野中の道 #80
「……そうなんですか?」
「いや、さすがにいくら頭が良くったって、王様にはなれないんじゃないっスか? もし本当に頭の良さだけで王様になれる人間が居たとしても、あのティオって若造はそこまでじゃないでしょう。」
頬傷の男は、尊敬する『紫の驢馬』の言葉は信じているものの、どうにも理解が追いつかず実感が湧かないらしく、喉に小骨が引っ掛かったままのような顔をしていた。
『紫の驢馬』を真似て、テーブルの中央に置かれていたカゴから固茹での卵を取るも、半分程雑に殻を剥いた所で齧っては、残っていた殻がガリッと歯に当って顔をしかめる。
「……ペッペッ!……大体、あの若造に本当にそんな事が出来るなら、とっくにこの国を乗っ取ってふんぞり返ってるんじゃないっスか? あれでしょう? 王様って、国で一番偉いんでしょう? 高い酒も美味い料理も、飲み放題食べ放題! 女だって、いくらだって美人を抱ける! でっかい屋敷で美女に囲まれて死ぬまで豪華な暮らしをする! 最高じゃないっスか! 俺もなれるもんならなりたいっスよ、国王!」
「それなのに、あのティオってヤツは、傭兵団なんかでセカセカ使いっ走りしてるだけじゃないっスか。本当に頭が良かったら、あんなちっぽけで損な役回りする筈ないっスよ。ハハハ!」
結局丁寧に卵の殻を取り除くのを面倒がって、時折ジャリッと噛んだ殻の欠けらを掃き出しながら茹で卵をガツガツ食べては笑う頬傷の男を前に、『紫の驢馬』はなんとも言えない顔で黙り込んだ後、ポソリと小さく漏らした。
「……まあ、お前のその価値観では、百年経ってもティオ殿の気持ちは分かるまいよ。『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』か。……」
「え? なんですか?……エンジャ? は?」
「いい。あまり無駄な事を考えながら食べると、せっかくの飯が不味くなるぞ。」
「確かにその通りですね! さすが親父、いい事を言いますね!」
『紫の驢馬』は苦笑いを噛み潰し、綺麗に殻を取り除いた固茹での卵の表面に塩をまぶして口に運んだ。
テーブルの上に零れていた殻の欠けらも、指先で几帳面に拾い上げ、皿の一角にまとめてあった殻の破片の上へと静かに乗せた。
(……しかし、そんなティオ殿をしても、はっきりと「この内戦、必ずや国王軍が勝利します」とは、ついぞ言わなかった。「自分の持てる力の全てを尽くすつもりです」とは言っていたが。……)
(……それだけ、この戦の情勢に読めない部分があるという事なのだろうな。私には分からない懸念を、ティオ殿は感じている様子だった。……)
頬傷の男に「考え事をしながら食べると飯が不味くなるぞ」と言った『紫の驢馬』当人が、黒雲のような不穏な思考を頭の中にかかえていた。
□
「……嫌な予感がするんです。このナザールの王都に来てからずっと。」
『眠り羊亭』での『紫の驢馬』との会食の最後に、ティオは穏やかな表情ながらもうっすらと苦い笑みを浮かべてそう語った。
「言葉で説明出来るような論理的な推測によるものではないんです。そういう理屈や理論を越えた名状しがたい部分で、何かが『危険だ』と告げている感覚があると言うか。……なんて、あやふやな事を言ったら、ご老人に笑われるかも知れませんね。」
「いやいや、その感覚は私にも少しく覚えがありますぞ、ティオ殿。私も、普段は、努めて冷静に理詰めで物事を考えているつもりでいますが、それでも、考えて考えて考え抜いて、どの上でどうしても迷った場合、最後は自分の『直感』で決めるようにしておりますよ。存外、その『直感』が頼りになるものです。もちろん、冷静な視点と熟考が前提にあっての事ですがね。」
ティオは、その言葉を聞いて、噛みしめるようにうなずいたのち……
首を回して、諦観の眼差しでテラスから見える風景を見るともなしに見つめ、どこか自虐的な口調で言った。
「自慢でもなんでもないんですが、俺のこういう予感は昔から良く当るんですよ。……戦争で街が焼かれるだとか、寒波で人が大量に死ぬだとか、疫病が流行るだとか……」
「そう、『悪い予感』の場合は、特に。」
