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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第五章 参謀の戦術 <中編>傭兵団の改革
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参謀の戦術 #11


 サラは、深い森の中に居た。


(……うわぁー、気持ちのいい所だなぁ!……)


 サラが三ヶ月前、たった一人で目が覚めたのは、草木の枯れた真冬の寒々しい森の中だったが……

 ここは、全く別の場所だった。


 春を少し過ぎ、けれどまだ本格的な夏には間がある、そんな季節のようだった。

 サラはこの三ヶ月程しか記憶がなかったが、不思議と、巡る季節の事は良く知っていた。


 人の気配の全くない深い森の奥の、サラを包むその空間には、清々しい緑の気配が満ちていた。

 周囲をぐるりと見まわしてみたが、大きな木々が立ち並ぶ森が延々と続き、果ては見えない。


 サラの近くには、一際古く大きな、貫禄のある、森の主のごとき大樹が静かに佇んでいた。

 見上げると、緑の葉は天上から降ってくる光に透け、重なりの量の違いにより、一箇所として同じ色のないモザイクを描き出していた。

 何人もの大人が手を伸ばしても囲めない程の太さの幹には、幾重にもツタが絡み、ツタの葉もまた、艶やかな深い緑に染まっている。

 足元には、そよ風に合わせてチラチラと木漏れ日が揺れ、その光の輪の中で、木の根に生えた苔が、発光するように美しい黄緑色をたたえていた。


 多種多様な、無数の、いたる所に溢れかえる、緑、緑、緑。

 葉から発せられる水分を多く含んだ空気は、周囲を潤わせている。

 清らかな光と水に育まれる、数え切れない大小様々な健やかな命のざわめきが聞こえるかのようだった。

 風と葉擦れの音以外ほとんど物音のない空間だというのに、辺りに満ち溢れる命の豊富さ故、とても賑やかに感じられた。


 やがて、どこからか小鳥の群れが大樹に渡ってきた。

 敵の居ない平和な環境だと知っているらしく、のびのびと枝葉で遊びまわり、楽しげに鳴き交わしている。

 小鳥がその嘴に咥えてきたのか、ポトリと、サラの足元の草の上に、木の実が落ちてきた。

 小さなまん丸い真っ赤な実が二つ、一つの枝に根元を同じにして茎を伸ばし、双子のように実っている。

 サラは、その木の実を拾って、口に含んだ。

 途端に口の中に、甘い香りと酸っぱい味覚がいっぱいに広がった。


 サラは、大樹の根元の苔の上に腰をおろして、背中を幹にあずけ、ゆっくりと大きく深呼吸した。


(……いい匂いだなぁ。ここの匂い、凄く落ち着く。大好きな匂いだぁ。……)


 ……先刻小雨が降ったのか、雨水を含んだ土の匂いがする……

 ……踏みしだいた草から立ちのぼる、青い匂い……

 ……初夏の瑞々しい樹木の葉が発する、胸をすくような清々しい匂い……


 ……そして、何より、今体を預けている大樹の内から密やかに滲み出てくる、木の匂い……


 ……その匂いには、巨大な姿にふさわしく、荒々しいまでの威風堂々たる趣があり……

 ……同時に、気が遠くなる程長い年月を経てきた事を感じさせる、穏やかさと包み込まれるような広がりがあり……

 ……そして、その奥に、微かに、酷く懐かしい、胸の奥がツンと痛くなるような、優しい甘さが潜んでいた……


 サラは、その匂いが心地良くて、何度も何度も、鼻を寄せ、深く息を吸って、匂いを嗅いだ。



「……ラ……サラ……」


 誰かが近くで自分を呼んでいるのに気づいたが、サラは無視して目をギュッと閉じた。

(……もう! 今、すっごく気持ちいい所に居るんだから、そっとしといてよねー!……)

 けれど、そんな抵抗も、現実の音や気配には虚しく……

 サラが見ていた、心地良い深い森の夢は、みるみる頭の中から掻き消えていった。


「おい。おい、サラ。そろそろ起きろって。あんまり寝てると、ボロツ副団長が起こしに来ちまうぞ。」

「……ん……ティ、オ……」


 サラは、うっすらを目を開け、すぐ目の前に見慣れた顔があるのに気づくと……

 「ギャッ!」という潰れたカエルのような悲鳴と共に、グイーッとティオの顔をなるべく自分から離そうと片手で押した。

 「あだだだだ!」とティオが苦痛を訴えるが、あまり遠ざかった感じがしない。

 それもその筈で、ティオの腕を、サラ自身が、もう片手でギュウッと胸に抱きしめていたのだった。


 サラは、ようやくハッキリと目が覚めると、ハッと気づき、当然、慌ててバッとティオの腕を放した。

 体に掛かっていた毛布を引っ掴むと自分の胸に押し当てて体を隠し、ザザッとティオから遠ざかる。


「……な、なな、な、なんで、ティオが、私の布団に入ってるのよー!!」


「私が可愛いからって、超美少女だからってぇ、へ、へへ、変な事しようとしてたんじゃないでしょうねー!? ちょっとでも私にいやらしい事したら、本気でぶん殴るんだからねー!」


