参謀の戦術 #3
「……せい!……はぁ!……とう!……やぁ!……」
サラは、絶え間なく襲いくる兵士達を流れるようにいなしつつ、時折投げつけられる小石を、時にかわし、時に剣で叩き落とし続けた。
ティオ発案の特訓を始めてから、サラは、複数の敵を同時に相手にする事にみるみる慣れていった。
ティオは、サラとの約束通り時折やって来て様子を見ては、一時的に小石を投げる役を代わってサラの特訓を手伝ってくれていた。
相変わらず、ティオが石を投げる役になると、他の兵士の剣戟は全てかわせてもティオのつぶてだけはくらってしまい、サラはそのたびむうっと頰をリスのように膨らませる事になった。
それだけでなく、ティオはまるで、サラが内心(慣れてきたから、この人数なら楽勝ー!)と思っているのを見破っているかのような絶妙なタイミングで……
「いい感じだな。順調順調。……じゃあ、もう一人増やしてみるか。……おーい、そこの人ー。」
と、サラの特訓を手伝う人数を増やしていった。
サラは(あーん、もう!)と思いつつも、強くなりたい気持ちから、再び気合いを入れ直して、難易度の上がった特訓に励んでいた。
人数が増えると、攻撃方法も多彩になっていく。
息を揃えて四人同時に斬りかかってくる事もあれば、矢継ぎ早に四人がバラバラと迫ってくる事もある。
かと思うと、二人ずつで左右から、続いて前後から、または、隣り合わせた者が組んでコンビネーションで襲ってくるパターンもあった。
一人が大きな振りで大胆に切り込んできたかと思うと、残りの三人が、時間差で素早く間を詰めてきたりもする。
石を投げる係も、単調にならないようにと、頭へ、足元へ、手先へと、タイミングを見計らって投げつけてきていた。
この辺の攻撃パターンの多さも、サラの相手をする兵士達にティオが指導したたまものだった。
おかげで、この所毎日充実した訓練に夢中になっていたサラであったが……
ふと、動きを止め、片手に握った木の剣でポンポンと自分の肩を叩きながら、少し不満そうに口を尖らせた。
「ねえ、ちょっと動きが鈍くなってないー? もっと一撃一撃全力で来てほしいんだけどー。」
「……サ、サラ団長……す、少し、休憩させて下さい……」
サラを囲んでいた兵士が、体を曲げ膝に手を当てながら、ゼイゼイ苦しい息の元で訴えてきた。
もう耐えられないといった様子で、汗だくの兵士達は、次々ドッと地面に腰をおろしていく。
サラは(気持ちのいい汗かいたなぁ!)と、軽く息が上がり額にうっすら汗が浮かんでいる程度で、実に生き生きした顔をしていたが……
相手をし続けていた兵士達は、生きる屍のごとく疲弊しまくっていた。
ようやくそんな状態に気づいたサラは、ハッとなって言った。
「あ! ゴ、ゴメンねー!……じゃあ、ちょっと休憩しようか。」
「やった!」と、兵士達の顔が輝いたのも束の間……
「じゃあ、三分休憩ね!」
三分!? という、驚きと絶望の声が思わず上がる。
「あ、ゴメンゴメンー! 三分はダメだよねー!……やっぱり、一分でいいかー!」
サラの発言に、兵士達はゾンビのようにズリズリ地面を這い寄り「違います! そうじゃない!」「もうちょっと休ませて下さい!」と必死に訴え……
ようやくサラから「十五分休憩」という言葉を貰ったのだった。
□
(……私はあんまり疲れてないんだけどなー。……)
内心もっとバリバリ特訓を続けたかったサラは、少し残念な顔をしながらも、兵士達がぐったりしてしまったので、仕方なくその場をそっと離れた。
手持ち無沙汰なので、なんとなく訓練場の一角にある木の生えている場所に向かう。
そこは、大小何本かの木が植えられ、下草も生えた緑化された場所で、小さな休憩所となっていた。
もっと設備の整った王国正規兵や近衛兵団の訓練場には、立派な屋根つきの東屋が設けられているが、元々見習いの兵士用だった傭兵団の訓練場では、ただ木が植えられているのみだった。
それでも、長い年月を経て大木に成長した木々の木陰は心地良い。
ちょうど風が吹いて辺りの緑を揺らし、その匂いにサラは目を閉じ、ふうっと深呼吸した。
木陰には、木の桶が置いてあった。
蓋を開けると、中には井戸から汲んできた水が入っており、清々しい香りのする香草と、薄く切られた柑橘系の果物がいくばくか浸っている。
訓練の途中で喉が渇いた兵士は、許可を得ればいつでも水を飲み事が許されており、むしろ積極的に水分補給をするようティオから傭兵団全体に言い渡されていた。
疲れが取れるようにと、井戸水に香草と輪切りの果実を浸しているのもティオの案だった。
春とはいえ、天気の良い日中に激しく体を動かし続けると、かなり汗をかき体内の水分が失われる。
ナザール王国は中央大陸南東部の暖かく湿度の高い地域にあり、この季節になると既に、肌にまとわりつくような水分を多く含んだ空気が、王都のある平原一帯に満ちていた。
じっとりしてはいるが、それとは関係なく喉は渇く。
