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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第十一節>野中の道をゆくごとく
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野中の道 #83


(……ティオ殿には、何か「隠し球」のようなものがある気がするのだがなぁ。……)


 『紫の驢馬』は、頬傷の男に薬草茶を飲ませてしまったため、空になった木のカップを手元に戻すと、素焼きのポットから新たに茶を注いだ。

 薬草茶の入ったポットには、冷めにくいように専用のカバーを被せてあったため湯はまだ温かく、『紫の驢馬』は両手でその温度を確かめながらゆっくりと口に運んだ。


 『紫の驢馬』は、ティオの戦う姿を見た事がなかった。

 賞金首の一斉検挙があったのち、改めて調べてみたが、王城に下働きとして出入りして中の状況を定期的に知らせてくる組織の者の報告でも、傭兵団の作戦参謀なる人物は、「武器が全く扱えず、指令を出すのみ」との事だった。

 実際にティオは、戦う事が好きではなく、酷い刃物恐怖症でもあるために、自らが戦闘に参加する様子はまるでなかった。

 作戦参謀の本分は、その名の通り、戦において作戦を立て軍隊に様々な指示を出す事であり、実際ティオは、それまで各々好き勝手にやっていたゴロツキばかりの傭兵団を短期間で軍隊の体裁に整えていた。

 更に、傭兵団用に資金を調達してきては、武器防具を用立て、食料事情を改善し、生活必需品を取り揃えて、傭兵達の暮らしを向上させてもいたため、ティオ自身が戦わずとも、もはや誰も文句を言っていない様子だった。


 それでも、ティオの立ち居振る舞いから、『紫の驢馬』は、彼が武芸に秀でている事を敏感に感じ取っていた。

 ティオの刃物恐怖症は生まれついてのものではなく、かつては盗賊団で交戦経験もあるとの事だったので、トラウマさえなければ、かなりの剣の腕を発揮出来るに違いない。

 そこまで武の道に長じていると、もはや素手でも充分に強い事が予想された。

 また、『宝石怪盗ジェム』という本人は不本意らしい俗称で世間を騒がせる程に、あちこち警備の厳重な屋敷に忍び込んでは宝石を盗み回っていた事からも、身軽で素早いという特徴を持った身体能力の高さ察する事が出来た。