 毛を逆立ててシャーシャー唸る猫のごときサラの様子を、ティオは、感情が死んだかのような真顔でしばらく黙って見つめていたが……

 やがて、ポツリと言った。


「いや、ここ、俺の布団だから。」


「寝ぼけて入ってきたのは、お前の方だっての、サラ。……あー、うーん、おかげでなんか良く眠れなかったなぁ。ふわぁーあー。」


「え!?」

 サラは、思わず引きつった顔で冷や汗を垂らしたが……

 布団の上に上半身を起こしたティオは、全く焦った様子も見せず、いつもと何も変わらない態度で、伸びとあくびを同時にしていた。

 サラが自分の布団に入ってきて、くっついて寝ていた事に関しては(邪魔だなぁ。寝にくい。)以外の感情をこれっぽっちも抱いていない様子だった。


 サラはキョロキョロと辺りを見回した。

 ……確かに、そこはティオの言う通り、サラの布団ではなかった。

 サラのベッドは、部屋の壁際に置かれており、上に布団が敷かれていて、そこに寝ていた痕跡としてシーツや毛布が乱れてもいたが……

 今、サラが居るのは、逆側の壁際に近い床の上だった。

 サラの部屋は上官用の個室で、宿舎の他の部屋に比べて広々としているものの、ベッドは一つしか設置されていなかったため、ティオは、床に自分の毛布を敷いて寝ていた。


 どうやら、サラは、自分のベッドで眠ったつもりが、気づかない内にティオの布団に入り込んでいたらしかった。


「んぎゃあ!!」

 事実を認識したサラは、ショックのあまり、手にしていた毛布で顔を覆って、改めて悲鳴をあげていた。


「だから、サラ、それ俺の毛布だから、返せってー。畳みたいんだけどー。」

 そして、ティオは、そんなサラの羞恥心などまるで気づいていない様子で、サラの持っている毛布をグイグイ引っ張っていた。



「ティオのバカー! どうして私が間違って布団に入ってきた時に、起こしてくんなかったのよー!」

「いや、何度も起こしたってー。それでも全然起きなかったんだよー。」

「じゃ、じゃあ、眠ってる所を持ち上げて、そっとベッドに戻してくれてもいいでしょー! 私は、ほら、ティオよりちょっとだけ背が低いんだから、ティオだって、私の事、持ち上げるぐらいは出来るんじゃないのー?」

「……ちょっとだけ背が低い?」

「何よぅ!?」

「あ、いや、なんでもない、です。」

 ティオの肩にさえ頭が届いていない状態のサラが、ギロリと睨んでくるので、ティオは複雑な表情を浮かべたまま口を閉じていた。

 サラの身長は145cmにも足りず、どこからどう見ても小柄で華奢な少女なのだが……

 「小さい」とか「チビ」だとか、まして「ガキ」などと、その身体的特徴に触れたりからかったりする言葉を掛けると、恐ろしい程切れ散らかすサラだった。


「だから、それも何度もしたんだってー。寝てるサラを持ち上げて、ちゃんとベッドに戻したよー。毛布も掛けた。」


「それでも、しばらくすると、またゴロゴロ転がって戻ってくるんだから、仕方ないだろー? 俺だって、寝たいしー。だから、サラを元に戻すのは諦めて、眠る事にしたんだよ。」


「……」

 サラは、ティオの話を聞いて、ギュッと下唇を噛み締めて黙り込んだ。


 どう考えても、自分の方に非がある事を、サラも内心思い知っていた。

 しかし、それを認めるのが、悔しくて仕方ない。

 相手がティオだというのもあったが、その当事者のティオが、八つ当たり気味に絡んでくるサラを軽く流して、さっさと毛布を部屋の隅に畳み、壁に掛かっていた上着とマントを手に取って、羽織ろうとしているのも癪に触る原因になっていた。

