参謀の戦術 #29
「って、何また虫食ってんだ、サラ、お前はぁー!」
「わあぁぁん! ゴメンゴメン、ティオー! ついつい、いつもの癖でぇー!」
訓練場の緑化された休息地からボロツが去った後、サラはさっそくティオに叱られていた。
ティオは、サラのプニプニしたほっぺたを両手で引っ張ってしばらく説教した。
それは、最近時折見かける光景で、二人の間にはこれっぽっちも甘ったるい雰囲気などなかったのだが……
そんな二人をそうっと遠くから見ている傭兵達は、一様に何か含みのある表情を浮かべていた。
(……ううっ! まただー。最近ティオと二人で居ると、いっつも変な目で見られるんだよねー。……)
サラは敏感に団員達の視線に気づいて、金色の眉をひそめた。
どうやら、最近の特訓のおかげで、周囲の気配により敏感になっているようだった。
訓練の成果が出ているのを実感出来るのは嬉しかったが、それがこんな状況だというのは複雑な心境だった。
そう、サラがここの所「大きな問題」として悩んでいたのは、まさに「これ」だった。
ティオが傭兵団の作戦参謀として働きだしてからというもの、傭兵団内に「サラ団長とティオは付き合っている!」「どうやら二人は恋仲らしい!」という噂が、まことしやかに囁かれるようになってしまったのだった。
最初は……
「違うよ。」「違うよー。」「違うってばー。」「違うのー!」「ち・が・う!」「もう、違うって言ってるのにぃー!!」
などなど、噂を耳にするたびいちいち否定していたサラだったが、一向に噂は収まらず、それどころか……
「サラ団長が照れてる!」「別に恥ずかしがらなくてもいいのによう!」「団長にも可愛い所があるんだなぁ!」などと団員達にからかわれる始末だった。
ちなみに、最後のセリフを吐いたうっかり者は、その直後サラに「私は可愛い所だらけでしょー!」と、鉄拳制裁を食らっていた。
そんな状況が続く内に、サラは、ふっと思った。
(……なんか、もう、面倒くさい。……)
サラの中にも、ほんのちょっぴりあった傷つきやすく繊細な乙女のハートは、「面倒くささ」の前にあっけなく敗北していた。
そして、サラは、それ以降、団員達に何かヒソヒソ囁かれても、何も聞こえなかった事にして、完全に無視するようになったのだった。
□
サラが否定しても否定してもティオとの関係が疑われ続けたのには、理由があった。
それは実に単純明快で、サラがティオを自分の部屋に呼んで、一緒に寝起きし始めたせいだった。
実際は、サラは、ティオの手癖の悪さを警戒していただけだったのだが。
ティオを強引に同室にしたのは、自分の目の届かない所で妙な事をしないようにと監視するのが目的だった。
ティオの盗みの腕は、残念な事に他に類を見ない程天才的で、それはほとんど宝石のみに発揮されるとはいえ、その気になれば、通りすがりに人の財布をスる事など造作もないのは、以前街のチンピラに絡まれた一件で実証済みだった。
そんな比類なき盗みの腕と緩い倫理観を合わせ持ったティオを、正義感の強いサラが放置しておける筈もなかった。
とはいえ、昼間のティオは、サラの知らない内にフラッとどこかに姿を消している事も多かった。
しかし、それは、ティオが熱心に傭兵団の作戦参謀としての仕事をしているが故だった。
訓練用の用具や、訓練場の施設を充実させるための資材の調達をはじめとして、武器防具を城下町の鍛冶屋まで発注しに行ったり、軍資金を得るために軍隊のお偉いさんに掛け合ったりと、休む間もなく奔走していた。
最初は(隙を見て何か悪さをしているのでは?)と疑っていたサラも、今は、そんなティオの働きぶりに感心して、すっかり任せている状態だった。
「傭兵団を勝たせるために強くする」と言っていたティオの言葉に嘘がなかった事を、サラは日々実感していた。
ティオは有言実行の人物なのだと信用し、彼の自由にさせてあった。
この様子では、夜間も放っておいても問題は起こさなそうではあったが、サラはそのままティオを自分の部屋で寝起きさせ続けていた。
「サラ、俺、別の部屋に移りたいんだけどー。ホント、マジで悪い事しないからさー。実際、ここの所なんにもしてないだろー、俺ー。」
と、ティオがたまに愚痴る事あったが、サラはしれっと無視していた。
もはや、「ティオがまた何かしないか心配」というよりは、一度ティオを自分の部屋で暮らさせた後に、ポイッと放り出すと、それはそれでまた団員達に「なんだなんだ?」「あの二人に何かあったのか?」と噂されそうで、それが煩わしかったのだ。
それに、ティオとの同室は、サラにとって想像していたよりずっと快適だった。
