第14話
「佐々木君、今日一緒に下校できる?」
帰りのホームルームが終わると同時に白川が駆け寄ってきた。
「別に大丈夫だよ」
白川と一緒に下校するのはこれが初めてではない。
初めて黄緑坂駅前でデートをして以来、週に1~2回は一緒に下校をしている。
白川曰く、一緒に下校するのもデートの内の一つらしい。
「じゃあ、帰ろっか」
昼に見せていた怒りの表情は既に消えていたが、いつもの笑顔は隠れていた。
俺が自転車通学なのに対し、白川は電車通学である。
富北高校の最寄り駅は「富北高校前駅」という分かりやすい名前の駅だが、駅から学校までは歩いて15分ぐらいかかるという、詐欺だと言われてもおかしくないくらい遠い距離間となっている。
白川はいつも徒歩でこの富北高校前駅まで行き、そこで電車に乗って黄緑坂駅で乗り換えをし、自宅の最寄り駅で下りて、そこから歩いて十分程かけて帰宅しているらしい。
「家から学校に行くまで、2時間もかっかちゃうんだよね~」と、以前言っていたが、この富北高校は部活動が有名でもなければ偏差値も並み程度、突出した学校行事があるわけでもないので、どうしてこいつは自宅からかなり離れた距離にあるこの高校に進学しようと思ったのか、謎である。
というわけで、学校から富北高校前駅までの15分間を一緒に歩き(俺は自転車を押しながらだが)、駅に着いたら解散、というのがいつもの下校デートの内容だ。
門を出て少し歩いたところで白川が口を開く。
「今日の昼休みのことだけどさ、あんな発言をしたら聡子が傷つくっていうことは考えなかったの?」
怒りはなく、純粋なはてなマークを表情に浮かべている。
「傷つくという発想はなかったな。そもそもあいつは『絵はあんまり上手じゃないからね』と言っていたから、自分の欠点を認識していたってことだろ?自分でも自覚していることを他人に指摘されて泣き出して、しかも早退までしてしまうなんて俺には理解できん」
そんな俺の言葉に白川は返答せず、無言で歩を進める。会話をすることなく、俺たちはただひたすら歩き続ける。
数分後、コンビニの前を通り過ぎようとしたとき、白川が急に声を上げた。
「フレッシュアイス抹茶味新発売!」
白川の視線を目で追ってみると、コンビニの前に一つの幟が立てられていることに気付いた。
そこには美味しそうな抹茶アイスの写真と「フレッシュアイス抹茶味新発売」の文字が印刷されていた。
歩を止めて立ち止まり、動こうとしない白川。
「食べてみるか?良かったらおごってやるよ」
金に余裕があるわけではないが、どうしてだろう、自然と言葉が口から流れていた。
白川は俺の方を見て「え・・・?」と元々大きな目をさらに大きく見開いてから「いいの?」と聞いてきた。
「ああ、たまにはな」
隠れていた笑顔が表舞台に現れた。
「ありがとう!じゃあ、遠慮なくごちそうになります!」
白川はいつもの笑顔でにこっとして舌を出した。
店内に入り、真っ先にアイスコーナーへと向かう。
そこには大量のフレッシュアイス抹茶味が置かれていた。
ちなみにフレッシュアイスは、イチゴ、メロン、バナナ味が通年で売られており、かれこれ20年以上の歴史がある。
木の棒に長方形のアイスが刺さっているという昔ながらのアイスで、小学生の頃はよく母親に買ってもらっていた。
定期的に新商品や期間限定の味を発売しているのを見かけるが、今回はそれが抹茶味ということなのだろう。
俺は抹茶味のアイスを2つ手に取った。ついでにお菓子を買いたいなと思い、お菓子コーナーへ足を運ぶ。
お菓子コーナーで商品を物色していると、視界にトレーディングカードゲームの商品が目に入った。
「『ドラゴンレジェンド』か。」
お菓子を物色するのを止め、俺はトレーディングカードゲームの商品を手に取ってそうつぶやいた。
「ん?どうしたの?」
白川が横から顔を出す。
「ドラゴンレジェンドが売ってるんだよ。懐かしいな、中学の頃はよく友達と遊んだもんだ」
「ドラゴンレジェンドって何?」
目を丸くしながらそう聞く白川に俺は驚いた。
「え、ドラゴンレジェンドを知らないのか?2、3年前、あんなに流行っていたのに」
「ん~ごめん、知らないな~」
ドラゴンレジェンドとは、数100種類あるカードの中から40枚を選び、選んだ40枚のカードで対戦を行うトレーディングカードゲームだ。カッコいいイラストのドラゴンカードがたくさんあり、対戦だけではなく、コレクションとして所持している人も多い。
