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第19話

 空き教室には俺たち二人以外には誰もいない。廊下にも人の気配はない。今いる校舎3階は主に二年生の教室が立ち並ぶ場所だ。俺たちが使用している2階とさほど違いはない。ただ、2階には一年生がいて、3階には二年生がいる、それだけの違いだ。


 二年生は全員部活に行ったか帰宅したのか、とにかく3階の空き教室は静寂に包まれている。


 白川の告白を聞くのには良い環境だ。


「私ね、2つ年下の弟がいるの」


 いきなり身内話をし始めて虚を突かれたが、黙って聞くことに徹する。


「弟もきっと私のことが好きだったと思うよ。小学生の頃は毎日のように一緒に遊んでいたよ。公園で走り回ったり、家の中でゲームしたり。中学生になると部活と勉強で忙しくて、小学生の時よりは遊ぶ時間は減ったけど、それでもやっぱり2人で遊ぶことが多かったよ。よく周りからは仲の良い兄弟だねって言われてたなあ」 


 俺には兄弟がいないからよく理解できないが、白川の弟思いの気持ちは伝わってきた。


「私は弟のことが大好きだったんだけどね、だけど、弟は同学年の友達とは……気が合わなくて……」


 そう言うと、少し俯き、表情を曇らせて黙ってしまう。

 何か声をかけた方がいいかもしれないと思ったが、俺はただ白川を見つめるだけに留めた。

 しばらくすると口が再び開かれる。


「はっきり言うね、弟は学校でいじめられてたの。小学校5年生頃始まってから、そこからずっと。中学生になってもずっと、ずっとずっと──」


 白川は右手を強く握り、腕を小刻みに動かしている。


 以前ニュースで見たのだが、小中学生のいじめの件数は年々増加しているらしい。ただ、今と昔ではいじめの定義が違うことに加え、学校側のいじめの認知に対する積極性が異なるため、根本的に増えているかどうかは分からない、みたいなことを、どこかの大学の教授が言っていたような気がする。


 とはいえ、いじめという行為が今も昔も悪いことだというのは変わらないだろう。


「弟はね、クラスの女の子に向かって『あなた、その顔じゃ将来絶対結婚できないね』とか、走るのが苦手な男の子に『何でそんなに足が遅いの?ちゃんと運動してる?』とか、まあ、思っていることを相手の気持ちを考えずに平気で言ってしまう子だったのよ。そりゃあ、周りの子も嫌になるよね。他にも色々エピソードがあるの。例えば、2年生の頃、クラスの子が病気で入院しちゃったときに、担任の先生が、みんなで千羽鶴を折りましょうって提案した際も、『鶴を折っても病気は治らないと思います。時間の無駄だからやらない方が良いと思います』って言って教室を凍りつかせたり、4年生の時には漢字のテストで悪い点を取った友達に『勉強の仕方がおかしいんじゃない』とか言ったり……。うん、まだまだあるけどきりがないなあ……」


 小刻みに震えていた右手を頭の上に置き、困り果ててしまう。

 モアイ像のように動かない俺を見て、口を挟まず、最後まで話を聞こうという俺の思考を読み取ったであろう白川は、何か強い想いを訴えかけるかのように、真剣な眼差しで俺を照らし、言葉をつづけた。


「弟はね、『変わった人』って年代問わず、色々な人によく言われてた。」

 

 白川の言葉はさらに熱を帯びていく。


「確かに周りの子を傷つけてしまったことは多いけどさ、だからといって集団で一人を陥れる行為って許されるの?みんなで無視をしたり、机に落書きしたり、暴力をしたりするのって正しいの?過ちを犯した人を大勢の民衆で寄ってたかって破滅に追い込むことは過ちにならないの?みんなどうかしてるよ!」


 白川の悲痛の叫びが教室を震わせる。黒板が、机イスが、窓ガラスが砕けてしまいそうな、そんな振動が目的地を持つことなく拡散している。


「去年の6月、ちょうど一年前に、弟は自ら命を絶ったの──。自分の部屋で首を吊って……。机の上にはメモが残ってた。『もう我慢できない』って。まだ中学一年生だったんだよ?私はもっともっと弟と一緒に過ごしたかった。一緒に遊んで、一緒に笑って、楽しい時間を共有したかった……今でも弟のいじめに関係している人全員を許せない。」


 白川が近くにある机に腰かけたので、俺も同じように近くの机に腰かけることにする。

 時計の秒針を刻む音が、耳の中に吸い込まれ、消えていく。


「高校に入学した当初も、弟のことが忘れられなくて、何で私は学校なんて場所に足を運んでいるんだろうって思ってた。そんな時に、下駄箱にラブレターが入ってた。しかもそのラブレターは学年の女子全員に配られていたって聞いて、私は思ったの」


