夢に浮かぶ鎖 #19
(……どのぐらい歩いたのかな?……)
「何もない夢」の中では、全てが漠然としていた。
「何もない」のだから、「時間」も、「時間の感覚」さえもない。
もうずっと、何日も歩き続けているような気もする一方で……
つい先程歩き出したばかりのような気もする。
そんな、少しでも気持ちが緩むと、果てのない「無」の闇の中に囚われてしまいそうな夢の中で、サラは必死に「鎖」に意識を集中させ続けた。
ジッと「鎖」を見つめながら、ゆっくりと確実に歩を進めていく。
鎖は、サラの近くにある部分はうっすらと闇の中に浮かんでいる様子が見て取れるが、離れる程にぼんやりとしていき、やがて闇の中に溶け込んで見えなくなってしまう。
サラが先に進んだ分、鎖の先が見えるようになり、逆に鎖の後ろは見えなくなった。
(……どこまで続いてるんだろう? 長いなぁ。本当にどこかにたどり着くのかなぁ?……)
宙に浮かびどこかへと伸びている鎖に沿って、黙々と、淡々と、歩き続ける内に、あまりの変化のなさに、思わずそんな不安が頭をもたげてくる。
けれど、ギュッとペンダントの赤い石を握りしめると、サラの不安はスウッと晴れていった。
その優しく光る赤い石は、何もないこの世界において、果てのない闇も、サラの心も、唯一照らしてくれるものだった。
(……たぶん、距離は関係ないような気がする。どれぐらい歩いたかが問題じゃない。……)
(……大事なのは、私が「何か」に気づく事。……)
(……この鎖を見つけた時もそうだった。私がそこに「鎖がある」って気づいたから、鎖が現れた。……)
(……たぶん、この夢の中は、そういう所なんだ。……)
(……そこに「ある」事に気づければ、存在するようになるし……逆に、気づけなかったら、いつまで経っても何もないままなんだ。……)
(……私がちゃんと「鎖の先にあるもの」に気づければ、必ずそこに行ける!……)
サラの心には、不思議な確信があった。
フツフツと心の奥から自然と湧いてくる、決意があった。
(……私は絶対にそこに行くんだ!……行って、私のなくしちゃった記憶、を……)
(……記憶……森の中で目を覚ます前の、私の記憶……)
サラは、フルフルと首を横に振るように、その考えを否定した。
(……ううん。別に、私の記憶なんか、もう、どうでもいいや。……)
(……私は……私は「そこ」に「行かなきゃいけない」んだもの……)
(……行かなきゃ……行かなきゃ……いかなきゃ……いか、な、きゃ……)
(……私……わたしわたしわたし……ワタシ、ハ……ソコ、ニ、イク……)
サラの中で、いつの間にか、「鎖の導くどこかに行く」という気持ちが強くなっていき……
やがて、サラの心の中は、その気持ちだけでいっぱいになっていった……
(……ワタシ……イク……ワタシイク……ワタタタタシシシイクククク……)
(……ワタ、シ?……ダ、レ?……ワタシ、ハ……ナニ?……)
(……イカナキャ……イカナキャ……イク……イ、ク……イクイクイクイクイイククククク……)
何もない世界の中を進む内に、サラは自分の存在が、「無」の闇の中に溶けて、散り散りになって……
まるで風に飛ばされる細かく軽い砂のように、フッと消えていくような感覚に落ちいっていた。
「鎖」に沿って歩き続けるのをやめれば……
「そこ」に、これ以上近づこうとしなければ……
自分の存在を見失う事はない、という気がしていた。
けれど……
何かが、サラを前へ前へと進ませていた。
……「そこ」に「私」は「行かなくちゃいけない」……
妄執のような強烈な感情に、サラは、いつの間にか取り憑かれていた。
それは……
……切望?……焦燥?……困惑?……義務?……
……それとも、運命?……
サラを縛るその強い感情が、どこから生まれてくるのか、サラ自身さえも分からなかった。
本当に、自分が抱いている感情なのか?
あるいは、誰かが、サラにそうしろと命令しているのか?
