表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第十節>秘密の盟約
425/443

野中の道 #70


「……私の依頼は受け入れてもらえないのですか、ティオ殿。」

「本当に申し訳なく思っています、ご老人。」


 ティオは目を伏せて、言葉通り後ろめたそうな表情を浮かべた。

 『紫の驢馬』はまだ諦めきれずに、一抹の希望を探すごとく、そんなティオの顔を蛇のごとき目を細めてジッと見つめたが、そこに嘘をついている様子は微塵もうかがえなかった。

 一方で、ティオの決心は固く、言葉を尽くそうとも、情に訴えようとも、まして金や権力をちらつかせたところで、決して揺れないだろう事も察せられた。


 『紫の驢馬』は、少し頭を冷やそうと、勢い前のめりになっていた身体を引いて椅子の背もたれに預け、フーッと長く深い息をゆっくりと吐き出した。


(……駄目か。……)


(……まあ、冷静になって考えれば分かる事だ。……ティオ殿は、金にも権力にも全く興味がない。懐柔するのはまず不可能。……)


(……昨晩の『黄金の穴蔵』でのボロツ殿やチェレンチー殿とのやり取りを見れば、仲間に一定の情を持ってはいるようだが、それを自分の人生の優先順位の一番には置いていない。意見や利害が食い違えば、あるいはそれが自分を縛るしがらみとなるならば、きっぱりと思い切り良く切って捨てる事も出来る人間だ。……)


(……ティオ殿は、他者に対して広く博愛と思いやりの気持ちを持ち、個人の個性と意見を尊重している。他者に常に「敬意」をもって接している。……)


(……そして、それは、長い付き合いのある者だろうと、初めて会ったばかりの相手だろうと変わらない。……昨晩、『黄金の穴蔵』で、従業員に身をやつしていた私に対して丁寧な態度で接してきたのは、私が『紫の驢馬』だと気づいていたからではない。私が、「年老いた老人だから」だ。ティオ殿の中では、「老人には親切にする」のが当たり前で、それを初対面かつ正体は『紫の驢馬』である私に対しても、自然と当てはめていたに過ぎないのだろう。……)


(……しかし、一方で、知り合いにもそうでない者にも態度が変わらないという事は……誰に対しても特別な「執着」を持たないという事でもある。ある意味、ティオ殿は、真に平等だとも言える。……)



 『紫の驢馬』は、今までのティオとの会話から、ティオにもかつては何か「特別に大切にしていた」存在があったらしい事を知った。

 しかし、詳細は不明だが、いかな優秀な彼でもどうする事も出来ない不幸な事件が起こり、ティオはその何よりも大切なものを失ってしまったようだった。

 その出来事は、多感な若いティオの心に深い傷を残した、と言うべきか、あるいは、人一倍強靭な精神力を持つティオさえも酷く打ちのめしてしまった、と言うべきか。

 ティオが、その一件のトラウマから、フォークさえも持てない程の極度の「刃物恐怖症」を患い、未だ回復の目処がまるで立っていない状況を鑑みるに、ともかくも、彼の人生に大きな影響を及ぼしたのは間違いなかった。


 若くして自分の大切にしていたものを失ってしまった経験もあってか、ティオは自分の周りの人々や人間社会への興味関心が薄いように感じられた。

 元々飄々とした性格ではあったのだろうが、過去の事件以降「何にも強い執着を持たない」傾向がいっそう進んでしまった状態なのだろうと、『紫の驢馬』は推察していた。

 ティオという人間は、間違いなく人間ではあるが、その能力はとうに人間の域を超えているように思われるだけでなく……

 自分が属している筈の人間社会を、どこか遠くから、他人事のように、あまりにも冷静沈着に見つめている印象を受けた。

 彼のその意識のありようは、もはや、人間という存在ではないかのようだった。



 『紫の驢馬』が、ティオを説得出来る気が全くせず、内心頭をかかえていると、そんな様子を見たティオがフォローするように言ってきた。


「どうか、気を悪くしないで下さい。俺自身は、先程も述べたように、ご老人をはじめとして、裏社会にもそこに生きる人達にも、嫌悪感も偏見もありません。」


「ただ、今回はどうしても、出来るだけ非合法な力には頼らずに、『傭兵団を戦で勝たせ、ひいては国王軍を勝利に導く』という目的を達成したいのです。」


「ええと、その……そういう約束をしてしまったと言うか、俺自身、この目的を達成するまで、不法行為に手を染めないという誓約をしていまして……おかげで、せっかく王宮の宝物庫から盗み出した財宝も、残念ながら全て返す羽目になってしまったんですよ。本当に惜しい事をしましたが、まあ、俺自身がそういった誓いを立ててしまったのですから、仕方ありませんね。」


