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おばあちゃん家のデスゲーム屋さん

作者: 咢咢

初投稿です。

シュールギャグものとして読んで貰えれば幸いです。

 

 祖母が死んだ。

 茹だる様な夏だった。


 俺は人生で初めて有給休暇を会社に申請し、職場では頭を下げに下げて謝り倒した。

 上司からは「他人に迷惑をかけるな」というありがたい条件が課され、据え置きの仕事量は徹夜で捌き切った。


 それからすぐにワンルームの自宅に戻り、僅かな手荷物を用意すると空港へと向かう。

 飛行機に搭乗し二時間。

 電車でさらに二時間かけ、俺は九州にある母方の実家へと数年ぶりに帰省する事となった。


 祖母の葬儀は大々的に行われるそうだ。

 元々、祖母がいる母方の実家はかなり裕福だ。

 東京に比べれば土地が安いという事もあるだろうが、それを差し引いても大きな家を所有している。

 『お屋敷』と呼んでも差し支えないレベルだろう。


 おまけに祖母は十人も産んだ大家族。

 事故で早くに他界した祖父に代わり、再婚もせずに一人で全員を育て上げたのだという。


 毎年お盆や正月になると多くの親戚が祖母の家に集まった。

 もちろん俺も祖母の家に行くのは大好きだった。


 祖母は孫である俺が来るとナシやモモ、ブドウなどの季節の果物を好きなだけ食べさせてくれた。

 就職して自分の金で買い物をするようになると、その懐の大きさが体に染み入った。


 ただ一点だけ――祖母が何の仕事をしてそれだけの財を成したのか?

 不思議な事に、それだけは誰も知らなかった。


 どうやら祖母は一時期は関東で生活しており、そこで『何か』が上手く行ったそうなのだが、詳細を知る者は誰もいない。

 両親や親戚に聞いても明確な回答ができる人は一人もおらず、適当にはぐらかされるのがオチだった。


 だけど、そんな事は今となってはどうでもいい。

 今でも思い出す、お盆に帰った俺を笑顔で迎え入れ「六郎、スイカ食べえ」と言ってくれる婆ちゃんを。


 俺は婆ちゃんの笑顔に釣られて笑顔で「うん!」と頷く。

 げらげら笑って大きな居間で近況について話し合う。

 一年にたった二回の、そんな時間がどうしようもなく心地良かった。


 そんな婆ちゃんが――死んだのだ。


 ◆


「おおロクくん、久しぶりやん! 東京ではようやっとーと?」


 数年ぶりに会った九州の叔父さんが俺を見て声をかけた。

 俺は「えぇ、まぁ」などと雑に愛想笑いをして誤魔化す。

 

 だが恐らく俺の愛想笑いは苦笑いだったに違いない。

 先月の残業時間は九十時間を超えていたし、今日も睡眠がロクに取れておらず電車での移動時間でしか眠っていない。

 疲労で体は限界を迎えていた。

 フライト中にもう少し眠れる算段だったのだが、気圧による中耳炎に悩まされ俺の安眠計画は水泡に帰した。


 俺が大学を出て就職した会社はいわゆる『ブラック企業』という奴なのだろう。

 俺が就職活動を始める前年に起きた世界的金融危機は企業の財務に多大な影響を与えた。

 その結果、多くの日本企業が新卒採用の枠を限界まで絞り、その年に限り新卒採用を中止するという会社も珍しくはなかった。


 俺の同世代の奴らも就職にはかなり難儀したという。

 大学を卒業してそのまま無職になった同期も何人も見てきた。


 そんな中、正社員で受け入れて貰える場所があっただけ俺はまだマシだったかもしれない。

 少なくとも自分にはそう言い聞かせる事にしている。


「線香あげてき。ロクくん、婆ちゃんによくなついとったやろ?」

「はい」


 叔父さんに案内された俺は葬儀会場として華やかに飾り付けられた居間を進み、最奥の棺で婆ちゃんの顔を見た。

 確かに婆ちゃんはそこにいた。穏やかそうな顔に見える。

 だが目の前の婆ちゃんが俺に笑いかけてくれる事は二度と無い。

 そんな確信があった。


 涙は出なかった。

 最後に婆ちゃんに会ったのは就職した最初の年の夏だった。


「ロク、ようやったな!」

 

