4話
「ちょっとだけありがたい話、してもいいか」
さて、どこへ行こうか。子供服屋、映画館、靴下専門店、中古ショップ、アクセサリー店には入りづらいから、あとは雑貨屋が数軒、一階には菓子屋。
「疲れた。だっこ」
「抱っこか。答えになってねえなあ」
「ねーなあ」
若干蹴られつつ、抱っこをご所望だそうだからその通りにする。しっかりと重い。本人が非協力的なのでさらに重い。重量に腕を踏ん張らせながら歩く。あてはない。
「あのな、瑛人。世の中には、色々な『心をモヤっとさせる苦しみ』があるんだ」
「ながーい」
「じゃあ『モヤ子』だ。モヤ子は二種類に分けられる」
自分でも、ああ、説教を垂れているな、と思う。それでも達彦は口から説教を垂らして床に落として、その様子を眺めさせる。その垂れ落ちた説教が、のちに我が子が考える時の参考資料になればいい。
「その一は、『俺がわかちあえるモヤ子』だ。例えば、マユが『掃除ってやだなぁ』とか思ってたら、その気持ちはモヤ子。その気持ちって、俺が掃除を代わってやったりすれば肩代わりできるだろ」
「ぼくが、おやつ食べたいのに食べられないのは?」
「それも、俺がわかちあえるモヤ子。例えば、お菓子を買ってやったり、それができないなら一緒に気晴らしができるだろ」
大きな通路が交差する。中央では催し物がやっている。襲うは休日の人の波、だがそれも楽しい。
「ぼくはお菓子を食べたいわけじゃん」
「わかちあってるだけだからな。心の苦しみであるモヤ子を取り除けることは、あんまりない」
「カフェでお菓子食うか?」
「くう!」
しまった、言葉が荒かった。達彦の小さな反省。
「で、続きなんだが。その二は、『俺がわかちあえないモヤ子』なんだな」
返事の代わりに達彦を凝視する瑛人。そっけないといえばそっけないし、熱心だといえば熱心である。
「例えばマユは女性だから、『女性しか与えられない苦しみ』があるだろう」
ふうん、とかすかな応答。まあ、聞いていなくてもいいや。そう思いながら、今日もうざったい説教。
「その苦しみは、絶対俺には理解できない。わかちあえないってこった。そういうものが残念ながらある。男女の違いでもそうだし、男女の壁を越えて、これは価値観の違いになるんだが」
「お父さんは何が言いたいの」
なぜか抱っこから降りようとする瑛人に、達彦は頭を掻く。お前が抱っこと言ったのに。
「つまりな、お母さんのわかちあえないモヤ子をつついた、お父さんが悪かったなってことだ。わかちあえるものを沢山わかちあって、それだけじゃ足りなかったんだよ。まずは、わかちあえる事柄に真摯に向き合うべきだった。それすらしてなかったのにな、俺は」
眉を下げる達彦に、瑛人はそっぽを向く。カフェが近づいてきたからだ。視線がそちらに向かうのは、子供として良い傾向なのかもしれない。無関心はつまらない。
「ねえ、お菓子何食べよう。これはわかちあえるモヤ子」
「ああ、うん。そうだなあ。……あ、瑛人」
「なあに? チョコチップのやつにするの?」
人気カフェチェーンの列に並びつつ、足にしがみつく瑛人に小声で言う達彦。
「外でモヤ子って言うなよ、お父さんの造語だから。この世にない言葉だから」
「……モヤ子」
「言うなって」
「我が名はモヤ子」
「お前の名前はモヤ子じゃない」
列の中でも前の方にやってきた。綺麗なケーキの群れが、ショーケースの中に鎮座している。
「モヤ子、りんごのケーキにする」
「お前はモヤ子じゃなくて瑛人だし、ケーキは高いんだよ」
「飲み物もいる」
電子マネーの残高を確認しようとスマートフォンを出した時、通知が来ていることに気がついた。パンジーのアイコン。繭子だ。パンジーにも花言葉が様々ありそうだが、これは保護者会用、言うなれば外行きのアイコン。花言葉も咲く時期も何も知らずに、散歩中に一枚撮ったものだった。
そんなパンジーに、ちょっぴり体がこわばる達彦である。指は一回宙を彷徨って、通知を開く。
『見て、新しいズボン買った!!フロム繭子』
無機質な文字で作られる彼女の楽しげな様子と、一緒に送られてきたブレブレの写真にくす、と笑う。繭子はいつも似たようなパンツばかり履いている。そういえば、黒いロングスカートがあったはずだが、どこへしまったのだろうか。
「何見てるのー?」
「あったかーいものを見てる」
注文も決めずにみせて、みせて、とせがむ声。店員が微笑んでいた。