「そんな訳ですから、ご老人が悪い訳ではないんです、本当に。ご老人でなくとも、表に出せない方面からの援助は全て断らせていただく事になったと思います。」


 ティオのその言葉を聞いて、『紫の驢馬』は、ピンときたものがあった。


「……つまり、ティオ殿が『傭兵団の勝利と内戦の終結に力を尽くす』との約束をしたお相手の意向、と言う事ですかな?」

「端的に言えばそうです。相手は、俺が、『宝石怪盗ジェム』と言うふざけた名前で呼ばれている事を知って眉をしかめるような人間でして。いや、まあ、泥棒にいい顔をする人間は、表の社会には居ない事でしょうが。昨晩の『黄金の穴蔵』での一件も、あまり良く思われていないようでした。このナザール王国は賭博が禁止されていないので、合法だと説明はしたのですけれど、そもそも、博打のような地に足の着かない行為を嫌っているようなのです。」

「それは、また、随分と潔癖な……いや、高潔なお方のようですな。」

「いやあ、苦労させられます。今回だって、賭博以外の方法で、たった一晩で傭兵団の活動資金のための大金を得る事は出来ませんでしたからね。俺個人としては、『黄金の穴蔵』の存在や、昨晩のご老人の配慮にはとても感謝しています。理想論だけでは、三百二十名以上居る傭兵団員をまともに食わせられませんよ。まあ、相手はまだ絶賛不機嫌な様子なので、この後俺はまた平謝りする事になりそうですが。」


 「それは大変ですな」と、当たり障りのない返答をしつつも、『紫の驢馬』の頭の中では、グルグルと素早く思索が巡っていた。



 思い返せば、微かな違和感はあった。

 何にも執着せず、浮世の人間関係に縛られず、厭世的と言う程ではないにしても、その若さに似ず酷く冷めた感覚を持つティオが「傭兵団を勝たせるのが俺の仕事です」と断言している事に。

 誰かと「そういう約束をしてしまった」ので「約束は守りたい」と言うのが、ティオの説明であった。


 確かに、ティオは、何かに強い執着や思い入れを持たない人間ではあるものの、「交わした約束は守る」というしっかりとした信条を持っているようだった。

 意外にも義理堅く、「受けた恩義はきちんと返すのが当然」と思っているからこそ、先程も、王都の裏社会の首領である『紫の驢馬』に「借りを作りたくない」と、『紫の驢馬』が差し出した宝石を、自分のポケットマネーのみを使用し適正価格にて買い取る流れとなったのだった。

 ティオには、『紫の驢馬』を裏切る、誤魔化す、だます、といった卑怯な発想がない。

 知られたくない自分の過去や事情については、言葉を濁したり沈黙を貫くという事はあっても、決して不誠実な態度をとる事はなかった。

 裏社会や、社会の底辺に居る人間に対して、「どうせ法を守らない人間達なのだから、何をしてもいいだろう」と軽んじて、約束を破ったり、金物をだまし取ろうとする人間は一定数居るが、ティオはその類には当らない。

 裏社会に理解があり、また全ての人間に平等に敬意を持って接する彼の思考に由来してもいるのだろう。

 部類の宝石好きで、宝石に関しては盗みに抵抗がない所はあるものの、それ以外は基本的に法を守って生きているようで、また、それを可能にするだけの高い社会性もティオは持ち合わせていた。

 独特の冷めた人生観や価値観を持ちつつも、成熟した倫理観と良心を有し、道義的には至極まっとうな人間であった。


 そんなティオであったので、『紫の驢馬』も、「約束を果たしたいのです」という彼の主張にすんなり納得してしまっていたのだったが。


(……ティオ殿に、「約束」をさせたのは、誰なのだろうか?……)


 ティオは、どこか他人と距離を置いている所があった。

 (……過去に自分の大切な存在を失った経験から、また同様に傷つく事を無意識下に避けて、新しいよすがを積極的に作らないようにしているのだろうか? 誰とも強い結びつきを持たずに生きていこうとしているように感じられる。……)

 と、それまで『紫の驢馬』は推察していた。

 少なくとも、ティオが何ヶ月も一人で世界をあてもなく放浪していたらしい事は、彼との会話で分かった。

 それ以上の情報は、少しでも探りを入れようとすると、ティオは途端に心に厚い扉を閉ざし、警戒心と共に人当たりのいい笑顔の下に押し隠してしまうので、知りようがなかった。

 人にも、物にも、土地にも、社会にも、執着も愛着も思い入れも持たず、フラリと気まぐれに吹く風のように世界を旅して歩き、このナザールの王都にも、たまたまやって来た筈のティオである。

