1.契約の始まり
ここサリス王国では、転生者の存在が広く知られている。
かつて、危機に瀕した王国に突如現れた異世界の聖女。以来、転生者は時おりサリスに現れ、ある者は大いなる発展を、ある者は大いなる災厄をもたらしてきた。
今では転生者のための法律も整備され、転生者とわかった時点で国に届けが出され、身柄を管理されることになっている。
「身柄を管理って……。どこかに監禁でもされるんですか」
気色ばむ私に、王立研究所の係官は「まさか」と顔の前で両手を振ってみせた。
「僕の曾祖父の時代には、そうしたこともあったそうですが、今どきそんな野蛮な真似はしませんよ。というか、これはむしろ転生者の方々の安全を考えての措置でして」
転生者の持つ知識や技能はどこの国でも珍重される。そのため、少し前までは敵対国による拉致に監禁、はては暗殺まであったらしい。
「ですので、転生された方のお住まいには、我々が定期的に訪問して安否を確認することになっています」
「なるほど」
「それと転生者には、お持ちの能力に応じて一代限りの爵位と年金が授与されます。ええと、貴女の場合……」
係官は手許の資料に目を落とした。
私が前世を思い出したのは、十五になったばかりの時。これは、転生者としてはかなり遅い部類に入る。
統計的に、前世を思い出す時期が早ければ早いほど大きな力を秘めている可能性が高く、遅ければ遅いほどその確率は下がるといわれていた。
ここでいう「力」とは、前世で修得していた知識や技能のことだ。
それがそのまま今世に引き継がれ、その内容が未知のものであればあるほど、国にとって貴重な存在となる。
交通手段は馬か馬車。夜の街路をガス灯が照らし、道行く人はシルクハットやドレス姿という、ぱっと見近世ヨーロッパ風の世界なのに、上下水道が完備していたり、医療技術が発達していたりするのは、どれも転生者たちの功績だ。
「うーん……。貴女の場合、お持ちの知識も能力も、これといって飛び抜けたものはないようですねえ」
学生時代の成績は中の中、就職後も真面目さだけが取り柄の社畜OLだった私の評価は、転生者の中でも最低ランクだった。
結局、私に与えられたのは、名ばかりの「レディ」の称号と月々の生活費にも満たない手当だけ。
そう聞いても、私は大して落胆しなかった。
十六歳で孤児院を出たら、地元の領主様のお屋敷で、住み込みで働くことが決まっていたからだ。衣食住が保証された就職先に、ボーナスとして転生手当までつくなんてラッキー、くらいに思っていた。
――のだが。
妙な方向に風向きが変わったのは、その十六歳を迎える直前のことだった。
◇◇◇
――転生者の家系には、飛び抜けて優秀な子どもが多く発現する。
数世代にわたる王立研究所の追跡調査結果が明らかになるやいなや、私の周囲は俄かに騒がしくなった。
現在、サリス王国で確認されている転生者は三人。
一人は現王太子妃殿下であり、一人は先ごろ処刑された男爵令嬢。残る一人が私である。
「スラント男爵家からの遣いである! お前か、リリアナとかいう転生者は?」
その偉そうな男が突如孤児院にやってきたのは、十六歳の誕生日を翌月に控えたある日のことだった。
「は? 婚約の申込み!?」
研究によれば、転生者自身の能力の高低に関わらず、次代に優れた子どもが生まれる確率は、転生者でない両親から生まれた場合と比べて明確に高かった。
そこに目をつけた貴族から、続々と釣書が届きだしたのだ。
もちろん、すでに優秀な世継ぎがいたり、転生者に頼らずとも盤石の地位を築いている上位貴族がそんな真似をするはずもなく。
寄ってくるのは、大抵が箔付け欲しさの新興貴族か、後継者や家庭内に問題を抱えた訳あり貴族ばかりだった。
中でも真っ先に遣いを寄越したスラント家は、先日処刑された男爵令嬢を援助したかどで、本来伯爵家だったものが、二段階下の男爵に降爵されたばかりだという。
「おまけに当主の一人息子は、件のご令嬢と共謀して王太子妃殿下を陥れようとした罪で廃嫡、鉱山送りになりまして」
「待って。てことは、このグレゴール・スラントという人は」
「スラント男爵家の現当主です。御年六十、正妻の他に四人の愛人と五人の庶子が」
「無理無理、絶対無理!」
「ですよねえ。国としても、信用できない相手においそれと貴女を渡すわけにはいきません。この件はこちらで責任もって預かりますので」
転生届を出した時から私を担当している王立研究所の係官――ジャレットはそう言うと、スラント家の遣いを名乗る男を、さっさと馬車に放り込んだ。
「ああ、それと。貴女にはしばらくの間、安全な場所に移っていただきます。そこらの雑魚どもが手出しできないくらい強力な後ろ盾も要りますね」
いやいや、こちとら後ろ盾どころか、身寄りすらない孤児だからね? まだ臍の緒もついたまま、孤児院の玄関先にポイされてたって話だからね?
