夢に浮かぶ鎖 #8
「あ!……え、えっと、み、みなさん、お茶、飲みますか?」
ティオの事を聞くために呼ばれた青年は、ハッと思い出したように、手に提げていた大きな鍋を持ち上げた。
中に入った何十人分ものお茶がタプンと揺れて、少し、トトッとよろめく。
見た目からして、あまり鍛えられていない体つきではあるが、彼の様子を見ていると、ティオが毎晩あの大きな鍋をいかに平然と持ち歩いていたか気づかされる。
せっかくだからと、そこに居た、ボロツをはじめとする傭兵達は自分のカップを彼に差し出し、青年は慣れない手つきでついで回っていた。
サラも、いつの間にか冷めてしまった自分のカップのお茶を一気に飲み干して、お代わりを貰おうとしたが……
(……あれ? そう言えば、いつもとちょっと味が違うような気がする。……)
「サ、サラ団長、ど、どど、どうぞ。」
「ありがとう。」
見た目からサラよりも明らかに年上の青年だったが、うやうやしくサラに頭を下げて、カップに新しいお茶をついでくれた。
いや、どうやら彼は、誰に対しても異様に腰が低いようだった。
怯えているという訳ではないが、何事も手際良くスラスラ出来ないために、つい慌ててしまい、かえってオロオロ動揺する一方といった感じだった。
元々、言葉を発する時にどもりがちになる癖があるらしく、それが彼の余裕のなさに拍車を掛けているらしかった。
「ええと……ゴメン、名前覚えてなくって。」
「あ、あ、ぼ、僕は……な、名前は……」
「チャッピー!」
サラがお茶を入れてくれた青年に名前を聞こうとしていると、ボロツが横から口を挟んだ。
「チャッピーだよな、お前の名前。……そうか、サラにはまだ自己紹介してなかったな、コイツ。」
ボロツがそう言うと、周りの取り巻き達も「よう、チャッピー!」「もう一杯茶くれよ、チャッピー!」と口々に言った。
サラは、まだ、傭兵団の団員の十分の一も名前を覚えていなかった。
毎日訓練の最後に行われるトーナメント方式での模擬戦で、毎回最後の方まで残っているようなそこそこ剣の腕の立つ人物は、だいぶ顔と名前が頭に入ってきていたが……
そういった傭兵団の主要メンバー以外は、未だ誰が誰やら状態のままだった。
正直、人が何人か入れ替わっていても全く気づかないだろう。
(……だってー! 三百人以上居るんだよー! そんなのたったの五日で覚えられる訳ないよー!……)
しかし、それはサラだけではなく、ボロツや彼の取り巻きも含め、「まあ、目立つヤツだけ覚えておけばいいだろう。」という雰囲気だった。
同じ傭兵団の団員としての仲間意識はあるものの、それはあくまでも大雑把な感覚で、隅々まで細やかに注意が行き渡っているようなものではなかった。
「えっと、『チャッピー』さん、でいいんだよね?」
「え!?……あ、あの、あ、う、うー……は、はい。サラ団長。」
チャッピーと呼ばれた青年は、酷く動揺した後、慌ててコクコクと頷いた。
「あ! あの、あ、で、でも!」
「うん?」
「さ、ささ、『さん』は、要らない、です。……」
「えー? でも、私より年上だよねー? まあ、ボロツとか、初めて会った時から呼び捨てにしちゃってるけどー。」
「『さん』づけで呼ばれるのは、に、苦手、なので。す、すみません、すみません。」
「あ、ううん! 謝らないでー! 分かったー、苦手なんだねー。じゃあ、私もこれから『チャッピー』って呼ぶねー。」
「は、はい。そ、そそ、それで、はい。よろ、よろしくお願い、します。」
□
チャッピーと呼ばれた青年を、サラは改めてジイッと見た。
誰に対しても腰の低い性格で、いつも背中を丸めているのでやや小さく見えるものの、実際は中肉中背だ。
顔が丸顔のせいで全体的にふっくらしている雰囲気があるが、良く見ると、どちらかというと痩せていた。
「チャッピーは、歳はいくつなのー?」と聞いてみると、「二十七です。」と返ってきた。
思ったより歳が上で驚いたが、丸顔に加え、小さな丸い目と、丸い鼻、赤い頰のため、かなり若く見えてしまうのだろう。
訓練で汗を良くかく利便性から髪は短く切っていても、柔らかな灰金色の巻き毛が、どこか子供っぽい印象を更に強めていた。
特にサラが気になったのは、彼の服装だった。
