<5>
『彼女』の名前は館中初美、高校一年生。くそばかのくだらない顔だけの男に、待ちぼうけを食らわされ、交通事故に遭った。
魂だけになって、それでも彼を捜して、見つけたら見つけたで、彼は他の女といちゃついていた。
信じていたのに。
大好きだったのに。
どうして。
どうして……?
初美さんの心が伝わってくる。まるで、自分の感情みたいに。
ぐちゃぐちゃになっているの。自分でも何をしているのか、わかっていないのよ。
悲しい、悔しい、許せない、悔しい悔しい、悲しい、……好き。
「……ちくしょお、あいつぶん殴ってやる……!」
ぼそりとこぼした言葉に狩野君が振り返った。
「え? なにか?」
「ううん、なんでも」
と、誤魔化そうとしたのに。
「ぶん殴るって、誰をだ」
地獄耳の夜城がしっかり聞き取っていて、あたしに訊いた。
ぎょっとしたように狩野君がこっちを見て。
「織名さん?」
夜城のばかたれ。余計なこと言うんじゃねーわよ。
両側からの探るような視線に耐えかねて、あたしは口を開いた。
「……あの男よ、元凶、初美さんの彼だったにやけた男。叩きのめさなきゃ気がすまないわっ」
ぐっと握り拳を作ってそう言うと、また視線を感じて、顔を上げる。
あや、ちょっと過激だった?
「おい、お前なんであの女の名前知ってるんだ?」
「彼女の事情とか……知り合いじゃ、ないよね?」
をををを?
二人一緒に詰め寄らないでよっ。
「いや、あの、さっき彼女に憑かれたとき彼女のことが視えたの。ちなみに今もつながってるみたいなんだけど。思ってる事が頭に入ってくるっていうか……」
言いおわらないうちに、夜城がすごい剣幕であたしの腕を掴んだ。
「馬鹿なんでそれを早く言わない!」
「き、聞かなかったじゃないのよおっ。あたしこんなの初めてなんだから、ワケわかんないしッ!」
幽霊を見るのはもちろん、憑かれるなんて経験ないの! ついでに言うと、あんた達みたいなのに遇うのも初めてよッッ。
そういえばこいつら……いったい何者なの? なんだか勢いに流されて、疑問にも思わなかったけど……。
ふと気が付いて、あたしは今までのことを反芻してみた。
―――普通じゃない。普通じゃないわよ。
えええ? 何なのォッ!?
突然正気に戻ったあたしは、二人の顔をじいっと見つめてしまう。
普通じゃない認定された狩野君と夜城はというと、難しい顔で何かひそひそと話していた。
……やっぱり美形だわ。眼福。
じゃなくてじゃなくて!
あたしのメンクイ、ばかばかそーゆーふうに浮かれてる場合じゃないんだってば!
大体あたしはついさっき佐東君に振られたばっかで、―――あ。
ああ、そっか、そうなんだ。
あたしと初美さんて、状況が似てるんだ。
ただ初美さんのほうがもっと真剣で、運が悪かっただけで……。
これは。
絶対に彼女を止めなくちゃ。
ぜったい。
「織名さん」
呼ばれてあたしは振り向く。
そうしたら真面目な顔で、狩野君が、
「高いところ平気?」
と、訊いてくる。
へ???
「別に高所恐怖症ではないけど」
それに高いとこダメだったら、屋上なんかにいないよー。
「じゃ、大丈夫だね。ちょっと失礼」
にこっと笑ってさらっと言って、彼はあたしを抱きかかえてコンクリートを蹴った。
(――――――――!)
「っきゃあああーーーーっっっ!!!!」
うそおおお、なによこれえええっっ。
狩野君はあたしをお姫様抱っこしたまま、空を飛んでいた。いや、飛んでいたというより、跳んでいた、か。
屋根や電柱を蹴りながら、ホントに、ぽん、ぽん、と。
夜城も右に同じ。
あんた達、重力はどうしたのよ、重力は!! 重力があるのよ地球には―――っっ!
普通じゃない事がもう一つ増えた、でも至近距離で見ても顔はいいのよ―――っっ!!