 普段なら、他の人間相手なら、素直なサラの性格からいって、「私が悪かったよー、ゴメンねー!」とすぐに謝れるの筈が、なぜだか、意固地な気持ちになる。


「バカバカ! バカティオー!」

「うわっ! なんだなんだ? サラ、お前、寝相も寝起きも悪いのかよー?」


 いきなりポカポカ背中を殴ってくるサラに、ティオは少し驚きながらも、相変わらず淡々と応対していた。


「ほら、お前も早く着替えろってー。朝の会議に遅れるだろー?」



(……べ、別に、私は、寝相悪くないもんねー!……)


 サラは、ティオが背中を向けているのを視界に入れて確認しつつ、サッと素早く寝間着を脱いだ。


 ティオは、マントを羽織り終えると、窓の戸を開けて、その下に置かれた机の前の椅子に腰をおろした。

 そして、机の上に紙を広げ、インクをつけた羽ペンを無心に走らせはじめる。

 自分の雑事を片づけているというていだったが、その間サラに対して背を向ける格好になるのは、やはり、着替え中のサラを見ないようにとの気遣いなのだろう。

 そんなティオの、さり気ない紳士的な対応に、サラはまた少しイラッとしてしまう。

 本当は、彼の気遣いに感謝すべきなのは分かっているが、冷静なティオを見ていると、ますます自分が子供っぽく感じられて、腹が立つのだった。


(……な、なんで、いっつもティオの布団に入り込んじゃうんだろうー? 一人で寝てた時は、ベッドから落ちる事なんて、一度もなかったのにー。……)


 そう、実は、サラがティオの布団に潜り込むのは、これが初めてではなかった。

 と言うより、ティオがサラの部屋で一緒に眠るようになってから、もれなく毎晩起こっていた事だった。

 

 サラは、自分は「寝相が悪くない」と思っていた。

 正確には、思い込もうとしていた。

 実はかなり活発にゴロゴロ動く方で、今までも何度かベッドから転げ落ちそうになり、ハッとなって慌てて真ん中に戻ったりしていた。

 しかし、確かに、一度もベッドから落ちた事はなかった。


 と言うか、これは、落ちるという以前に、明らかにティオの布団に入り込もうとしてベッドから抜け出しているような状態だった。

 けれど、いつもサラが熟睡している時に無意識で動いているので、サラとしては、自分のやっている事ながら、どうにも納得がいかないのだ。

 毎朝、ティオの布団の中で、彼のすぐそばで、いや、腕に抱きついたり、ピッタリ体をくっつけた状況で目を覚まして……

 その度に、サラは悲鳴をあげて、頭を抱える羽目になった。



「わ、わわ、私は全然、ティオにくっつきたいとか、一緒の布団で眠りたいとか、思ってないんだからねー!」


 サラは、奇行があまりに毎晩繰り返されるので、必死にティオに説明した事があった。


「……な、なのに、なんだか良く分からないけど、知らない内にティオの方に行っちゃってるのぉー! 眠ってる内に移動してるから、本当になんにも覚えてないんだってばー!……と、とにかく、私は悪くないんだからぁー!」


 サラは、眠っている時の自分の行動が、全く自分の意図していないものであり、感情に反すると必死に主張した。

 しかし、そんな、こぶしをギュッと握りしめ顔を真っ赤にして訴えるサラを、ティオはさして興味のなさそうな涼しい顔で見つめていた。

 そして、少し考えるように眉をしかめた後、短く言った。


「ふーん。ひょっとしたら、それも、サラの持ってる赤い石の影響かもな。」


「ええ? わ、私のペンダントの石の影響?」

「うん。まあ、サラの深層心理に働きかけて、精神世界の俺の精神領域まで強引にやって来るようなヤツだからな、その石は。眠った事で、サラによる肉体の支配が弱まった所を見計らってサラの体を操り、こっちの物質世界でも俺の持ってる赤い石に近づこうとしてるのかもしれないな。」

「ち、ちち、近づいてどうしようっていうのよー?」

「さあ、それは俺にも分かんねぇよ。なるべく近くに居たいとか、出来るだけ長い間そばに居たいとか、そんな感じじゃないかな?」

「じゃ、じゃあ、この赤い石のせいで、勝手にティオにくっついちゃうようになってるって事ー?……わ、私は、全然そんな事思ってないのにぃー! ヤダァー! すっごいヤダー! 超迷惑ー!」

