第14話 二人のファーストダンス(オリバー視点)
最近の父様には快活さがない。かつては颯爽といろいろ裁いていたのに、いまはうだうだ……何をしているんだろう。
「父様」
「んー?」
返事もやる気がない。
「グリーンヒル侯爵が」
「え!? 侯爵!?」
……食いつきがすごい。
「今日の夜会が終わったら母様と屋敷に遊びに来ないか、と。折角の招待なので行きたいです」
グリーンヒル侯爵家は母様が生まれ育った家だけれど、実はその屋敷に行ったことがない。母様が不在な上に外戚が近いと国が荒れるからという理由で侯爵夫妻と会うのはいつも城だった。僕と三十分ほどお茶を飲んで帰っていく。
「屋敷に、か」
「母様が何かを思い出すきっかけになるかもしれないと……無理だと僕は分かっていますが、記憶が戻ってほしいと思っているお二人の気持ちを無碍にはできなくて」
父様、どうしてそんなにソワソワしているの?
「父様、侯爵と何かあったの?」
「……ない」
……あったんだなあ。
父様、視線をスーッとそらしたし。もう、本当に父様はどうしたのだろう、ハディルにでも聞こうかな。
「とりあえず今夜の夜会を乗り切ろう、そうしよう」
「……分かった」
今夜は母様のための夜会が開かれる。いまはその準備中。母様のリハビリが終わり、王妃として母様が健在であることを貴族たちに知らしめなければいけない。
まあ、準備といっても侍女たちはほぼ全員母様につきっきり。この七年間、男の僕と父様の準備しかすることがなかったから彼女たちは物足りなかったのだろう。僕たちの場合はちょっと髪を整えて、宝飾品と言えばカフスとマントを留めるクリップくらい?
とにかく侍女たちはすっごく張り切っている。
夜会をやると決まって直ぐに国一番と評判のデザイナーを招いてドレスを注文。それに合わせて宝飾品を誂えて、昨日の朝から母様は夜会の準備で部屋に缶詰め状態。女の人の準備は大変なんだな。
「王妃様のお支度が整いました」
のんびりとお茶を飲んでいた僕たちを迎えにきてくれた筆頭侍女はやりきった感に満ち溢れていた。そして彼女たちの集大成といえる母様はとてもきれいだった。
妖精、いや、女神様。
「母様、とっても綺麗」
「ありがとう」
窓から差し込む光を背負って立つ母様の姿は神秘的。美しいと可愛いって同居できるんだね、初めて知ったよ。慈愛に満ちた優しい眼差し……あれ、父上は?
「準備はできたようだな」
……ポンコツ過ぎるよ、父様。
ハディルと一緒に非難染みた視線を強めに送る。だって、絶対に父様の頭の中はいま母様への賛辞でいっぱいになっている。だからそんなそっけない言葉しか出ないの、だめじゃん。誰も得しないよ、これ……あ、父様の口が動いた。一応自分でも拙いと分かったみたい。
「とても似合っている」
悩んで悩んで出てきた言葉がそのレベル……。
「母様、優しい色がお似合いですね。甘いピンク色に軽やかなラベンダー色。今度のドレスは爽やかなレモンイエローがいいです」
隣の父様から「スッゲ」と小さな声で言っている。遠征時は気の荒れた騎士たちと共にいるからかな、父様はときどき乱暴な口を利く。
「オスカー。そういう言葉はどこで学ぶんだ?」
……父様。
***
今日の夜会はとても楽しい。
僕はいま王族専用の檀上に用意された僕の椅子から夜会会場を見ている。
父様と母様は二人並んで貴族から祝辞を受けている。いつもなら父様は壇上から降りた途端に周りを女性に囲まれるけれど、彼女たちは今日は遠巻きにこっちを見るだけ。その足は父様たちのほうに一歩も動かない。
そうだよね。
この夜会の主役は身を挺して世界を救った母様。その母様をエスコートする父様にすり寄るなんて喧嘩を売っているようなもの。場合によっては世界中から白い目で見られかねない。
音楽が変わると、父様と母様が同時に顔を見合わせる。
うわあ、まるで歌劇の一幕みたい。
父様が軽く腰を折り、白い手袋をはめた右手を差し出してダンスを母様に申し込む。その仕草はとても様になっていて、誉め言葉一つ満足言えないポンコツっぷりは完全に隠れている。
「父様、格好いい」
「やればできる子なんですよねえ」
ハディルの言葉に噴き出しそうになるのをグッと堪える。だって母様が花が綻ぶように微笑んで父様の手に自分の手を重ねたんだ。会場は水を打ったように鎮まり父様と母様に見入っている。ここで笑ったら色々と台無しだ。
父様が楽団に目を向けると……。
「最初のダンスが、こんな難しいやつで大丈夫?」
母様の体は大丈夫?
「大丈夫ですよ。王妃様はダンスがとてもお上手で、陛下も負けず劣らずですから」
「……そうなんだ」
父様と母様は滑る様に移動してダンスホールの中央に立つ。王家主催の夜会、ファーストダンスは王族と決まっている。二人の独断場だ。
「陛下が踊るのを見るのは久方ぶりだわ」
「七年ぶりですわね」
僕の耳に嬉しそうな老婦人たちの会話が聞こえる。彼女たちの目に浮かぶのは安堵と憧憬。
目覚めた母様に対して色々思う貴族も多いだろうけれど、権力欲のない貴族からしてみれば妻が目覚めるのを待ち続けた国王のハッピーエンドに見えるのだろう。
父様と母様のダンスは息が合っていてとても綺麗。母様は活き活きと動き、父様はそんな母様の動きを妨げずに歩幅のあった完璧なリードをする。
ダンスを終えた二人に僕は拍手を送る。
「ありがとう。相変わらず踊りが上手だな」
「ありがとうございます。久しぶりで緊張しましたが、オスカーが練習相手を務めてくれたので」
父様の言葉に母様はそう答えたが、僕が相手のときと全然違う。母様はとても楽しそうに踊っていた。
「練習? オスカーと練習したのか、いつ?」
「夜会の開催が決まって、週に二日ほどでしょうか」
「今度は俺と練習しよう。妻のダンスの練習相手は夫の特権だ」
おお! 父様がさり気なくサラっと言った。緊張してなければできるんだ、流石やればできる子(ハディル評価)……って、自分で言ったことが分かってない。だから自分の言葉に母様が驚いていることも、その頬が赤く染まっていることにも気づいていない。
「やっぱり、ポンコツだ」
「そうでございますね」
きゃああ!
豪奢で気品あふれる会場に女性の悲鳴が響く。ハディルの背中に隠される直前、父様が母様をその背に庇うのが見えた。あちこちで近衛騎士たちが剣を抜く音がする。
「お退きなさい! 私は聖女なのよ!」
聞き覚えのない女性の声だけど……聖女? 母様以外の聖女なんて一人しかいない、僕は会ったことがないけれど。父様と曾祖母様が僕には絶対に合わせなかった人。
「……母上?」
父様があの人を『母』と呼ぶのを初めて聞いた……父様、動揺している。僕は……思ったより動揺していない。それにしても……。
「あれは、ないよね」
「ないですね」