 今は傭兵団に属し、作戦参謀という立場で活動をしてはいるが、それも「傭兵団を戦で勝利させ、内戦の終結に尽力する」という「約束」が果たされるまでの事であり……

 その後は、おそらくティオはまた、誰にも行き先を告げぬままに、フラリとこの王都から、国から、居なくなる予感がしていた。


 他人と密接な関係を築く事を避け、他人を自分の懐に入れる事も、他人を自分の心に踏み込ませる事も嫌っているふうのティオである。

 そんなティオが、「内戦の終結まで」という短い期間に限るとは言え、誰かと「約束」を交わし、傭兵団という組織に所属して、そこで作戦参謀という自分の役目を果たそうと積極的に動いている。

 それを、単なる「気まぐれ」と断じるのは、何かが足りない気がした。

 ティオ自身さえも、「どうしてこんな事になっているのか、自分でも頭が痛いです……」と困惑の表情を浮かべていた。


(……ティオ殿が「約束」をした相手とは、一体どんな人物なのか?……)


 『紫の驢馬』は長年裏社会の首領として生きてきた習性として、また、彼の唯一の趣味と言っていい人間観察の癖で、ティオに「約束を守りたい」と思わせている者の人物像を思い描いていた。


(……まず、私のような人間の介入を嫌がる性格だと、先程のティオ殿の言で知れた。と言う事は、表の社会で生きている人間……おそらく、表の社会で「のみ」生きてきた人間だろう。犯罪や不正に対する拒否反応からみて、正義感の強い清廉潔白な人間だと思われる。……)


(……その人物がティオ殿に求めたのは、「傭兵団の勝利と内戦の早期終結」だった。正義感の強い人物が、戦争で荒れ果てたこの王都の状況を見て、嘆かわしいと感じるのは納得がいく。……)


(……しかし、「傭兵団を戦で勝たせて、極力犠牲を減らす」というのは?……)


(……この不毛な戦の被害を直接的あるいは間接的に被っている人間は、ナザール王都を中心に多く居るだろうが、彼らでさえも「鼻摘みのならず者の寄せ集め」である傭兵団の犠牲を案じている者は皆無だろう。犯罪者崩れの素行の悪いクズ共が、はした金につられて戦場で命を落とした所で、自業自得と思うのが普通だ。あるいは、世の中のゴミが減って良かったと思う者さえ居るだろう。……となると、ティオ殿に「傭兵団の犠牲を減らす」事を求めた人間は、そんな世間の厄介者達をも等しく案じる、余程慈悲深い人物という事か?……いや……)


(……ここは、「傭兵団に属する人間」と考えるのが自然だろう。……)


(……その人間にとって傭兵団は「仲間」だ。たとえ世間が「クズの掃きだめ」だと言おうと、同じ釜の飯を食う仲間ならば、戦場で傷ついてほしくないと願う事だろう。……)


(……そう言えば……「仲間」「傭兵団」と言えば……)


 『紫の驢馬』は、考えを進める内にふとある事に気づいた。


(……ティオ殿は、私の前で傭兵団の人間の話をしないな。……)


 ボロツとチェレンチーの話題も、『紫の驢馬』から振った事で、ティオは最低限それに短く答えただけだった。


(……わざと、私の前で傭兵団の人間についての話題を避けている?……)


(……今日も、確かに私はこの店に「一人で来てほしい」とティオ殿に伝えたが、本当にたった一人で平然とやって来た。そして、昨晩『黄金の穴蔵』にボロツ殿とチェレンチー殿の二人を伴って来た時より、今のティオ殿は気楽そうに見える。……)


(……むしろ、昨晩の方が例外だったのかも知れないな。『黄金の穴蔵』において、自分はテーブルに着いてドミノを打ちながら同時に外ウマに賭けるのには、どうしても連れの助けが必要になる。だから、裏社会にも慣れているボロツ殿を護衛も兼ねて供にした。まあ、ティオ殿なら、本来は護衛は要らないのだろうが、ボロツ殿を伴っていれば、その恐ろしげな見た目から下手に絡んでくる者が減って不要な揉め事を回避出来ると踏んだのだろう。チェレンチー殿は、はじめからドゥアルテを標的に決めていたから、その関係で腹違いの弟である彼を連れてきたといった所か。しかし……)


(……元々裏家業に就いていた事もあるボロツ殿はともかく、チェレンチー殿をあまり裏社会の人間と関わらせたくないというのが、ティオ殿の本心なのだろうな。まあ、こちらとしても、何か余程の事情がない限り表の人間に手を出すつもりはないのだが。しかも、ティオ殿が気に掛けている知り合いとあっては、下手に近づいてティオ殿の機嫌を損ねたくないものだ。……)


 実際、ティオは、昨晩の『黄金の穴蔵』の件で、『紫の驢馬』がボロツとチェレンチーの二人を「かたぎの一般人」と見なし、この先二人に接触する気はないと断言した事でホッとした様子だった。

 また、賞金首の情報を警備隊に売った事に関しても、ティオは、傭兵団に協力者はおらず、自分一人でやった事だと強調していた。

 『紫の驢馬』は、老いた指で自分のアゴを擦りながら、心の内で「フウム」とひとりごちた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