第17話
都市伝説を試し終わった俺たちは公園を出ることにしたが、不運にも、雨が降ってきた。
雨といっても、米粒ほどの小さな雫がぱらぱらと降っている程度なため、特に慌てることもなく俺たちは駅に向かって歩いていた。
辺りを見まわしてみても傘を差している人は見つからない。俺と同じように、ただ単に傘を持っていないだけかもしれないが、誰一人としてこの小雨を気にしていない。
小学生のころ、クラスメイトに沖川君という子がいた。彼は冬でも半袖半ズボンで登校するといった、クラスには一人いるわんぱく少年なのだが、彼の特異な点は、雨の日でも傘を差さずに登校するということだ。
俺が面白いと思ったのは、彼は傘を持っていないわけではなく、傘を持っているのに差さないということだった。
「何で雨が降ってるのに傘を差さないの?」
ある日の雨の日の朝、学校の児童玄関前で、雑巾のように自分の着ている半袖を絞っている沖川君がいたので聞いてみた。
「傘を差してしまうとさ、逆に雨に飲まれてしまう気がするんだよね」
俺には彼の言っている言葉の意味が分からなかった。だが、沖川君の意志の強さが、小学生ながらに感じられた。
そんな沖川君は、その数か月後に転校してしまった。
小雨とはいえ、傘を差さない町の人々を見ると、その全員が沖川君に見えてきた。
不思議だなと思う行動も、それを大多数が行えば不思議ではなくなる、そんなことを考えながら、歩いていると町の風景に違和感を覚えた。
来た時と違う道を歩いている。
「白川、来るときはこんな道を通っていなかったと思うが?」
デートプランはいつも白川が考えている。よって、目的地への進路も毎回すべて白川に任せている。デートの日の俺の行動は白川によって糸で操られていると言っても過言ではない。
「こっちの道、駅への近道だからね!雨が降ってきたから少しでも早く駅に行こうと思って」
親指を立てていいねポーズをしながら、にこっとしてそう言った。
白川のナビの下、アーケードのある商店街を歩くことに。この商店街を抜けた先を左に曲がると駅に着くのだとか。
商店街には歴史を感じさせる洋服屋や判子屋、八百屋等が立ち並んでいる他、コンビニやマクドナルドといった現代を象徴とするお店もちらほらあり、時代が交差しているようだった。中にはシャッターを下ろしている店もあり、商売の難しさをひしひしと感じた。
そんな商店街通りを半分程進んだところで、白川が急に足を止めた。
一体どうしたのだろうと思い、声をかけようと思う前に逆に声をかけられた。
「佐々木君、あのお店、見てみて」
白川は、進行方向右側に位置する、こじんまりとした本屋を指さしていた。
大きさはコンビニほど、店の壁がガラス張りになっているので店内の様子がはっきりとうかがえた。入口のすぐそばにレジカウンターがあり、レジカウンターから見て前方には本棚が所狭しと設置されている。ここから見える限りだと、店内にはレジを担当している店員さんと、お客さんが3名いることが分かった。
わざわざ足を止めて気にかける景色には思えない。
「この本屋がどうかしたのか?」
「よく見て、あの店員さん」
店全体を差していた手を、レジにいる店員さんに向けて白川はそう言った。
俺は書店員をよく見てみた。
白のワイシャツに茶色のエプロンを付けている。黒い髪を後ろで縛っており、顔を見る限りは大人というより幼さがあり、俺たちと同じ高校生くらいの女性に見えた。おそらく女子高生がバイトをしているのだろう。あれ、何か見たことがあるような顔だな。
「やっぱりあれ、美花だよね?絶対そうだよ!」
美花?みか・・・。そういえばクラスに明智美花という女子がいたなあ。物静かで、かといって独りぼっちでいることはなく、同じ属性の女子と仲良くしている、そんな印象の女子だ。
すぐに顔と名前が一致しなかったことに、俺はクラスの女子に改めて意識がないことを実感した。こいつにもラブレターを書いているはずなのに。それよりも、本屋のバイトって時給いいのかな?
