参謀の戦術 #9
「ねえ、ティオー、今の私ってー、えっとー……『精神世界』に居るんだよねー? じゃあ、『物質世界』だっけ? いつもの世界に居る私は、どうなっちゃってるのー?」
サラの素朴な疑問に、ティオは至極あっさりとした口調で答えた。
「普通に寝てるんだろ。夜ベッドに横になって夢を見てたら、いつに間にかここに来てたって言ってたよな?」
「え?……あー、やっぱり寝てるんだー。じゃあ、目が覚めたら、どうなるのー?」
「目が覚めて『肉体』の影響を強く受けるようになると、サラは、『物質世界』の情報しか感じられなくなると思うぜ。今までもそうだったんじゃないのか?」
「うん。目が覚めると、夢は見えなくなっちゃう。……あ! でも、この夢の中で何が起こったかは、ちゃんと覚えてるよー! 普通の夢とは違って、目が覚めてもぼーっと薄くなったりしないの! 起きてる時にあった出来事みたいに、ハッキリ覚えてるー!」
「『精神世界』の記憶を『物質世界』までしっかり持ち越してるのかー。……サラの意識が、『精神世界』での出来事を忘れずに『物資世界』に持ち帰るコツを覚えちまったみたいだなぁ。そいつはちと厄介だなぁ。」
「じゃあ、ここで俺と会ったり喋ったりした事は、朝起きても、サラはしっかり覚えてる訳だな?」
「うん、たぶん。」
「本当は忘れて欲しかったんだが、まあ、しょうがないか。」
ティオは、ふうっと小さく息を吐くと、気分を切り替えたらしく、淡々と話を続けた。
「目が覚めている時、つまり『物質世界』で『肉体』の影響が大きくなる時でも、『精神世界』での『意思』は活動してるんだぜ。ただ、普通の人間は、はっきりと『精神世界』を知覚する事はないからな。普段は、『気持ち』『感情』『思い』『心』そんなものの動きの一部として、漠然と感じ取ってる状態だ。」
「じゃあ、起きてる時でも、この世界に私は居るんだねー? この『精神体』とかいうヤツー?」
「サラの場合、今の人間の姿、『精神体』は消えるだろうな。起きてる時は、サラの『意思』や『意識』は自分の精神領域に、霧より細かい目に見えない粒子みたいな状態で散らばってるんじゃないか。」
「……え?……人間の姿じゃない? 散らばってる?……えー?……」
サラはしばらくポカンと口を開けたまま固まっていたが……
「ゴメーン! 全然分かんなーい!」
「言うと思った。」
ティオは、最初から予想済みだったため、軽く流して話を続けた。
「『精神体』っていうのは、『精神世界』における自分の『意思』がはっきりとした形になったもの、だな。」
「『物質世界』における『肉体』が『精神世界』における『精神領域』だとすると、『精神体』は『物質世界』における『心』ってところか。」
「俺が今、『物質世界』で見るのと同じ姿をしてるのは、俺が自分の『存在』と『意思』を、この『精神世界』でしっかり認識しているという証なんだ。……サラも、今は、こうしていつもの自分の姿を保ってるだろう?」
「でも、『精神世界』から意識が離れたり、『精神世界』を感知出来なくなると、この姿は保てなくなる。だからと言って、自分の『存在』や『意思』がこの『精神世界』から消える訳じゃない。ほぼほぼ無意識の状態になると言うか、深い眠りについている状態になると言うか。」
「そうなると、『精神世界』での姿、つまり『精神体』は見えなくなってしまうんだよ。自分の『精神領域』の中で、霧のように細かく散ってぼんやり漂っている状態になるんだ。」
「へー!」とティオの言葉にサラは驚きつつも、納得した気持ちになった。
(……そう言えば、私が「何もない夢」だと思っていたこの「精神世界」を見ていた時って……私、最初は、体を持ってなかったんだよねー。私の存在と意識だけが、何もない暗闇の中にポツンと浮いているみたいな感じだったっけー。……)
(……いつ、今の姿になったんだったっけー?……そうだ! ティオのすぐそばに来て、ティオが「サラ」って呼んだ時だ!……)
(……あの時、なんだか急に、自分がどんな人間か思い出したみたいな感じで、ポン!って姿が現れたんだったなぁ。……)
サラは、唇を尖らせて、一人心の中でつぶやいた。
(……なんか、変なの!……)
□
