参謀の戦術 #28
「サラ、お前は金輪際、変なのものを食うな!」
ティオが、厳しい口調でそう言い放ったのは、サラの部屋で一緒に寝起きする事を取り決めた時の事だった。
サラが、「勝手に私の記憶を読まないで!」という条件を出すと、その交換のようにティオが言ってきたのがこれだった。
サラは、しばらくポカーンとしたのち、カクッと首をかしげて尋ねた。
元々あまり知的な雰囲気がないサラではあるが、この時は輪をかけて幼児を思わせるボケぶりだった。
「私、変なもの食べた事なんて、今まで一度もないよー。」
「はい、ダウトー!!」
ティオは、若干かすれ気味の声でそう叫ぶと、捕まえた犯人を取り調べる警官のような、深い疑いの眼差しを向けてきた。
「大体、初めからおかしいと思ってたんだよ!……サラ、酷い方向音痴のお前は、町から町への移動中、当然のように何日も森の中で迷うよなぁ。そして、計画性の欠けらもないから、日持ちのするパンや干し肉みたいなものを買って持ってる筈もないよなぁ!……じゃあ、その森の中で道に迷ってる間、サラ、お前が何を食べて飢えを凌いでるのかって考えると、自ずと答えは見えてくるんだよ!」
「えー、ティオってば、旅する時に食べ物買ってるのー? そんな面倒な事しなくっても、その辺に生えてる草とか、見つけた動物とか適当に食べればいいのにー。……まぁ、確かに冬の間は食べ物がなくって困った事もあったけどー、最悪、木の皮とか根っことかー、土だって食べられない事もないしー。あ! あのねあのねー、土も色によって味が違うんだよー。私が一番美味しいと思う土の色はー……」
「やっぱりか! つーか、土の味の情報なんか要らねぇ!」
ティオは、しばらくボサボサの黒髪をワシャワシャと両手で掻きむしった後、キッとサラを睨みつけた。
「サラ! よーく聞け!……この世界で『食べ物』と言っていいのは、町の店で売っているようなものだけだ!」
「つまり……野菜! 穀物! 豆! イモ! キノコ! 鳥、豚、牛、ウサギ、などの動物の肉! 動物から取れた、乳や卵や油! 各種の魚! 木の実、果実! そして、それらを干したり、調理したりして作られた加工品!……この中に入っていないものは、一般的な食べ物じゃない!」
「え……うええぇぇぇー!?」
それは、サラが、この三ヶ月で一番衝撃を覚えた瞬間だった。
ガガーン! という大きな音が出そうな驚きで、サラは、つぶらな美しい水色の瞳を見開いていた。
「……つ、土は? 土は、食べ物じゃないのー?」
「食べ物の訳ないだろう!」
「じゃ、じゃあ、木の皮は?」
「木の皮も食べない!……野草は、森の中を歩く時の食料にはなるが、それも一部の美味しいものだけだ! 毒のある草なんて、言語道断だ!」
「ええー? じゃあ、一体何ならいいのよー?……あ! 虫! 虫はいいよねー! だって、虫はすごーく美味しいもん!」
「虫を売ってる店がどこにあるんだよ、アホ!……確かに、地方によってはごく稀に食べる習慣はあるけどな。ギリギリ珍味の基本ゲテモノの分類だ、あれは! ってか、虫なんか美味いか? いや、俺は食った事ないから知らないけどな! 一生食いたくもない!」
とまどうサラを前に、ティオは、ビシッ! ビシッ! ズビシィ! と指差しながら、超早口で列挙した。
「サラ、お前はとりあえず、食堂に並ぶ料理以外は口にするな!」
「いいか、食べていいのは、穀物、野菜、豆、イモ、キノコ、動物の肉、乳製品、卵、魚、木の実や果物、そして、それらの加工品、この辺りまでだ! さっき言った、町の食料品店で売っているもの、それが基準だ! それ以外は、一切食べるな!」
「ええぇぇー! そんなぁ! 酷いー! お腹空いて死んじゃうよー!……あ! ねぇ、そうだ! ミミズはどうなのー? ミミズは虫じゃないよねー?」
「ミミズは確かに虫じゃない! でも、食うなぁー!」
「ええー、美味しいのにぃー! ミミズ大好きなのにぃー!」
□