傭兵団の人間は、その日暮らしでほとんど金を持っていない者が多いのと、服装にこだわるようなしゃれたセンスの持ち主が少ないせいで、皆大体質素極まりない格好をしていた。
長い布を半分に折り、頭と腕を通す部分を開けて横を縫い合わせただけの服……いわゆる貫頭衣が多かった。
素材や色が違ったり、首の所を縦に切って紐を通すという修飾があったり、ポケットがついていたり、という多少の違いはあるものの、基本は貫頭衣で、後は、せいぜい腰の所にベルトや紐を巻いて、剣を提げているぐらいだった。
ズボンや下着はつけていても、サラやティオのようにコートやマントを羽織っている者さえ、ほとんど見かけなかった。
しかし、チャッピーと呼ばれた青年は、ゆったりとした白いシャツを着ていた。
たっぷりと上等な生地を使って、人の体の形に合わせて裁断、縫製された洋服だ。
前立てと、袖口には貝で出来たボタンがあしらわれている。
貴族や裕福な市民が好んで着るような、ふわりとした袖を持つ、ドレープやタックをふんだんに盛り込んだデザインだった。
黒いズボンも、やはり同じような趣向で、ふっくらとしたシルエットが出るように丁寧に仕立てられていた。
ただ、シャツもズボンも一張羅なのか、数少ないものを着ましている様子で、すっかり布地は汚れ、くたびれた見た目になってしまっていた。
「チャッピー、今日はみんなにお茶を配ってるみたいだけどー、いつもは、ティオがそれやってるよねー?」
「あ、あ、はい。今日は、ティオ君が寝てしまったので、僕が代わりに。そ、その、ティオ君に頼まれて。」
「ああ、ティオに頼まれたんだー。」
「は、はい。ティオ君から、レシピと材料を預かって。あ、で、でも、作ってくれたのは、食堂の料理人さんで、す。い、いつもは、仕入れだけ料理人さんに頼んで、後は、ティオ君が、全部一人で作っているんです、が。」
「そうだったんだー。」
それを聞いて……
(……それで、今日は、お茶の味がいつもとちょっと違ったんだー。……)
と気づいたサラだった。
(……それにしても、ティオが自分で作らないだけで、味って変わるものなんだなぁー。……)
コクリと、新しく入れてもらったお茶を口にして、また思った。
(……やっぱり、いつもの方が……ティオの作ったお茶の方が、美味しいなぁ。……)
「あ、あの、チャッピー、ティオの事なんだけど……」
「ああっ!!」
「わっ! ビックリした! ど、どうしたのー、チャッピー?」
「す、すす、すみませぇん! ぼ、僕、だ、大事な用事を忘れていて! ちょ、ちょっと、行ってきます! すぐ、もも、戻ってきます、ので!」
余程動揺しているのか、いつも以上にどもりながらそう言うと、チャッピーはペコペコと、サラをはじめ、その場に居たボロツらに頭を下げた後、あたふたと立ち去っていった。
お茶の入った大きな鍋をタプンタプン揺らしながら。
(……もうちょっと、ティオの事、聞きたかったんだけどなぁ。……)
サラは、去っていくチャッピーの後ろ姿を残念そうに見つめていた。
(……でも、すぐ戻ってくるって言ってたし、その時に、改めて聞こうっと。うん。……)
いつもとは少し味の違うお茶を、サラはもう一口、口に運んだ。
□
「サラ。」
「ん? どうしたのー、ボロツー?」
ふと気がつくと、隣の席のボロツがテーブルに肘をついて、サラの前に身を乗り出す格好で、ジーッとこちらを見つめていた。
刺青の入ったスキンヘッドの大男が、小さな三白眼をしかめ、薄い眉を吊り上げていると、恐ろしく険悪な見た目になるのだが、サラは一向に気にした様子はなかった。
「さっきから、やたらティオの事を気にしてるみてぇだが……」
そう言いかけるボロツの背景で、彼の取り巻き達が、こぞって気まずそうな顔をしていた。
(聞かなきゃいいのに!)とでも思っている様子だったが、これも、何か思いつめたように真剣なボロツと、対照的に呑気なサラの二人は、全く気づいていなかった。
「アイツと……ティオと、何かあったのかよ?」
「え? 何かってー?」
「ほら、俺がサラを訓練場に呼びに行った時、アイツとなんか話してただろ?」
「あー……うん。」
「一体何を話してたんだよ?」