確かにティオには盗み癖があり、かつ最悪な事にその腕があまりにも良いのが問題だったが、別の見方をすると、それ以外の事では、全くサラにとって害のない人物だった。
ティオは、ボロツのように、隙あらばサラをジーッと見つめてきたりなどしない。
ボロツも、あれで、サラには全力で紳士的な態度で接しており、いやらしい目で見たり、ベタベタ体に触ったりといった事はしてこないのだが、それでも、ついついジーッと目で追ってしまうのはどうにもならないようだった。
仲間として日中接している分にはいいが、ゆっくり休みたい夜までそんな目で凝視されるのは、さすがにサラも気が重かった。
しかし、ティオは、自分でも言った通り、本当に「宝石にしか興味がない」らしく、サラに対してムダに熱い視線を注いだりといった事は全くなかった。
それはそれで、「絶世の美少女」を自負するサラにとっては、自分に魅力が足りないと言われているようでムッとする場面もあったが。
それでも、ティオは、サラの事を一応「女の子」と認識してはいて、さり気なく気を使ってくれていた。
サラが湯浴みをする時は、何も言わずともスッとどこかに姿を消している。
着替えの時は、そのまま部屋に残る事もあったが、サラの方を見ないよう背中を向ける格好で机に向かっていたり、自分の毛布にくるまって眠っていたりする。
ベッドが一つしかないサラの部屋ではティオを床で寝かせるしかない状況に、(さすがに扱いが悪すぎるかな?)と最初こそ思っていたサラだったが、ティオ自身は全く気にしていない様子だった。
ティオがザックリと語った、彼の生い立ちや経歴からして、「室内で、毛布があれば、上々」という感覚のようだ。
ティオは、夜、就寝時間がくると、自分の毛布を床にさっさと敷いて横になり、五分と経たずあっさりと熟睡していた。
そして、朝がくるとスッと起き出して、毛布を畳み、邪魔にならないよう部屋の隅に片付けていた。
ティオは、傭兵団でも一番背が高く、185cmを超えるのだが、そんな彼と同じ部屋に居て、サラは全く圧迫感を感じなかった。
ムダな事をうるさくしゃべったりせず、動きもスムーズでほとんど音がしないせいだろうか。
静かで、邪魔にならず、時折そこに居る事さえ忘れそうになる。
まるで、植物の鉢か何かを部屋に置いているような気さえする程だった。
(実は結構、ティオと同じ部屋で暮らすのは楽しかった。)という気持ちをサラが自覚するのは、もう少し先の事だったが。
□
ともあれ、ティオを自分の部屋に呼んで一緒に寝起きするようになったいきさつを、サラは他の人間に一切語れなかった。
ティオに、彼の正体を明かすような事はしないと約束しているためだった。
じゃあ、何か適当に理由をでっちあげれば良かったのだが、残念ながら、サラには、そんな知恵や創造力がなかった。
また、どんな理由であれ嘘をつくのは、サラの中の正義に反する行為なので嫌だった、というのもある。
おかげで、サラはティオと「付き合っている」だの「恋仲」だのという噂を、いまいち完璧に否定出来ず、結果、二人の噂は、日々傭兵団の中で浸透していき、いつしか「公認」となってしまっていた。
もう、ここまでくると、サラには、事態を改善する方法が全く思いつかなかった。
「なあ、サラからみんなに言ってくれよー。俺、サラみたいな、こう、小柄で幼く見えがちなタイプが好きな、変わった趣味のヤツだと思われるの、嫌なんだけどー。後、妙にボロツ副団長に突っかかられるしさー。俺、副団長の好みなんて、全然理解出来ないってのにー。」
二人で訓練場の木の下に居る所を、団員達にチラチラ意味ありげな目で見られて、ティオも居心地が悪いらしく、そんな事をサラに訴えてきた。
サラに向かって、「チビ」「ガキ」「まな板」は三大地雷ワードであり、ティオは巧みにそれをかわして説得しようとしていた。
「嫌よ、面倒臭いー!……誤解されるのが嫌なら、ティオが自分でみんなに言えばいいでしょー? アンタ、私よりずっと喋るの得意なんだからさー。」
「いやいや、こういう時は、傭兵団の団長たるサラの発言の方が、影響力デカイだろー?」
サラとティオは、しばらく「お前が弁明しろ!」と押しつけあっていたが、そんな二人のやりとりも、はたから見れば仲良くじゃれているように見えるらしく、ますます団員達の目は生ぬるくなるばかりだった。
ティオをいきなり傭兵団の「作戦参謀」という耳慣れない役職に就けた事も、二人の仲を疑われる大きな一因だった。
これも、サラとティオ、二人の秘密のやり取りで決めた事だったので、他の人間に一切事情が説明出来なかった。