サラは、ただただ、歩き続けた。
「そこ」に向かって。
(……ワタシ、ハ……コノタメ、ニ、ウマレタ……)
(……ワ、タシ、ハ……コノ、タメ、ニ……ソン、ザイ、シ、テイ、ル……)
(……イ……カ……ナ……キャ……)
今にも自分が、自分の存在が、崩れて消えてしまいそうな朦朧とした感覚の中で……
サラは、それでも、黙々と進み続ける……
□
(……あ!……)
その瞬間は突然訪れた。
(……「何か」が、ある!……)
そう気づいた瞬間、闇の中へ塵のように霧散しかけていたサラの意識がスウッと戻ってきていた。
自分の存在を、自分の感情を、意思を、心を、鮮明に感じる。
「無」の闇の中に、はっきりと「サラ」という自分が居た。
サラは、手にしていたペンダントの赤い石をギュッと強く握りしめ、改めて、目の前に浮かんでいる鎖に意識を集中した。
(……やっぱり、この先に「何か」がある!……)
(……うーんと、これは、「どこ」?……違う……)
(……「誰」?……)
(……え? だ、誰?……ひ、人が居るの?……)
サラは、微かに、けれど確かに……鎖の先の闇の中に、「誰か」の存在を感じとっていた。
(……「人」!「人」だ!……私じゃない、別の人間が居る!……)
(……誰? 誰なの? この鎖の先に、誰が居るの?……)
サラは、赤い石をしっかりと握りしめ、鎖から離れないように注意しながら……
自分ではない「誰か」の存在をうっすらと感じる方へと、夢中で向かっていった。
ようやく掴んだ、今にも切れそうな細い糸を、必死に手繰り寄せるように。
□
「サラ! おおい、サラ!」
ドン! ドン、ドン、ドン、ドン!
強烈が雑音が、サラの意識を掻き乱す。
(……あ、あああぁぁー!!……)
みるみる、目の前にあった筈の鎖が、サアッと霧が晴れるように消え去っていった。
ほぼ同時に、「無」の闇が延々と広がる世界が、音もなく崩れていき……
あっという間に、サラの感じ取る事の出来ないどこか遠くへと、去っていってしまった。
「もう! なんでこんな時にぃ!」
サラは、ガバッとベッドの上に起き上がった。
そう、気がつくと、サラは、あの「何もない夢」から目覚め、傭兵団の宿舎の自分の部屋のベッドの上に居た。
ついさっきまで、ベッドに横になって眠っていたのだ。
そして、一旦目が覚めてしまったサラには、もう、「現実」の事象しか感じ取れなくなっていた。
いや、こちらの方が、普段の正常な感覚なのだが。
(……せっかく、後少しで、何か掴めそうだったのにぃ。……)
サラはガックリと肩を落としてため息をついていたが、すぐに気を取り直した。
辺りは、まだ暗い。
明らかに深夜であり、体感的に、サラが眠りについてから二、三時間といった所だった。
こんな夜中に、誰かがサラの部屋のドアを叩いて起こそうとした事は、傭兵団に入ってから未だかつてなかった。
つまり……
何か、異常事態が起こっているという事だ。
それも、深夜に傭兵団の団長のサラを急遽起こす必要がある程の、緊急事態が。
サラは、バサッと体に掛けていた毛布を払いのけると、ストッと床に降り立った。
そして、「サラ! サラ!」とドアと叩きながら呼びかけ続けている者の居る場所へと急いだ。
ドアには、サラが閉じた時のままに、金属の棒を掛け渡す形状の鍵がしっかりと掛かっている。
鍵を開け、輪になったノブを掴んで押し、扉を開く。
そこには、声から想像した通りの人物が立っていた。
手にした燭台のろうそくの灯りに下から照らされて、若干緊張に強張ったいかつい顔が、尚更もの恐ろしく夜の闇の中に浮かび上がった。
サラは、ふわぁっと、あくびの浮かんできた口元を手で押さえながら尋ねた。
「どうしたのー? ボロツー? 何かあったのー?」
□
「おお、サラ! 悪いな、寝てたか?」
「そりゃあ寝てるわよー。夜なんだからー。」
「いや、実はさっきな……」
要件を言いかけて、ボロツはしばらくパカッと口を開けたまま固まった。
そして、小さな三白眼をカッと見開き、ひょっこりとドアから姿をのぞかせたサラを見つめる。
「……サ、サラ、そ、そそ、その、寝巻きは……」
「ああ、これー? ボロツが縫ってくれたんだよねー。とっても気に入ってるよー。ありがとうー。」
「……ヘ、ヘヘヘ。た、大した事ないぜ、そのぐらい。つーか、ズゲー良く似合ってて、見とれちまったぜ。まるで、光の女神様みたいに綺麗だぜ。」
「エヘヘ、そうかなー。」
サラは、自他共認める類い稀な芸術品のごとき美しい容姿を褒められて、嬉しそうにニコニコしていたが、ハッと気づいた。