「まあ、大体こんな所か。」
と、ティオは、一仕事終えたといった様子で腕組みをして、一人うなずいていた。
「今までの話の内容を、もう一度簡単に復習しておくな。……まず……」
「俺達の存在する世界は、実は三つの世界が重なり合って出来ている。」
「『物質世界』『精神世界』『魂源世界』の三つだ。この三つの世界を『小世界』と呼び、三つの世界が重なり合って出来ている世界の事を『大世界』と呼ぶ事もある。」
「俺達のような、『世界大崩壊』以降に世界に生まれた人間は、『物質世界』メインで生きている。普段感じ取っているのはほぼ『物質世界』の事だけ、と言っていい。『物質世界』で自分の『肉体』を持ち、『肉体』に由来した力、腕力や脚力を使って生きている。」
「実際は『物質世界』と表裏一体の『精神世界』も存在しているが、『現代人』でその存在を感知する事が出来る人間はまず居ない。逆に、『世界大崩壊』以前、この世界に高度な文明を築いていた『古代人』は『物質世界』『精神世界』の比重が半々ぐらいで、両方の世界を同時に感じながら生きていた。」
「『魂源世界』は、三つの世界の中では特殊な存在で、『物質世界』『精神世界』とは、かなり性質が異なる。まあ、『肉体』を持って生きている時には感じ取る事は不可能な世界だから、今は特に深く考えなくていいだろう。」
「そして……『精神世界』は『意思』の世界だ。」
「『精神世界』での人間は、『物質世界』の『肉体』の代わりに各々自分の『精神領域』を持っている。『精神領域』は、各自、不干渉、不可侵で、他人の『精神領域』に接触したり、入り込んだりするのは、普通はあり得ない事だ。」
「『精神世界』で自分の『存在』と『意思』をはっきりと感じ取ると、『精神体』という姿を形作る事が出来る。しかし、『精神世界』で『自己』を認識出来なくなると、『精神体』はすぐに四散してしまう。『精神世界』そのものを感じ取れなくなっても、同じく、姿は保てなくなる。と言っても、『意思』そのものが消えて無くなる訳じゃなく、見えない霧のような状態になるだけだ。」
ティオは、一際一つ一つ言葉をゆっくりとしっかりと発して、こうまとめた。
「俺達の『存在』は、『大世界』の中にある『物質世界』『精神世界』『魂源世界』の三つの『小世界』を、移動している訳じゃない。」
「三つの世界は重なり合っていて、俺達は、常に、三つの世界の全てに『存在』している。」
「ただ、その人間のあり方、状態によって、どの世界に比重が置かれているかが変わり、見えるものや感じるものも、また、変わってくる、という訳だ。」
□
「サラ、俺と取引しないか?」
「と、取引ー?」
サラの個室の床にあぐらをかいて座っているティオは、満面の笑みで提案してきた。
サラは、またティオが良からなぬ事を企んでいるのではないかと思って、目を細め、ジーッと彼を観察したが……
ティオの能面のような笑顔は、全く綻びを見せなかった。
仕方なく、とりあえず話だけでも、と聞いてみる事にしたサラだった。
「まず、俺がサラに差し出すのは『情報』だ。」
「『情報』ー?……なーんだ、情報なんて、そんなの取引になんないじゃなーい。」
「チッチッチッ! サラちゃんは本当に情報の大切さが分かってないなぁー。情報ってのは、使い方を良く知っている人間には、喉から手が出る程欲しい、スゲー価値のあるものなんだぜ。あー、まあ、サラは、そういうの苦手そうだけどなー。」
「誰がバカよー! ちょっと頭を使うのが苦手なだけだもんねー!」
「いや、そこまで言ってないだろうー?……まあまあ、待てって。話は最後までちゃんと聞くもんだぜ。」
「俺がサラに売りたいのは、なんとなんと……サラのそのペンダントについてる赤い石の情報だ!」
「その石について俺が知っている全ての事を、サラに教える。その代わりとしてサラは……」
「ええー!? これが何か教えてくれるのー! ホント、ティオー? 教えて教えて! 早く、おーしーえーてーよー!」
「だから、最後まで話を聞けってー!……俺がタダで教える訳ないだろうー! 取引だって言ってるじゃんかよー!」
「取引……」
サラは、寝間着の布越しにうっすらと胸の上で透けているペンダントの赤い石を、サッと隠すように布ごと手で握りしめた。