サラも少し喉が渇いていたので、休憩時間の手持ち無沙汰に、水を飲もうと思ったのだった。
持っていた木の剣を草の上に置くと、台の上に並べられていた木のカップを一つ取り、桶の中の水をお玉ですくってカップに注ぐ。
お玉を戻し桶に蓋をしてから、サラは、カップを持って近くの岩に腰掛けた。
緑化された休憩場所には、ベンチや椅子の代わりに点々と岩が地面に埋め込まれており、サラは、木陰にあったその一つに座った。
爽やかな香りのする水で喉を潤しながら、なんとはなしに、訓練場で練習に励んでいる傭兵団の仲間達を眺めた。
□
「防御陣形!!」
鋭い掛け声に、サラの身長程もある大きな盾を持った兵士達の一団がドッと駆けていき、号令を出した隊長の前にズラッと並んだ。
お互いの持った盾を地面に対して垂直に隙間なく並べる態勢をとった様は、まるで一枚の壁のようだった。
「遅い! そこ、隙間が空いてるぞ! もっと早く、もっと正確に!……よし、もう一回だ! 散開!」
隊長の兵士が厳しく声を上げ、盾を持った兵士達は、「はい!」という返事と共に、バラバラと散らばっていった。
そしてまた、隊長の「防御陣形!」の号令に、巨大な一枚の壁を形成せんと、盾を構えて駆け寄っていった。
また、別の訓練場の一角では弓を持った兵士達が、的に向かって矢を射ていた。
訓練場には元々弓の鍛錬用の場所もあったのだが、傭兵団が募集された時には既に全く使われておらず、すっかりさびれた状態だった。
そこに、急遽新たに土を盛り、的を立てて、使える状態にしたのだった。
今は四十人程の兵士が、その弓用の訓練場所に集まっていた。
兵士達が使っているのは、石弓と呼ばれるもので、足で弓を地面に固定して弦を引き、そこに矢をセットする。
その動作をなるべく早く行えるよう、輪になって何度も動作を繰り返す一団があった。
また別の一団は、実際に弓を構えて、的に向かって射つ練習をしている。
指導をしている弓兵隊の隊長が、矢を射っている兵士達の後ろを歩いて、姿勢や視線のチェックを順にしていた。
その向こうでは、何列かに横に並んで、足で弓を押さえて弦を引く所から、的に向かって矢を射る所まで、実践的に訓練が行われている。
矢を射った列は、駆け足で後ろに並び直し、再び素早く弦を引いて矢をつがえていた。
槍部隊は体の脇に訓練用の槍を持って行進していた。
隊長の号令に合わせた、ザッザッという規則正しく揃った足音が聞こえていた。
「全体ー、止まれ! 右向け、右!」
中に、間違って左を向いた者が居て、周囲の兵士や隊長に厳しく注意されていた。
槍部隊は、長い槍を集団が密集した状態で扱うので、ちょっとした動作の乱れもあってはならない。
そのため、特に、全体に息を合わせ、号令に従って機械のように動く練習を繰り返し繰り返し行なっていた。
「構え!……直れ!……構え!」
隊長の号令で手にした槍を水平に構えたり、また体に沿って縦に上げたり。
「一列目、突撃ー!」
やがて、最前列に並んでいた兵士達が、水平に槍を構えた状態で「ワァー!」という掛け声と共に前方に走っていった。
二列目、三列目と、隊長の掛け声に合わせて、次々突撃していった。
(……ほんの十日で、ずいぶん変わったなぁ。……)
サラはすっかり様変わりした傭兵団の訓練風景を、改めて、感心と驚きの気持ちで眺めていた。
皆一様に剣の訓練をして和気あいあいと汗を流していた以前の光景が、まるで遠い昔のように感じられる程だった。
今は、剣の訓練をしている者達も、ボロツのように特殊な大剣を扱うこだわりのある者以外、片手に剣、片手に盾というスタイルに変わっていた。
相手の攻撃を片手の盾で受け止め、もう片手に持った剣で攻撃を繰り出すという訓練を続けていた。
剣の訓練をしている者達は一番人数が多かったが、いくつかの隊に分かれて、各々隊長の指示で訓練に励んでいるのも、以前とは異なる点だった。
分隊の指導にあたっている者の中には、もちろん、ハンスとボロツの姿もあった。
□
(……!!……)
サラは、何か小さなものが猛スピードで接近してくるのを感じとってハッとなった。
ティオが言っていた「自己領域」の感覚がここ何日かでだいぶ身についてきており、その範囲もはじめよりずっと広がっているのを感じる。
やや遅れて、サラの優れた聴覚が、ヒュウッと風を切ってこちらに向かってくる音を聞き取った。
五感ではなく、五感の全てが渾然と混ざり合った新たな感覚、五感を超えたとも言うべき直感が、実際に耳で聞いた音よりも先に反応している事が分かる。
まさに「自己領域」に「何かが侵入してくる」感覚だった。
自分の体が大きな透明の膜に包まれているかのような、あるいは、自分の体が実際の肉体の何倍も何十倍も大きくなっているかのような感覚。
そして、自分の体に異物が触れたかのごとく、その「領域」に何かが入ってくると、ピクリと反射的に反応していた。
