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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第十節>秘密の盟約
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野中の道 #73


「……井戸が汚染されている……のですか?」


「……い、一体どうしてそんな事が?」


 がく然として目を見開き問うてくる『紫の驢馬』に、ティオは静かに答えを返した。


「人為的なものだと俺は考えています。」


「俺は、傭兵団の作戦参謀となってから、特に積極的に王都の情報を集めました。その中で流行り病の感染源やその感染の広がりについても調べましたが、どうやら王都に点在する井戸が感染源である事が分かりました。井戸と言っても全てではなく、今お渡しした地図上では、バツをつけた井戸のみが汚染されており、他の井戸は問題がありません。」


「そして、先程お話した通り、これらの汚染された井戸の水を飲んで病を発症すると、その人間は激しい下痢や嘔吐を繰り返す状態に陥ります。そして、その下痢や嘔吐も酷く汚染されているので、これに触れてうっかり口に入れてしまった人間が二次感染してしまう訳です。そうしてどんどん病が広まっていく。元となっているのは井戸の水ですが、その水を飲まなかった者も、水を飲んで発症した人間と接する事で病に罹り、病に罹った者からまた別の人間へと汚染が広がって、その結果、現在のように王都に流行り病が蔓延した、という訳です。」


「病に罹った人間を適切に看病する事で、罹った人間はやがて回復しますし、看病する人間も、先程の紙に書いた注意点を守っていれば、二次感染の被害を防ぐ事が出来ます。これによって、王都に蔓延していた流行り病は少しずつ収まっていく事でしょう。」


「しかし、人々が元々の感染源である汚染された井戸の水を飲んでいては、いつまで経っても流行り病を撲滅する事は出来ません。病の原因となっている大元を絶たねば、王都の流行り病が終わる事はない。」


「ですから、ご老人の力の及ぶ地域では、地図に記したこれらの汚染された井戸の使用をやめるよう、あなたの方から住人に呼び掛けてほしいのです。」


 ティオは、穏やかながらも真剣な口調でそう語ったのち、ベルトにつけて腰に提げている革の筆入れに、インクを丁寧に拭ったペンを戻し……

「汚染された井戸は、永久に使えないと言う訳ではありません。しっかりと洗浄して、しばらく時間を置けば、また元のように使用出来ますが、流行り病が収束するまで、今は一時的に使用をやめてほしいのです。」

 と、補足した。


 『紫の驢馬』は、ティオの言葉を理解したようだったが、しばらく苦虫を噛み潰したような顔で地図上の印を黙って睨みつけていた。

 そして、ゆっくりと顔を上げ、再びティオを真っ直ぐに見つめると、一語一語力込めるように問いかけてきた。


「……これらの井戸が汚染されているのは、『人為的なもの』だと、今ティオ殿は言いましたな?」


「つまり、王都を弱らせ、国王軍の力を削ぐために、『導きの賢者』の命令で、奴の手の者がこれらの井戸をわざと汚染し、この王都に病を流行らせた、と言う事なのですかな?」

「はい。調査の結果、その可能性が非常に高いと俺は考えています。」


 ティオは意外にも節のしっかりとした長い指で地図上のある場所を指し示した。

 そこには、10m四方の土地に三つの井戸が密集していた。

 王都に人口が増えるに伴い、古い住人が使っていた井戸だけでは足りなくなって、新しい住人達が自分達専用に井戸を掘ったり、あるいは住人達の間で何か揉め事があったりなどし、新旧合わせて三つもの井戸が狭い面積に林立する事になったらしかった。

 その三つの内の一つに、バツがついていた。


「例えば、ここです。ここには、王都の街がこの地に出来たのとほぼ同時に作られた古い井戸、二十年程の前に作られた井戸、そして、一年程前に作られた井戸の三つがありますが、この中で汚染されているのは、一番新しい井戸のみです。」


「もし、王都の地面の中に流行り病の元となる原因があるとしたら、この三つの井戸は同時に汚染される筈ですよね? まだ汚れも溜まっていない一番新しい井戸だけが汚染されているというのも、違和感のある所です。」


「俺が王都中の井戸を調べた所、同様に、隣接するように近くにある井戸の場合、どちらか片方が汚染されている場合が大半でした。」


「とても自然現象による汚染の広がりとは思えません。作為的なものを感じざるを得ません。」

「……これらが人間が意図的にやった結果だとして……どうして、全ての井戸を汚染しなかったのですか?」

「そうですね、いくつかの理由が考えられますが……その一つとして、流行り病の広まりを、偶然の自然現象に見せかけたかったのかも知れません。あまり狭い地域で急激に広まっては、いくら流行り病とはいえ、何か不自然に感じる人間も出てくる事でしょう。そこで、ポツポツと汚染する場所を散らして、王都の中にゆっくりと広範囲に病が蔓延するように仕向けたのでしょう。」


