第15話 ヒロインのなれはて(ロシュフォール視点)
国を守って長く眠っていた聖女セリスのために夜会を開くと決めたとき、面倒事が起きることは予想していた。何しろ議会にそのセリスの廃妃案が出ているくらいだ。
唯一の救いはあの阿呆の筆頭、ハローズ侯爵が不参加であること。正確には不在は廃妃を進言したハローズ侯爵本人が不参加。彼は家督を嫡男に譲り領地に引っ込んだ。その陰には確実にグリーンヒル侯爵がいる。
これで頭痛の種が一つ消えたと思ったら、別の頭痛の種になった。新たなハローズ侯爵は義妹であるマチルダをパートナーとして夜会に参加するという情報をハディルが入手した。夫人を差し置いて王家主催の夜会にマチルダを伴うのはおかしい。そう思ったハディルが更に深く調べた結果、あの二人はそれなりの関係らしい。
実の兄妹ではないとはいえ、本当に嫌だ。他人の貞操観念なんて心底どうでもいいが、下半身事情で国を引っ掻き回すのはやめていただきたい。
そしていま俺は厄災に直面していた。
「お退きといっているでしょう! 聖女の進路を妨害するなんて、何を考えているの!?」
俺が王位を継いでからは全く公の場に出ることなく、自分に与えられた離宮で愛人たちと楽しくやっているローナがきた。
……どうして?
え、本当に、どうして来たんだ……それに、あれは本当に……。
「……母上?」
年甲斐もなく露出の激しいドレスを着た女。五歳の幼女が喜びを通り越してドン引きするようなピンク色のフリルが大量で、まるで素肌にフリルが巻き付いている様子は、ハム?
もう、すごく痛々しい。
視覚の暴力。
欲望に忠実な怠惰な生活で肥えた体にレースが食い込んでいて、一度ハムと思うとハムにしか見えない。せいぜいコロコロと丸いブタ。
ハムも豚肉か。
結局、素材は同じ……いやいや、いま考えるのはそれではない。嫌悪も降り切れると笑いになるのか。
「首根っこを掴んで、引き摺ってでも退場させろ」
俺の命令に近衛の騎士たちがこぞって嫌そうな顔をする。言っておいてなんだが躊躇する気持ちは分かる、でも頼む、やってくれ。遣ってくれた騎士には特別手当を俺のポケットマネーから出すから。
「まあ……」
ローナの目が俺を……見ていない。見ているのは……セリス?
ローナの視線を目で負えば、俺の背後から覗いているセリスを見ていた。
大事な宝物に不躾に触られるような不快感と、恐怖。
――― 魔気に侵された神力を伝承しちまう。
腐っても聖女。品性の欠片もなくても、聖女の力が弱くなることはあっても魔気に侵されるなど考えたこともなかった。
「どうしてその子がここにいるの? そこに立つのは私よ」
「は?」
ローナの淀んだ昏い目にゾッとする。
「王子様の隣は愛されている女が立つ場所。聖女だから王妃になれただけの、愛されていない女が立つ場所ではないわ。ねえ、マチルダ」
「その通りですわ、聖女ローナ様」
ローナの印象が強烈過ぎて、その声が上がるまでマチルダの存在に気づかなかった。類は友を呼ぶ、欲深い二人は無二の親友のように並び立って俺を見る。
「夫の愛人と御登場とは、ずいぶんと寛容なのですね」
俺の言葉にローナはころころと楽しげに笑い、マチルダは口元を醜く歪めて笑う。
「先王陛下の側妃など形だけ。それはロシェ様もご存知ではありませんか。だってロシェ様の真実の愛の相手は私ですもの」
「はあ? 寝呆けたことを言うな」
厳しく叱責して否定したものの、一度放たれた言葉は会場を騒めかせる。背に隠したセリスが妙に静かなことが気になるが、気ちがいな非常識二人を相手取っていてセリスを確認できない。
「セリス……」
「そんな女はもう気にしなくていいと言ったでしょう。大丈夫よ。だってもうセリスは聖女ではないわ。だから二人共もう我慢しなくていいの。真の聖女であり、王妃でもある私が二人の結婚を許します」
「嬉しい。やっとサブリナをロシェ様の姫として紹介できるのですね。サブリナと私を、聖女であることをいいことに我欲に溺れるセリスから私を守ろうとしたとはいえ、愛するロシェ様の父親の側妃と呼ばれるのがどれほど苦しいことか」
「サブリナは俺の娘などではない」
「まあ、ロシェ様。もう大丈夫ですわ、私たちには聖女ローナ様がいらっしゃいます。サブリナがロシェ様の子ではないなどという神殿での鑑定など嘘っぱち。サブリナはそこにいるオスカー殿下よりもよほどあなたに似ているではありませんか」
会場がざわつき、俺は思わず舌を打つ。
閨教育のことを発言しない点はいいが、こんな風に言えばマチルダの産んだ子が俺の子である可能性があったと言っているようなもの。神殿の記録を見れば過去に誰が鑑定魔法を受けたかどうか調べれば分かる。神殿は中立の立場、口止めはできない。
「さあ、セリス。その場を退きなさい。その場所は私の場所よ。皆の賞賛を浴びるのに相応しいのは私よ。さ、ア……」
……なんだ?
「ソコをオ退キ……ソコハ、ソコハ……」
呪詛のようにローナの口から声が漏れたと思った瞬間、ローナの体から魔気が噴き出す。一瞬で迫ってきた闇色の霧から守るため、俺は咄嗟にセリスを腕に抱き込んだ。
視界が黒くなる寸前、ローナの真っ赤に染まった唇が醜く歪むのが見えた。