サラは、とっさに頭を下げて、その「何か」かわそうとしたが……
「キャッ!」
残念ながら、頭を下げて避ける事まで見越していたかのように、小石はサラの後頭部にコツッと命中していた。
もちろん、ほんの豆粒程の小さな小石で、異常な程身体能力に優れ、肉体自体も頑丈に出来ているサラにとっては大した痛みでもダメージでもないのだったが……
どうしても、(してやられた!)という気持ちで、ムウッと仏頂面になってしまう。
「惜しい惜しい。もうちょっとだったな。ずいぶん感覚が身についてきてるみたいだな、サラ。」
「ティオ!」
サラは自分に向かって小石を投げてきた犯人の方を振り返ると、キッと睨んだ。
「もう! 今、休憩中なのー! こういう時を狙ってくるのは反則でしょー?」
「不意打ちをかわせなきゃ意味ないだろー? 敵は、休憩中だからって待ってくれないぜー?」
ティオに正論を吐かれ、サラはますます、ムムゥッと眉間にシワを寄せて渋い表情になった。
一方で、色あせた紺のマントを揺らしてスイッと大木の陰から姿を現したティオは、ハハハとイタズラっぽく笑っていた。
(……って言うかー……投げてきた石には気づいたけどー、ティオが近くに来てる事には全然気づかなかったんだよねー。もう、ほんっとティオのヤツー、毎回毎回どうやってるのよー!……)
物音の一つも立てず、自己領域に入ってきた事をサラに悟られる事さえなく、ティオは、いつの間にか、サラからほんの3m程離れた場所に佇んでいた。
元々逃げ足の速さや、素早さ、気配の消し方には驚かされる事の多かったティオだったが、この一週間、サラは一層ティオの底知れない実力を思い知る事になっていた。
もっとも、ティオは、相変わらず極度の刃物恐怖症により一切の武器が持てないので、彼が戦闘で活躍する場面は全くないのだったが。
「ようやく帰ってきたんだ。もう、私の特訓見てくれるって約束でしょー!」
「悪い悪い、俺も忙しいんだよ。ホント、目が回るぐらいだってのー。」
ティオはサラのそばに歩み寄ってくると、視線を巡らせて、未だ地面にへたり込んでいるサラの特訓の相手をしていた兵士達を眺め、軽く眉をひそめた。
「サラー。あんまり無理させるなよー。適度に休憩挟まないとー。」
「だ、だからぁ、今ちゃんと休憩してるじゃないー!」
「あの人達には悪い事しちゃったなぁ。明日から、剣の訓練をしてる者の中からローテーションを組んでサラの相手をしてもらう事にしよう。」
ティオがそばに来ると、ザアッと、周囲の視線がこちらに集まる気配をサラは感じた。
皆それぞれの訓練に励んではいるものの、どうしても気になってチラチラとこちらを見てしまうようだった。
(……ティオは元々結構目立つヤツだったけど、この十日間で、ずいぶんみんなのティオを見る目が変わったよねー。まあ、私もかぁー。……)
ティオの外見は、何も変わってはいなかった。
伸ばしっぱなしのボサボサの黒髪を首の後ろで無造作に結び、顔には分厚く大きなレンズの入った眼鏡を掛けている。
裾がボロボロの色あせた紺色の長いマントを羽織っているのも、いつも通りだった。
ただ、雰囲気には少し変化が感じられた。
今までは、長身を隠すように背を丸めて猫背の姿勢になっている事がままあったが、今ではすっかりなくなっていた。
同時に、あの、腰の低さを強調するかのようなヘラヘラした情けない笑みを浮かべる事もやめていた。
現在のティオは、今までよりずっと自然体であるようにサラには感じられた。
掴み所のない飄々とした雰囲気はそのままに……
誰に対しても全く物怖じせず、かといって決して高圧的でなく、むしろ気さくな雰囲気で接し、目上の者にはきちんと丁寧な言葉と態度で対応していた。
スッと背筋を伸ばして立っているだけで、185cmを超える長身のため元々かなり目立ってはいたが……
今はそれだけではなく、堂々たる、かつ颯爽とした、不思議な存在感が漂っていた。
自然と視線が吸い寄せられるような何かが、ティオにはあった。
おそらく今までは、なるべく目立たないように気を使って過ごしていたのだろう。
それをやめた事で、ティオ本来の存在感と独特な気配が感じられるようになり、自然と傭兵団の皆の注目を集めているらしかった。
そして、それはまた、この十日間で、傭兵団におけるティオの役割と重要性が大きく変化した事の現れでもあった。
読んで下さってありがとうございます。
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とても励みになります。
☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「ティオの髪」
ボサボサの黒髪を首の後ろで適当に一つに結んでいる。
伸ばしっぱなしなので肩を越える長さになってしまっている。
前髪も長く、眉や眼鏡に掛かっている。




