表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第十節>秘密の盟約
430/443

野中の道 #75


「『このナザールの街から世界の滅びが始まる』でしたかな?『導きの賢者』が言っていたのは。」


「『ナザールの街を大いなる災厄が襲うが、その時、救世主が現れて、人々を救う』……私からすれば、ティオ殿、あなたは……」


「まさに、この街の救世主のように思えます。」


 『紫の驢馬』は、ティオが与えてくれた流行り病の対処法についての情報に感激し、特に忖度するでもなく素直に気持ちを表しただけだったが……

 ティオは、そんな『紫の驢馬』の言葉を聞いて、なんとも言えない複雑な表情をしていた。

 『紫の驢馬』は、ティオがあまり喜んでいない、と言うよりむしろ内心の不快感をこらえているような様子を見て、コホンと小さく空咳をすると、声のトーンを上げて話を変えた。


「やはり、ティオ殿には、何かお礼をさせていただきたい。」


「これだけの情報を貰っておいて、何もしないというのは、私の信条に反します。ティオ殿は何も要らないと言われましたが、これはティオ殿の問題だけではなく、私の問題でもあるのです。そう、私のプライドに関する問題です。私の誇りのために、是非何かティオ殿にお返しをしたいのですよ。」


「……義理には義理を、礼には礼を、恩には恩を……そして、裏切りには報復を……」


「……誠には誠をもって返し、嘘には断罪をもって征す……」


「それがこの裏社会の、私のルールです。恩義には必ず報いねば、このナザール王都の裏社会の首領『紫の驢馬』としての面目が保てません。何より、私自身が、そんな不義理は許せない。」


「ですから、ティオ殿、どうか礼を受け取って下さい。」


 テーブルの上で枯れ木のような老いた指を組み合わせ、蛇を思わせる鋭い眼差しで言い募ってくる『紫の驢馬』に、ティオは困惑の表情を浮かべた。

 長く裏社会で生きてきた『紫の驢馬』の矜持は理解出来るのだが、非合法な世界で生きる人物から金品を貰う訳にはいかず、対応に困っていた。


「……ご老人のお気持ちは本当にありがたく思いますが、俺にも立場がありまして……」

「そうだ! 良い事を思いつきました!」

「……なんでしょう?」

「先程の宝石のように、きちんとした取引きなら良いのですよね? 一方が過多に得をするような不自然なものでなければ、ティオ殿も許容範囲なのでしょう?」

「え、ええ、まあ、それならばギリギリ可能かと。」

「では、幾つか提案させて下さい。聞いて下さいますか?」

「一応うかがいます。」


 『紫の驢馬』は老いた指を顔の高さに上げると、パチリと弾いてみせた。

 雨の予感を間近に感じさせる湿った風の中で、その音は想像以上に鋭く小気味よく響いた。


「ティオ殿は、『馬』を欲していましたな?」


「昨晩、ティオ殿は、『黄金の穴蔵』で、ドゥアルテを大敗させ、膨大な借金を負わせた。そのために、ドゥアルテは自分が頭取をしている商会の回転資金を完全に失ってしまった訳ですが、そこにあなたは、優しい笑顔で手を差し伸べて、奴の商会が荷馬車を引かせるために所持していた馬十二頭を買い上げる契約を持ちかけた。素寒貧で震えていたドゥアルテは、天の助けとばかりにティオ殿の提案を受け入れ、まんまと商いに必要不可欠な馬をゴッソリ手放す羽目になったのでしたな。……いや、あれは実に見事な手際でした。」


「ティオ殿は、この後さっそくドゥアルテ商会に馬を引き取りに行く予定ですかな?」

 と『紫の驢馬』に問われ、ティオは一瞬考えた後、特に危険はないと判断してうなずいた。

「はい、そのつもりです。昨晩ドゥアルテさんとそう約束しましたので。」


 ティオは、昨晩ドゥアルテ商会が所有している荷運び用の馬十二頭を、一頭あたり約銀貨三百枚という値段で買い取る契約を結んでいた。

 銀貨三百枚は、馬一頭の値段としては適正、あるいは、長年荷馬車を引いてきた馬となるとやや相場より高いぐらいである。

 ともかくも、十二頭で締めて約銀貨三千六百枚という大金が動くために、ティオは慎重を期して、昨晩『黄金の穴蔵』で売買契約を結んだ直後に半分の銀貨千八百枚分だけ支払い、残りは現物である馬十二頭と引き換えに今日支払うという手筈にして、それにドゥアルテも合意していた。

 抜け目のないティオは、ドゥアルテとの間にしっかりとこのナザール王国で法的効力を持つ正式な売買契約書も交わしていた。

 それでも、子供じみた我がままさと常識のなさでドゥアルテは契約を反故にしてくる可能性もあったが、ティオが半金を先に支払い、目の前にニンジンをぶら下げた事で、金に飢えているドゥアルテはもう半金も絶対に手に入れようと、積極的に番頭に馬を用意させている様子だった。