ティオがここまで我を忘れて激しい口調になるのは初めて見るので、さすがのサラも少しうろたえていた。
ティオも、少し興奮し過ぎたと思ったらしく、フウフウ肩で息を切らしいたのを落ち着かせてから、未だに少しポカンしているサラに改めて向き直った。
「……サラ、お前、あれは、確か一昨日の事だったな。みんなで食堂で夕食をとってる時、あの、たまに食堂に出る、黒っぽくて足の速い虫を捕まえてただろう?」
「食堂に出る足の速い虫ー?……ああ、確か、ゴキブ……」
「その名前を言うなぁー! バカ野郎ー! 頭の中にあの気色悪い姿が思い浮かんじまうだろうがぁー!」
ティオは、目を血走らせ、血を吐くような勢いで叫んでいた。
思わずサラも、ビクッと体を強張らせる。
「……じゃ、じゃあ、なんて呼んだらいいのよー?」
「『絶対名前を言ってはいけない例のアレ』とか言っておけ! それで十分通じるから!」
「……わ、分かった。これからはそうする。」
サラがコクコクうなずくと、ティオは、眉間にシワを寄せ遠くを見るように目を細めて、再び話を始めた。
「……お前、『アレ』を捕まえた瞬間、口の中に放り込んでたよな? うっかりその現場を見ちまったんだよ、俺は!」
「え! ティオ、見てたの? 誰にも気づかれてないと思ってたのにー。……あのねー、『アレ』は虫の中でも、とっても美味しいんだよー! 口の中で潰した時のプチッとした感じとかー、バリバリ歯ごたえのある羽とか足とかー。」
「うわあぁぁー! やめやめやめやめ! そういう、詳しい感想は要らない! 一切要らない!」
「そ、そうなのー?……とにかく、とっても美味しい貴重な虫だからー、見つけたらすぐに捕まえて食べるようにしてるんだー。他の人に見つかったら、その人が捕まえて食べちゃうでしょー?」
「いや、その心配は全くない。……そうか、それで、あの時のお前は、妙にコソコソ見つからないようにしてた訳だな。周りの人間が目撃せずに済んだのは、不幸中の幸いと言うべきか。」
「だってー……前にどこかの町の食堂で、カサカサって出てきたのを捕まえて食べたら、周りに居た人達が、カチーンって固ってねー。その後も、なんかシーンと静まり返っちゃってー。……きっとみんな、あの美味しい虫を食べたかったのに、私が一人で食べたから、怒ったのかなーって。……だから、『アレ』を捕まえて食べる時は、なるべく人に見つからないようにしてたんだよねー。」
「……そうか。よーく分かった。」
ティオは、ハーッと胸の底から大きなため息を吐き出すと、ガシッとサラの華奢な両肩を掴んで、噛んで含めるように言った。
「サラ……二度と『アレ』は食うな!」
「ええぇぇー! ヤダー! 絶対ヤダァー!」
「ヤダじゃない、食うな!……サラ、お前ぇ! お前が食堂で『アレ』を食ったシーンをたまたま見ちまった俺が、どんだけ大きな精神的ダメージを負ったと思ってんだ? 胃がムカムカして、せっかくの飯がろくに喉を通らないわ、何度も吐き気を催して、その晩は安眠出来ないわで、地獄のようだったんだからなぁ!」
「えー? ティオって、ちょっと潔癖過ぎないー? あー、あれでしょうー? 地面に落ちたものを『綺麗に洗わないと食べられないー!』とか言うタイプでしょー?」
「普通地面に落ちたものは食べないし、最悪食べる時は綺麗に洗うものなんだよー!……ってか、サラ、お前は、いろいろ食べ物に対して雑過ぎだ! お前の異能力は、肉体が強化されてるものだと思ってたが、どうやら胃袋まで強化されてるみたいだな! 後、『美味しい』って感じる味覚の範囲が、どう考えても広過ぎだろ! おかしい! 異常だ!」
「……俺は知ってるぞ、サラ、お前が、訓練中にも、ミミズやらナメクジやらイモムシやらを見つけると、すかさず口に放り込んでるのをなぁ!」
「ティ、ティオってば、そんな事まで知ってたのー?……エヘヘ、体を動かすと、お腹空いちゃうんだよねー。……み、みんなには内緒にしててねー。食いしん坊だと思われると、ちょっと恥ずかしいよー。」