目下、ティオの目的は「傭兵団を戦で勝利させる事」と「内戦をなるべく早く終わらせる事」の二つであると『紫の驢馬』はティオ本人から聞いていた。
そして、その二つ目の目的である「内戦の終結」には、「国王軍側の勝利で」という条件がついている状態だった。
「傭兵団を戦で勝利させる」という内容については、ティオは、「策があります」と自信がある様子だった。
ティオが作戦参謀を務めているナザール王国の傭兵団には、流れの傭兵も幾らかは混ざっているのだろうが、今回の傭兵団に支払われる給金は玄人がわざわざくみするにははした金過ぎる事から、一線で活躍しているまともな者はほぼ居ないものと思われる。
残りは、寝食が確保出来るだけでも良しとするような、裏社会の組織にも属せずにいる食い詰めたゴロツキの類いがほとんどだろう。
そんな者達を寄せ集めた傭兵団でティオがどんな手腕を振るっているのかは、『紫の驢馬』もあまり詳しくは諜報を主にしている部下から報告を受けていなかったが、それでもティオが「勝たせます」と断言しているので、そこは間違いないと感じた。
しかし、そんなティオが、局地的な傭兵団の勝利ではなく、大局的な内戦の決着については、言葉を濁すのが気になった。
反乱軍は半年間も、郊外の古代文明の遺跡である『月見の塔』に篭城しているだけで、積極的に国王軍を倒そういう意思を感じない。
ただ無為に時間ばかり消費し、このままではいよいよ『月見の塔』内部に持ち込んだ食料も尽きるという袋小路にあった。
これまでは、時折、膠着状態にしびれを切らした国王軍が攻め寄せ、情勢が悪くなると、バッゾー将軍が出てきて兵を蹴散らしていっていた。
それでも、反乱軍の兵士の消耗が酷くなってくると、『月見の塔』の前方に築いた塀の上に反乱軍から休戦を知らせる旗が揚がった。
そして、反乱軍、国王軍共に使者を出して話し合いが行われるのだった。
国王軍は内戦が始まってから何度か休戦して話し合いの場を持つ所までは行き着いていたが、結局は話がまとまらず、しばらくするとまた交戦状態に戻ってしまっていた。
とは言え、反乱軍にとって、そんな事で行き詰まった現状が根本的に改善する訳もなく、疲弊した自軍を少しばかり休ませるための時間稼ぎに過ぎなかった。
と言う以前に、そもそも篭城自体、戦に勝つ見込みのないただの時間稼ぎの方策でしかない筈なのだが。
かつての『十年戦争』での活躍でナザール王国の英雄となった猛将バッゾー将軍については、ティオは「なんとかしないといけませんね。まあ、頑張ってみます」と思いの外軽い口調で言う一方で……
どう見ても敗戦の時を引き伸ばしているようにしか見えない長期に渡る篭城の方を気にかけている様子だった。
「『導きの賢者』は、戦についてはずぶの素人なのだと俺も思っています。」
「でも、決して愚かではないし、あちらには文字通り百戦錬磨のバッゾー将軍がついている。だと言うのに、半年以上も篭城一本槍だというのは、やはりそこに何かの『理由』があると考えた方がいいでしょう。」
「そして、『導きの賢者』が第二王子ベーンを傀儡に自分がこのナザール王国を手中に収めるためには、この内戦で必ず勝利する必要があります。」
「つまり、この半年『月見の塔』に篭城を決め込んでいるのは、ヤツがその先に絶対の勝利を確信しているからこそな訳です。『月見の塔』に立てこもる状態が、自分の勝利に繋がると考えているという事に他ならない。」
「実際、今まで何度か反乱軍の負けが濃厚になった時、一時休戦して話し合いが行われてきましたが、その場に『導きの賢者』自身が出てきた事があった。それ程までに、『導きの賢者』は、このただの時間稼ぎにしか思えない不毛な篭城を重要視している。」
ティオが内心にいだいている不穏な予感を、残念ながら『紫の驢馬』は実感出来なかったが、ただティオの口振りから、それが何かとても重要で深刻なものであるのは察する事が出来た。
「つまり、ティオ殿が言いたいのは、要するに……『導きの賢者』には何か『策』がある……という事ですかな?」
「おそらく。」
ティオは、コクリとうなずいて肯定した。
しかし、伸び過ぎた前髪と分厚い眼鏡のレンズの奥の独特の緑色の目は、見えない答えを霧中に探るようにさ迷っていた。
