと握り飯が、五人の前に並んだ。


 ルーク達は迷わず手を伸ばした。もう作法は分かっている。トビーが握り飯を煮付けの汁に浸してかじった。


「うっま。この汁を米が吸って、もう止まんない」


「ルーク、これやって。握り飯を汁につけるの」


「……うまい。なんでこんな食べ方知ってるんだ、カイさん」


「米と汁があったら浸すだろ」


 ヴァルダだけが、器を手に取って、しばらく眺めていた。


 湯気の奥に、身が見える。箸で軽く触れると、ほろりと崩れた。


 一口。


 出汁が芯まで染みている。噛んだ瞬間、繊維の一本一本から汁が滲み出して、魚と出汁の境目が分からなかった。美味い。骨の底から出る、鈍い旨みだ。飲み込むと腹の奥がずしんと熱くなって、二口目を掬う手が止まらなかった。


 ヴァルダは器を下ろした。


「おい」


「ん?」


「お前、何者だ」


 カイは首を傾げた。


「カイだけど。ただの飯屋だ」


「ただの飯屋が、二十層に一人で潜って魚を採ってくるのか」


「美味い魚がいるからな」


「ただの飯屋が、ダンジョン魚介の残留魔力を完全に消して、この味を出せるのか」


「処理の問題だろ。ちゃんと水で締めて、火の通し方を変えれば」


「ただの飯屋が」


 ヴァルダはカイを真正面から見た。


「A級冒険者の私が、食ったことのない味を出すのか」


 カイは困ったように笑った。


「ヴァルダさん、飯屋かどうかとか関係ないだろ。俺はただ、美味い飯を作りたいだけだ。食ってくれる人がいるなら、それでいい」


 ヴァルダは黙った。


 五秒。十秒。


「もう一杯もらう」


「おう。おかわりは半額な」


 ヴァルダは二杯目を受け取りながら、カイの手を見た。


 この男の手は、包丁だけを握ってきた手ではない。


 二十年の経験が告げている。この手は、剣を握ってきた手だ。指の付け根のたこ。手首の筋の張り方。鍛えた人間にしかつかない痕が、いくつもある。


 だが、言わなかった。


 今は、この煮付けを食べる方が先だ。


 ---


 ルーク達は離れた場所でひそひそと話していた。


「やばいよ。A級だよ。あの人が飯の効果に気づいて広めたら、客が殺到するぞ」


 トビーが焦っている。声を抑えているのに、手が落ち着かない。


「俺たちだけの秘密って言ったばっかりなのに。今でさえ席が少ないんだ。A級の常連なんかできたら俺らの分がなくなる」


「そっちの心配かよ」ルークが呆れた。


「当たり前だろ! 銅貨三枚であの味と効果だぞ。こんなの知れ渡ったら終わりだ」


「……あの人、カイさんの手を見てた」エリカが小声で言った。「じっと。私と同じところを」


「手?」


「包丁の痕と、もう一つ別の痕」


「それも気になるけど」トビーが唸った。「俺が一番怖いのは、あの人が周りに『あの屋台の飯はすごい』って言い回ることだよ。A級が推薦したら、みんな来るだろ」


「でも、カイさんが困ることはしたくない」ルークが言った。


「分かってる。分かってるけど」トビーが煮付けの器を見た。「ここの飯が食えなくなるのだけは勘弁だ」


 ミラは手帳を開いていた。黙って、煮付けの分析を書き込んでいる。ペンの先が紙を引っ掻く音だけが聞こえる。


「エリカ」


「はい」


「今回のバフ、前と違う?」


 エリカはルークの手首に触れた。目を閉じる。指先を通じて、血流の速さ、筋肉の張り、魔力の流れを読み取っていく。


「……水属性なのは同じです。でも、効果が違う。今回は魔力循環じゃなくて、体力の回復速度が上がってます。あと、関節の炎症が減ってる」


「関節?」


「ルーク、右手の握力が落ちてたの気づいてましたか?今、それが治りかけてます」


 ルークは自分の右手を見た。確かに、昨日から痛かった手首が、楽になっている。握ったり開いたりしてみる。痛みが引いている。