俺が金勘定のことを考えていると、白川が声のトーンをいつもよりも少し落として話し出した。
「美花、お医者さんになるのが夢って言ってた。中学生の頃、重い病気にかかってしまったらしいんだけど、その病気を治してくれたお医者さんに憧れて、自分も医者になりたいって。」
憧れの気持ちが将来の夢になるのはよくあることだ。学校の先生に憧れて教師を目指しますとか、好きなサッカー選手に憧れて、プロを目指しますとかな。
俺の心の声が聞こえるわけもなく、白川は話を続ける。
「でも、お医者さんになるのってとてもお金がかかるらしいよね。美花の家、母子家庭で、たぶん裕福ではないだろうし・・・。きっと将来のために、バイトして今からお金を貯めてるんだね。立派だなあ」
医者になるには大学の医学部を卒業し、医師国家試験に合格して医師免許を取得後、2年間の臨床研修を受ける必要があるとかないとか。ちなみに私立大学の医学部の学費は6年間で、平均して3300万円。両親共働きの普通の一般家庭であったとしても、学費を払うのはかなり困難だろう。偏見になってしまうが、ましてや母子家庭ならほぼ不可能だろう。対して国立大学の医学部の学費は約350万円。私立大学に比べてかなりの格安だが、国立大学の医学部に合格するには、並外れた学力が必要だ。富北高校の生徒が一年生の時から必死になって勉強しても受かるとは思えない程に。
とはいえ、将来の夢のために努力をする同級生を眺め、他人事ではあるが、心の中で「頑張れ」と応援しておくことにしておく。
しかし、心の中でエールを送った後、ふと気が付いたことがあった。
「そういえば、富北高校ってバイト禁止じゃなかったっけ?」
「え、そうなの?」
驚いた様子の白川。すぐさま水色のショルダーバックから生徒手帳を取り出して、校則が書かれているページをめくる。何で生徒手帳なんてものを休日にも持ち歩いているんだ?
「あ、ここに書いてある」
白川の開いたページにはこう書かれていた。
『アルバイトについて。アルバイトは学業に支障をきたす恐れがあるため、いかなる事情がある場合においても禁止とする。このことに関して例外はないものとする。』
顔を見合わせる俺と白川。数秒の沈黙が流れる。
「どうしよう。美花、校則違反してるってことじゃん・・・。」
困惑した顔で呟く白川。
「別にいいんじゃないか。俺たちには関係のないことだ」
クラスメイトの女子が校則違反をしてようが俺にとってはどうでもいいことだった。しかし、白川にとってはどうでもよくないらしい。
「規則を破っている人を知っているのに見過ごしていいのかな・・・。でも美花はきっと将来のために・・・。もしアルバイトが学校にばれたら、美花、どうなるんだろう」
生徒手帳のアルバイトについて書かれているページには、規則を破った時の罰則内容については書かれていなかった。
「別にタバコを吸ってますとか、お酒を飲んでますみたいな法律違反をしてるわけじゃないし、そこまで重い処置にはならないと思うけどな」
「法律違反をしていると退学とかも視野に入りそうだよね。ちなみに1年2組の西田君って知ってる?西田晃弘君。西田君は今学期既に5回遅刻したらしいの。それでね、罰則として三日間、放課後に校庭の草むしりをやらされたんだって。遅刻の累積で三日間の草むしりの罰則、もしアルバイトがバレちゃったらどの程度の罰則になるのかな・・・って何言ってるんだろう私、ダメダメそんなこと考えちゃ。」
白川はぱんぱんと、両手で自分の顔を叩き、自身の発言を反省していた。
「もう行こっか佐々木君、見なかったことにして」
そう言って白川はその場から逃げるように歩き出した。
本屋の中では、明智が小学生ぐらいの男の子のお客さんに会計の対応をしていた。お金を払い、本を受け取った男の子がにこにこしている表情が見えた。それに対して明智も満面の笑みで応え、手を振って小さなお客さんを見送っていた。
誰がどう見ても、笑顔で暖かな接客をしている素晴らしい女子高生店員がそこにいた。
そんな書店員を見て俺はふと思った。
「罰則内容が気になるな――」