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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第十節>秘密の盟約
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野中の道 #69


「傭兵団に入る前の俺は、ただ『内戦が早く終わってほしい』と思っていました。理由は『月見の塔』の内部を個人的な興味から調べてみたかったからです。まあ、そういった緊急性のない理由ですから、内戦の早期終結も他力本願にぼんやり願っている程度で、積極的に自分が関わろうとは全く考えていませんでした。……そうですね、単に内戦を早く終わらせるだけなら、何も国王軍側の傭兵団に入る必要はないし、むしろ反乱軍側についた方が、内戦を終わらせる必要もなく『月見の塔』の内部に入れる訳で、俺の目的は簡単に達成出来たでしょうね。」

「……ティオ殿がわざわざ傭兵団に入ったのは、王宮の宝物庫が目当てだったのではないのですか?」

「アハハ、嫌だなぁ、ご老人。傭兵団の兵舎は確かに王城の城壁内部にありますが、この国の国宝が安置されている宝物庫は、王宮の最奥ですよ? 王族の住まいでもある王宮は、当然建物も別なら、掘っ建て小屋のような木造の兵舎とは比べ物にならない堅固な石造りで、内部も複雑な構造になっています。また精鋭の近衛兵により幾重にも厳重な警備が敷かれていて、傭兵どころか一般の兵士だろうと貴族だろうと許可なく王宮の中に入る事は出来ません。同じ王城の中にあるとは言え、傭兵団の兵舎と王宮では全くの別世界なんですよ。……うーん、そうですねぇ、傭兵団に所属する利点と言えば、ぐるりと王城の建物群の周りを囲む城壁を越える必要がない事ぐらいですかね。でも、あんな高いだけの石壁、あってもなくても大差ないですよ。城壁周りは、あの高くて分厚い石壁に守られているという固定概念からか、兵士達の緊張感も薄く割と警備がずさんですしね。」

「……」

「本当に、俺が傭兵団に入ったのは、たまたまです。その場の流れと言うか、妙な勢いと言うか……自分でもなんでこんな事になっているのか、未だにちょっと理解出来ていないぐらいで。……あ! ちなみに、王宮の宝物庫から盗み出した宝石は全て返しましたよ! 元の宝飾品の台座から取り外したものも一部あったり、その時俺が持っていた街中で絡んできたチンピラからスった物も混じってましたけどね、間違いなく全部返しました! さすがにもう一度宝物庫に忍び込んで戻す訳にもいかなかったので、王城の城門前に置いてきましたけども。……とにかく返したんで、この一件はもう不問にして下さい! 二度とこの王国の貴重な財宝に手を出すような真似はしませんから!」

「……それは私に誓われてもせんない事ですが、ええ、はい、私はティオ殿の言葉を信じておりますよ。」

「まあ、そんな訳で、俺はなんの因果か傭兵団に入ってしまったんですが……でも、今となってはそれで良かったと思っています。」


「もし、この内戦を早く終わらせるために、国王軍か反乱軍、どちらかに味方するとしたら……俺は、絶対に反乱軍には味方しない。」


「特に国王軍に思い入れがある訳ではないです。まして、国王軍が正義で反乱軍が悪だとか、そんな事を思っている訳でもない。……『正義』なんて、人間が他者を物理的にあるいは精神的に、理不尽に痛めつける時に、免罪符として口にするものだと俺は思っていますから。『正義』だとか『人のため』だとか『世界のため』だとか、そういう『偽善』は、俺は昔から大嫌いなんですよ。」


「でも、そんな俺にも、許せないものはある。」


 ティオは、白いクロスの敷かれたテーブルの上に置いた自分の手をグッと握りしめて言った。


「それは、人の道に反する行為だ。」


「世の中に犯罪と呼ばれるものは様々あります。そして、俺も、宝石の窃盗を始め、そのあまたあるこの世の犯罪のいくつかに今まで手を染めて生きてきました。俺は決して清廉潔白な聖人君子などではないです。それでも……子供を食い物にする者、弱者から搾取する者、他人の尊厳をないがしろにする者、他人の大切にしている物や気持ちを踏みにじる者、そして、他人の命や未来を自己の利益のために冷酷に奪う者……そういった人道にもとる行為をする人間は、許しがたいと感じる。世間的に不道徳な行為だと考えられているとか、そんな事は関係ない。俺は、ただ、俺自身が、俺の心が、許せないと思う者を、許さない。」


