第15話 シュバルツ王国
「オスカー!!」
名前を呼ばれてハッと顔を上げると、真っ黒な塊が俺に向かって飛んでくるところで……俺の目に映るその光景はとてもゆっくりとしていた。
黒いそれが飛んできた方角。
俺に向かって手を伸ばす父の焦った顔がよく見えて
―――あ、まずい。
体を襲うであろう、もしかしたら命の危険さえある衝撃に備えるために目を閉じ、体を硬くした瞬間だった。
俺の視界を淡いピンク色の布のような光が覆う。
少し遅れて花のような香りがして、「大丈夫」と優しくも力強い声がした。
「母……上……」
光がきらきらと降ってくる。
その神秘的な光景のせいか、それともこの光りには浄化作用があるのか。
魔素を浴びて気持ち悪かった感覚がスッと消えた。
「オスカー……」
俺の目の前にある母上の目は、今までの母上の目とは違う。
母親の目。
イケメンで王様の父親がいる王子様だけど、約十八年の人生で人に羨まれるほうが多かったけど、ずっとずっと欲しかった。
母親のいる人が羨ましかった。
「オスカー」
俺の名を呼んで抱きしめてくれる人。
無償の愛情を、俺に、俺だけに教えてくれる、その人が俺はずっと欲しかった。
「母上」
初めてだった。
母上と、母親だと思ってこの女性を呼んだこと。
「ケガはない?」
「うん」
幼子のような返事をした自分が恥ずかしくなって、急いで「大丈夫です」と答えると、母上はくしゃりと顔を歪める。
「ごめんね、心配かけて」
その『心配』が何か分かって、声がでなくなる。
ただ首を横に振ることしかできない俺の頬を母上は優しくなでて、「下がっていなさい」と微笑んだ。
優しい、けれど俺を守ろうとする強い瞳。
もうすぐ成人する男だというのに、母上にとって俺は子どもだから、守ろうとしているのだ。
もうすぐ16歳になるというのに……俺は小さな子どもみたいに、言葉が出なくって、首を横に振るしかなかった。そんな俺の頬に母上は暖かい手を添えて、「下がっていなさい。」と静かに言った。
ははは、何か心がくすぐったい。
「俺も王子です。ただ守られているわけにはいきません」
「……この子の力を借りて結界を強化するので、中にいる人を任せます。王子であるあなたが毅然としているだけで皆が安心できるはずです」
そう言った母の体が淡く光り、新樹の枝がバキバキと音を立てて伸びていく。
伸びた枝には淡いピンク色の花が咲き乱れ、神秘的な光景に驚く間もなく花弁が次々と黒いものに襲いかかっていく。
「オスカー!」
……結界を切り開いて入ってきた父上に母上と一緒に驚き、瞬く間に修復させたロン爺が「この人は全く」とブツブツ呟いていた。
「すまない、ロン。しかしオスカー、お前は大丈夫か?ケガは……ないようだな」
「はい、母上が守ってくれました」
「……セリスが?」
ピンク色の布のような光に包まれる直前に見えたのが黒いものに襲われる俺だったからだろう、俺に駆け寄った父上が俺の言葉に母上を探す。
「……セリス」
「陛下……いいえ、またお名前で呼ぶことを許していただけますか?」
父上に向けて母上がふわりと微笑む。
その微笑みは俺に向けたものとは違う、甘くて、熱くて、何かその……息子の俺が見るには気まず過ぎるもの。
見ているこっちが照れくさくなる思慕と恋情が灯った瞳。
「……もちろんだ」
掠れた父上の声に母上は嬉しそうに微笑んで「ロシュフォール様」と呼ぶ。
そんな母上に父上も嬉しそうに笑って、俺の傍から離れて母上の前に立つ。
見つめ合う二人。
うわあああああ、甘酸っぱい!
「ずっと、ずっと……ロシュフォール様とこうしてお話しがしたかった」
「すまない、俺が君を避けたのは……君に顔向けできなくて……マチルダのことだが俺は……っ」
背伸びをした母上が父上の口を塞ぎ、首を横に振る。
「石化していた間のこと、何となく記憶があるのです。全てではないでしょうし、全体的にぼんやりとしたものですが……ロシュフォール様が話して下さったこと、マチルダ様のことも聞いていました」
「……すまない」
「いいえ、私がもっとロシュフォール様に寄り添っていれば……」
母上の目からポロポロと透明の雫が落ちる。
泣く母上の頬に父上が手を添えて、手の平をそっと滑らせて優しく拭う。
「セリス、俺は君が好きだ……こうして言う時間がかかってしまって……ごめんな。……でも、こうして君に言えて本当によかった」
「私もあなたが好きです……愛しております、愛の意味も分からないほど幼い頃から」
ひしっと抱き合う父上と母上…………いや、感動的なんだけどね。
この間にも黒いものがガンガンと結界にぶつかる音がしているんだよね。
まあ、母上とロン爺の結界の中に全員いるから安全は安全だけど、貴族たちも一部を除いて『よかった、よかった』なんて喜んでいるけれど……いや、なにこの状況。
神樹の枝の間から見えた結界の外の風景は「ここダンジョンだっけ?」という感じ。
あの人、うにょうにょ揺れる黒いものを全身にまとってラスボスみたいになっているし。
恋を語らうのはあとにして欲しいなあ……あと、ロン爺。
恋人たちのロマンスに感激してグスンと鼻を鳴らすのはかまわないけどさ、結界を維持して、少しほころんできてるし。
ほら、いまも黒いものがちょっと入ってきたよ。
「オスカー様」
「ハディル。俺の身内が超迷惑かけてるんだけど、どうしたらいい?」
「グリーンヒル侯爵と御夫人の神獣たちが結界外で戦っておりますので、アレの討伐……討伐していいのでしょうか?まあ……どうにかするでしょう」
「うん、わかった。でもロン爺が……よそ見して気合が入っていないのもあるけれど、疲れてきてるみたいだ」
「うちの子たちが来ましたので、その点はご安心を」
ハディルの言葉に応えるように犬の鳴き声。
鳴き声の音の違いから三匹いる……けれど、体は一つ?
「私の神獣ケルベロスです。『地獄の門番』という二つ名はダテではありません、防御特化型の神獣です。ちなみにグリーンヒル侯爵の神獣は猛虎、そしてグリーンヒル侯爵夫人の神獣はコロボックルです。ちなみにセリス様の弟君はいま他国で仕事中ですが、彼の神獣は牙狼です」
……神獣あちこちにいるな、さすがシュバルツ王国。