 しかし、まだ何か、ティオには「奥の手」のようなものがある気配を『紫の驢馬』は感じていた。


 頬傷の男がティオに掴みかかり、上着の下に身につけていたナイフを抜き払って喉元に当てた……

 あの時、ティオは、刃物恐怖症の発作のせいで、普段は固く引き締めている自身の防御を解いてしまった。

 その時に、ほんの一瞬だけだが、彼の内に封印されていた「何か」がブワッと漏れ出したような感覚があったが……

 おそらくあの「何か」に由来する力を、ティオが意図的に振るってくる事はないと思われた。

 ティオでさえもそれを抑え込むのが難しく、故に、気が緩むとその制御が破綻する。

 そんな不安定で危うい力に、あの理性的なティオが頼る事はないだろうと『紫の驢馬』は推察したのだった。


 しかし、それとはまた別の、もっと自分の意のままに効果的に扱える力、技能のようなものを、ティオは持っている気がしていた。

 なんの根拠もない、あくまで『紫の驢馬』の勘ではあったが。

 おそらく、武術かそれ以上にティオはその力に通じていると思われるのだが……

 何か事情があって、普段は一切使わずに周囲に隠しており、もしそれを使うとしたらと、余程の事態で、もうそれを使用する他に解決法がないといった場合に限られる……

 そんないざという時の「奥の手」だった。

 とは言え、それが実際どんなものであるかは……しばらく首を捻って考えてみたものの、『紫の驢馬』には全く見当がつかなかったのだった。


 争いが起こりそうになった時のティオの行動原理としては……

 まず、第一段階として、真っ先に逃走を試みる。

 それが無理であった場合、第二段階目の手段として、素手で戦う、おそらくなるべく相手を傷つけないように。

 それでもどうにもならなくなった第三段階目の「奥の手」として、彼がかたくなに秘している「なんらかの特殊な力」を使う。

 ……といった感じなのだろう、と『紫の驢馬』は分析していた。


 ちなみに、ティオは、どんな窮地に陥ろうと、頬傷の男にナイフを突きつけられた時にほんの一瞬気配が外に漏れた、あの「未知の力」を使う事はないだろう。

 おそらく、「あれ」はティオにとって「奥の手」でも「最終手段」でもなく、「禁忌」であり「禁じ手」の類いなのではないかと『紫の驢馬』は想像していた。

 完全に制御出来ないものを、自分の身に危険が差し迫った窮地で使用するのは、動揺からますます操作が危うくなり、敵どころか無差別に周囲に被害を撒き散らしかねない。

 そんな安全性の低い方法を、他者を傷つけるのを嫌う理知的なティオが意図して取る筈がなかった。


(……まあ、そもそも、頭も勘も良いティオ殿は、大抵の場合、先回りして不安要素を潰してしまうだろうからな。最悪の事態に陥る事など、そうそうあるまいが。……)


 『紫の驢馬』は、ティオが慌てふためくような窮地に陥っている場面をどうにも想像出来なかった。

 事実『宝石怪盗ジェム』としてあちこちの大きな屋敷に盗みに入っている時のティオは、入念な下調べをして、極力警備兵などとの接触を避けていた。

 桁外れの情報収集能力と綿密な計画性に加え、身軽で素早い身体能力の高さを活かしているので、そもそも屋敷の私兵や街の警備兵に見つかる事自体稀であり、今まで一度も武力衝突に発展する事はなかった。

 「戦争の最善手は、戦争が起きる前に事態を収拾する事」だと聞いた事があったが、ティオの処世術はまさにそれだった。

 おかげで、ティオが第二段階目の手段である武力を行使する事態さえほぼない状態で、ともすれば周囲の人間は彼が武芸の達人である事に気づかぬままだった。

 何か不測の事態が起こっても、大抵は第一段階の逃げ足の早さでなんとかなってしまい、第二段階目の対処をお目に掛かる機会はなく、まして第三段階目の「奥の手」など、ティオが披露してくれる可能性は望み薄である。

 そんな状況に……ティオの能力をもっと良く知りたい、という、自分でもらしからぬと思うような子供のごとき好奇心に突き動かされてしまっている『紫の驢馬』は、ティオの周囲が平穏なのは良い事だと思う一方で、少しく残念な思いを禁じ得なかったのだった。


 

「まあ、なんにせよ、ティオ殿に危害を加えようなどとは思わない事だな。」

「……そ、それは俺も分かってます。親父の言いつけは必ず守ります。」


 結局、頬傷の男は、『紫の驢馬』にティオの強さを説明されてもまるで実感のない様子だったが、自分の組織の首領である小柄な老人への尊敬の念と忠誠心は人一倍であったため、神妙な顔でうなずいていた。

 理由はどうあれ、頬傷の男が、自分とティオとの友好関係にヒビを入れるような真似をしないだろうと確信し、『紫の驢馬』は、フウと小さく息を吐くと、器に残っていた薬草茶を一息に飲み干した。

 続いて、食べ終えた器を自分の前に手早く重ねていく。

 『紫の驢馬』が使っていた食器には一片の食べ残しもなく、スープも最後の一切れのパンで拭ったため、まるで洗ったかのように綺麗な状態だった。


「対峙する時は、まず相手の力量を良く良く見極める事が肝心だ。……私はいつもそう言っているだろう? そして……自分より格上だと感じる相手とは決してやり合わない事。……それが、この裏社会で長く生き延びる秘訣なのだと。」

「はい。親父の教えは、いつも肝に銘じてます。」

「ティオ殿は、その『決してやり合ってはいけない相手』よ。我らごときでは、あの御仁には、どう足掻いても勝てはしない。しかしな……」


「味方となれば、これ程頼もしい人間は居ない。」


「勝てない相手ならば、争わなければいい。避けても逃げても、それは恥ではない。そして、出来れば味方につける努力をする事だ。決して勝てない相手ならば、友となれば良い。」


「これは人間だけの話ではないぞ。自分の苦手なものに相対した時や、人生の上で行き詰まった時などもそうだ。……そう、例えば、お前の嫌いな生のタマネギが料理に入っていた場合などにな。はじめから、自分が生のタマネギが嫌いだと分かっているのだから、食事の前に料理人にタマネギを入れぬよう一言言い置けばいいのだ。そうしたちょっとした工夫や配慮で、避けられる事態はいくらでもある。頭を使えよ。使うために、その頭はついているのだからな。」