 そこもまた、ドゥアルテの性格を読み切ったティオの策が上手くはまった形だった。


「しかし、いくら契約書を交わし大金の支払いがあるとは言え、あの馬鹿なドゥアルテの事です、一筋縄ではいかぬやも知れませんぞ。さすがにティオ殿の喉元にナイフを押し当てて脅してくるような真似は、あの小心者には出来ますまいが、なんのかんのとごねる可能性もありましょう。また、約束の馬十二頭を用意していたとしても、その馬が今にも倒れそうな老いた駄馬ばかりという事もあり得ましょう。」


「失礼な事を言いますが、ティオ殿は、その見た目から、ドゥアルテのような人の本質を見る目のない人間には、なめられがちな事でしょう。今日はボロツ殿もおらず、たった一人での交渉となると、少々難航するやもしれません。」

「まあ、そうなのですが、なんとかする他ありません。」


 ティオには口八丁でドゥアルテと彼の子守役である番頭を丸め込む自信があったが、『紫の驢馬』の懸念ももっともなものではあった。

 そんな、ティオの内心を読んだかのように、『紫の驢馬』は、ズイと片腕をテーブルの上に乗せて身を乗り出すという、いかにもやくざ者らしい荒々しい仕草を見せつつ語った。


「ティオ殿が求めている馬の内何頭かは、私が用意いたしましょう。」


「ティオ殿は、ドゥアルテから馬を買う予定なのでしょう? その同じ値段で、私がティオ殿に馬を売りましょう。」


「ドゥアルテ商会の馬は、全て私が買い取ります。その内使えそうなものはティオ殿にそのまま渡し、使えそうもないものはこちらで引き取って、その代わり別の馬をお渡しします。」


「ティオ殿は、ドゥアルテに当初の契約通りの金額で馬の代金を支払い、受け取った馬は全て私に渡して下さい。ティオ殿は、ドゥアルテから買い上げた馬を私に売った、という形になりますな。そして、私からティオ殿へと、必要な馬を入れ替えて、同じ頭数分渡す事にしましょう。ティオ殿から馬を十二頭売ってもらった代わりに、私からティオ殿に馬を十二頭を売る。これならば、等価交換ですから、なんら問題はないでしょう?」


「 賄賂や忖度などない正常な取引きですし、私が間に入る事で、ティオ殿は、ドゥアルテとの取引きだけでは得られない良い馬が手に入りますぞ。なんなら、ドゥアルテとの取引きが円滑に進むように、この後ティオ殿がドゥアルテ商会に向かう際には、私の部下を何人か同行させましょう。きちんと金勘定が出来る者をつけますので、安心して下さい。それから、小心なドゥアルテを従順にさせるために、腕に覚えのあるこわもての者もつけましょう。ああ、決して乱暴な真似はいたしませんよ。あくまで無言で威圧するのみですから、こちらの方もご安心下さい。」


「ちょうど私の方でも『黄金の穴蔵』のツケをドゥアルテから回収する予定でした。商会が今にも潰れそうな現状、ドゥアルテに高飛びされる前に、早急に貸した金を返してもらわねばなりませんからな。……そのタイミングが、たまたま、そう『たまたま』ティオ殿が馬を引き取りに行った時と重なってしまっただけの事です。それならば、ティオ殿が私ども裏社会の人間と関わりがある証拠にはならないでしょう?……ハハ、それでも、もし、我々の関係を疑うような者が居れば、私がしっかりと否定しておきましょう。」

「…………」


 満面の笑みで提案してくる『紫の驢馬』の前で、ティオは笑顔を崩さずにはいたものの、思わず無言になっていた。


 ドゥアルテ商会に馬を買取りに来たティオが、ツケの回収に来た『紫の驢馬』の手下達と共に乗り込んだら、関係を疑われない筈がなかった。

 昨晩ティオは『黄金の穴蔵』で大勝ちしているため、その一件で繋がりが出来たのだと周りの人間は想像する事だろう。

 『黄金の穴蔵』で従業員として働いている小柄な老人の正体が『紫の驢馬』であると知る者は巷には居ないだろうが、あの有名な賭博場が、もはや下町の伝説であり幻である『紫の驢馬』の息の掛かった店である事は周知の事実だった。

 そんな『黄金の穴蔵』の関係者が馬を取りに来たティオと同時に借金の取り立てにやって来たのなら、皆内心(え?)とは思いながらも、『紫の驢馬』を恐れて、その疑惑を口に出す事はないだろう。

 それでも、空気を読めず「傭兵団がヤクザと繋がっている!」などと騒ぐ愚か者が居ないとも限らない。

 そんな場合は……「私がしっかり否定しておきましょう」と『紫の驢馬』は笑って言っていたが、要するに……

 『紫の驢馬』の手下達が、その人間を取り囲んで「何言ってやがる!」「死にてぇのか、テメェ?」と睨みを利かせて黙らせる、という話であった。


(……そんな俺を擁護するような態度をとったら、それは逆に……「俺達、大の仲良しでーす!」と公言しているようなものなのでは?……)