 悲しみを少し含んだ微笑を一直線に俺に向けて、言葉を奏でる。


「このラブレターの差出人は『変わった人』だなって。弟と似ているなって思ったの。落ち葉と木の枝に付いている葉を重ね合わせて、ぴったりと一致するような、そんな感じがしたよ」


 視線を互いに離さず、見つめ合う俺と白川。再び机から腰を浮かせたので俺もそれに倣う。俺たちの距離は1m程。遠すぎず、近すぎず、程よい距離間で、心地がいい。


「それでね、この人も変わった性格のせいで周りからいじめられてしまうんじゃないかって心配になったの。心臓が悪魔に握りつぶされるように心が苦しくなって、とても辛い気持ちになったよ。だから、この人に弟のような思いはさせない。弟のような結末を迎えさせない。私が……私が絶対に守って見せる。『普通』という仮面を被った群衆から救済してみせる。そう決意したの」


 自分がいじめられるなんて考えたこともなかったが、ラブレターを下駄箱に入れた日のことを思い出すと、俺に対する女子生徒たちの態度は、たしかに、あれはいじめの一歩手前だったのかもしれない。みんなからの人望が厚い白川と付き合わなければ、俺は今ごろ、白川の弟のようにいじめにあっていたかもしれない。


「それが、俺と付き合おうとした理由か?」


 時間としてはそんなに経っていないはずなのに、俺が言葉を発したのは、ずいぶんと久しぶりのように感じた。それはまるで、冬眠から目覚めた動物のように。


「うん。佐々木君に対して失礼なことをしているのは分かってる。自分が極度のエゴイストになっていることも自覚してる。でも、噴水のように溢れ出てくる想いは止められなかった。ごめん……」


 亡くなってしまった愛する弟と俺を重ね合わせている白川。弟の死後ずっと、悲痛な過去の鎖で心を縛られていたのだろう。しかし、その鎖を断ち切るための方法が見つかった。これ以上の悲しみを背負わないため、変わった人を守るという正義感、同じ過ちは繰り返さないという強い意志、俺との交際には様々な感情が籠められていたことだろう。


「謝らなくていい」


 俺はいつものように淡々と言葉を発する。


「正直俺は、お前の過去に興味はない。まあ、お前がどうして俺と付き合おうと思ったのか、その理由が分かってスッキリはした。ただな、白川、これだけは言わせてくれ。」


 少し間をおいて、はっきりと宣告することにした。


「お前は俺の中に、弟の幻影を見ているかもしれないが、俺とお前の弟は全くの別人だ」


 はっとした顔をした後、小さく首を縦に動かし、「ごめん…」と再び謝る白川。そのまま口を塞いで動かなくなってしまったが関係ない、俺は話を続ける。


「俺はこれからも俺として生きていく。お前の弟として生きることは絶対にない。だけど、お前が俺に弟を重ねることに関して、何か口を挟むつもりもない、自由にしたらいいさ。さっきも言ったが、俺は俺の人生を歩むつもりだ。だからお前の期待通りにはいかないかもしれない。それでも良いと言うなら――。これからも俺の彼女でいてくれ」


「えっ」という声を漏らし、驚きの表情で白川は俺を見つめた。そして、輝きのある瞳から一滴の雫を頬に垂らして一言述べた。


「ありがとう」


 既に俺と白川が交際を初めて約2カ月が経過していた。この間、俺は自分の彼女のことを全く理解できずにいた。

 しかし、白川の過去を知り、俺は白川綾という人間を少しだけ理解できたような気がした。


 周りから見るとクラスで人気者の女子高生、一方で、心に過去の闇を抱え込み、精神を蝕まれている女の子。


 俺と白川はこれからも付き合っていく。楽しいこともあれば、辛いこともたくさん起きるだろう。人生というのは経済に似ているのかもしれない、ふとそう思った。好景気と不景気が繰り返されるように、人生も、幸せと不幸が繰り返されるようになっているような気がした。白川にとって、弟の自殺というのはどん底の不幸体験だったはずだ。そして今は、どん底の先にある幸せに手がかかっている状況のはずだ。


 じゃあ、俺はどうなんだ?


 俺の人生は果たして、幸せと不幸のサイクルで構成されているのだろうか?


 一般的に、彼女のいる男子高校生というのは幸せな状態と言ってもいいだろう。


 俺は今、幸せなのか?


 幸せとは何か、俺は必至で考えてみた。全神経を思考に集中させた。

 気が付くと俺の左手から温もりを感じた。白川が手をつかんでいた。


「とりあえず、今日は帰ろっか」


 いつもの笑顔でにこっとした彼女は、いつにもまして輝いて見えた。

「そうだな」と答えて、俺たちは二人で一緒に空き教室を出た。 


 ただやはり、俺には自分の幸せが何か分からなかった──。

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