一応サラは、ティオを「推薦した」格好になってはいるが、最強の戦士である団長の発言力が絶大な傭兵団において、それはもはや「命令」に等しい行為だった。
全く誰にも相談せず、突然サラの独断でティオを要職に就けたとあっては、二人の間に何かただならぬ事があったのではと疑いたくなるのも至極当然だった。
実際、サラは、「ティオの野郎がサラ団長に取り入った」という言葉を、団員達から聞いていた。
ボロツ以外、面と向かって言ってくる者は居なかったが、身体能力の秀でたサラは、団員達が聞こえないようにひそめた声も、地獄耳によってしっかり聞き取ってしまっていた。
ティオの事を「恋人だからサラ団長に贔屓されている」と囁く者は多かった。
しかし、ティオがひとたび作戦参謀として傭兵団の指揮を取り出すと、そんな噂は次第になりをひそめていった。
ティオの良く練られた戦略と徹底した態度に驚かされる者は多かった。
今まで、戦闘では全くの役立たずのお荷物と認識されていたティオだったが、頭の回転の速さ、知識の豊富さ、弁舌鮮やかな交渉力をもって、腕力だけではない八面六臂の活躍ぶりに、皆圧倒される結果となった。
ここにきて、初めて、ティオの有能さが傭兵団に広く知れ渡る事となった。
が……
「なるほどなぁ。サラ団長は、ティオのああいう所に惚れたんだな。」
と、逆に妙に納得されてしまった事に、サラは内心歯ぎしりしていた。
「いやいや、ティオの方がサラ団長に惚れて、それで必死になったって事じゃねぇの? 好きな女のためなら、えんやこらってなもんよ。」
「男になって、一皮むけたってか。なるほどなぁ。」
まあ、サラだけでなくティオの方も、団員達に好き勝手に噂されていたが。
(……男になるって、何ー? ティオって、元々男だよねー?……)
サラは、囁きを耳に挟んでチラと不思議に思ったが、あまり関心がなかったため、深く追求する事はなかった。
□
「じゃあ、俺はそろそろ行くぜ、サラ。」
「え?」
ティオが色あせた紺のマントを揺らしてきびすを返したのを見て、サラは思わずタタタッと走り寄っていった。
「もう行くの?」
「ああ。片手剣部隊と大盾部隊の合同練習を見てくれってボロツ副団長に頼まれたしな。」
「えー! 私の特訓はぁー? 見てくれるって約束でしょー? 私の方が先に言ったんだからねー!」
「そっちも、余裕があったら後で見に行くってー。」
「そう言って、いつも『忙しい! 忙しい!』って、全然来ないくせにー!」
「ハハ。まあ、サラは放っておいても平気そうだからなー。今の感じで問題ないだろ。大丈夫だってー。」
スタスタと足早に歩いていくティオの周りをクルクル走り回りながら、「ズルイズルイズルイー!」と抗議するサラだったが、ティオは軽く笑って流すばかりだった。
「そんなにむくれるなよー、サラー。せっかくの美少女がブスになっちまうぞー。」
「えっ! ヤ、ヤダー! ヤダヤダー!」
「ハハハハハ!」
ティオは、途端に真っ赤な顔になって慌て始めたサラの頭を、楽しそうに笑って、ポンポンと手の平で軽く叩いた。
先程、バッタを食べたサラをたしなめる時にほっぺたを引っ張ったのもそうだが、こんなふうに気さくにサラに接してくるのは、ティオだけだった。
プウッと不満そうに頰を膨らませながらも、そんな屈託ないティオの態度を、サラはどこか嬉しく思っていた。
「じゃあ、また後でな、サラ。」
「うん。」
ティオは、優しく微笑んだ後、再びクルリと背を向けて歩き出していた。
サラは、コクリとうなずいてそんなティオを見送ったが……
次第に遠ざかっていく、ティオの歩みに合わせて紺色のマントが揺れるその背中に向かって、無意識に手を伸ばしかけ……
ハッと気づいて、すぐに手を引っ込めた。
(……ティオ……)
ティオが立ち去るの見て、思わず引き止めたくなる気持ちが、微かにサラの中にあった。
もう少し、二人で話していたいと感じていた。
サラは、胸の奥がじわりと痛むような不思議な気持ちをもて余し、トントンと拳で自分の胸元を叩いた。
けれど、次の瞬間には、バサッとオレンジ色のコートを翻し、元気良く歩き出していた。
「休憩終了ー! さ! まだまだ頑張るぞー!」
読んで下さってありがとうございます。
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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「訓練場にある休憩所」
訓練場の一角に木々が植えられ緑化された場所がある。
ベンチ代わりに大きな石が点々と地面に埋められている。
現在訓練中には水の入った桶が置かれ、乾いた喉を潤す事が出来るようになっている。