 聞いた事もない中小企業だというのに、婆ちゃんはまるで俺を甲子園に出場が決まった高校球児であるかのように褒めちぎった。

 こちらが逆に恥ずかしくなるくらいだった。


 だがそれ以降は仕事が忙しすぎて帰省する余裕はなく、何より俺自身が帰りたくなかった。

 他の従兄弟たちに俺の様な働き方をしている者は一人もいなかったからだ。


 母方の家系は社会的に成功している者が多い。

 従兄弟たちも例に漏れず、大企業やその子会社へ就職し、あるいは公務員として安泰した人生を進めている。

 立ち上げた会社が軌道に乗っている者もおり、俺はそんな周囲との比較に耐えられる自信がなかった。

 劣等感が俺の帰省を阻んでいた。


 その後、婆ちゃんの容態が悪くなっているという話は耳に入っていたが、仕事の疲労もあり、やはり俺が変わる事は無かった。

 そして今、俺はその代償を支払っている。


 もう婆ちゃんと二度と会話する事は叶わないのだと――そう実感させられた。


 ◆


 その後、久方ぶりの親戚たちと世間話をしながら俺は葬儀の開始時刻を待った。

 自分の近況に深入りされすぎないよう、適度な距離感で曖昧に話を逸らしながら待ち時間を過ごす。


 そうすると、やがてお坊さんが現れて葬儀が始まった。

 長い念仏を聞きながら誰もが神妙な顔をし、人によっては静かに涙を流した。

 当然だ。

 大往生とはいえ、多くの親戚に愛されていた祖母が亡くなったのだ。


 しかし俺といえばどうだろう。

 何も考えず、ただ周囲に同化しているだけだ。

 疲れもあるが、三年も帰っていなかったという事もあり目の前の現実と感情が一致しない。

 悲しい、という感情が不思議とまるで沸いてこなかった。


 ただひたすらに眠かった。

 だが、この場で居眠りする事は絶対に許されない。

 そんな事をすれば人間として終わりだ。

 そんな考えだけが頭の中に強くあり、意識を繋ぎ止めていた。


 ただ耐えるだけの時間。

 そんな葬儀の最中に異変が起きた。


「な、なんやアレ……」


 叔父がぎょっとして小声を上げた。

 祖父は気さくな人だが、常識人だ。

 僧侶の読経の最中に私語をするような人ではない。


 声につられて振り向くと、俺もぎょっとした。

 葬儀に遅刻したのか、十人程度の男女の集団が会場に入ってくるのが見えた。

 異様なのはその恰好だ。

 全員が黒色のビジネススーツ、別にそこは大して不自然でもない。

 問題なのは彼らの頭部だった。


 集団の先頭に立つのは二十代前半の女性。

 日本人らしからぬ銀髪で、肌はスーツの下のワイシャツと同化でもしているのかと思うような白さ。

 西洋人形のような大層な美人さんだ。


 そしてその女性の後ろでわらわらと群れている者たち、その全員が――頭に動物の被り物を被っていた。

 キリン、イルカ、うさぎ、虎、その他諸々。

 背丈はまばらで大男のような奴もいれば、小学生のような背丈の奴もいる。

 頭だけでは判別できないが体型や骨格から判断すると老若男女混合のようだった。

 年齢不詳のコスプレ集団が葬儀に突然現れたのだ。

 そりゃ思わず声くらい出るに違いなかった。


 何なんだこいつらは?

 婆ちゃんの知り合いにこんな非常識な奴らいたのか?

 葬儀への嫌がらせか?

 俺はそう思った。周囲の親戚たちもそう思ったに違いない。

 だが口に出してその集団を咎める者はいなかった。


 何故なら異形の集団が異様なのは外見だけで、葬儀での振る舞い自体は常識そのものだったからだ。

 どんちゃん騒ぎを始める者もいなければ、私語もしない。


 正しい作法で婆ちゃんを静かに見送り、何人かの着ぐるみ達は体を震わせ静かに泣いていた。

 その姿を見てしまえば、たとえ心の中では憤ったとしてもその場を乱してまでつまみ出そうとは思わなかった。


 ただ、全員がその異常さに呆気に取られていた。

 俺といえば、コスプレ軍団の先頭に立つ銀髪の女性が婆ちゃんの棺の前で一筋の涙を流すのがやけに記憶に残った。


 そうして常識はずれの葬儀が終わり、婆ちゃんは火葬場へと運ばれた。

 あのコスプレ軍団がついて来る事はなかった。


 叔父さんの車で俺たちも火葬場へと向かう。

 そして次に婆ちゃんと再会した時、そこには俺の知る婆ちゃんはもうどこにもいなかった。


 俺たちを出迎えたのは最早誰のものかも判別できない、所々が砕けた人骨だ。

 俺は周囲に合わせて婆ちゃんの骨の一つを箸で拾い、骨壺へと入れた。

 そうして葬儀の全ての工程を終えると、俺たちは再び叔父さんの車で家へと戻った。


 ◆


 緊張の糸が切れたのか、婆ちゃんの家に戻るとようやく虚無感の様なものが急激に襲ってきた。

 欠けていた実感が少しは追いついてきたらしい。


 親戚たちは料理を用意し宴会の準備を進めていたが、すぐに参加する気にはなれなかった。

 葬儀が終わったとはいえ、これからの時間でも眠る事など許されないのだ。

 俺は少しでも眠気を紛らわせるためにタバコを吸おうと、家の周囲を覆っている巨大な門の外へと出た。


 タバコは正直それほど好きじゃない。

 変な臭いが付くし、税金は高いし学生の頃は正直こんなものを好む人間の事は小馬鹿にすらしていた。


 だが社会人になると疲労で余暇に何かするような気力を持つ事などとても出来なかった。

 何か体力を使わずに依存する先がどうしようもなく必要だった。

 職場の同僚には喫煙者が多く、コミュニケーションのきっかけにもなるという事で俺は逃避先としてタバコを選んだ。


 立派な門を出て早々に木製の壁にもたれかかる。

 そうして火を付けようとした所、俺は本日二度目の驚愕で口からタバコを落とした。


 すぐ隣に不気味な動物コスプレ軍団を引率していた――あの銀髪女性が居たからだ。


「こんにちは」


 喋った。というか挨拶された。


「あ、はい。こんにちは」


 気まずい。

 あの奇怪な集団の構成員という事と、綺麗タイプの女性という事から二重で気まずい。

 今すぐこの場から離れたい気持ちに襲われる。


 でもすぐに逃げ出すのも感じ悪いよな。

 よし。

 少し時間が経過するのを待ち、キリのいい所で自然にこの場を離れよう。


 俺はそう思い、スマホを眺めながら適当に時間が過ぎるのを待った。

 すると一分もしない内に話しかけられた。


「シズさんのお孫さんですよね?」

「はっ?」


 いきなり声をかけられて素っ頓狂な声を上げてしまった。

 『シズ』というのは婆ちゃんの名前だ。


「あぁ、大変失礼いたしました。私こういう者です」


 自分が怪しまれてると思ったらしい。

 女性は軽く謝ると胸元から名刺を取り出し、手慣れた自然な所作で俺に差し出した。

 

