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4.闖入者

 王国の守護神にして辺境伯たるダニエル様に届く書簡は多岐にわたる。

 領地からの陳情書に報告書。採決が必要な各種の書類。会計士から届く計算書。

 出入りの商人からの請求書や、前世のダイレクトメールのような売り込みの手紙もたくさん紛れ込んでいる。

 そろそろ始まる社交シーズンを前に、あちこちから届く夜会のお誘い。

 そして………。

 

「すみません。このオランジュリー侯爵夫人という方からのお手紙は、どこに分類しましょうか?」


 ピンクの地に花模様というラブリーな封筒の感じから私信だろうと判断し、開封せずにダニエル様に手渡すと、ダニエル様は珍しくげんなりした顔になった。


「そうか。今年ももうそんな時期か………。トビアス」

「は」


 執事長のトビアスさんが、すっと前に進み出る。


「かのご婦人の来訪に備えろ。それと、リリアナ嬢はどうしたものかな」

「?」


 主従二人に揃って見つめられ、私の頭上に疑問符が浮かぶ。


「会わせればひと悶着起きそうだが」

「とはいえ、隠し通すのは無理でしょう。お耳の早いあの方のことです。今ごろは、このこともすでにご存知かと」

「だろうな。やれやれ、何とも気が重いことだ」

「失礼します」


 声とともに、トビアスさんにどことなく面影の似た若い執事が現れた。

 誕生日の夜にハープを弾いてくれた彼である。名前はクラーク。トビアスさんの甥だそうだ。


「旦那様。お客様がお見えです」

「何? まさか、もう来たのか」

「そりゃ来ますよ。正直、少々遅すぎるくらいだ。――やあ、こんにちは。リリアナ嬢」


 クラークの後からひょいと顔を出したのは、ジャレットだった。

 私は即座に頭を下げる。


「お久しぶりです、ジャレット卿」

「嫌だなあ。僕のことはこれまでどおり、ジャレットと呼び捨てで構いませんよ」

「いえ、さすがにそういうわけには」


 ダニエル様が「ジャレット()」と敬称付きで呼ぶ人だ。何らかの爵位持ちに違いないし、となれば私のようなにわか貴族より断然偉いに決まってる。


「それで? 先触れもなく、今日はどういうご用件かな」

「そう警戒しないでくださいよ、閣下。これでもお二方のために東奔西走してるんですから。……で、本日の用件はこちらです」


 ジャレットは、一枚の紙をダニエル様の執務机に滑らせた。


「どうぞ、ご署名を。リリアナ嬢が成人したので、お二人は晴れて結婚できるようになりました」


 それは婚姻届けだった。

 私の中では、すっかり(契約)結婚した気になっていたが、そういえばこの国では未成年者の婚姻は禁じられているのだった。


 ダニエル様がサインした後に、私も自分の名前を書き入れる。

 ジャレットは、書類にさっと目を通して頷いた。


「結構です。これでお二人は夫婦となりました」


 契約結婚とはいえ、何ともあっさりと手続きは終わった。

 ウェディングドレスも、教会でのセレモニーも、もちろん誓いのキスもなし。

 いや別に、ダニエル様とキスしたいとか、そういうことじゃないけども! けども!


「それと、こちらが今回の結婚に関する契約書です。期間は一年後の今日までとすること。白い結婚とすること。それと、契約満了時にリリアナ嬢に支払われる特別手当の額も書かれています。ご確認の上、ここにもお二方のサインを」