基本的にはブースターパックと呼ばれる、ランダムで5枚入りのカードが入っている、一つ200円の商品を買い、カードを集めていく。
2~3年前に全国の小中学生男子を中心に大ブームが起こり、当時は人気過ぎて商品が品薄状態になり中々購入できなかった。
男子の間では知らない者はいないぐらいに流行っていたが、たしかに女子の間でブームになっているという話は聞いたことがない。もちろんやっていた女子はいるのだろうが、少数派だったのだろう。白川がドラゴンレジェンドを知らないのも不思議ではないか。
ドラゴンレジェンドのブースターパックを元の位置に戻し、結局お菓子を手にすることもなく、抹茶アイスを2つ持ってレジへ向かった。
コンビニの前で白川と二人でアイスを食べる。
「冷たくて美味しい~」
ご満悦な顔でアイスを食べる白川を見ながら俺は、昼休みのことを考えていた。
俺が三島の絵を下手だと言ったことに対し、白川は怒っていた。
いや、白川だけではない、周りの女子生徒も同様だ。
9年間描き続けてあのような下手な絵しか描けない。才能がないとしか言いようがないのは事実だ。事実を事実として正確に伝えたことのどこに人の怒りを生み出す源があるのだろうか。
アイスを口に入れるたびに頭が響き、思考が鈍る。
もし本郷たちが三島の漫画を読み、感想を求められたのなら、あいつらはどんな解答をするのだろうか。
白川たちの怒りは買わないのだろうか。
三島を泣かせたりはしないのだろうか。
何となくだが分かる、あいつらなら正解とされる言葉を発することができると。
しかし、何が正解かは分からない。
「白川──」
自然と白川に声をかけていた。
「──ん?何?」
「昼休みのことなんだけど、俺の発言の何が悪かったんだ?もしよかったら教えてほしい」
俺の言葉を聞いて、白川はあからさまに驚いていた。食べ終わったアイスの棒を落としてしまっていることにすら気づいていない。
「急にどうしたの?」
いつもの笑顔、というよりは作り笑いに近い表情でそう言った。
「正解が知りたくなったんだ。俺の昼休みの発言はおそらく間違っていたはずだ。クイズとかで答えが分からない問題があるときに頭がもやもやするだろ?今の俺はそんな気分なんだ」
白川はじっと俺を見つめたまま黙っている。
真剣な眼差しが俺の目を捉え、逃さない。そして──。
「あれは正解だったんだよ」
白川から発せられた思いがけない言葉に、俺は全身が麻痺するような感覚を覚えた。
「どういうことだ?」
訳が分からない俺に対して、白川はすっかりといつもの笑顔に戻っていた。
「佐々木君は聡子の絵が下手だと思ったからそう伝えた。だったらそれは佐々木君の正解だよ。世の中に全員が正解だと思う言葉なんてないと思うよ。人によって正解なんてものは違うんだよ。自分が思っている嘘偽りのない言葉、それがその人の正解になるんじゃないかな。」
白川綾が美しく見えた。
元々顔立ちのいい女子高生なのだから、当然なのだが、今、俺の目の前に立っている白川は顔だけではない、白川綾という人間そのものが美しく見えた。
「佐々木君は佐々木君の思う正解をこれからも導き出していけばいいと思うよ」
すぐに言葉を返せなかった。
「・・・そうだな」としか返答できなかった自分が、なぜか妙に恥ずかしく感じた。
ひょっとしたら白川は俺に気を使っているのかもしれない。
少なくとも、あの時、白川の言葉を借りるなら、俺は俺なりの正解を出していたのかもしれないが、それは白川の正解では決してないはずだ。
ただ、白川に受け入れられている感じがして、悪い気はしなかった。
「行こっか」
白川の言葉を合図に、俺たちは駅に向かって歩き出した。
横断歩道で信号待ちをしていると、足元にアスファルトの隙間からタンポポの花が1本だけ咲いているのが目に入った。
こんな場所で咲いてるなんて、強いやつだな。
信号が青になった。
「自分を強く持って、いつまでも咲き続けろよ」と、俺はタンポポに向かって心の声を発してから歩き出した。
やけに頭がスッキリしていた。
駅で白川と別れた後は、思いっきり自転車をこいで家に帰ろう。
しかしなぜだろう、俺の心は依然としてもやもやしていた──。