「恥ずかしがるポイントが違ーう! おやつ感覚で、その辺の虫を捕まえて食ってんじゃねー!」
「とにかく! これからは、虫も虫以外も、変なものを食べるのは一切やめてもらうからな!」
「ええー! 嫌だー! ティオってば酷いー! 横暴だー! ヤダヤダヤダァー!」
「……ググググ……」
小さな子供のようにジタバタ手足を動かしてダダをこねるサラを、ティオは心底困ったような渋い表情で見つめていたが、ふと、ある事を思いついたようだった。
一旦深呼吸をして気持ちを整え、努めてニッコリと笑顔で語った。
「サラ、お前は知らないみたいだけどな、なんと、世間一般では……『美少女』は、虫をはじめとする変なものは、決して食べません!」
「えっ!?」
サラは、ティオの発言に驚きととまどいの表情を浮かべた。
自分の事を「世界で一番と言ってもいいぐらいの美少女」だと自負しているサラにとって、自分が「美少女である事」は「誰よりも強い事」と同じぐらい大きなアイデンティティーとなっていた。
それを、世間の一般常識で否定されるのは、自分のイメージどころか存在意義の崩壊に繋がる大ごとだった。
「……そ、そんなの、嘘、だよねー?……わ、私、今までそんな話の聞いた事ないしー。……」
思わず、プルプル震えながら弱々しい声になるサラを見て、ティオはここぞとばかりに畳みかけた。
「サラは、都会に来るのは初めてなんだろ? だから、知らなかったんだろうなぁー。でも、都会では常識中の常識だぞ。実際、都会の女性が虫を捕まえて食べてる所なんて、一度も見た事ないだろ?」
「……そ、そう言われてみれば……そう、かも。……」
「まあ、田舎では、たまに、ごくたまーに、捕まえた虫を食べる事もあるかも知れないけどなー、でも、たとえ田舎であっても、『美少女』は、絶対そういう事はしないんだよ!」
「……そ、そう、なの?……も、もし、すっごい『美少女』が虫を食べたらどうなるのー?……」
「それはもう、『本物の美少女』とは呼べないなぁー。うん。もし、万が一『美少女』と言うとしてもー……『残念な美少女』とか『ガッカリな美少女』とか呼ばれるヤツだなー。うんうん。」
「ざ、『残念な美少女』!?『ガッカリな美少女』!?……美少女でも、虫を食べてたら、みんなに、残念でガッカリだって思われちゃうって事ー?」
「そういう事だ! サラのように、見た目がどんなに美少女でも、たとえ世界一の美少女だったとしても、虫を食べたら、アウトなんだよ! その時点で、『本物の美少女』じゃなくなるんだよ!」
「……うっ!……う、ぐぐぐ……」
サラはギュッと目をつむった。
そのカーブした長い金のまつ毛の隙間から、ジワリと澄んだ涙が滲み、噛み締めた唇が色を失って白くなる。
サラは、震える両手のこぶしを強く握りしめながら、しばらく考え込んだ後……
潤んだ目でティオを見上げて言った。
「ティオ! 私、もう二度と虫は食べないよ!『本物の美少女』になるよー!」
「そうか! 分かってくれて良かったぜ! 頑張れよ、サラ! お前が『本物の世界一の美少女』になれるように、俺はいつも心の底から応援してるからな!」
「う、うん! ありがとう、ティオ!」
サラは、ティオの熱い応援に感動しつつ、目元に浮かんだ涙を慌てて腕でゴシゴシ拭いていた。
こうして、ティオの熱心な説得……もとい、得意の口先三寸の弁舌により……
サラは心を入れ替えて、これからは「普通の食事」「一般的な食べ物」を取る事を、固く心に誓ったのだった。
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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「絶対名前を言ってはいけない例の『アレ』」
食堂や厨房などに良く出没する、黒くてテカテカした足の速い虫。
サラの大好物で、見つけた時は他の人間に取られる前に捕まえて食べていた。
ティオに厳しく注意されたため、金輪際食べるのをやめた……筈。