「さっきも言ったけどー、この石はあげないわよー!」
「うん、まあ、その石が貰えたら一番なんだけどなー。サラの態度を見てるとどうも無理っぽいから、他の条件にしようと思ってさー。」
「ほ、他の条件ー?……わ、私、他にティオが欲しがりそうな宝石とか宝石とか宝石とか、なんにも持ってないけどー?」
「サラちゃんは、情報が取引材料になるとしたら、他の物質的でないものも取引材料になるって思わないのかなー?」
「俺が、赤い石に対する情報と交換に、サラに要求するものは……」
「『俺をこのまま、内戦が終わるまで傭兵団に置いてほしい。』」
「……って、事だな。当然、みんなには、俺が例の宝石泥棒だって話は伏せといてもらいたい。」
サラは、ティオの提示した条件が思いがけないものだったので、しばしキョトンとした。
サラとしては、ティオが今晩王宮の宝物庫を荒らした泥棒である事や、ティオがかの有名な「宝石怪盗ジェム」であった事は、もう他の誰かに話すつもりは更々なかった。
目をつぶると約束したのだから、一度約束した事は守るのが筋だというのがサラの道理だ。
ティオは、まあ、盗みの腕はともかく、戦闘では全く役に立たないヤツだったが、それでも傭兵団の団員は一人でも多い方がいいとサラは思っていた。
枯れ木も山の賑わい的な意味合いで。
「そんな事でいいのー?」
ティオの望みは、サラにとってわざわざ取引する程大きな問題とは到底思えなかった。
サラにとっても、ティオにはこのまま大人しく傭兵団の一員でいてもらった方がいいのだし、何も悩む理由がない。
「あ、ただし! ちょっと、サラちゃんにお願いがあってさー……」
「いいよー。」とうなずく直前で、ティオがピッと指を一本立てて言ってきた。
サラは、ピクリと、警戒心から思わず体を強張らせる。
「俺を、この傭兵団の『作戦参謀』に任命してほしいんだよねー。」
「サクセンサンボウ……」
と、サラは、神妙な顔でティオの言葉をおうむ返しに繰り返したが……
「って、何ー?」
ティオは、あぐらをかいた膝に肘をついて頬杖をついていた所から、ズルッとあごを落としていた。
「軍隊の戦略や作戦を考える役目を持った人間だよ。」
そうティオから説明を受けて、「ふーん。」と聞いていたサラだったが、ハッと気づいて、ビシッとティオを指差した。
「あー! ティオー! アンタ、戦うのサボる気でしょうー!」
「別にいいだろー? 俺、どうせ刃物恐怖症で武器らしい武器はなんにも持てないんだからさー。だったら、完全に頭脳労働に振り切って働いた方が、効率がいいってもんだ。適材適所ってヤツだよ。」
「ま、まあ、確かに、アンタは戦闘では全く役に立たなそうだけどさー。」
「それに……」
と、ティオは、フッと真顔になって言った。
「この傭兵団。このままいったら、戦で大敗するぜ。」
「なっ!……なんで、そんな事言うのよー!」
サラは、当然カッと真っ赤な顔になって食ってかかったが……
「みんなあんなに毎日訓練頑張ってるんだしー、私やボロツだって居るんだから、絶対勝つに決まってるでしょー!」
「どうだろうな。」
ティオは、冷たく感じられる程、極めて冷静な口調で返してきた。
「頑張るだけで勝てるんだったら、どんな人間だって、常勝無敗の伝説の軍神になれるぜ。」
「確かに、サラの強さは人間とは思えないレベルだし、ボロツ副団長もまごう事なき歴戦の強者だ。……だが、猛者が居るからといって勝てる訳でもないのが、戦ってもんだ。」
「一個の軍隊として見た時、この傭兵団は、弱い。」
「だから、いくら毎日一生懸命訓練に励んだとしても、実戦になれば、負ける。」
「サラも、その事には気づいてるんじゃないのか?」
「……うっ!……」
サラは思わず渋い表情で唸っていた。
サラが傭兵団に入ってから、団員達の態度や士気は劇的に改善されていた。
王国側の監視役である正規兵のハンスとの関係もすっかり良くなった。
サラを御旗に掲げ、実質的なリーダーシップはボロツがしっかりととって、団員達の団結は深まり、皆一丸となって、毎日の訓練に熱心に励んでいた。