 頬傷の男は、そんな『紫の驢馬』の言葉を、天からの啓示のごとく真剣に聞き、「はい、親父!」と勢いの良い返事を返してきた。

(……残念ながらあまり聡くはないが、こういう素直な所は、この男の美徳よな。ひねくれて他者の話を聞かない人間は、伸び代がないからな。……)

 と、『紫の驢馬』がひとりごちていると、男がビッと親指を立てて得意げに言った。


「つまり、『嫌いな生のタマネギも、我慢して食べろ』って事っスよね! やっぱり、好き嫌いはいけないですよね、親父! 男なら、どんな嫌なヤツにも、ドンと真正面からぶつかっていかないと!」

「いや、そうじゃない。……お前は、本当に私の話を聞いていたのか?」

「もちろんですよ! 俺はいつも、親父の話は、一言も聞き逃さないように、耳の穴かっぽじって聞いてますよ!……あれ? かっぽじるのは、鼻の穴でしたっけ?」

「……やはり頭の良さとは大事なものだな。……」

「はい?」

「いや、いい。……私はそろそろ出掛ける。」


 『紫の驢馬』が重ねた皿を手に椅子から立ち上がるのを見て、向かいの席でビールに舌鼓を打っていた頬傷の男は、自分も立ち上がり礼をしようとしたが、『紫の驢馬』から「そのまま食べていていい」と手で制された。


「こんな日にも出掛けるんですか、親父? 俺は、なんだか落ち着かなくって。」

「うん?」

「今日はやけにいろんな事がいっぺんにあったじゃないっスか。……あの『金貨一千枚の男』って騒がれてるティオってヤツが『羊屋』にやって来たり、その後流行り病をなんとかしようって、親父の号令で下町のオンボロ教会を直して病人を運び込んだり。……なんか、まだ頭ん中が追いついてこないんですよね。まるで夢でも見てるみたいに、どっかボーッとした気分なんですよ。……親父も、今日はいろいろ忙しかったんですから、ゆっくりしたらどうなんですか? 一日ぐらい休んでも『黄金の穴蔵』は大丈夫でしょう? 昨日あれだけ大騒ぎしたから、今日はなんもないっスよ、きっと。」

「確かに今日は慌ただしかったな。」


「そして、この先もっと慌ただしい事があるかも知れない。」


「そんな時こそ、出来る限りいつもと同じように生活したいのだよ、私は。」


 『紫の驢馬』は、どこか遠くを見るように老いた目を細めて言った。


「喧騒の中でも、普段のペースを崩す事なく、自分のすべき事をする。そうする事によって、今まで当たり前に繰り返していた日常が、自分にとってどれだけ貴重なものだったのかを噛みしめる事が出来る。……そうは思わないか?」

「……え?……い、いや、ええと……うーん……すみません、俺には良く分かんないです。」

「フッ、まあいい。……お前も、この後教会に行くのだったな。」

「あ、はい。今日は、俺は徹夜になりそうです。」

「充分に食べて英気を養っていけ。そっちの方は頼んだぞ。」

「任せて下さい、親父!」


 頬傷の男は、ドン! と勢い良く自分の胸を叩き過ぎて、ゴフゥッとむせ、唇の端しからボトボトと、口の中に残っていたらしい、柔らかく煮込まれた骨付きの羊肉の欠けらをテーブルに零していた。

 もちろん、男は、自分が零した事など全く気にしておらず、先程「しっかり食べろ」と言われたために、尚更ガツガツと木の匙で牛乳をたっぷり使ったベーコンと芋のスープを掻き込んでいた。

 『紫の驢馬』は、思わずハアッと息を吐いた後、少し微笑み……

 男が零した肉の欠けらを黙ってそっと塗れ布巾で拭いて、その汚れた布巾を、手にしていた食べ終えた皿の上に乗せて厨房へと向かっていった。


「親父、気をつけて行ってきて下さい。さっき雨が降ったんで、ぬかるんでる所で転ばねぇようにして下さいね。」

「ああ、お前もな。」


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