第13話 親友との会話(ロシュフォール視点)
「王妃様!」
ソニアの焦ったような声が聞こえて俺が窓に駆け寄ると、ソニアが心配そうな顔でセリスを支えているところだった。傍にいるオスカーも同じく心配そうにセリスを見ている。薄っすら窓を開けて聞こえてくる声を拾えばセリスが段差につまずいたようだ。
「無理をし過ぎだ」
「そうですね。陛下が王妃様にお渡ししている仕事も、急ぎではないと陛下が仰っているのに夜遅くまで……」
「何かしていないと落ち着かないのだろう」
七年間眠っていたと聞いたセリスは妃教育のときの講師たちを再び城に招き、この七年間を学び始めた。頭のいいセリスは本人の生真面目さと知的好奇心によってどんどん知識を得ていく。
それと同時にセリスはリハビリを始めた。
無理をする帰来があるため心配していたが、専属侍女にしたソニアが目を光らせてくれたので大事なく二カ月で庭を歩ける程度までになった。
セリスは記憶がなくてもセリスで、優しく穏やかな性格をしたセリスの物腰は柔らかいが、その内面には梃でも折れない芯がある。
「オスカー」
セリスがオスカーを呼ぶ声が聞こえた。セリスは誰かの名前を言うとき、相手が気づきやすいように少しだけゆっくりと音を紡ぐ。
――― ロシェ様。
俺の名を呼ぶセリスの声は大分幼い。それはそうだ、セリスが俺を愛称で呼んだのは幼い頃の話。目覚めたセリスは以前と変わらず俺を「陛下」と呼ぶ。自業自得。でも、名前を呼んでもらえないことが寂しい。
「あのガゼボで休憩しましょう。誰か、茶と軽く食べるものを用意してくれ」
「まあ、先ほど食べたばかりなのに」
……笑い声。
セリスが……笑い声をあげている……。
「父様のように大きくなりたいのです」
オスカーの誇らしげな声は少し甘えを含んでいる。
「……セリスは、オスカーといるときが一番楽しそうだな」
「殿下との間に思い出がないのが幸いしましたね。どうしても我々は覚えていらっしゃらないことに寂しさを感じてしまいますから」
「……そうだな」
「陛下、ご自身のご子息に嫉妬なさるのは些か情けないですよ」
最側近であり友であるハディルは言葉に遠慮がない。
ハディルはブラウディ公爵家の庶子。俺の大叔父である公爵が愛人だった異国の踊り子に産ませた子で母譲りの褐色の肌から蛮族扱いされて貴族社会で忌避されていた。同じく聖女ローナの息子として王子であるのに関わらず忌避されていた俺。はじかれた先で出会い、同病相憐れむで仲良くなり、今では信頼している最側近だ。
……情けない、か。
「追加のお仕事です」
サインをした決裁書類を戻すために部屋を出たハディルが書類を持って戻ってきた。
「ハローズ侯爵からの陳情書です」
「……セリスを廃妃にしろというバカげた提案か」
「馬鹿の一つ覚えで廃妃廃妃と騒ぐ阿呆たちによるものですが……議会に提出された以上は速やかに片付けなくては」
セリスを廃して新たな王妃を立てるなどと阿呆たちが言い出したのは「セリスが聖女の力を失った」という噂が貴族たちの間で流れているからだ。
実際はセリスがこれ以上ローナから悪意を伝承しないように天竜がセリスの記憶と共に聖女の力を封じているのだが、聖女の神力が穢されている上に聖女セリスが魔獣になるかもしれないなどと知られたら世界が混乱するため納得できる説明を考えているうちに阿呆たちが先んじて廃妃案を騒ぎ立て始めた。
「聖女だから王妃の資格はないなどと無礼千万」
ハローズ侯爵は阿呆の筆頭。奴は七年も眠っていたセリスには社交や外交がままならないと言い、さらには聖女でなくなった以上は王妃にしておく必要もないと言い放った。あの瞬間、グリーンヒル侯爵から吹き上がった殺気は半端なかったが羨ましいことに阿呆たちは危機感が鈍かった。
「しかも後釜に据えようとしているのがマチルダ側妃。その理由が陛下の真実の愛だからと寝呆けたことを」
先王の子を産んでマチルダは側妃になったのだが、どうしてかこの話はねじ曲がり、セリスが聖女だったため俺はセリスを王妃にしなければならず、俺は自分の子を産んだ愛するマチルダを守るために形だけ先王の側室にしたという噂話に改造されていた。
「噂を信じて自ら断頭台にあがろうとするとは阿呆の極み……いや、以前から馬鹿だとは思っていた。俺とマチルダのありもしない噂を信じてハローズ侯爵はマチルダを養女にしたのだからな」
「ハローズ侯爵にはグリーンヒル侯爵がきつく灸をすえるでしょうが……まさかグリーンヒル侯爵が王妃様の廃妃案に賛成して議会に提出するとは」
「……頭が痛い」
グリーンヒル侯爵を筆頭にあの家の者たちは国政に積極的に参加しないため穏健派と思われているが、自分らの身内に害を与えようとするなら徹底的に抗戦する人たちだ。忠臣とも言われているが、国が荒れれば自分たちもその煽りを食うと分かっているからだ。
身内を大切にする彼らがセリスをあの状態にしたことで俺を責めなかったのは、経緯はどうであれセリスは覚悟の上であの状態になったと侯爵は考えたからだ。
「噂であっても、あんな風に王妃様に恥をかかせた陛下を侯爵はずっと怒っていたのですね」
グリーンヒル侯爵の優先順位は分かりやすい。セリス、オスカー、そして俺(国)だ。セリスがあの状態でも国に尽くしたのは、オスカーがいずれこの国を継ぐから孫の財産を守ったに過ぎないというわけだ。
「王妃様が離縁したいと言ったら城に攻め込んででも離縁させるでしょうね」
「……セリスに離縁しましょうと言われたら泣く自信がある……しかし、侯爵まで俺がセリスが聖女だから王妃に迎えると思っているとは」
父娘して……。
「あの頃の陛下は『嫌で嫌で仕方がない、義務だから仕方がない』という態度で王妃様に接していましたからね。私などは陛下の不器用さを大笑いしながら見ていましたが、侯爵からしてみれば王妃様が不憫で仕方がなかったのでしょうね。王妃様の恋情を知っているから尚更」
客観的に噂を真実としてみれば侯爵が俺とセリスの結婚を反対したかったのはセリスが俺を好いていたからに過ぎない。そうでなければ愛娘を「仕方がない」で受け入れる男に嫁がせるなど決して認めなかったはずだ。
「まあ、きっと、侯爵が議会にそれを提出したのは陛下への灸でしょう。王妃様は責任感のある賢しい方なので離縁したいとはおっしゃらないでしょう。オスカー殿下もいますしね」
相変わらずハディルはものをずけずけと言ってくれる。
「侯爵の落としどころは南の離宮での別居あたりかと。これについては王妃様の記憶が戻れば大丈夫と言いたいですが、別居の確率が高まるだけですね」
……もう少し薄紙に包んで欲しいと言うのは贅沢か?




