斬痕封殺
場所は、江戸郊外――かつて山田家が“据物斬り”を行っていた旧試斬場の納所跡。
吉睦は、誘い出された。
封じたはずの鞘が、そこに安置されているという、名を伏せた文。
「……来ると思ったよ、吉睦さま」
冷気の中から現れたのは、黒江惣十郎。
かつて山田家で押形と記録を司った男。筆跡を真似、斬痕を写す“影”の記録人だった。
「あなたの名も筆跡も、私はすべて写せる。
いや――私こそが、“吉睦”そのものを継ぐべき者だ」
納所の奥。
乱雑に置かれた偽の押形、晒し者のような死体。
吉睦が追っていたすべてが、ここに“仕組まれていた”。
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「……ならば証明してみせろ。
“斬る”に値するかどうかを――その身で」
吉睦は静かに鞘を構える。
だが次の瞬間、床板が崩れた。
「……っ!」
落ちかけた右脚を咄嗟に引いたが、足首が裂ける。
納所に仕込まれた崩落の罠が発動したのだ。
鼻を突く煙。香が焚かれていた。
目が霞む。呼吸が乱れる。
――地の利を奪い、五感を鈍らせる“記録人のための斬場”。
「これは再現だ、吉睦さま。
あなたが斬った“記憶”を、今、私があなたに刻む!」
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黒江の踏み込みは速かった。
刀ではない、鞘で斬る。その速度、角度、間合い――
まるで“斬痕”を逆算した一撃が次々と襲ってくる。
吉睦は受けた。
裂帛の気合とともに、鞘で弾き、受け、返す。
だが、足が利かない。
視界も歪む。
斬撃ではなく、“記憶”に殺される――
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四十合を超えた。
右肩を裂かれ、左腕が痺れる。
吉睦の息が、乱れる。
そのとき。
――ドンッ!
天井の格子が破れた。
そこから録之助が転がるように落ちてきた。
「――どきやがれッ!」
手にしていたのは、町方の仕込み棒。
その石突きを振るって、黒江の脇腹を鋭く打ちつける――!
「ぐっ……!」
黒江の体勢が崩れた。
その一瞬。
吉睦は最後の力を振り絞って鞘を突き出す。
喉元に、止めの一撃。
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静寂が、戻った。
録之助が喘ぎながら言う。
「ったく……また勝手に出ていきやがって。
死人になるつもりかよ、あんたは……」
吉睦は血まみれの肩を押さえながら、地に座り込む。
「……“名”は、斬らぬ限り、増殖する。
“斬痕”とは、刀のことではない……記録に憑いた、人の執念だ」
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数日後――
黒江惣十郎は町奉行に引き渡され、押形と記録帳は焚かれた。
山田浅右衛門吉睦の名は、改めて“真”と認められる。
だが、吉睦は思う。
――人は“記憶”を斬れぬ。
その“名”とともに、いつかまた、新たな斬痕が生まれるだろう。
だとしても――俺は、封じ続ける。
刀の語る声が尽きるまで。




