プロローグ 契約の終わり
「レディ・リリアナ・オブ・クレアモント。国王陛下に代わり、一年間の貴女の協力に感謝する。これが約束の報酬だ。心ばかりだが、私からの謝礼と合わせて受け取ってほしい」
デスクに滑らされた小切手には、最初に提示された額よりはるかに多い――というか、ひと桁多い金額が記されていた。
「ありがとう……ございます」
「それと、これが婚姻無効の証明書だ。我々の関係が正しく『白い結婚』だったことを、王室付きの医師が保証している」
「……はい」
「以上で契約満了となるが、貴女の方から何か要望はあるか?」
その事務的な口調にも、私を見下ろす灰青色の瞳にも、昨日までの暖かみは欠片も残っていなかった。
だから、私もこう答えるしかなかったのだ。
「――ございません」
結婚指輪を自分で引き抜き、ダニエル様の――いや、ロス辺境伯の執務机にそっと置く。
「私の方こそ、仮初の妻とはいえ、今日までこの上なく良くしていただいたこと、心より御礼申し上げます」
そう言って、この一年で身につけた優雅なカーテシーを披露すれば、伏せた顔の上でふっと微笑む気配がした。
「花も盛りのご令嬢を、こんな田舎の老ぼれに一年間も縛りつけてしまって悪かったね。これからは私のことなど忘れ、王都で幸せになりなさい」
「……っ! 私は……っ!」
「さらば」
私の言葉を断ち切るように、辺境伯が背を向ける。同時に、計ったようなタイミングで部屋の入口に執事のトビアスが現れた。
「さ、どうぞこちらへ。奥さ……クレアモント様。正門に馬車を待たせております」
そうまでされれば、もはや抗う術はない。
片や古代竜の血を引く由緒正しき大貴族。私はといえば、この国で優遇される転生者とはいえ、一介の孤児にすぎないのだ。
王都へ向かう馬車の中、私は一人、声を殺して啜り泣いた。