 ビジネスならここで自分の名刺も差し出すのがマナーだが、あいにく今の俺の財布に名刺は無い。

 よって一方的に彼女の名刺を受け取る構図となった。


「あぁ、すみません。今名刺を切らしてまして…………んん?」

 

 俺は彼女から受け取ったばかりの名刺をまじまじと見つめる。

 

 まず目を引いたのは色だ。名刺は光沢のある漆黒そのものだった。

 サラリーマンの名刺で黒? まぁ珍しいだろうが、なくはない。

 ベンチャーだったり、先進的な会社さんの中にはそういう所もあるのだろう。


 黒の名刺には銀色の文字が刻まれており、高級感もあってなかなか悪くない。

 そこには彼女の会社名と肩書、そして氏名が記されていた。


【会社名:有限会社デッドマン・スクリーミング】

【職位:デスゲーム・アドミニストレーター】

【氏名:黒服A】


 ……バカにしてんのか? 

 何から何まで意味が分からん。

 そう思ったが黒服Aを自称する彼女の顔は真面目そのものだった。


「デス、ゲーム……?」

「はい」


 真顔で頷かれた。

 なんて反応すればいいんだこれ?

 言葉に詰まる俺。

 約一秒の脳内会議の末、俺が出した結論はこうだった。


「あぁ、ゲーム業界の方でしたか。どうりで皆さん奇抜な恰好をされていた訳だ。それにしてもうちの婆ちゃん、そっち方面にも知り合いがいるなんて知らなかったなぁ」


 すっとぼけである。

 目の前の異常性を全て無視して強引に常識の範囲内に帰結させる会話術。

 つまりはボケ殺し。


「いえ、ゲーム業界ではありません。デスゲーム業界です」


 俺がせっかく正常化した会話が蒸し返される。

 だからなんなんだよ! デスゲーム業界って!?


 冗談など全く通じなさそうな澄ました顔をした女が、冗談としか思えないような言葉を口にしている。

 訳が分からない。

 

 最初は思ったより常識人なのかと思ったが、とんでもない。

 この人関わったらマズい人だ。

 そんな直感が脳を駆け巡る。


「えーと、デスゲームというのは……」

「はい。皆さんもよくご存じの通り多額の報酬を対価に参加者を集め、厳格なルールのもと、命の危険を伴う遊戯を裏社会が秘密裏に開催するあのデスゲームです」

 

 全くもって、よくご存じではない。

 少なくとも俺は漫画か映画の中でしかそんな話はお目にかかった事がない。


「ゲームの話ですよね……?」

「いえ、ですから先程から申し上げている通りゲームではなくデスゲームです」


 わけわからん。

 脳がキャパを超え、頭を掻きむしりたくなる衝動に襲われた。


 黒服の銀髪女性はその後もデスゲームとは何なのか、真面目な顔で淡々と説明を語り続けた。

 内容のくだらなさもさる事ながら、その声にあまりに抑揚がないのでせっかく忘れそうになっていた眠気が急激に襲ってくる。

 小学校の校長先生の話が眠いのと同じ原理だった。

 意識を保つのが難しくなってくる。


 やばい、この人と会話している内に段々と疲れて来た。

 アホすぎる会話に緊張の糸が切れ、急激に耐えていた睡魔に襲われる。

 昨日は徹夜で仕事を捌いていたのだ。こんな会話に費やす気力など、元から残ってはいなかった。 

 体に力が入らない……


「六郎さん?」


 意識が途切れる直前、彼女がそう尋ねてきたのが分かった。

 あれ? 俺、この人に名前名乗ったっけ……?


 ◆


 意識が戻る。

 強制シャットダウンされたパソコンがゆるゆると再起動するような感覚だった。


 目覚めは最悪で頭痛がする。思わず眉をひそめた。

 頭が枕に接しているのが唯一の救いだ。

 でもこの枕、枕にしてはちょっと硬い気がする……


 ぼやけていた景色がだんだんとクリアになってくる。

 それに伴い視界が異常である事に気付く。


 目の前に女性の顔があった。

 先程まで会話していたあの銀髪の女性だ。


 俺の今の体勢はどうやら仰向けのようだ。

 空を見上げる形となっており、そこに人の顔があるはずがない。

 太陽光から傘のように俺たちを保護している樹木が目に入った。

 暑さをそれほど感じずに済んだのは日陰にいたおかげらしいが、移動した記憶はない。


 しばし遅れて目の前の光景の意味を理解する。

 俺はつまり――――銀髪の彼女に膝枕されて眠っていたのだ。

 つまり俺が枕だと思って頬を擦りつけていたものは、スーツ越しに触れる彼女の太腿であり――


「うわぁ!?」

「お目覚めになりましたか」

 

 俺が飛び起きても『自称:黒服Aさん』は相変わらず無表情だった。

 何の感情も読み取れない。


「どこですかここ!?」

「すぐ近くの公園です。覚えていませんか? 六郎さんの体調が悪そうだったので同意を得て一緒に来たのです」


 彼女には申し訳ないが全く記憶になかった。

 だが周囲をよく見れば確かにそうだ。

 婆ちゃんの家に遊びに来た時に何度も使った、あの公園だ。


「ここに着いた途端、六郎さんが意識を失われました。熱中症も疑いましたがどうやら単なる寝不足のようでしたので、お目覚めになるまでこうして待っていました」


 黒服Aさんは淡々と経緯を説明していたが、俺の頭はそれどころではなかった。


 セクハラ。紛う事なきセクハラだぞこれは……

 初対面の女性の足を枕にして眠っていただなんて。

 しかしAさんはなんという事もないといった澄まし顔で一言だけコメントした。


「とてもお疲れなのですね」

「あ、はは。いや申し訳ないです、本当。マジで……何やってんだろ俺……」


 気まずくて思わず頭を掻く。 

 今すぐ逃げ出したい。


「ところで六郎さん、お仕事は何をされていらっしゃるのですか?」

 

 なぜか世間話が始まった。

 この流れでそうはならなくない……?