「また、王都の井戸をあちこち回って調べてみると、汚染された時期にもバラつきがあるのが分かりました。一番古いもので、王都に流行り病が出始めた三ヶ月程前から直近で五日程前までと、意図したようにバラバラです。また、汚染された井戸は、ジワジワと地下水が流れていく自浄効果で少しずつ汚染の度合いが減っていくのですが、しばらくして再び汚染が酷くなった場所も観測されました。おそらく犯人は、一度だけでなく複数回に渡って、流行り病を地域に定着させるために、汚染物質を井戸に投下しているものと思われます。」


「全ての井戸を汚染しないその他の理由としては……本格的に王都の人間を痛めつけてしまうと、再興が大変になるという事もあるのだと思います。」


「『導きの賢者』の目的は、第二王子を介してこの国の王座を手中に収める事であると思われますが……今は戦で勝つために国王軍の膝元である王都の力を削ごうと流行り病を撒いたとしても、いずれ反乱軍が勝利し自分が実権を握った時、王都が壊滅状態では困る訳です。『導きの賢者』としては、別に王都を滅ぼしたい訳ではないのですからね。なので、生かさず殺さず、と言う訳ではありませんが、『程々に』弱らせたいと思っているのではないでしょうかね。」


 「そうそう」と、ティオはふと思い出した様子で、つけ足した。


「そう言えば、『導きの賢者』が王都の街頭で演説していた内容に、終末思想的なものがありましたね。」


「『世界の滅びの時が近づいている。それはこのナザールの地から始まり、この地は大いなる災厄に見舞われるが、その時、綺羅星のごとくこの世界を救う救世主が颯爽とこの地に現れて、人々を救う』といったものだったと思います。」


「そんな『導きの賢者』お得意の『預言』のように、今この王都は、窮地に陥っている状況です。長く続く内戦のおかげで、経済状況と治安が悪化。そこに駄目押しのように流行り病の蔓延。……まあ、『導きの賢者』の言う『大いなる災厄』に見舞われていると言えなくもない悲惨な状態ですよね。『導きの賢者』によると、その内どこからか『救世主』なる者が現れて救ってくれるそうですが、その預言を信じれば、いずれ現在の王都の状況は改善されるのでしょう。まあ、内戦に勝利して、王座を奪った後で、『導きの賢者』自ら、流行り病の対策を提案するつもりなのかも知れませんが。」


「先程俺がご老人に話した『流行り病の治療法、二次感染を防ぐ看病の仕方、汚染された井戸を使用しない』この三つを実践していれば、次第に流行り病は収束する事でしょうからね。『導きの賢者』が流行り病の原理を知っていてこの王都に蔓延させたのなら、その収め方も当然知っている事でしょう。毒を扱う者は、万が一に備えて解毒薬を用意しているのが常套ですので。」


「案外……自ら密かに王都に『災厄』をバラ撒き、のちにそれを自分の手で解決する事で、『導きの賢者』自身が、王都の人々を救う『救世主』になろうとしているのかも知れませんね。だとしたら、とんだ茶番ですが。」


 「少し話が逸れました、済みません」と言って、ティオは言葉を切った。


「……外道め!……」


「……よりにもよって、人々の生命線である飲み水を狙って病をバラ撒くとは! 人として決して越えてはいけない一線を越えた非人道的な行為だ!……」


 ティオの話を聞いていた『紫の驢馬』は、あまりの憤慨に思わず声を漏らしていた。

 普段は自身の感情を他者に知られて手玉に取られぬように、また、感情的になって判断を誤らないように、常に冷静さを保っている彼だったが、今回はどうにも腹に据えかねたらしい。

 白いクロスの敷かれたテーブルの上に置かれた老いた拳が、ググッと爪が食い込む勢いで強く握りしめられていた。

 『紫の驢馬』は、何度か深く息を吸っては吐きしたのち、ようやく少し心が落ち着いた様子で、キッと決意のこもった眼差しをティオに向けた。


「……分かりました。この私の力の及ぶ地域には、私の命で、これらの汚染された井戸の使用禁止を徹底させましょう。」

「ご老人にそう言ってもらえて良かったです。これで、下町の流行り病の感染状況は大きく改善される事でしょう。」


 ティオは、『紫の驢馬』の言葉を聞いてホッと安堵し、胸の奥から大きく息を一つ吐いては、穏やかな笑みを浮かべた。



「では、さっそく私の部下に命じて、このバツのついた場所の井戸は封鎖させましょう。上に板を打ちつけて誰も使えないように塞いでおけば……」

「あ!……それなんですけれど、お願いがあります!」


 意気込む『紫の驢馬』を、ティオはサッと手の平を向けて制止した。


「汚染された井戸をあまり表立って使えなくするのはやめてほしいのです。あくまで井戸はそのままの状態でお願いします。その代わり、住民には使用を禁止するように厳しく呼び掛けて下さい。」

