い、異能学園? 俺、木刀とドラゴン型キーホルダーしか持ってませんが?
修学旅行。
学生生活において、前日どころか一月以上前から生徒にそわそわさせるイベントなどこれくらいのものだろう。その前提からいくと、この行事を楽しめなかった人にとってこの導入は非常に苦痛であるかもしれない。
既に六日目ということもあり、ディズニーやらユニバやらといった定番は回り尽くした後だ。体力が有り余っている高校生という年代でも、流石に足の筋肉痛や睡眠不足が響いて来る頃だろう。行程は残り一日といったところで現在はバス移動中であるが、一時間に満たない移動でも寝息を立てている者がちらほらと見受けられた。
以上の主観は、バスの中央部に座っている少年――松寺信京によるものだ。彼の隣に座る女子生徒も例に漏れず静かな寝息を立てているが、彼にとってはどうでもいいことだ。そう、自分とは同席の今ですら二言くらいしか会話を交わしておらずそもそも一年から一緒のクラスなのにほぼ他人同然であることも含めてどうでもいいのである。決して自らの境遇に悲しみなど感じてはいない。
学園ラブコメなどと呼ばれるジャンルであれば、ここでバスが良い感じに揺れ、彼女の頭が自分の肩によりかかってくるはずである。だがやる気なしで欠伸を立てている無愛想そうなバスガイドのお姉さん同様、空気を読めなさそうな運転手は極めて正確かつ無難な運転テクニックを見せ、寝ている生徒がほぼ目を覚まさないような微細な振動のみを発生させて停車する。
ともあれ、一旦休憩なのだった。松寺は窓から外を見る。
そして、
「おい、藤崎さん。着いたぞ」
呼びかけてみると、隣の女子生徒、藤崎春歌はスムーズに夢の世界から脱したようだ。「んにゃ」と垂れかけた涎を辛うじて啜った後、取り繕うように、
「スゥ、っと。本当だ。ここで休憩かな?」
突っ込むのは野暮だろう。
「うん。たぶん道の駅というか、お土産屋さんみたいな感じのとこだね」
「話聞いてなかった……ガイドさんと先生、何分くらい休憩って言ってた?」
「二〇分だって」
「そうなんだ。……あ、澪。待ってトイレ一緒に行こ――」
会話の途中、あっさりと別れるこの感じをどう形容したらいいだろう。こういう時に一番最後尾で降りることを選択してしまう松寺は謎の虚無感を感じつつ、運転手に礼を言って降りる。
まあ、大して親しくもない者との会話などすぐに忘れ去る。重要なのはこの後だ。
――ついに来たか。当然、予算は確保してあるよ。
早足で向かう先はトイレではない。お土産コーナー、特にキーホルダーが固まっている売り場だ。
「勘のいい奴なら、俺がここで買おうとしてるモノはもうわかったね?」
「何ブツブツ言ってんだお前」
今まさに吟味しようとしていた松寺の隣に近づいていたのは、忌わしいことにカップルだった。話しかけてきた男の方が新目優、彼女の方が久保彩花。一応二人共、こども園からの幼なじみでもある。
「シン、何見てんの? ……うわ、何か男の子が好きそうなやつだ」
若干引き気味の彩花。松寺の嗜好を当然彼女は知っているが、それ故に反応には遠慮がない。
「こういうドラゴンとか剣のキーホルダーって、つけてる人見たことないけど」
「ここに一人いるけどな……相変わらず恐るべきセンスのなさだぜ。一応、神仏の加護だか霊気だかが宿るって書いてあるけど。正直友達だと思われたくないくらい絶望的だ」
そう、松寺が買おうとしているのは、お土産屋さんといえば必ず見るアレだ。金銀のドラゴンやら大仰な装飾がゴテゴテと施された剣のキーホルダーである。
心外だとばかりに松寺は力説する。
「二人共、いや地球上の全員に言いたい。つくづく残念だよ。この絶美たる造形と類まれなる匠の技が理解できないなんてさ」
やれやれと溜息を零す。結局、芸術を愛する者の心というのは、この年代においてひどく異端なのだろう。ここ数年でわかりきっていたこととはいえ、感性の劣化に対して憂慮せずにはいられない。
「匠? これが? メッキ剝がれかけてるよ」
「そこがまた味なんだよ、彩花。俺はコイツら以外にも入手必須のブツがあるんで、また後でな」
「え? お前もうお土産は全部送ったとかって……まさか」
自分が向かおうとしている売り場にある物を見て察したのだろう、新目は本気で引いた目でこちらを見てくる。
対して松寺の表情は自信、そして確信に満ちていた。
「ああ。あの木刀を手中にすることも、この修学旅行における最重要ミッションの一つなんだ」
*
木製の洒落たシーリングファンライトが見下ろす、広い道の駅の中。
各々が休憩を終え、まばらに雑談を繰り広げる喧騒の中、松寺はひどく目立っていた。
「おい、信京」
宮本武蔵と化した松寺を、担任教師の女性が呼び止める。安物のスーツなのに高身長と優れたスタイルのせいで、どこに行っても存在感がある先生だ。