 そうは思ったものの正直に答える事にした。

 彼女の機嫌をここで損ねると死にかねないからだ。社会的に。


「東京でSEをやってます。小さい会社なんですけどね」

「残業はどのくらいありますか? 休日は月に何日ですか?」


 なんだこの人……

 面接でもあるまいし、初対面の人間に聞くような質問じゃないでしょそれ。


「先月は残業が九十時間くらいで、休みは……一日……とかですけど……」


 俺の答えを聞くとAさんは拳を口に当てて眉をひそめた。

 どうも彼女なりに何かを考え込んでいるようだった。

 一方で俺といえば今すぐこの場を立ち去りたいという衝動に駆られていた。


「あの、もういいですかね? そろそろ――」

「六郎さん、リファラル採用という言葉をご存じですか?」

「え? はい、まぁ……」


 リファラル採用。

 知人や友人に企業を紹介されて入社試験を受けたり、場合によってはそのまま入社するケースの事だ。

 要するに縁故採用を健全にしたもの、ざっくりそんなイメージだ。


 もちろん俺の人生には縁の無い言葉だ。

 成功した従兄弟や叔父の人脈を使って転職するなど、その後の自尊心が到底保てそうにないからだ。


「知ってはいますけど、それが何か……」

「転職に興味はありませんか?」

「そりゃ出来ればしたいですよ」

「では、私たちと一緒に働きませんか?」


 ぽかんと口を開けた。

 転職の話をしているのは理解していたが、まさかあんな怪しい集団を率いている人から直接転職の誘いを受けるなど、誰が想像できようか。


「働くって、何の仕事――」


 言いかけて俺は口をつぐんだ。

 バカか俺は。さっきこの人はそれを散々語ってたじゃないか。

 俺は恐る恐る、一つの質問をした。


「いや、でもデスゲームってやっぱりその……死んだり、殺したりするんですよね……?」


自分で言ってて頭が痛くなるような質問だった。

しかしAさんの答えは意外だった。


「いえ、その必要はありません。プレイヤーではなく運営側としてのスカウトですので。もちろんプレイヤーが運営に反抗したりすれば、その可能性はゼロではありませんが」


 俺は目を見開いた。

 転職という単語は気になったがてっきり『ゲームに参加し、命の危険と引き換えに人生を一発逆転してみませんか?』みたいな内容を想像していた。まさか運営する方の話だったとは。


 俺があっけに取られていると女性はビジネスバッグから透明のクリアファイルを取り出した。

 中には何かA4の紙が入っていた。


「こちらが弊社の求人票です。ご確認下さい」


■事業所名:有限会社デッドマン・スクリーミング

■雇用形態:正社員

■想定年収:600万円~1200万円(昇給あり)

■労働時間:フレックスタイム制度

■有給休暇:有給カットゼロ

■年間休日:125日

■福利厚生:通勤手当/社宅/確定給付企業年金/その他諸々

■資格経験:不問


 めっちゃホワイトやん。

 俺は受け取った紙を呆気に取られながら眺めていた。


「いかがでしょう? 現在の会社に比べれば悪くないとは思いますが」

 

 悪くないどころか最高の労働条件だった。

 あまりに現実味がない事を除けば、だが。


 これは新手の詐欺なのか? 

 他人の葬式に参列して仕事で参ってそうな人間を見つけてはピンポイントで金銭を頂く詐欺?

 そんなの聞いた事ない。


 現実味はなかったが不思議とこの女性が嘘をついているようにも思えなかった。

 根拠はないがなんというか、直感だった。


「なんで俺にそこまでしてくれるんですか? 初対面ですよね? 俺たち」

「それは、この会社がシズさん――あなたのお婆様が立ち上げた会社だからです」


 不思議と驚きはしなかった。

 儲けているのに何の仕事をしているのか誰も分からなかった婆ちゃん。

 そんな婆ちゃんの葬儀に突然現れた、デスゲームを生業にしているという謎の集団。

 やけに婆ちゃんへの厚意を見せるコスプレ軍団やAさん。

 パズルのピースがハマっていくような感覚があった。


「私たちは全員がシズさんのお世話になり、救われてきた者たちなんですよ」


 Aさんは話を続ける。


「今日の葬儀も本当は参加する予定ではありませんでした。シズさんは自身の仕事をご家族に知られる事をひどく嫌っておいででしたから……ただ彼らはどうしてもシズさんに最後に一目会いたいと言って聞きませんでした。容態が悪くなってからは入院続きでまともにお会いする機会はありませんでしたから」


 Aさんはどこか遠い目をしながら言った。

 婆ちゃんとの記憶に想いを馳せているのかもしれない。


「私は『絶対に式を乱さないこと、親族の方に注意されたらその時点で帰る』という条件付きで彼らを連れてきました」


 そう言うとAさんは今度は俺の方を見た。


「そして今日六郎さんとお会いしましたが、ひどくお疲れのご様子でした。正直なところ、あのシズさんのお孫さんがそんな事になっているなど、見るに耐えません。そんな会社ならむしろ我々が……」