「しょうがないだろー、そんな事言ったって、どうにもならないんだからー。……あ!……」


「そう言えば、一つだけ、解決法があるな。」

 ティオは、ふと閃いた様子で言った。


 サラは当然、ティオの胸ぐらを掴んでグイグイ引っ張る勢いで問いただしたが……

「か、解決法!? 何? 何? 教えて、ティオ! 早く教えてぇー!」

「ちょっ、サラ、痛い痛い! お前、いつも言ってるけど、自分のバカ力、もうちょっと制御しろってー!」

 ティオは、サラが手を離すと、顔を歪めて胸をさすりながら言った。

「……ったく。……解決法ってのはだな、実に簡単な話なんだよ。」


「サラの持ってる赤い石を、俺に渡せばいい。」


「そうすれば、赤い石達はいつも一緒に居られる訳だから、サラに対して妙な働きかけはしなくなるだろうぜ。」


「ええ!?」

 サラは声を裏返した。

「そ、それって……私の赤い石をティオにあげるって事ー?」

「別にくれなくてもいいんだぜ。一時的……いや、永久的に俺にあずけてくれればいいだけだ。」

「永久にあずけるって……それ、あげるのと何が違うのよー!」


 ちょっと意地悪く、ニッと歯を見せて笑っているティオを、サラはプウッと頬を膨らませてポカポカ叩いた。


「もうっ! ちょっと油断すると、すぐにあの手この手でこの赤い石を私から取ろうとするんだからぁー! ホンット悪いヤツー! 信用ならないー! 宝石オタクー!」

「ハハハハハ。」


 ティオ自身、こんな事でサラが自分の赤い石を手放す筈がないと予想していたのだろう。

 いつもの飄々とした掴み所のない表情で笑っていた。



「まあ、それは冗談としてー……」

「じょ、冗談だったのー!」

「半分な。半分は本気。」

「ティオなんかに、この赤い石は絶対絶対あげないんだからねー!」

「分かった分かった。そんなにむくれてばっかりいると、木の実を食べたリスみたいに、ほっぺたが伸びて戻らなくなっちまうぞ、サラ。」

「えっ! 嘘っ! ヤダァー!」

「だから、冗談だってー。」

「も、もぅー! バカバカー!」

「ハハハハハ。」


「まあ、とにかく……」

 と、ティオは仕切り直して、言った。

「サラが赤い石に操られて、眠ってる内に俺の布団に入ってくる事に関しては……」


「俺は特に気にしてないから、サラも気にするな。」


「サラの意思じゃなく、石が悪さしてるんだって事はちゃんと分かってるからさ。」


「……」

 サラは、思わず、キュッと唇をかみしめて黙り込んだ。


 ティオは、穏やかな笑みを浮かべて、困り顔のサラを見つめていた。

 こういうティオの冷静な対応や優しい表情を見ていると、彼が酷く大人に感じられる。

 そんな、宝石をなんの罪悪感もなく盗みまくる事以外では、とても良く出来た人物であるティオを前にすると、サラは、自分の事が、わがままばかり言っている子供のように思えて……

 悔しいような、恥ずかしいような、少し悲しいような、複雑な気持ちになるのだった。



「ねえ、ティオ、どうして私ばっかり、赤い石に操られるのー?」

「いや、俺も、この都に来たのは、おそらく自分の赤い石に影響された部分もあったんだろうって言ったよなー?」

「で、でもー、私みたいに、そのー……ね、寝てる間に、くっついたりとかー、そういうのは、全然ないじゃーん! 夢の中、じゃなくって、『精神世界』だっけー? あそこでティオの『精神領域』に行ったのも、私の方からだったしー。」


「なんで、ティオは平気なのー?」

「それは……」


「俺が、サラより精神的に成熟した人間だから?」

「成熟ー?」

「要するに大人って事だな。」

「わ、私は子供じゃないったらぁー! バカバカー!」

「ハハハ。」


 ティオは、ひとしきり、サラのいかにも子供じみた反応を見て笑った後、落ち着いた口調で言った。


「まあ、俺は、精神世界にサラよりずっと慣れてるからな。そのおかげだろ。」


読んで下さってありがとうございます。

ブクマ、評価、感想、いいね等貰えたら嬉しいです。

とても励みになります。



☆The 13th Sage ひとくちメモ☆

「サラとティオの赤い石」

二人がそれぞれ持っている赤い石は、引かれ合う性質を持っているらしい。

そのせいで、サラは、眠ると自動的にティオの精神領域に行ってしまう。

同時に物理世界でも、ティオの布団に潜り込んでしまうようになった。

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