 ミラの手帳に、三行目が加わった。


「水属性・生食(薄造り)=魔力循環強化。水属性・加熱(煮付け)=回復・修復系。同じ属性でも、調理法で効果が変わる」


 ミラの手が震えていた。


 手帳をめくった。三回分のデータが並んでいる。


「みんな、ちょっときて」


 ミラは手帳を広げて見せた。


「一日目。スープを食べる前のルークの筋力が三十二。スープ後に四十一。バフが切れた翌朝、三十四」


「三十四? 元が三十二だろ」トビーが首を傾げた。


「そう。バフは切れたのに、元に戻ってない。二だけ上がってる」


 ミラが次のページを指した。


「二日目。薄造りは魔力循環に効いたから、筋力はそのまま三十四。でも私の魔力回復の基礎値が上がってた。薄造りの前が十八で、バフが切れた今朝、二十」


「筋力はスープで上がって、魔力はお刺身で上がったってこと?」エリカが聞いた。


「そう。効いた部分だけ、少し残る」


「今日。煮付けの前、ルークの筋力が三十四。エリカ、今はどう?」


 エリカがルークの肩に触れた。数秒。


「四十二です」


 ミラが書き込んだ。「三十四から四十二。スープの時とほぼ同じ上がり幅」


 ミラがペンで数字を丸く囲った。ルークの筋力、三十二→三十四。ミラの魔力回復、十八→二十。食べた料理の効果に応じた部分の基礎値が、少しずつ上がっている。


「バフは一時的に上がって、切れたら落ちる。でも全部は戻らない。底が少しずつ上がってるように見える」


「ただの成長じゃないの? 俺たち毎日戦ってるし」ルークが聞いた。


「三日で三上がるのは普通じゃない。でも、まだ三回分のデータしかないから断定はできない」


「それって、ドーピングじゃないってこと?」トビーが身を乗り出した。


「反動で壊れるなら基礎値は下がるはず。今のところ逆に上がってる。ただ、これもまだ分からない。もう少し食べ続けないと」


 属性と調理法の組み合わせで効果が変わる。食べ続ければ基礎能力が底上げされる。しかもカイは「手首が痛そうだから煮付けにした」だけだ。


「ミラ」


「なに」


「怖い顔してるぞ」


 ミラは手帳を閉じた。


「怖いんじゃない。興奮してるの」


 ---


 ヴァルダが立ち上がって、ルーク達の方を見た。四人の体が一斉にこわばった。


「いい店を見つけたな、お前ら」


 ルークが目を丸くした。


「え」


「Fランクのくせに、飯の目利きだけは一人前だ」


 褒めているのか、けなしているのか。ルークには判断がつかなかった。だがヴァルダの口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。


 ヴァルダはカイに声をかけた。


「明日も来る」


「おう。明日は何にしようかな。そろそろ新しい食材を仕入れたい」


「その食材は、またお前が一人でダンジョンを潜って採ってくるのか」


「当たり前だろ。仕入れは料理人の仕事だ」


 ヴァルダは背を向けて歩き出した。三歩進んで、立ち止まった。


「カイ」


「ん?」


「お前のことは、誰にも言わない。ただ、飯を食いに来る。それでいいか」


 カイは笑った。


「もちろん。毎日来てくれたら、常連割引だぞ」


 ヴァルダは片手を上げて、歩いて行った。


 大剣を背負った大きな背中が、ダンジョンの闇に消えていく。


 カイは鍋を洗いながら、呟いた。


「ヴァルダさん、体の右側に古い傷があるな。関節じゃなくて筋繊維だ。長年の蓄積で固まってる」


 鍋を火にかけ直した。出汁の残りで二番出汁を取る。深層のキノコで薬膳のスープを作ったら、あの筋繊維をほぐせるかもしれない。


「三十層の岩窟茸か。明日、早めに出るか」


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