 Aさんはそこまで言うと突然続きを呑み込んだ。

 そして何かを猛烈に我慢するように絞り出した。


「……いえ、やはり何でもありません。申し訳ありません、この話は忘れて下さい」


 Aさんは少しだけ寂しそうな顔をした。

今日初めて見る彼女の無表情以外の顔だった。

 そして踵を返し、その場から立ち去ろうとする。


「では、これで失礼します」


 ここで別れれば、この女性に会う事は二度とない。

 そんな確信があった。

 俺は小走りで駆け寄り、その背中に声をかけた。


「待ってください!」

「え?」


 Aさんが意外そうに振り返る。

 俺は彼女に答えを伝えた。


「やります、俺にやらせて貰えませんか。デスゲーム」

「こちらから誘っておいてなんですが……本当に、良いのですか?」

「はい、どうせ今でも死んでるようなもんですし。それに婆ちゃんがどういう仕事をしていたのか、少し興味もあります」


 そう言うとAさんは少し微笑み、こう宣言した。


「分かりました。では、必ずやあなたをシズさんに並ぶ黒幕にしてみせます」


 そうして、俺の入社が内定した。


「そういえばお名前は何とお呼びすれば? Aさんだとさすがに……」

「いえ『A』とお呼び下さい。本名はこの仕事には必要ありません」

 

 そう語るAさんは既に元のクールな女性に戻っていた。

 無機質に俺への説明を続ける。


「あなたも明日からは名前を捨てて頂きます。六郎さんではなく《黒服B》です。それではよろしくお願いしますね、Bさん」

「はい、こちらこそ。よろしくお願いします、Aさん」


 俺はAさんと握手を交わす。

 それが俺こと《黒服B》とAさん、そしてデスゲーム屋との出会いだった。


 ◆


 それからすぐのこと。

 俺は会社に辞表を提出して、東京のワンルームを出る事になった。

 

 電車で40分ほどの2DKのマンションに引っ越し、家賃補助を転職先で申請。

 有限会社デッドマン・スクリーミングの所在地は埼玉県だった。


 婆ちゃんの実家は九州なのに会社は埼玉というのが気になったが、単に創立は九州だったが会社が大きくなり関東へ進出。現在は本店所在地を埼玉に移しているのだとAさんは言った。


 それから半年間、俺は新しい職場に馴染めるよう全力で取り組んだ。

 婆ちゃんの知り合いという事もあり、迷惑をかけてはいけないというプレッシャーがあった。

 その六か月間、俺はデスゲーム屋という仕事を理解する事に全力を注いだ。


 Aさんは一カ月おきに俺の仕事をローテーションさせ、『最終的には管理職を目指して頂く予定です』と公言した。


 俺になるべく色んな職種を体験させ、会社の全体像を理解させようという考えらしい。

 実際に俺はそのおかげで、デスゲーム屋という仕事の実態を掌握しつつあった。

 単にデスゲームの開催・運営といってもその業務内容は多岐に渡るのだ。


 ゲーム開催や事業の継続に必要な金銭をスポンサーから引き出す《営業》

 観客を喜ばせるゲーム内容を立案し、現実に落とし込んでいく《企画》

 ゲーム会場や、必要な機材を事前に確保する《イベンター》

 ゲームの司会進行を管理し、狂気的なトーク技術を披露する《マスコット》

 そしてゲームに参加するプレイヤーを表社会から秘密裏に勧誘する《黒服》


 まずデスゲームを開催するにあたって真っ先に必要なもの、それは会場だ。

 非合法な殺人遊戯を開催するための場所が現代日本にそう多く存在する訳がない。

 場所がなければそもそもデスゲームを開催する事すら叶わないのだから。


 時には狡猾な計略を用いて、時には市役所に丁寧な申請書を提出し、会場を確保するために彼らはなりふりを構わない。

 自身の成果が他の全員の仕事を左右するからだ。


 次に重要なのはゲームの進行をスリリングかつ狡猾に進めるマスコットだ。

 常に甲高い叫び声を上げてハイテンションな解説を行い、たとえ人死にを目にしようが決して動揺してはならない過酷な仕事だ。

 喉を痛めやすく、シビアな自己管理も求められる。

 先代マスコットの『デス・キリン君』は無理して高い叫び声を上げ続けた結果、喉が壊れた。

 泣く泣く経理事務への異動となった彼は、決算の忙しさに文字通り涙を流したという。


 ……と、まぁこの半年だけでも語ればキリがないのだが。

 デスゲーム一つとってみても俺が知らない事は非常に多い。多すぎる。

 俺は内心ツッコミながら、そして内心は仕事を覚える喜びを感じながら半年を過ごした。


 ◆


 転職して七か月が過ぎた、ある日の事だった。

 俺が事務所でノートを読み返しているとAさんが声をかけてきた。


「すっかりデスゲーム屋が板についてきましたね、黒服Bさん」

「Aさん……」

 

 俺は顔を上げAさんを見た。

 傍から見れば、先輩に褒められてまんざらでもない新入りに見えた事だろう。

 だが俺が内心感じていた事はこうだ。

 

『デスゲームが板につく』ってなんやねん――と。

 

「仕事はともかく、生活の方は順調ですか? 夏は暑いですが冬も寒いですからね、埼玉は」

「めちゃくちゃ順調ですよ! 土日は休みだし、スーパーで果物も変えるようになりました」

「それは何よりです」


 今の仕事をしてそろそろ一カ月経つ。

 そろそろ次の仕事を任されるタイミングだろう。

 予想通り、Aさんは次の仕事の話を切り出した。


「Bさん、次はスカウトをやってみませんか?」

「スカウトと言いますと、あれですよね」

「はい。ゲームに参加するプレイヤーを表社会から直接勧誘する役――つまり今の私の仕事です」

 