「何だよ、姉ちゃん」
「松寺先生、と呼べ。お前、それ持ったままバスに乗るつもりか」
彼女は松寺京子、実の姉である。やや癖のある黒髪である自分とは違い、シンプルに後ろで結った長い髪はとても素直そうな毛質だ。ドン引きしている級友達とは違い、率直に聞いて来る。
「もちろん。何か不満でも?」
「そういう問題じゃない。別に禁止している訳ではないが……高校生にもなってそれはないだろお前」
「姉ちゃんにもわからないのか、残念だよ。至高の芸術は唯一無二で、目にした瞬間手に取らないと一生後悔しながら過ごすことになるっていうのに」
「そういう問題じゃない、と私は言ったな? 小学生の時からポンポン同じような物ばかり買いまくって。そのでかい袋に入ってるキーホルダーもそうだ。少しは成長せんか」
お土産屋コーナーで始まる説教は歩きながらも続く。無理もない。彼の部屋にあるガラスケースの中に保管されているのは、今まさに松寺が抱えている物に似たり寄ったりの仰々しいキーホルダーやら木刀やら模造刀なのだ。逆にフィギュアなどより希少価値があるかもしれない。もちろん、他に同じようなことをしている奇特な人間がいないという意味で。
「成長しか感じてないよ。何せ――」
まもなく出発の時間だ。バスの搭乗口にある階段に足をかけながら、松寺は後ろの姉へと嘯いた。
「なりふり構わず買うんじゃなくて、年ごとにちゃんと予算を確保してるからね。知ってる? これ、集めた分だけ神聖な竜の加護や霊気が持ち主に宿るんだよ」
展示は帰るまで辛抱だが、この後向かうホテルで一先ず並べることはできるだろう。松寺は心躍らせる。
しかし。
彼らの青春のハイライト。その一つたる修学旅行がつつがなく進行したのは、そこまでだった。
**
空気の読めない運転手だとは思っていたが、ここまで馬鹿だとは思っていなかった。松寺も、姉の京子も歯ぎしりする。
端的に説明すると、高速道路の分離帯に激突し横転したバスは爆発、炎上。満身創痍かつ瀕死の中、生徒の何人が動けるかといった状況。一体さっきまでの味気ないまでに無難な運転は何処へ行ったのか?
「藤崎さん、しっかりしろ――!」
「優、返事して優! 救急車はまだ来ないの!?」
両足を骨折したとみられる藤崎は激痛でショックを起こしかけ、車外に投げ出された新目は道路に体を激しく打ちつけ気絶している。松寺ができるのは応急処置的な固定のみで、久保に至っては、誰よりも愛する人が重傷を負っているというのに呼びかけることしかできていない。
突如破綻を迎えた、輝かしき思い出の一ページ。
松寺には木刀がどこに転がったか気にする余裕もなかった。
――畜生、こんな時に力があったら。
京子が出血する生徒の腕を縛り付ける。しかしそれがわかっても、松寺は全く動くことができない。周りには、全身からとてつもない量の出血をしている者が何人もいるというのに。
――こんな時に、竜の加護と霊気があったら!!
小学生の時に受けた衝撃。初めての修学旅行で買ったキーホルダーは、銀色の雄々しい竜だった。掌にずしんと感じる重み。値札ついでに書かれたオマケじみた文句に、心奪われた。
今もさっき買った袋だけは、固く固く握りしめている。松寺は無意識の内に叫んでいた。
「頼むよ、竜の加護と霊気で俺達を助けてくれええええええええええええぇぇぇ!!!!」
絶望的なセンスと称された、少年が愛するキーホルダー。
袋の中で、何かが紅く、紅く光り輝いた。
天が、大地が脈動する。
松寺は当然のことだと思っているが、それは古い伝説に則る行為だ。
黄金、白銀、赤銅の竜と剣を所持せし者、創造と破壊を志さん。
その伝説の通り、地が揺れ、雷鳴が轟き、津波が覆う。
世界は一度、保留となった。
「ん……」
松寺は目を覚ませない。意識はあるが、コントロールする主が許容しない。
――友を、世界を救いたいか?
よくわからないけど、もちろんだ。修学旅行の思い出がこんなんなんて、ひどすぎるじゃないか。
――そうか。その志、変わらぬか。
俺にできるなら、どんなことでもやってやる。みんな無事に帰れるなら。
――その心意気、理解した。
ドグン、と地脈より不気味で大きい何かが蠢く。
目覚めて欲しかったもの。しかし、触れてはならぬと感じる何かがが、ひしひしと自らの中に湧きおこる感覚。
やがて、声は最後に宣告を残し、遠ざかっていった。
――其の力、身体に加護と霊気を宿す。剣は神をも斬り、竜はあらゆる眷属を焼き尽くすであろう。
世界を救う為には、世界を代償にする必要がある。汝は聖剣と魔剣が支配する世界へと赴き、己が思うままに行動せよ。
――例えその世界を滅ぼしてでも、自らの居場所を取り戻したいのなら。