頬を染めて頭を掻いているボロツの視線が、チラチラと自分の胸の辺りをさまよっている事に。
(……あ! そう言えば、この寝巻き、布が薄いから胸が透けるんだったー! 胸を押さえる布は、今外しちゃってるしー!……)
サラは、サッと身を翻して、無防備にさらしていた体をドアの後ろに隠した。
ついでに、大きく開けていたドアも話が可能なギリギリまで細く閉じた。
ボロツは、サラが寝巻き姿の胸を見られた事に気づいて警戒しているのは分かったようだが、思わぬハプニングによる喜びがどうてもこみ上げてくるらしく……
「……いいもん見たなぁ。寿命が延びるぜぇ。……」
と小さく呟きながら、赤い顔でニヘラニヘラ笑っていた。
そんなボロツの脛に、プウッと頬を膨らませたサラは、ゲシッと一発軽い蹴りをお見舞いする。
もちろん、十分手加減したつもりだったが、ボロツは「ギャッ!」といって飛び上がり、その後しばらく脛を押さえてうずくまっていた。
「それで、一体なんなのー? こんな夜中にレディーの部屋を訪ねてくるなんてー。」
「……あ、ああ、そうそう! 大変なんだよ、サラ!」
ボロツは、いつしか傭兵団副団長の顔に戻って話し出した。
「どうやら、賊が出たらしい。」
「ゾク?」
「おおよ。しかも、王宮の一番奥にな。」
□
「俺は、さっきたまたま便所に起きたんだよ。どうやらビールを飲み過ぎちまったみたいでよ。……それに、なんだか知らねぇが、外がやけにうるさかったんだよ。」
ボロツは、用を足すついでになんの騒ぎか知ろうと、宿舎の外に出た。
傭兵団が使っている兵舎の区画にある手洗いは、衛生的な観点から屋外に別個建てられていた。
そこでボロツは、外に出たついでに、一般の兵士が使っている兵舎の棟の近くに行って、そっと様子をうかがった。
すると……
「もっと人数を掻き集めろ!」
と、上級兵らしい人物が、部下に命じて寝ている兵士達を叩き起こして回っている所だった。
「絶対に逃がしてなるものか!」「こんな失態が明らかになれば、ますますナザール王国兵の威厳が地に落ちてしまう!」と、司令官はかなり焦っている様子だった。
(えらい大騒ぎだが、何があったんだ?)と、ボロツが呆然と突っ立って見ていると、辺りを走り回っていた兵士の一人が、ヒステリックな声をあげた。
「お前! 怪しいヤツめ! そこで何をしている!?」
「いや、俺は、傭兵団の人間だっての。たまたま便所に起きただけだぜ。」
槍を向けられても動揺せず、グイッとその柄を掴んで、ボロツは答えた。
その力の強さと肝の座りっぷり、加えてボロツのいかつい容姿に、若い兵士はみるみる勢いを失って青ざめた。
「何があったんだよ? 人手が足りねぇなら、傭兵団からも人を貸すぜ?」
ボロツの提案を受け、若い兵士は指揮をしている上官の所へ慌てて走って報告に行った。
すると、酷いしかめっ面をした上官が、ボロツを睨みつけながら、足早にこちらにやって来た。
さすがに、こんな夜中でも、仕立ての良い甲冑と上等なマントをしっかりと身につけている上級兵だけのことはある。
大柄で人相の悪いボロツを見ても怖気づく様子はなく、むしろあからさまに見下した態度を取ってきた。
「お前達のような者の助けは必要ない! 傭兵団の人間は、我々の邪魔にならぬよう、朝が来るまで自分達の兵舎に引っ込んでいろ! 一歩も外に出るな! もし逆らって我々の捜査を混乱させるようなら、捕らえて牢屋にぶち込むぞ!」
「おーおー、おっかねぇなぁ!……俺達半端者の手は借りねぇってか。ヘイヘイ、じゃあ、好きにやってくれよ。俺達はベッドでのーんびり寝てるからよ。」
「でもよう。何があったのかぐらい、教えてくれてもいいんじゃねぇのか?」
上級兵は「話す必要はない! 早くあっちに行け!」とボロツを追い払いたがったが、強者であるボロツは、その程度の威嚇はものともしなかった。
「つれねぇなあ。そんなんじゃ、俺は、気になって気になって、眠るに眠れないぜ。……あー、このまんまじゃ眠れねぇから、夜の散歩でもするしかねぇなぁ。」
上級兵は、そんなボロツの態度に苛立ちながらも、いつまでも一傭兵に時間を割いている訳にもいかないといった様子で、渋々口を開いた。
☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「サラの部屋」
王城の兵舎の一角、傭兵団の宿舎にある。
上級兵用の一人部屋だが、簡素なベッドと小さな机と椅子があるのみ。
他の団員達の部屋からは少し離れた場所にある。




