第二の殺人
江戸・神田川の中流――夕暮れに近い時分、船宿裏の水辺にもう一つの死体が浮かんだ。
胴が斬られていた。
それも――逆さまに。
下腹から斜めに、肩口まで。前回とは異なり、刃が下から上へと走っている。
「……斬り口が、逆だ」
吉睦が、しゃがみ込んで遺体を睨んだ。
「どういうことだ? 釣胴ってのは、普通は上から――」
録之助が言いかけて、言葉を飲んだ。
「……まさか、逆釣胴か」
吉睦が静かに頷いた。
「見立て通りだ。“試し斬り”の手法を、逆さに模している。これは……“挑発”だな」
「挑発だと?」
「“私はお前の技法を知っている”“だがそれを超えた”……そう言っているのさ。これは“犯人から私への通信”だ」
遺体は、町医者の者だという。昼間まで往診に出ていたが、何者かに呼び出されたまま戻らなかった。
懐から見つかった小さな紙切れ。そこには、わずか一文だけ――
《おぬしの“斬痕”は、虚飾である》
「……名指し、か」
録之助は肩をすくめた。
「まるで、てめぇの“業”を見抜いてるつもりだな。気にくわねぇ。そいつはただの辻斬りだ」
「いや」
吉睦の声が、わずかに低くなった。
「これは、“観察された斬痕”だ。肉の裂け方、骨の断ち方、血の滲みまで――“知っている者”の手口だ。斬る技術も、見せ方も心得ている」
「だが、なぜ町医者を?」
「試料だろう。筋肉の厚み、骨の角度、脂の乗り……“正しい人体”で試したかった」
吉睦の手が、そっと死体の断面に触れた。
指先に、ざらつき。
そして……またあった。残留した“感情”の痕。
怒り。
嫉妬。
焦り――だが、それだけではない。
……歓喜。
吉睦の眼がわずかに細まった。
「……“愉しんでいる”。この斬り口からは、それが伝わる。死を喜んでいるのではない。“斬れている自分”を喜んでいる」
「まさか……御様御用を“演じて”満足してるってのか?」
「違う」
吉睦は小さく首を振った。
「“私以上の者”になろうとしている。御様御用に成れなかった者が、“今ここで”、自らの手でそれを証明しようとしている」
冷たい風が吹いた。
川面が波立ち、死体の断面に溜まった水が、音もなく流れ落ちる。
「この者……次は、“私の斬痕”そのものを模倣しにくる」
「つまり……お前の過去の“試斬記録”をなぞるつもりか?」
吉睦は黙って頷いた。
「もしそうなら、次は“三ツ胴”だ」