「お、織名さん、あの……落としたりしないから、首を絞めないで……」
は、やばい、殺人を犯すところだったわ。
狩野君の首に、思いきりしがみついていたあたしは、慌てて腕を緩めた。
「ごめん」
わあ、あたし男の子とこんなに接近するのって初めてかも。佐東君とだって、腕組んだりもしなかったし――……なんだかあたしが振られた理由がわかるような。
つまりは、色気不足の自業自得。
そんなあたしの考えをよそに、彼らは高いビルの上で足を止めた。
「どうだ? 何か感じるか」
目にかかる髪をうるさそうにはらって、夜城が言う。
「え? 感じるって……」
「彼女の気配とか、そういうの。どう?」
狩野君の言葉にあたしは考え込む。
んんんんん。ん~~~。
相変わらず、胸が締め付けられるような哀しみは伝わってくるんだけど……。
「……ダメ。全然」
申し訳ないなあ、なんて思いつつ答えると、狩野君はガックリ肩を落とした。
「そっか……、そうだよな、織名さんは専門家じゃないんだし……」
「……えーと。二人は『専門家』なの?」
「うん、まあ…そんなもの」
拝み屋さんとかいうヤツだ。ようするに、霊能者? テレビで見る霊能者の人って、空跳んだりしないけど。
「じゃあ、彼女追っかけてるのってお仕事?」
「うん。今日はボランティアだけど」
ぼらんてぃあ。
「今日みたいな日は悪いものが活発になるからね。特に目立つっていうか……」
「幸せな奴が沢山いるだけ不幸な奴もいるってこと」
あ、ナルホド。
両想いで幸せ(ハァト)なカップルもいれば、失恋しちゃって悲しいよう、のひともいるわよね。
……あたりまえだわ。
「大変だね、せっかくのバレンタインなのに」
この二人ならさぞかし貢ぎ物が………。
「そういえば織名さんは、どうしてあんな所に?」
ぎく。しまった、この話題を振るんじゃなかった。
墓穴墓穴、あたしのウッカリさんめ。
「えーとー…振られちゃったからさぁ」
「えっ…!? ご、ごめんっ……」
てへへと笑って白状すると、狩野君が焦って謝る。
いや別にいいんだけどね。そんな風にされるほうが、いたたまれないというか。
思うほど気にしてないし。
ごめんごめんなさいとあんまり必死で狩野君が謝るものだから、フォローのつもりで、
「それがよくある話でさ、友だちに取られちゃったんだよねえ。また間の悪いことに鉢合わせしちゃって、気まずいのなんの。一発殴ってバイバイしちゃった」
そう明るく笑って言ったんだけど、ますます狩野君は申し訳なさそうな顔になってしまった。
あうー、気にしないでようー。
「ま、男なんか腐るほどいるし」
は。これはびっくりだ。
夜城が、不機嫌っぽいのは変わらないんだけど、ぼそりとそんなことを言って。
もしかしていまのは励ましてくれたのだろうか。
ただの俺様オトコかと思ったら、いいとこあるじゃない?
「そ、そうだよ織名さんなら次の相手すぐ見つかるって、絶対に!」
夜城の言葉に力を得て、狩野君が付け足す。
悪くない。悪くないわ、ふふふふふ。かっこいい男の子に慰めてもらえるなんて滅多にないことよ! だから、現金にも上機嫌になったあたしは、ニッコリ笑って宣言したのだ。
「そういうわけで、あたしと同じ様な彼女をほうっておけないの。あんまり馬鹿馬鹿しいでしょ、あんなくそ馬鹿野郎のために迷うなんて。あたしみたいに一発ぶん殴って、さっさと忘れちゃえばいいのよ。……それだけ真剣だったってことなんだろうけど」
夜城が皮肉げに笑った。
「そうだな、タイムリミットも近づいていることだし」
「タイムリミット?」
はてな、と訊き直すと、狩野君が補足してくれる。
「彼女の身体の方が危ないってことだよ。早く戻らないと、今度こそ本当に―――」
死んでしまう。
……………。って、えーと、ちょっと待ってよ?
「彼女、死んでないの!?」
突然すっとんきょーな声を上げたあたしを二人が見る。
「……お前気が付いてなかったのか? マヌケ……」
「さっきから戻そうとしてたでしょ、俺たち。織名さん、つながってるって言ったから、わかってると思ってた」
夜城はともかく、狩野君まで呆れた目で見ないでー。
だってええぇ。こんな体験初めてだって言ってるじゃないいぃー。
「生霊だよ、彼女。何かの弾みで魂だけ離れてしまったんだ。ちゃんと生きてる」
「死んでる奴ならとっくに<向こう>へ送ってるさ」
からかいを含んだ夜城の言葉にカチンと来て、何か言い返そうとした、時だった。
キンとはげしい耳鳴りがして、あたしは顔をしかめた。
無理矢理割り込んでくる、誰かの思考―――彼女だ!
「どうしたっ」
「……っっ……」
「織名さん!」
頭を抑えて蹲ったあたしに、狩野君と夜城が駆け寄る。
……すごい憎悪。この世の全てを憎んでいるような……。
腕を上げて、ある方向を指し示した。
「なに……?」
「もしかして、」
頷く。
あたしが指さした方向にある、赤い建物。レンガのようなタイルが特徴の、マンション。
―――あそこに、彼女がいる。
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