「ですが、その『策』がなんであるのかが、俺にはまだ見えていません。」
「『導きの賢者』が勝利の確信を持ってこの半年以上篭城を続けている、その理由が分からない。」
『紫の驢馬』もティオに合わせてしばらく沈黙し、自分が考え得る全ての策を頭の中で検討してみたが……
どん詰まりの篭城からの一転勝利の方法など、全く思い浮かばなかった。
高い知能を持ち、また早々に『導きの賢者』が諸悪の根源と見抜いて、集中的に調査してきたであろうティオでさえも、未だ明確な答えを持っていない状況であるというのに、自分がチラと考えを巡らせた程度では到底思い至るまい、とも『紫の驢馬』は無力感と共に思わざるを得なかった。
重くなった空気を晴らそうと、少し声のトーンを上げてティオに話しかける。
「しかし、彼奴らがどんな『策』を弄してこようと、この状況では、もはや国王軍の勝ちが決まったようなものでしょう。」
「……だと、良いのですけれどね。」
「……フウム……ティオ殿がそこまで歯切れの悪い返答をするとは、余程引っ掛かるものがあるのでしょうな。……バッゾー将軍の事などは?」
「ああ、あの御仁は、実直な軍人のようなので、対処の方法はあると思います。いかに武勇の誉れ高い猛将と言えど、必ず真っ直ぐに向かってくると予想がついているのなら、かわす事は出来るでしょう。例えは悪いですが、直進してくる大きな猪のようなものです。比類なき強さを持つ救国の英雄ですから、完全に打ち倒すのは困難でしょうが、別に戦に勝つだけなら、真正面から挑んで討伐する必要はありません。まあ、その辺は、のらりくらりと上手くやりますよ。そういうのは、俺は割と得意な方なので。バッゾー将軍のような分かりやすい手合は、さほど怖くありません。それに比べて……」
「何を考えているのか分からない『導きの賢者』の方が、俺には余程不気味に感じます。」
「しかも、相手はこのナザール王都に流行り病を撒くような、自分の目的のためなら手段を選ばない冷酷な相手ですからね。どうにも出方が予想出来ません。」
「まあ、現時点で想定される一番嫌なパターンは……」
「……『導きの賢者』が本当に『先見』の能力の持ち主で、その能力を利用した方法をとってくる……という場合でしょうか。」
ティオは、どこまでも冷静な眼差しを白いクロスの掛かったテーブルに落とし、そのシワ一つない一点をトンと指先で叩いた。
「先程話しましたが、『先見』の能力はによる未来予知は『必中』です。」
「『先見』の能力を持つ者は、普通の人間には分からない『この世界の大きな流れ』を知る事が出来る。しかし、それは『世界の大きな流れ』である故に、自分の思ったような時と場所の未来を意図的に知れる訳ではない。でも……」
「もし、『導きの賢者』が、必ず来る未来を知っていて、それを戦争に勝つ事に利用しようとしているのだとしたら?」
『紫の驢馬』は、老いた目をしかめて喉の奥から言葉を絞り出した。
「……つまり、『導きの賢者』は、『自分が勝利する未来を知っている』という事ですかな?」
「それは分かりません。……ただ、普通なら勝ち目のない篭城を半年も続けている状況を見るに、ヤツにはなんらかの『策』が、あるいは『確信』があるのは間違いないと考えています。」
「そのヤツのとっておきの『策』を見破って潰すのが俺の役目な訳ですが、そこの所がどうも上手くいっていなくて、ずっとモヤモヤしているんですよね。作戦参謀などと名乗っておきながら、情けない話ですが。」
「いやいや、ティオ殿の慧眼と深謀遠慮には恐れ入るばかりです」と『紫の驢馬』はすぐにフォローし、ティオも老人の気遣いにニコッと笑って応えたが……
ティオの中に小さなしこりのごとくにある不安の芽を摘む事が叶わなかった事を、『紫の驢馬』は敏感に感じ取っていた。
「ティオ殿に予想がつかない事など、誰にも予想がつきますまい。」
「この先の戦況で思いがけない事態が起こったとして、ティオ殿にどうにか出来なければ、誰にもどうにも出来ません。ならば、その時は、あなたに賭けている私も、潔く腹をくくりましょうぞ。」
そんな『紫の驢馬』の言葉を受けて、ティオは「ハハ、責任重大ですね。困ったなぁ、これは。」と、一見いつもと同じ能天気な笑顔で言っていた。




