夢に浮かぶ鎖 #17
「アハハ! 今日は楽しかったねー! まさか最後はみんなで腕相撲大会になるなんて思わなかったよー!」
「ハハハ! そりゃあ良かったな! 俺も楽しかったぜ、サラ。」
「今日は雨で早めに訓練終わっちゃったから、暴れ足りなかったんだよねー。いい気分転換になったなー。」
サラとボロツは兵舎の一角にある宿舎の廊下を歩いていた。
消灯時間が近づき、すっかり夜は更けている。
夕方に降っていた雨は既に完全にやみ、開いた窓からは、西に傾いた鋭く尖った細い銀色の月が見えていた。
ボロツは、手に燭台を持っていた。
城の王宮や主だった建物は、夜になるとあちこち灯りを点すが、傭兵団が使っているさびれた兵舎では明かりさえも節約するように言われており、最低限しか灯されない。
サラの使っている部屋は皆の部屋と少し離れているため、人気のない暗い廊下を歩くにはロウソクの灯りが必須だった。
本当は、空が晴れていてこれぐらいの星と月の明かりがあれば、夜目のきくサラにとって移動は可能だったが、ボロツが気をきかせて燭台を手に寝室まで案内してくれるので、敢えて言わずにいた。
「ねえ、ボロツー。毎日部屋まで送ってくれるけどー、そんな事しなくっても、私平気だよー?」
「俺が送りたいんだって。一日の終わりに、可愛いサラの顔を見てから眠りたいんだよ。サラは、俺の寝酒みたいなもんだからな。」
ボロツは、サラの事を、目の中に入れても痛くないといった表情で、ニコニコ笑って見つめてきた。
こんな時のボロツからは、下心は全く感じられず、純粋な好意が見て取れる。
まあ、大好きなサラの姿を見ると安眠出来る事を「寝酒」と例えてしまう辺り、荒くれ者としてすさんだ人生を歩んできた故の残念さが出ていたが。
「じゃあ、送ってくれてありがとう!」
サラは、自分の部屋に着くと、ボロツの手にした燭台から自分の部屋の燭台に火を移した。
サラの部屋は、広々とした上級兵士用の一人部屋だったが、家具は窓際に置かれた引き出しのついた机と椅子、そして眠るためのベッドだけで、実に簡素だった。
サラは、火を灯した自室用の燭台を、いつものように窓際の机の上に置いた。
そして、ボロツに就寝の挨拶をし、ドアを閉めようとしたのだったが……
「サ、サラ! ちょっと待ってくれ!」
「え? 何ー?」
ボロツは、燭台を持っていない方の手をズボンのポケットに突っ込み、慌ただしい手つきで中を探っていた。
そして、何かを取り出して、サラにそっと差し出してきた。
「……これ……ブローチ?」
□
ボロツの指の短いゴツゴツとした肉厚の手の上には、その雰囲気に全く似合わない可愛らしい装飾品が乗っていた。
花を寄せ集めたブーケの模様が白木に彫り込まれ、丁寧にヤスリが掛けられている。
彫刻の裏には金属製のピンがついており、マントの襟元などに止められるようになっていた。
金や銀の台座に宝石をちりばめた高価な宝飾品ではなかったが、白木の明るい色合いに手彫りのぬくもりが感じられる。
デザインも可愛らしく、細部まで綺麗に彫り込まれ、仕上げの磨きもしっかりと施されている事から、なかなか腕のいい職人が丁寧に作った一品という印象だった。
「サラに、似合うかなぁと思って、よ。」
「その……貰ってくれよ。」
ボロツは、大柄の背を少し丸め、恥ずかしそうにスキンヘッドの頭を掻きながら言った。
「凄く可愛いブローチだけど……でもー……」
「ああ! お礼とか要らねぇからよ! 別に受け取ったからって、俺と付き合ったりしなきゃいけないとか、そんな事はねぇから、安心してくれって!」
「……ただ、サラに似合うものをあげてぇなと思って、暇を見つけてコツコツ作ったものだからよ、貰って欲しいんだよ。使わなくてもいいからよ。」
「え!? これ、まさか……ボロツが作ったの!?」
「そうだぜ。まあ、金具は城下町の職人につけてもらったんだけどな。木から掘り出して仕上げのヤスリ掛けまで、全部俺が一人でやったんだぜ。」
「ええー! スゴーイ! ボロツって見た目によらずメチャクチャ器用なんだねー! お花のデザインもとっても可愛いー! センスあるんじゃないのー?」