それでも……(何か足りない気がする)(みんな、弱過ぎない?)(こんな状態で、本当に戦で勝てるのかな?)そんな不安が、サラの胸のどこかにくすぶり続けていた。
そんな、ボロツにも、ハンスにも、もちろん団員達にも漏らしていなかったサラの内心の不安を、まさかティオに見抜かれていたとは……。
そして、ティオも、サラと同じく、「今のままでは傭兵団は戦に勝てない」とふんでいた。
(……本当に、食えないヤツ!……)
知られたくなかった急所を突かれて忌々しくもあり……
けれど、一方で、自分と同じ目線で状況を見ていた人間が居た事に、心強さを感じてもいて……
複雑な心境のサラは、相変わらず飄々としているティオの顔を、睨むように見据えた。
□
「このまま内戦の前線に放り出されたら、傭兵団からは死傷者が多数出るだろうな。」
冷ややかなまでの冷静な口調で語られたティオの言葉に、サラはビクッと体を震わせた。
(……死傷者……傭兵団のみんなが、死んだり大ケガしたりするって事ー?……)
戦争に兵士として参加すれば、危険と犠牲はつきものだというのは……
ここまで大規模な人数の戦闘に参加した事はないものの、今までずっと自分の腕で戦ってきた剣士であり戦士であるサラには、良く分かっていた事だったが……
(……人が、死ぬ……私の仲間が、死んじゃうかもしれない……)
初めて出来た、大勢の仲間。
飛び抜けた身体能力と腕力を持つサラを、異端視せず受け入れてくれた、素行は悪くとも気のいいヤツら。
自分が傭兵団を束ねる団長という立場であるという理由からも、責任感の強いサラは、部下を死なせるかもしれない可能性に震える事になった。
「……」
サラはしばらく、ギュッと両の拳を固く握りしめ、唇を白くなるまで噛み締めてうつむいていたが……
やがて、決心したように顔を上げ……
再び、真っ直ぐに、真剣な眼差しをティオに向けた。
「ティオ、アンタを、その『サクセンサンボウ』とかいうのにしたら……」
「私達傭兵団は、誰も、死んだり大ケガしたり、しないで済むの?」
「そいつは、断言出来ないな。運ってものもあるし、戦さ場では何が起こるか分からないからな。」
と、ティオは言った。
「絶対大丈夫だ!」などと、安請け合いしない辺りが、現実的な考え方をするティオらしかった。
「ただ、これだけは約束する。」
「サラが俺を信頼して、この傭兵団の指揮を任せてくれるなら……」
「俺は、この傭兵団のために、サラのために、必ず全力を尽くす。俺に出来る限りの事をする。誓うよ。」
「戦になれば、どうしても負傷者は出るだろう。だが、もっと効率的に訓練をして、しっかりとした作戦の上で戦に挑めば、その数を減らす事は、可能だ。」
「そして、俺には、それが出来る。」
「……つまり、犠牲は出るかもしれないけど、もっと少なく出来るって事ね? それが、ティオには本当に出来るんだよね?」
サラは、ティオの言葉を噛みしめるように繰り返した後、念を押した。
「……アンタを、信じていいんだよね? ティオ?」
「まあ、俺はこんな感じの人間だからな、簡単に信じられない気持ちも良く分かるぜ。でも……」
「サラが俺を信頼してくれるって言うなら、俺は、誠心誠意、その信頼に応えるぜ。」
「俺に出来る、全ての事はする。」
「俺は、この傭兵団を……」
「サラ、お前を、守るよ。」
ニッと唇の端を上げて不敵な笑顔を浮かべるティオの姿に……
どこか安心してしまう気持ちが、サラの中で浮かび上がってきていた。
(……こんなヤツの言葉で、ホッとするなんて、情けないけどー。……)
サラは、声を張って、キッパリと宣言した。
「分かった!」
「ティオ、アンタを、この傭兵団の『作戦参謀』に任命するわ!」
読んで下さってありがとうございます。
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とても励みになります。
☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「精神体」
精神世界において、明確に自分の存在と意思を認識すると形成する事が出来る姿の事。
おおむね、現実(物質世界)での普段通りの見た目である。
自分や精神世界を認識出来なくなると、精神体は霧散する。