「……ど、どうしてまた、そんな回りくどい事を? 下町の人間は、あまり賢くない者も居ますし、生活に余裕のない者も多いです。危険な井戸には蓋をしておかないと、うっかり使ってしまう者も出るかも知れません。」

「井戸に蓋をして物理的に使えないようにした方が、確実に使用を禁止出来るのは分かります。……しかし、あまり目立つ方法をとると、この王都に潜伏して、継続的に井戸に汚染物質を投げ込んでいると思われる犯人達に、こちらが流行り病の原因に気づいて対処している事実が知られてしまいます。」

「……そう言えば、最も最近井戸が汚染されたのは、ほんの五日程前だと言っていましたな?……と言う事は……」


「……犯人達は、今もこの王都のどこかに潜伏していて、市民の反応を逐次観察していると?」


 ハッと気づいてこちらを見つめてくる『紫の驢馬』に、ティオは深くうなずきながら「はい」と答えた。


「このナザール王都で流行り病に倒れる人間が出始めたのは、およそ三ヶ月程前からでした。」


「三ヶ月前と言えば、反乱軍は既に郊外の『月見の塔』に立てこもった後の事です。当然、『導きの賢者』も、第二王子や反乱軍と共に『月見の塔』の内部に居るために、外部に連絡をする事が出来ません。」


「俺の考えでは、おそらく、『導きの賢者』は『月見の塔』に長期間篭城する事を最初から計画していて、王都に残した自分の手勢に、この時期になってから井戸に病の元を投下するようにと、前もって指示を出していたのだと思います。つまり、今王都で井戸を汚染して回っている犯人達は、内戦の始まる今から半年以上前に、『導きの賢者』よりこの半年間かそれ以上に渡る期間の計画を伝えられており、その命令通りに動いているという事になります。」


「反乱軍が『月見の塔』に立てこもっている今の状況下では、何か予想していなかった事態が起こっても、王都に残った者達は『導きの賢者』に判断や指示を仰ぐ事は叶わないでしょう。しかし、それは『導きの賢者』も織り込み済み。イレギュラーな事が起こった場合を想定して、いくつか対策を講じ、それらを、やはり、内戦が始まる以前に自分の手勢に指示していっていると推察されます。」


「つまり……現在、ヤツらは王都に流行り病を蔓延させる事でこの街の力を削いでいますが、それが上手くいかないとなれば、また別の何かを仕掛けてくる可能性が高い。」


「『導きの賢者』の預言からしても、ナザール王都は『厄災』に見舞われていなければいけないでしょうしね。……流行り病がダメな様子なら、前もって用意していた二の矢、三の矢を放ってくる事が考えられます。」


「俺としては、その事態は避けたいのです。」


 ティオは、白いクロス上に置いた右手の人差し指で軽くトントンとテーブルを叩きながら、理路整然と言葉を続けた。


「今なら、『流行り病を王都に適度に蔓延させる』という向こうの出方は把握出来ています。しかし、この方法が使えないと向こうが判断して他の策を講じてきたら、こちらも新たに対処しなければなりません。」


「まず、向こうが何をしてくるか分からない上に、何かやってきたのなら、また新たに調査し、対抗手段を考えなければなりません。当然、余計な手間と労力がかかります。俺は現在傭兵団の運営で忙しいですし、更に、もうしばらくすれば、傭兵団と共に前線に赴かなければなりません。そうなってしまうと、とても王都の事にまで手が回らない。」


「なので、ここは下手に向こうを刺激せず、現状を維持したいのです。」

「……つまり、彼奴らの策に気づいていない振りで、今までのように生活を続けながらも、さり気なく汚染されている井戸を避けるようにする、と言う事ですな。その様子を観察して、彼奴らは、問題なく事が進んでいる、と思う。しかし、実際は、汚染された井戸は使わず、病に罹った者達も適切に治療して、少しずつ流行り病を収束させていく、と。」

「ええ、その通りです。」

「フウム……確かに、予想出来ない新たな攻撃を受けるよりは、対策が確立している今の状況で対応していく方が混乱を生まずに済みそうですな。」


「分かりました。汚染された井戸の使用禁止は、『口頭』でのみ厳しく徹底させましょう。住人達には、何事もなかったかのように、なるべく今まで通りの生活を続けるように伝えておきます。」


 『紫の驢馬』は、真剣な表情で強くうなずいて、ティオの提案に同意したのだった。


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