第12話 母様と過ごす時間(オスカー視点)
「母様、あのガゼボで休憩しましょう」
僕が「母様」と呼ぶと母様はまだ少し戸惑った表情を浮かべる。でも僕も「母様」と声をかけるのにまだ少し戸惑うからお相子。僕が生まれた日から眠っていた母様が僕の声に応えてくれる。嬉しい、けれどまだ慣れない。
目覚めた母様は記憶を失っていた。
正確には父様の竜が母様の記憶を預かっているんだって。預かっているのならいつか返してくれるのかと父様に聞いたら、母様に記憶を戻すには色々やることがあって、もしかしたら母様に記憶を返すことはできないかもしれないんだって。
それを仕方がないと受け入れられたのは、僕には母様との思い出がないからだと思う。思い出があったらきっと「どうして覚えてないの?」と母様を責めてしまったと思うんだ。
「ここ、僕のお気に入り」
僕が生まれた日から眠っていた母様は僕のことを知らない。僕も母様のことを知らない。知らないから教えてあげる。知らないから教えてね。
「とても素敵なところね」
母様の声は僕が想像していたよりも少し低くて、僕の耳にふわりと聞こえる心地のいい声。間延びしていないのにおっとりと聞こえる柔らかな話し方。
「この前案内してくれたガゼボも素敵だったけれど、私はこっちのほうが好きだわ。オスカーはどっちが好きなの?」
「僕もこっちのほうが好き」
僕の言葉に「一緒ね」と母様が僅かに口角をあげる。そんな母様を見ていたら母様が自分の頬に手を当てた。
「まだ笑顔が変かしら。ごめんね、本当に嬉しいのよ」
「変じゃないし、無理に笑わなくても大丈夫。僕はもう分っているから」
目覚めたばかりの頃、母様はいつも無表情だった。それが怒っているように見えてしまって僕は泣いた。こっそり泣いたんだけど、どうしてか母様に知られてしまって、母様は体が上手く動かせないのだと教えてくれた。
ずっと動かないでいると体は動かし方を忘れるらしい。「色々忘れちゃったのね」と言う母様はやっぱり無表情だったけれど、僕には困ったように笑っているように見えた。
「風が気持ちいいわ」
「向こうに小さな川があるんだよ。母様がもっと歩けるようになったら川まで行こうね」
母様は頑張って歩けるようになった。最初は立ち上がるのにも侍女たちの手を借りていたのに、今ではこうやって庭を歩いている。母様はおてんばだったと聞いたときは疑っていたけれど、外に出たがるところみると本当なのかもしれない。
「お茶のご用意をいたします。風が冷たいのでこちらをお使いください」
「僕がやる」
侍女のソニアが僕にショールを渡してくれた。ソニアは父様の侍女筆頭の娘で、父様も僕も信頼している。だからまだ若いがソニアを母様の専属侍女にした。自分の身を守ることができない母様の傍に下手な侍女を置くわけにいかない。
「母様、無理しないでね」
「……オスカーには分かってしまうのね」
母様は最近焦っている。
「何かしていないと、色々考えてしまうの」
母様は父様たちとの思い出を自分だけ忘れてしまったことを申し訳ないと思っていて、思い出したくて気が急いているんだ。それに父様たちも気づいていて、母様を急かさないようにのにできるだけ顔を合わせないようにしている。
「だからと言って母様は無理をし過ぎると思います。知っているんですよ、母様の部屋の灯りが夜遅くまで点いていること。何もしないのは落ち着かないだろうからと父様は政務の一部を母様に預けましたが無理しないようにと言ったはずです」
「……まだ七歳だというのにしっかりして」
「お褒めの言葉ありがとうございます。でもまだ怒っています」
父様の様に威厳を込めて怒っていると言うと、母様は目を瞬いて、次の瞬間、笑い声をあげた。母様の笑い声を聞くのは初めてで……驚いた。
「オスカーは、いつもそうやって陛下に怒られているの?」
「……うん」
「頑張り屋さんなのね」
「……母様似だって、よく言われる」
母様は物語に出てくる妖精のように淑やかな姿をしているけれど逞しい。海を越えてお嫁にいったあのジョケツの王妃様と友だちだと納得してしまう……そういえば「ジョケツ」の意味を父様に聞くのを忘れちゃった。
「父様も、心配しているよ」