「まあまあ。その辺はこちらにお任せを」
爽やかな笑顔で帰っていったジャレットは、存外優秀だったようで。
一週間と経たないうちに、安全な居場所と強力な後ろ盾の両方をあっさり揃えて戻ってきた。
◇◇◇
「レディ・リリアナ・オブ・クレアモント。これから一年、貴女の夫役を務めさせていただきます。ダニエル・ロスと申します」
言いながら優雅に身をかがめ、私の指先に口づけた人は、いぶし銀の魅力をたたえた壮年の美丈夫だった。
ダニエル・ロス辺境伯。
西に広がる魔境から、長年にわたりサリス王国を守り続けてきた国家の守護神である。
御年八十二のご老体、と最初にジャレットから聞いた時には、思わず「介護要員かーい!」と突っ込んでしまった私だが、とんでもない。
お会いしてみれば、確かに髪は雪白だし、ブルーグレーの目許や口許には皺も浮かんでいるけれど、見た感じ五十、いや四十代と言っても通りそうな若々しさだ。
なんでもこの方、古代竜の系譜に連なる最後の生き残りだそうで。この世界の竜は、人より遥かに長命なのだ。
しかも、国境を守る仕事柄、今も戦いに出ているダニエル様は、ぴんと伸びた背筋といい、鍛え抜かれた身体つきといい、そんじょそこらの美青年など足元にも及ばぬ威厳と貫禄だった。
(やだ素敵!)
半口開けて見惚れる私の横で、ジャレットが「こほん」と咳払いする。
「すでにお伝えしましたとおり、この婚姻はあくまで形式的なものです。ロス辺境伯ほどのお方なら、転生者の後ろ盾として申し分ない。養女ではなく妻としたのは、これ以上の求婚を防ぐためです」
今や私の存在は周辺諸国にまで知れ渡り、国内はおろか他国からも婚約の申し込みがひっきりなしに届いているそうだ。
「こうなった以上、国としても貴女を放置するわけにはいきません。いずれ、しかるべき貴族の家に輿入れしていただくことになるでしょう。それまでの間、万が一にも貴女に瑕疵がつかないよう、辺境伯閣下に預かっていただくことにしたわけです」
「待ってください。しかるべき貴族に輿入れって!」
勝手に結婚させるってこと? 私の意志はガン無視で? 優秀な子どもを産ませるために?
それはもはや体のいい種馬――ってか「種馬」は男のほうか。こういう場合、女性は何ていうんだろう。
……などと、思わず現実逃避を始めた私の背後で、ぶわっ! と何かの気配が膨れ上がった。
「慎め」
低く恐ろしい声は、ロス辺境伯のもの。いつの間にか、私はこの方に肩を抱かれて引き寄せられ、正面に立つジャレットと対峙する形になっていた。
「ジャレット卿。貴方といえど、口にして良いことと悪いことがある。王国のけちな思惑でいいように振り回される彼女の身にもなってみろ」
「その王国との約定に縛られた閣下に、この結婚をとやかく言う権利はないと思いますが」
顔色をやや悪くしつつも、ジャレットは昂然と言い返す。途端に、室内は緊迫した空気に包まれた。
――が。
私はそれどころではなくなっていた。
前世で最後につきあったのは大学時代の彼氏が最後。それもろくな思い出がなく、社会人になってからは、仕事がハード過ぎて恋愛何それ美味しいの状態だった。
それが今!
前世の三十数年プラス、転生してからの十六年。半世紀にわたる自分史上、最高に素敵な男性に、背後から抱きしめられている、だと?
(おおおおお………)
震えるぜ、ハート! 燃え尽きるほどヒート!!
「……ディ。レディ?」
思わず山吹色の何かが出かかっていた私は、心配そうな声にはっと我に返った。
見れば、黄金色の斑が散ったブルーグレーの瞳が、気遣わしげにこちらをのぞきこんでいる。
いつ帰っていったのか、ジャレットの姿は消えていた。
ダニエル様は、壊れ物でも扱うようにそっと、私をソファに座らせる。
ちなみに、ここは王都にあるダニエル様のタウンハウス。
「恰好の後ろ盾が見つかりました」と孤児院にやってきたジャレットは、その日のうちに私を馬車に押し込むや、地方の孤児院から王都まで、昼夜を問わずかっ飛ばしてきたのである。
「長旅の後でお疲れでしょう。王命とはいえ、貴女のようなお嬢さんの初婚の相手がこのような老人で申し訳ない。この一年は祖父の家に遊びに来たとでも思って、どうぞゆっくりお過ごしください」
「老人だなんて、そんな! へ、辺境伯閣下はとても素敵です!」
転生者特典で貴族になったとはいえ、私はどこの馬の骨とも知れぬ孤児。対して相手は我が国屈指の大貴族だ(と、馬車の中でジャレットが教えてくれた)。
婚姻があくまで形だけというからには、私の立場は良くてせいぜい居候、実際は新入りの使用人以下だろう。
というのも、上位貴族に仕える使用人は、子爵家や男爵家といった下位貴族の出身であることがほとんどだからだ。
けれど、ダニエル様はふっと目許を和ませた。
「そんなにかしこまらないで、レディ。縁あって夫婦になるのです。私のことは、どうぞダニエルと」
ああ、この笑顔、プライスレス………!
高鳴る胸に再び挙動不審になりつつも、私はどうにか口を開く。
「で、では私のことも、どうぞリリアナとお呼びください――ダニエル様」
こうして、私とダニエル様の夢のような新婚生活が始まった。