「ヘ、ヘヘ。……俺は、子供の頃からこんないかつい顔だから、怖がって近寄ってくるヤツが居なくってな。そのせいで、一人で居る事が多かったんだ。まあ、暇つぶしになんとなく始めたんだよ。木の切れ端とナイフ一本あれば、どこでも出来るからな。」
「あ、そうそう。サラに渡した寝間着も、俺が縫ったんだぜ! あれぐらいなら、一晩で作れるぜ!」
「ええ!? あの綺麗な寝間着も!? ぜ、全然知らなかったー!」
「ねえ、ボロツ……」
サラは、ボロツから受け取った、彼お手製の可愛らしい木のブローチをジイッと見つめた後、いつになく真剣な表情で言った。
「ボロツは、傭兵やめて職人さんになった方がいいんじゃないのー?」
□
(……ボロツには、やっぱりちゃんと言っておかなきゃだよね。……)
サラは、もう、ボロツの事を、見た目のように乱暴で横柄な男だとは思っていなかった。
傭兵団の入団試験直後に初めて会った時には、猿山のボス猿といった印象で、正直嫌なヤツだと考えていた。
けれど、お互い全力を出した真剣での決闘ののち、彼と気さくに話すようになってから、いろいろと知って、印象はみるみる変わっていった。
筋骨隆々たる大男で、体中に刺青や刀傷がある。
スキンヘッドの頭に、突き出た眉骨と薄い眉、蛇を連想させる鋭く小さな目と、人相もお世辞にも良いとは言えない。
そんな彼のいかつい姿を見ただけで、(きっと恐ろしく凶悪な人間に違いない!)と怯える者も多かった。
ボロツ自身にとっても、そんな自分の外見は、剣一本を担いで厳しい世間の荒波を渡っていくための鎧のようなものだった。
見た目でまず、相手を威圧する、ハッタリを効かせる。
相手がビビって動揺すれば、それだけボロツに勝機が生まれるし、それ以前に、相手が戦意を失って逃げようものならば、戦いそのものを避ける事が出来た。
誰もが驚く巨大な剣と共に、「蛮勇ボロツここにあり!」という看板を、その荒々しい見た目に背負って生きてきたのだった。
しかし、実際のボロツは……
荒っぽい言動はあるものの、意外にも世話好きで、細かい所まで気遣いの出来る人間であった。
周りの人間を良く見ており、細かい事にも気づく。
彼の取り巻きとなっている、傭兵団の中でも腕っ節の強い実力者達は、基本的にボロツと自分と、同じ取り巻き連中ぐらいにしか興味が向いていないが、ボロツは違った。
普段はあまり話す事のない団員にも気を配っており、何かあればすぐに気づいて声を掛けたり、世話を焼いたりしていた。
また、ボロツは、「その日が楽しければいい!」「無事に生きて、美味い酒が飲めれば良し!」といった、傭兵達にありがちな刹那的な思考の持ち主ではなかった。
自分の事を「悪党」だと認識はしているが、はっきりとした生きていくための指針があり、また己に課したルールがあった。
自分と同じ「悪党の仲間達」限定ではあったが……
『自分より弱い者は守る』
『自分を頼ってきた者には力になってやる』
『仲間が窮地に陥った時は、自分が真っ先に矢面に立って戦う』
といった、「仁義」や「人情」を、ボロツは常に強く持って生きていた。
それは、サラの信じる「正義」に通じる所があり、サラはそんな彼に、一人の人間として好感を覚えていた。
きっと、ボロツを取り巻く仲間達も、彼の物理的な強さだけでなく……
しっかりと一本筋の通った強い意思や、情の深さに惹かれて集まってきているに違いない。
ボロツの生き様は、彼の並外れた豪腕と相まって、強いリーダーシップを発揮させる要因となっていた。
(……ボロツは、「いいヤツ」だよ。それは、私も良く分かってるよ。でも……)
(……ううん、だからこそ……はっきりさせておかなきゃいけない事がある。……)
サラは、自分の手の平の上に置かれた、ボロツから貰った花の彫刻されたブローチを見つめながら、しばらく考えていた。
そして、思い切って顔を上げ、宝石ように美しいつぶらな空色の瞳で、真っ直ぐにボロツを見つめた。
「あのね、ボロツ、正直に話すけど……」
「私は、きっと、ボロツの事、一人の男の人として好きになる事は、ないよ。この先もずっと。」
サラは、ブローチを持っていない方の手をギュッと自分の胸に当てて、言葉を続けた。
「なんとなくだけど、そういうの分かるんだ、私。」
