第16話「幸せに暮らしましたとさ」
今日も王妃の部屋から甘い香りが漂う。
俺もオスカーも甘い物をそう好む性質ではないため今までこのようなことはなかったが、これについては歓びしかなく文句など微塵もない。
王妃の部屋をノックすると侍女が顔を出し、俺の声に気づいたセリスがこちらを向いてふわりと嬉しそうに笑う。
バラのつぼみの様に初々しい妻の可憐な姿に冷静な顔を努めて保ちながら、ミルクティ色の髪にチュウッと音を立てて口付けを落とす。
王と王妃が仲睦まじいことは、国にとってよいこと。
そうやって自分の行為を正当化していると、二回、三回と口付けが増えてしまい、視界の端でまだ若い侍女が顔を真っ赤にしていることに気づいた。
「ロシェ様」
二人きりになると、セリスは俺を愛称を呼んでくれる。
幼いセリスが呼んでくれた俺の愛称。
十代半ばで、俺がいたらないせいで距離ができて以来、セリスが俺の名を呼ぶことはなかった。
二人きりのときも、そこが閨でも、セリスは俺を愛称どころか名前で呼ぶことすらなかった。
時が経つにつれて(俺のせいで)距離が出来、結婚したときにはセリスは俺を名前で呼ぶことなしなくなった。そこが閨でもセリスは俺を『陛下』としか呼んでくれなかった。
「お疲れ様でした……終わりましたか」
全て終わった。
自分の胸につまる思いが“寂しさ”と認めたくなくて、俺はセリスの甘い香りがする髪に顔を埋める。
「今回の騒動の元凶は全て捕えた……ローナもだ」
俺の母……いや、ローナは【聖女】ではなくなった。
神力が血に宿る以上、【聖女】は死ぬまで【聖女】なのだが、ローナは毒を飲んだのだ。
もちろん自ら進んで飲んだわけではない。
会場にその毒を持ち込んだのはセリスを廃妃にしようという一派の者で、マチルダを正妃に推すほど阿呆な集団ではなかったが、愚か者に変わりはない。
そして愚か者の計画が上手くいった試しはあまりないのだ。
セリスに飲ませるために豪奢なグラスを選んだのが運の尽き。
会場に入って直ぐにローナに気づかれ、その特別扱いっぷりにローナはセリスのために用意されたのだと悟って奪い取り、侍女に扮する暗殺者が止める間もなく飲み干したのだ。
その場でどうにもならなかったのは、毒といっても一般的な毒薬ではなく、神力を暴走させるためのものだった。
ついでの毒薬には精製過程で魔素が入り込み、結果としてあの騒動が起きたというわけ……本当に愚か者は何をするか分からないから怖い。
手の者は全て捕え、毒薬の入手先も吐かせた。
その毒薬の材料は深淵の森で採取されたものらしく、調査隊を派遣したら毒草や薬草がたんまりあったと報告があがり、つい先日薬師たちを派遣した。
彼らを守る騎士たちからは「宝の宝庫だーと突撃していく薬師たちを止めるのが大変」という、学校の先生のような嘆きの報告書があがってきている。
「ローナ様は、この先どうなるのですか?」
ローナは生きてはいる。
あの日俺たちはローナの神力の暴走を止めるのではなく枯渇を待ったが、枯渇させるまで力を放出させ続けるほどローナは忍耐強くなかった。
枯渇する前に気絶したことがローナの命を救い、いまは暴走防止の魔道具をつけて離宮で治療を受けている。
「ある程度回復したら無人島にある離宮に送る」
「無人島……あの離宮には先王様とマチルダ様がいるのでは?」
百年ほど前の酔狂な国王が、ぎりぎり王国領内という端っこの無人島に離宮を建てた。
誰にも煩わされることなく休暇を過ごすために作られたらしく、発明家でもあったその王のおかげで魔導具は充実し、使用人がいなくても死にはしない。
食料も定期的に島に届けるので餓死はしないはずだ。
「サブリナ様は?」
「王宮に残す予定だったが、サブリナ自身が修道院に行くことを希望してな。王族としての権利を一切放棄して暮らす、と」
正妻のローナが浮気三昧だったから、同じ男の妻である自分が浮気してもいいはず。
これがマチルダの謎理論であり、マチルダは男遊びが派手だった。
そんな母の情事をたびたび目にしたことでサブリナは大の男嫌いになり、男がいない修道院に夢と希望を見出しているらしい。
親は親、子どもは子どもなのだと実感した。
「あら」
衝撃とも言えない可愛らしい感触に俺が気づくのと、セリスが声を上げるのは同時だった。
「起してしまったかな」
「そうみたいです」
そう言ってセリスは膨らんだお腹を優しくなでる。
マチルダのことが解決し、思いを伝えあった俺たちは、夫婦としてもう一度やり直すことになった。
夜を共にし、初めてではないけれど初々しく俺に身をゆだねるセリスを愛し、「ロシェ様」と呼ばれたびに彼女を抱く腕に力がこもった。
セリスに対しては後ろめたさと申しわけなさがあったし、セリスが石化してからは全裸の女に迫られても一切その気にならなかったため、自分を淡白な人間だと思っていたが、想いを交わし合ったセリス相手では嘘のように燃え上がった。
明け方まで愛されると一日中ぼんやりしてしまうとか、湯浴みで愛された証しをさらすのは恥ずかしいとか、セリスには毎回文句を言われるが可愛いだけだ。
「男の子かな、女の子かな」
「オスカーのときに比べると大人しいから女の子かもしれませんわ」
どの甘い夜に宿ったかわからないが、セリスは俺の子をその胎に宿してくれた。
あと二カ月ほどで生まれる予定の大きな腹を撫でながら幸せに浸るのが最近の俺の日課だ。
「また見慣れないオモチャがあるが、オスカーか?」
俺の問いにセリスは楽しそうにうなずいたが、セリスの妊娠が分かったときオスカーは複雑そうだった。
十八歳差の弟か妹、我が子といっても差し支えのない年齢差に戸惑ったようだが、そんな戸惑いは直ぐに消えた。
「西区にある店で買って来たそうですが、また『若いお父さん』と言われたそうです」
「まあ、そうだろうな」
「あの子も兄というより父親に近いというか……お腹の子に向かって、妹だったら絶対に嫁に出さないと言っていましたわ」
困ったものです、と言うようなセリスに俺は何も言えない。
腹の子が娘なら、自分もオスカーと共闘して婿候補を蹴散らす自信があるからだ。
「しかしオスカーに似た男の子だったら腕白に手を焼くことになるぞ……思い出すと、やっぱり女の子がいい。きちんと嫁に出すし、婿は半殺しにしかしないって約束するから。いや、男の子でもセリスに似れば可愛らしい……それでも大きくなったらオスカーのようにごつくなるんだろうなあ」
「母上、そのごつい息子が戻りました」
帰ってきたオスカーはセリスに挨拶をし、次は
「ただいま、お兄ちゃんだよ」
セリスの腹に語りかける。
昔は俺一択だったのに、いまのオスカーの優先順位はセリス、腹の中の弟か妹、そして俺だ。
……幼い頃は「父上ー」と笑顔で飛びついてきたのに。
「なあ、セリス。いっそのこと男の子と女の子を同時に産まないか?」
「まあ、ロシェ様ったら。」
「父上、そんなうまい話があるはずないでしょう。」
みんなで幸せに笑い飛ばした『うまい話』が、十カ月後にまさか真実になるのは……。
本編完結しました。
気の向くままになりますが、番外編が書けたらいいなと思っています。