 入社して初めて知ったが、Aさんは超優秀なバリキャリだった。

 彼女はたった一人でマスコット以外の仕事はどれも高いレベルで遂行する事ができる。

 

 どんな粗暴な職人マスコットでさえ、彼女には敬意を持って対応する。

 そんな人から直接仕事を受け継ぐという事に、俺はこれまでにない緊張感を覚えた。


「やらせて下さい! この仕事の全てを覚えたいんです!」

「分かりました。では私の知識と経験の全てを、Bさんに余すことなくお伝えいたしましょう」

 

 そういうとAさんは俺に目線を合わせるように事務所のソファに腰掛けた。


「ではBさん、まずスカウトをするにあたって絶対に守らねばならない不文律が一つあります」

「何ですか?」

「それは《自殺志願者》と《サイコパス》をプレイヤーに絶対に勧誘してはならないという事です」

 

 俺は首を傾げた。


「どうしましたか?」

「あ、いえ……デスゲームならむしろその二つって、めちゃくちゃ適性が高そうな気がして……」

「いいえ、そんな事はありませんよ」

 

 そう言うとAさんは母親が子供に言い聞かせるような口調で丁寧に解説を始めた。


「まず《自殺志願者》がダメな理由ですが、彼らには基本的に生き残るためのモチベーションを持っていません。ゲームを利用して死にたいだけですから。よってゲームに対してまともに向き合う事がない。やる気のないエンターテイナーが舞台にいると観客からはブーイングが飛ぶでしょう?」

「それは、確かに……」

「ただ自殺志願者を弾くのは簡単です。彼らの目を見れば良いのです。彼らは例外なく消耗しており目が死んでいる。そういった人間を勧誘しなければよいのです」


 まるで以前の俺のようだな、などと思ったが口には出さない。


「次に《サイコパス》ですが、彼らは――――つまらないのです」

「つまらない?」

「はい。全てのプレイヤーは自身の人生に何らかの障壁を感じており、その現状を打破するためにゲームに参加しています。観客たちはその生命の炎が輝く瞬間に金を払いたいのです」


 Aさんは一息置いて続ける。


「ですが《サイコパス》は違います。彼らは自身の生存にも報酬にも、さらにはゲームそのものにすら興味がない。ただ合法的に人間を殺したいという自身の欲望のためだけに参加しています。彼らの欲望は先天的で、そこには何のバックボーンもない。ドラマがありません。だから彼らは最も人殺しに向いていようが、『デスゲーム』というエンターテイメントのプレイヤーとしては最も不適格なのです」

「なるほど?」


「『デスゲームにサイコパスを招き入れてはならない』これは我々運営の世界では常識ですが、我々がそう思っている事もサイコパス界隈では既に広く共有されています」


 なんなんだよ、サイコパス界隈って。


「なので彼らは常に一般人のフリをしてゲームへの参加を試みます。サイコパスは知能が高く、他人を騙す事に罪悪感など感じないからです。彼らを参加させるとゲームそのものが破綻してしまいます。だから六郎さん、サイコパスを絶対にゲームに参加させないよう、注意して下さい」


「分かりました(本当はよく分からないけど)。サイコパスは引き入れてはいけないんですね」

「はい、よく覚えておいて下さい」


 俺とAさんは事務室のソファで神妙に頷き合う。


 そしてその一カ月後――――――

 俺が引き入れたプレイヤーの中からサイコパスが現れた。


 ◆


 そのゲームはチーム制の脱出ゲームだった。

 ランダムにマッチングされた四人一組のプレイヤーが一つのチームを組み、薄暗い地下迷宮で目を覚ます。

 全てのプレイヤーが目を覚ますと同時にゲームが開始され、制限時間が告知される。


 プレイヤーは仲間と協力し、死のトラップを躱しながら制限時間内に出口を目指す。

 間に合わない場合にどうなるかは……言うまでもないだろう。


 道中では仲間との友情が育まれるが、脱出直前には仲間割れを誘発するような残酷なトラップが仕掛けられている。

 その人情の機微こそが今回の観客たちを喜ばせる肝の部分だった。


 しかし、《サイコパス》が現れたのはそんなドラマチックな終盤ではない。

 自己紹介もほどほどに、不安を抱えながら共に脱出を目指そうという序盤も序盤の段階だったのだ。


 一人の少女が支給された肉斬り包丁を手に持ち、突然チームの他の仲間たちを襲い始めた。

 仲間たちは訳も分からないまま惨殺され、そのチームはあっという間に少女を除いて全滅した。

 そしてその少女こそが、俺が街で直接勧誘したプレイヤーの一人だった。


 要領が悪いというだけで同級生に虐めを受け、夜の街で体を売る事を強要されていた女子高生。

 自分を辱めた者たち全てを殺害したいと願う彼女の瞳に宿る憎悪は紛れもなく本物――そう思っていた。

 必ずや良いプレイヤーになると思っていた。なのに……


「なんでだよ……」


 その時、俺とAさんはモニター室でゲームを監視している最中だった。

 俺が狼狽えていると隣にいたAさんがそそくさと上着を羽織り、どこかに出かけようとしていた。


「Aさん、何を……」

「この様な事態になってしまったからには仕方ありません。私がプレイヤーに紛れてゲームに参加し、彼女を始末します」


「そんな事が許されるんですか……?」

「いえ、もちろんルール違反です。観客やパトロンたちには決して悟られぬよう遂行する必要があります。それでもこのまま放置すればこのゲームそのものが彼女に台無しにされ、観客の失望を買ってしまう。それだけは避けなければなりません」