「え?……えーとねぇ……」
サラは、チラッと視線を斜め上に上げて、少し言い淀んだ。
(……うーん。異能力の事は、ボロツ達には言わない方がいいよね?……)
少し考えてから、そう判断すると……
サラは、ボロツに向き直り、ニコッと可愛らしく笑った。
「秘密!」
「ぐっはぁ!!」
「ボロツ!?」
酷いショックを受け、ゴーン! と大きな音を立ててスキンヘッドをテーブルに叩きつけるボロツに、サラは驚いた。
が、すぐに、ボロツはガバッと起き上がった。
そのおでこには、テーブルにぶつけた跡がくっきりとついており、それ以前に、ゆでダコのように顔から頭のてっぺんまで真っ赤だった。
「ティオ、あの野郎、許さねぇ! 俺様の隙を盗んで、サラに手を出すとは! 一発ぶん殴ってやる! いや、一発じゃ足りねぇ! 百発だ!!」
「え? え? 一体何言ってるの、ボロツー? 私、ティオに何もされてないよー? ただ話をしてただけだってばー!」
「うがあぁぁーっ! この俺を差し置いて、サラと二人っきりで楽しそうに話してた事自体、もう許せねぇ! あんの、スカタン野郎がぁ!」
「確かにティオはスカタンだけどー、殴っちゃダメだよー! ボロツが本気で殴ったら、弱っちいティオなんて、すぐ死んじゃうよー!」
さっぱり理由が分からなかったが、何やら切れて興奮しているボロツを必死になだめながら……
サラは、フッと、ティオとの話を思い出していた。
□
「あ! そうだ!……ティオ、あの、さ……」
「どうした、サラ?」
サラは、体の後ろで手を組んで、しばらく足元に視線をさまよわせた後、おずおずと言った。
「……わ、私って、普通の人から良く怖がられるじゃない? えっと、力が、凄く強いから。」
「これは、異能力、なんだよね。その異能力のおかげで、いい事も助かった事もいろいろあったけどー、なんか、私の強さを見て、怯えちゃう人も中には居てー……そのー……」
「傭兵団のみんなは、わ、私の事、どう思ってるのかなぁ?」
「私には何にも言ってこないけど……心の中では、やっぱり、怖いって、思ってるのかなぁ?」
サラが心配そうな目でジイッと見つめると……
青い夕闇に包まれつつある、静かに雨の降る訓練場を背景に立っているティオは、フッと笑った。
「まあ、そりゃあ、少しは思ってるんじゃないか。」
「ええー!!」
「しょうがないだろ? 人間、っていうか生き物全般は、自分より強いものを『怖い』と感じる性質があるんだから。その本能的な恐怖がなくなったら、危ないものに平気で近づいていっちまうだろ? 自分の命を守って生きていくためには、必要な感覚なんだよ。」
「……ううっ……で、でもー……」
「確かに、サラの人間離れした強さを目の当たりにしたら、傭兵団の人間でも、怖いと感じる事はあるだろうな。でも……」
「それが、どうしたって言うんだよ?」
ティオはさらりと言ってのけた。
ちょうど、初めて会った日に、サラの事を「別に、怖くないぜ。」と言った時のように。
特に力を入れるでもなく、反対に、無関心という訳でも決してなく。
自然体でサラに向き合い、接して、そして、答えてくれた。
「力が強かろうが、異能力を持っていようが……」
「サラはサラだろう?」
「……わ、私は私?」
「そうだよ。」
「逆に、もしサラが全く強くなかったとしても、異能力なんか欠けらも持っていなかったとしても……」
「やっぱり、サラはサラだ。サラ以外のなにものでもない。……俺は、そう思うぜ。」
ティオは雨に濡れて額に貼りついた、伸ばしっぱなしの黒髪を少し指で払った。
掛かっていた髪がのいて、その奥に隠れていたティオの、特徴的な深く鮮やかな緑色をした瞳が、真っ直ぐにサラを見つめた。
「確かに、サラの強さは、その脅威的な身体能力の異能力は、サラの個性だし、サラの一部だ。……でも、もし、そんな力がなかったとしても……」
「サラはサラだ。」
「サラがサラである事は、何があろうと、絶対に変わらない。」
「そして……」と言うティオの、独特な美しい緑の瞳は、とりわけ優しい気配に満ちていた。
「そんなサラの事を、ボロツ副団長や、ハンスさん、他の傭兵団のみんなも……」
「大好きなんだと思うぜ。」