 と、ティオは、顔では笑って、心の中では思いっきり苦虫を噛み潰す事となった。


(……やっぱり、ここは断固断って……)


 そう決心したティオだったが……


「ティオ殿が馬を欲しがっているのは……当然、これからの戦で傭兵団の馬の使用を考えて、という事なのでしょう?」


 『紫の驢馬』が、昨晩『黄金の穴蔵』で見せたような好々爺の笑みで、背中を押すように語った。


「しかし、戦で使うとなると、ドゥアルテ商会の所有している荷運び用の馬では、少々心もとないのではありませんかな? 私なら伝手がありますので、ティオ殿に早急に良い馬を手配出来ますぞ。もちろん、非合法ではなく、ナザール王国の法律にのっとった正式な売買契約の元での取引きとなります。」

「本当ですか? それは渡りに船です!」


 傭兵団の幹部全員分とはいかないまでも、団長のサラ、副団長のボロツ、作戦参謀として郊外の『月見の塔』周辺での情報収集のため実は一番馬を利用するだろうティオ本人、そして、出来れば重鎧隊の小隊長用にはそれなりの馬を用意したかったティオは、思わずパッと顔を輝かせていた。


(……まあ、世間での傭兵団の評判なんて、「ゴロツキの寄せ集め」「犯罪者崩れの掃きだめ」なんて、元々最底辺だからな。ここでちょこっと裏社会との繋がりが臭ったところで「ああ、やっぱりね」って思われるだけだろう。確証がなければヘーキヘーキ、なんとでも誤魔化せる。いざとなれば、「俺が勝手にやった事です」って一人で泥を被れば、傭兵団の信用は最悪守れるだろうしな。……)


 ティオは、コロッと方針を転換して、ニコニコと笑いながら『紫の驢馬』との取引きを詰める話し合いに臨んでいた。

 心の片隅に、わずかな心配を残しながらも。


(……あー、でも、サラの耳に入らなきゃいいなぁ。こんな事知ったら、アイツ、絶対また怒るよなぁ。それだけは、なんとか避けたいなぁ。……)



「ティオ殿は、昨晩、ドゥアルテに銀貨千八百枚を支払っていましたな。馬一頭あたり約銀貨三百枚という値段で、十二頭購入するので、合計約銀貨三千六百枚。その内の半分の代金を、ドゥアルテとの話がまとまり売買契約書を交わした直後に奴に渡した訳ですな。そして、もう半分である残りの銀貨千八百枚と交換に、今日奴から十二頭の馬を引き取る、という段取りでしたな。」


「では、これからドゥアルテの商会に行く予定という事でしたから、昨晩の約束通り、奴に残りの代金を支払って、馬を十二頭受け取って下さい。」


「ただし、その馬は、一旦私の方に連れてきて下さい。私の組織が管理している厩舎が町外れにありますので、そこをお教えしましょう。そして、十二頭の馬を検分したのち、傭兵団の方達が使えそうなものだけ、ティオ殿にお渡しします。不適格な馬は、こちらで引き取りましょう。」


「そして、こちらで引き取る馬の代わりに、ティオ殿は、我々の厩舎に居る馬のどれでも好きなものを選んで連れいって下さい。」


「ああ、その厩舎は、馬を引き取ったり、売ったり、一時的に預かったりと、一応商売はしているのですが、客はほぼ裏社会の人間です。誰かの口利きでないと取引きはしない隠れ家のような店となっております。ですから、一見、開店休業状態に見えるかと思います。路地を入った人目につかない場所にあるので、前を通りかかる人間は、こんなもので商売になるのかと首を捻っている事でしょうな。」


「そんな訳でして、普通に馬を売買している店とは違って、その厩舎に集まる馬も、『いわくつき』のものばかりとなっております。私の知り合いの人間が、切羽詰まって急遽金に替えてほしいと持ってきたものとか、借金の取り立てに差し押さえたものとか。ああ、そう言えば、見た目が良いので買ったものの、あまりに気性が荒くて手に余るから引き取ってくれと泣きつかれた事もありましたな。」


「一癖も二癖もあるような、一般の市場には出回らない『訳あり』の馬ばかりですので、その代わり値段はお買い得となっておりますよ。……正直、いくら能力が高くても、気性が荒くて世話が大変だったり、結局まともに人を乗せられなかったりするので、こちらとしても引き取ってもらえるとありがたいのですよ。使えもしない馬を置いていても、労力と飼葉代がかさんでいくだけです。不良在庫という奴ですな。そういった手合は、ティオ殿が欲しがっているのなら、むしろタダで差し上げたいぐらいです。ああ、もちろん、入手経路が普通でないだけで、馬自体はまともな良いもののおりますよ。」


 ティオは、『紫の驢馬』の説明を終始うなずきながら聞いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