 Aさんの頬を一筋の冷や汗が流れた。

 あの無表情のAさんも焦っているんだ――

 そしてそんな事態を引き起こしたのは紛れもなく……俺だ。

 

「いえ、こんな事になったのは俺の原因です。俺にやらせて下さい」


 俺は立ち上がり、彼女の目を見据える。

 Aさんは俺の覚悟を感じ取ったのか、まっすぐ俺の目を見て言った。


「……やれますか?」

「はい、絶対にやり遂げて見せます」

「分かりました。ではお願いします。ただ、絶対に無理はしないように」

「はい!」

 

 俺は早速モニター室を出ると、黒服を脱いで一般男性に変装した。

 そしてゲーム会場の、地下迷宮へと降りて行く。

 ちなみにこの地下迷宮があるのも埼玉県だ。


 運営特権として俺は地下迷宮の構造を予め把握していた。

 他のプレイヤーと遭遇しないよう、最短ルートで合理的にサイコパスの少女の元に向かう。

 すると思惑通り、すぐに彼女と対峙する事ができた。


「あれぇ、運営さん? なんでこんな所にいるんですぅ?」

「なんでだよ……君、言ってたじゃないか! ゲームに勝って、嫌いな奴ら全員に復讐したいって!」

「あはは! あんな演技にひっかかるなんて結構チョロいんですねえ!? 運営の人って!!」


 サイコパスの少女がぺろりと舌なめずりした。

 してやったりといった顔だった。


「嘘、だったのか……」

「はい~! 私の同級生ってみんな育ちのいいお嬢様なんですよぉ、いじめなんて出来る訳ないじゃないですかぁ? ほんっと――イイコちゃんばっかりでつまんない」


「……なんでこんな事するんだ? このゲームはチームでの協力型だぞ? 君だってたった一人になって生き残れる確率が下がってる。不利になってるんだぞ!」

「えぇ? なんでって? それはぁ――」


 少女は首を傾げる。そしてこう言った。


「何も――ありませんよぉ」


「何も……ない?」

「はいぃ~。私、生まれつき人を殺したくて仕方なかったんです。なんてゆーか、性癖? ここでなら思い切り人を殺しても許されますし。逆にもし殺されたとしてもまぁ、いいかなって」

「そんな事のために……ゲームに参加したのか。みんな本気でやってるのに……」


 俺は既に知っていた。

 会社のみんなが毎日一生懸命に目の前の仕事に取り組んでいる事を。

 

 事務のデス・キリン君は不慣れなデスクワークにそれでも賢明に取り組んで確定申告で胃を壊した。

 エースマスコットのデスうさぎちゃんは臆病で気弱な性格を押し殺し、持ち前の美声で『ヒャーハァ!』と奇声を上げ続けゲームの進行を行っている


 合法的にヒトを殺したいだけ? 生まれつきの殺人願望?

 ふざけるな。

 こんな奴らに――――俺たちの仕事を台無しにされてたまるかよ!


「くたばれ、このサイコ野郎が!」


 俺は懐から拳銃を取り出し、少女に向けて発砲しようとした。

 それを感じ取った彼女は肉斬り包丁を俺に向けて思い切り投げつる。


 大きな包丁が障害となり、一瞬彼女の姿を見失う。

 俺が投擲を避けると、そこにすかさずナイフを手にした少女が襲い掛かった。

 ナイフを持つ手を掴んで止めるが、ぬかるんだ地面で体勢が崩れ、そのまま馬乗りされた。


「運営さんももっと殺しを楽しみましょうよぉ! ほらぁ!」


 そう言って彼女が両手で握ったナイフを俺の脳天に突き立てようとする。

 体勢が悪く、徐々に押され気味になっていく。

 死ねるか、こんな所で――――!!


「うおおっ!」

「あっ!」


タイミングを見計らい、少女ごと体を一気に横に回転させる。

お互いにゴロゴロと床を転がり、俺はナイフを奪って彼女の上に跨った。

そしてすかさず――――彼女の胸元にナイフを突き立てた。


「がっ! あっ…………」


 彼女の顔からみるみると生気が抜けていく。

 致命傷だった。

 真っ赤な瞳が俺を射抜く。

 そしてひどく満足そうに、恋人に愛を囁くかのように、艶やかな顔でこう言った。


「あーあ……やっちゃいましたね運営さん――この人殺し」


 そして間もなく、サイコパスの少女は息を引き取った。



「お疲れさまでした、六郎さん」

「Aさん……」


 仮眠室で目を覚ました俺にAさんがコーヒーを差し出した。

 あの後、シャワーを浴びた俺は極度の疲労に襲われ、そのままぐっすりと眠ってしまっていたらしい。 

 今月の残業は十時間未満だというのに、この日だけで三十連勤はしたかのような疲労感だった。

 