「…………」


 最初からわかっていたこととはいえ、改めて言葉にされると何かこう、胸に来るものがある。

 けれど、ちらりとダニエル様を見れば、書面を軽く一瞥しただけで、さらさらとペンを走らせていた。

 だから私も、極力何でもないような顔でサインした。

 ――胸の奥にわだかまる、鈍い痛みは感じなかったことにして。


「ありがとうございました。ところで、結婚指輪はどうします? 一応、僕の方でいくつか見繕って持参しましたが」

「必要ない」


 ぶっきらぼうにそう言うと、ダニエル様は執務机の抽斗を開け、ビロード張りの小箱を取り出した。

 中には、精緻なレリーフで竜をかたどった一対の指輪。

 いぶし銀の輝きを放つそのリングの、大きい方には銀水晶が、小さい方には月長石(ムーンストーン)が、竜の口に嵌っていた。


「っ! この石はまさか」

「用件はお済みかな、ジャレット卿」


 何か言いかけたジャレットを遮るように、ダニエル様が冷たい声を出す。

 一瞬、ジャレットは目つきを鋭くしたが、すぐにへらりと笑って肩をすくめた。


「そうですね。王立研究所長としての僕の用は終わりです。後は、個人的にリリアナ嬢と――……」

「あっらー! どなたかと思えばジャレット殿下じゃございませんの! ずいぶんお久しぶりですわぁ!」


 年配女性特有の甲高い嬌声とともに、リボンとフリルとコサージュでこれでもか! と飾り立てたピンク色の塊が私たちの間に割り込んできた。


「これはこれは、オランジュリー侯爵夫人。いつ王都にお戻りに?」


 ジャレットがうやうやしく腰をかがめ、レースの手袋をはめた手にキスをする。

 前世のピ◯クハウスを彷彿とさせるような、デコラティブなドレスを着たその人は、小柄で小太りの老婦人だった。


「うふふ。ついさっき着いたばかりよ。でも、我が君の顔が早く見たくて、いてもたってもいられなかったものだから」


 老婦人はそう言うと、両手を広げてダニエル様に歩み寄った。


「会いたかったわ。愛しい方」


◇◇◇


 社交シーズンの始まりを告げる、春の大園遊会。

 王家主催のこの大規模なガーデンパーティを実務面で取り仕切るのは、代々典礼官を務めるオランジュリー侯爵家と決まっていた。


「………で、そんなお家の奥様が、どうしてダニエル様のタウンハウスをホテル代わりにしてるんですか?」


 あの日以来、オランジュリー侯爵夫人はこのお屋敷に居座っている。

 どうやらこれは今に始まったことではないらしく、タウンハウスには夫人専用の客室や、よく見れば彼女の物らしい家具や小物があちこちに置かれていた。


「申し訳ございません。これには少々込み入った事情がありまして」


 恐縮した様子で深々と頭を下げるトビアスさん。


「いえ、トビアスさんに謝っていただくことではないんですけど。ただ……」


 わからないのは、なぜあの人が我が物顔でのさば……えー、お振る舞い遊ばしているのかだ。

 ここにやってきた当日から、ダニエル様の執務室のカウチセットに陣取って、使用人たちを呼びつけては、やれお茶を持ってこいだの、どこそこの仕立て屋を呼べだのと好き放題やっている。


 さらに不可解なのは、ダニエル様も、古参の使用人たちも、それを当然のように受け入れていることだった。

 おかげで私はあの日以来、ダニエル様とろくに話もできていない。


「まあまあ。これも園遊会までの辛抱だから」


 宥めるように口を挟んできたのは、これまた最近は毎日のようにタウンハウスを訪れるようになったジャレットだった。


「園遊会が済めば、あのご婦人は領地に送還されて、また一年、修道院で過ごすことになる」

「! 修道院って……」


 この世界の修道院は、宗教施設であると同時に、問題を起こした女性の収容所という役割も担っている。


「そう。何らかの問題を起こした女性や……あまり表沙汰にできない女性のね」


 ジャレットがそう言った折も折、窓の外の小道をオランジュリー侯爵夫人が通りかかった。

 白いレースの日傘をさして、色褪せた金髪は少女のように下ろしたまま、リボンやフリル満載の、子どもっぽいドレスに身を包んでいる。


「あの女性(ひと)の時計は、六十年前に停まったきり、ずっと同じ年の春を生きているのさ。……ロス辺境伯の婚約者に選ばれたころの時間をね」

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