「ボロツの事は、本当にいいヤツだと思うし、いろいろ良くしてもらって、凄く感謝してるよ。でも……」
「ボロツは、私にとって『大切な仲間』なの。」
「どうしても、それ以上には思えないの。」
「ごめんね。」
サラは、真っ直ぐにボロツを見つめながらも、少し苦しそうに、その澄んだ美しい瞳を歪めた。
ボロツが、自分の事をとても気にかけてくれて、いい部屋をあてがってくれたり、傭兵団に早く馴染めるように仲間達を紹介してくれたり……
訓練の時も、サラの注意が行き届かない場面で団員をまとめてくれたりしている事を思うと……
サラは、心が痛んだ。
今日も、なかなか兵舎に戻ってこないサラを訓練場まで探しに来てくれて、体を冷やしていないか心配し、湯を沸かして使わせてくれたりもした。
そんな風にボロツが向けてくる好意に、自分が応えられない事を申し訳なく思って……
サラは、思わずうつむいた。
□
「……カーッ! この先ずっと、俺を好きなる事はない、かぁ。こいつは手厳しいぜ。女の勘ってヤツか?」
ボロツは、しばらく黙り込んでいたが、フッと苦笑を浮かべて、刺青だらけのスキンヘッドをペシリと叩いた。
「女の勘ってヤツは、厄介だよなぁ。あれは、なんでか分かんねぇが、スゲー当たるんだよなぁ。」
「ハハ! それにしても、サラらしいな! 絶対好きにならないって、本人を前にしてハッキリ言っちまう所がよう。」
「まあ、サラのそういう、どこまでも真っ直ぐで、純粋で、優しい所に、俺は惚れちまったんだけどな。」
「ボロツ……」と、悲しそうな顔をしているサラを元気づけるように、ボロツはニッカと精一杯の笑顔を作ってみせ……
そして、努めて明るい口調で言った。
「そんな顔すんなって、サラ! 俺は、お前を困らせたい訳じゃねぇ。サラには、いつも、太陽みたいにピカピカ笑っていて欲しいんだよ。」
「俺がサラにしてる事は、俺がしたくてしてる事だ。だから、気にすんな。いつもみたいに『ありがとう!』って、笑って受け取っときゃ、それでいいんだよ。」
ボロツは、サラから一旦視線を外し、天井を仰いで、まるで空の上の神様にでも報告するかのように語った。
「俺は、今よう、生まれて初めて『惚れた女に尽くす幸せ』ってのを味わってるんだぜ。こんな気持ちは、サラに会うまで、まるで知らなかったものなんだよなぁ。」
「だから、俺は今、毎日がスゲー楽しいんだよ。」
もう一度サラに視線を戻すと、ボロツは不器用に笑った。
「まあ、正直、サラが俺の事を好きにならねぇってのは、メチャクチャ残念だけどよ、こればっかりはどうにもなんねぇからな。」
「人の心も……自分の心も……思い通りにはなってくれねぇもんだぜ。」
「だからこそ、世の中は面白いんだろうな。人間は面白い。人生は面白い。」
「自分以外の人間と出会って、一緒に笑ったり、酒を飲んだり、たまには喧嘩したり。」
「そういうのは、やっぱり面白いぜ。」
「なあ、サラも、そう思うだろう?」
そう、ボロツに言われて、サラは、コクリと、深く、しっかりと、うなずいた。
「うん、私、ボロツに会えて良かったって思ってるよ。傭兵団のみんなにも、会えて良かった。」
「俺も、サラに会えて良かったぜ。」
笑顔でそう言った後、ボロツはハッと思い出したようにキョロキョロと周りを見回した。
「おっと、やべぇやべぇ、そろそろ消灯時間だな。じゃあ、俺は自分の部屋に戻るぜ。」
「うん、送ってくれてありがとう、ボロツ。」
「それから、可愛いお花のブローチもありがとう! 大事にするねー!」
「おう! また明日な! ちゃんと戸締りして、ぐっすり眠れよ、サラ!」
ボロツは、くるりと背を向けると、後ろ姿でブンブンと二、三度手を振り、ドカドカと大きな歩幅で廊下を歩き去っていった。
サラは、ボロツの背中が廊下を曲がって見えなくなるまで見送ると、ゆっくりと自室のドアを閉めた。
☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「サラのペンダント」
森の中で目が覚めた時、サラが唯一持っていた物。
失った過去の記憶の手がかりとなるか?
皮紐の先に金属の枠で止めた赤い石がさがっている。