 Aさんによるとゲーム自体は無事に終了したという。

 サイコパスの登場が序盤であり、俺が彼女を始末するシーンはAさんによってカメラをオフにされていた事も幸いした。

 おかげで観客たちは多少は不審に思ったようだが、運営の介入があったという事まで気付く者はいなかった。


 さて……事態は収拾したものの、今回の件をどのように詫びよう。

 あれだけ『サイコパスを参加させるな』と言われていたのに、まんまと騙されてしまったのだ。


 正直Aさんに合わせる顔がない。

 そんな事を考えていると……なんと、Aさんの方が俺に頭を下げたのだ。


「申し訳ありません。彼女がサイコパスである事は、指導役の私が事前に見抜くべきでした」

「なんでAさんが謝るんですか!? 謝るのは俺の方ですよ!」

「いえ、六郎さんはスカウトを始めて間もないので仕方ありません。危うくシズさんのお孫さんのキャリアに泥を塗る所でした。一体何とお詫びすれば良いのか……」


 彼女の顔は暗かった。 

 どうやら動揺しているらしい。

 少なくとも『偽名を使え』と言った張本人が、それを忘れて本名で呼んでしまうくらいには……

 俺がいくら弁明しても通じないような気がして、俺は話題そのものを逸らす事にした。


「えっと……そうだ! そういえばAさんと婆ちゃんってどこで知り合ったんですか!?」

「私は孤児です。施設育ちで、そこに声をかけてくれたのがシズさんだったんですよ」


 Aさんが言うには、物心ついた頃から彼女の元には両親がいなかったのだという。

 だから自身が周囲と違う銀色の髪を持っている理由も分からないらしい。


 生まれつき周りと違う外見を持つ彼女は学校でも施設でも周囲から疎まれ、一人で過ごす事が多かった。

 中学卒業間近となり進路を決める段階になると、学校が好きではなかったAさんは高校には進まず、働く事を決めたのだという。


 就職先も決まり、あとは卒業を待つだけというタイミングで現れたのがデスゲーム屋のシズ――

 つまり俺の婆ちゃんだったらしい。

 デスゲーム屋のスカウトを受けたAさんは内定を蹴ってこの会社に就職し、そして今に至るという。


「でもそれって……なんだか裏組織が孤児を食い物にしてるみたいで、ちょっと胸糞悪いですね……」

「いえ、施設には元々SNSのインフルエンサーから寄贈された漫画が膨大にありまして。その中でもデスゲーム漫画ばかりを私が好んで読んでいたので、シズさんにスカウトされただけです」


 なんじゃそりゃ。

 施設もちょっとはゾーニングしてよ。


「Aさんって本当にデスゲームが好きですよねぇ……」

「はい。命が輝く瞬間にとても興奮します。お金さえあれば運営ではなくスポンサーに回りたいくらいです」


 そう言い切る彼女はいつも通りの無表情だったが、頬が少し紅潮していた。

 どうやら本当にデスゲームのスポンサーになる事に憧れているらしい。

 マジかよこの人……


 そんな時、ふと時計を見て気付いた。

 やばい、終電逃してる。


「Aさん、今日って会社で泊っても大丈夫ですか。終電逃しちゃってるみたいです」

「いえ、就業規則で泊りは禁止しています。一時間以内に我々も敷地から退去する必要があります」


 うーん……じゃあネカフェで泊るしかないな。

 ビジネスホテルもあるけど最近インバウンドで高いし、値段に見合っているとも個人的に思えないんだよな。

 近所のネットカフェをスマホの地図アプリで調べていると、怪訝そうにAさんが声をかけてきた。


「……何をしているのですか? 六郎さん」

「近所のネカフェを調べてます。今日泊まりになっちゃうので」

「その必要はありません」

 

 Aさんとの会話には慣れて来たつもりだったけど、久しぶりに面食らった。

 終電を逃した上、会社に泊まるのもダメ。ネカフェもダメ。じゃあ一体どうすればいいのだろう……

 野宿でもしろとでも言うのか――

 俺がそんな事を考えていると、Aさんが言葉を続けた。


「なぜなら六郎さんは、今夜は私の家に泊まっていただくからです」

 

 俺のスマホが床に落ちた。

 画面に少しヒビが入った。


「な、なんでそうなるんですか……?」

「お疲れの所を起こすのも忍びなかったですからね。終電を逃すとは思いましたが、そのまま休息して頂きました。それに六郎さんをそんな安い宿で寝かせるなど、私がシズさんに合わせる顔がありません」


「でも、その、本当にいいんですか……?」

「はい、ですからそう申し上げています」


 彼女は普段通りの無表情で、邪な想像をしてしまった自分がひどく下劣な存在に思えた。

 という訳で断りづらくなり他に選択肢もなかった俺はやむなくお言葉に甘え、Aさんと共に会社を出た。

 二人でAさん所有の黒のベルファイアへと乗り込み、彼女の自宅へと向かった。


 彼女の家はなんと会社から車で五分程度の近場にある、普通の住宅街だった。

 それなりに立派な庭付きで、二階建ての一軒家が俺たちを出迎えた。


 玄関のネームプレートはAさんらしからぬ可愛らしい装飾で、そこには知らない名字が書かれていた。

 これがAさんの本名なのか、はたまた偽名なのかと思ったが、野暮なので聞かない事にした。


 ご近所さんが散歩がてらにこの家を眺めれば、大半はお金に余裕のある四人家族を想像する事だろう。

 まさかデスゲーム屋のデスゲーム・アドミニストレーターがここに住んでるなどとは夢にも思うまい。

 そうしてその晩、俺は彼女の家で長い夜を過ごした。


 ちなみに二人で夜遅くに会社を出る俺たちの姿は、一仕事終えて飲み会中だった他のマスコットたちに偶然目撃されていたらしい。


 その日以降、会社でその事をからかわれる事も多い。

 だが、俺はその度にこう言っている。


『一切何もありませんでした。俺と彼女はそういう関係ではありません』と――


 いやいや、マジで何も無かったんだって!

 あの人、自宅のワインセラーにワインじゃなくてデスゲーム漫画を詰め込んでるんだよ!?

 漫画のおすすめと考察をひたすら聞かされ続けてたんだってば!


 先週遊びに行った時なんか酷かったんだぞ。

 あの人、秘蔵のコレクションみたいにうっとりした顔で新作のデスゲーム漫画を出してきて――

 あっ。

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