「戦争は、普段の日常では当たり前にある人間的な倫理観が完全に失われる特殊な状況下で起こるものです。……普通なら、人を傷つけ殺めれば、周囲から非難され罰せられる。反対に、戦争においては、より多くの敵を傷つけ殺めると称賛される。……しかし、そんな普段の倫理観が失われ、善悪の概念が引っ繰り返った戦場であろうとも、人として越えてはいけない一線というものは存在すると俺は思っています。……降伏や休戦の訴えを無視する事、使者を殺める事、毒をばらまく事、そして、非戦闘員や一般の民間人を攻撃する事。これらの行為は、不文律ながらも世界中で非人道的行いであると忌避されているものです。」


「しかし、この戦争中にあっても禁忌とされる非道な行為を、反乱軍は、いや『導きの賢者』は行っている。」


「だから、俺は、絶対に反乱軍にはくみしないと決めたのです。」


 ティオの言葉を聞いて、『紫の驢馬』は目を見開き、ガタリと椅子の足を鳴らす程に身体を震わせて驚いていた。


「……な、なんですと?『導きの賢者』は、戦争の禁忌を犯しているのですか?」

「俺の調べた所によると、限りなく黒いです。」

「そ、それは一体どんな?」

「ご老人は、この王都にこのタイミングで流行り病が蔓延したのは、単なる偶然だとお思いでしたか?」

「え?……い、いや、しかし、さすがに病の流行を人為的に操る事は……」

「可能です。少なくとも、俺はその知識を持っています。『導きの賢者』が、どこかで俺と同じような知識を得たのなら、この機に乗じて使った可能性があります。」


「そう、王都に病を流行らせて、国王軍の足元からジワジワとその力を削ぐのが目的です。……実際、長引く内戦で経済的に打撃を受けていた所に、流行り病が蔓延した事により、一気に王都は荒廃しましたよね?」


「……まさか、そんな事が本当に……」

 と、動揺で声を震わせつつも、『紫の驢馬』は、何か点と点が繋がった様子でハッとなり、苛立たしげに歯を食いしばっていた。


「病を流行らせる方法を知っていたとしても、普通は実際にやろうとはしません。俺だってそうです。……それは、普通の人間が、ナイフを所持していても大通りの人込みで振り回さないのと同じ道理です。一般的な倫理観や良心を持った人間なら、『非道な行い』であると認識して、決して実行する事はない。けれど……」


「稀に、その『人として越えてはいけない一線』を越えてしまう人間が居る。」


「その事は、長く王都の裏社会に秩序をもたらそうと努力してきたご老人も、良くご存じかと思います。」

「……ほ、本当なのですか、ティオ殿? 本当に反乱軍は、『導きの賢者』は、この街に病の元を撒いたのですか? 戦争に直接関わりのない民間人を、手に掛けたのですか?」

「はっきりとした証拠がある訳ではありません。ただ、俺がこの王都で集めた情報を分析した結果、その可能性は高いと考えています。流行り病が広まった時期、主に流行っている地区、拡大の経緯、そういった諸々の状況から見て、自然発生ではなく、人為的な意図を感じるのです。……本音を言うと、俺は確信しています。」

「……ああっ!……」


 『紫の驢馬』は、思わず苦悶に歪んだ自分の顔を、皴だらけの両手で覆っていた。

 しかし……しばらく苦悩したのち、頭の回転の速い彼はすぐに気持ちを切り替えた様子で、グッと顔を上げた。

 『紫の驢馬』は、白いクロスを掛けたテーブルの向かいで、指を組み背を正しているティオの姿を、蛇を思わせる細く老獪な目に強い力を込めてジッと見つめながら発した。


「……ティオ殿、私に出来る事があれば、なんでもいたしましょう。」


「ですから、お願いします。」


「『導きの賢者』を討ってもらえませんか?」


「どうか、どうか、お願いいたします。」



「……『紫の驢馬』殿は、今回の内戦には不干渉の立場を貫くと、先程言っていませんでしたか?」


 さすがのティオも、テーブルに両手をついて自分に頭を下げてくる裏社会の首領である小柄な老人を前に、当惑した様子を見せた。


「……それは国王軍が勝とうと反乱軍が勝とうと、その後の王都の情勢に大差はないと思っていた故です。しかし、今はその時と状況が違う。私はティオ殿の情報提供により、反乱軍を動かしているのは第二王子ではなく『導きの賢者』であると知りました。彼奴は危険人物です。」


「私は、奴が王都の街頭で従者達を連れて演説をしているのを遠目に観察して、野心家な小者だと心の中で断じ、特に興味を持つ事なくその場を立ち去りましたが……奴がまかり間違ってこの国の政治を動かす地位を得るとしたら、話は全く別なのです。あのような輩に国を好き勝手されてはたまったものではない。万が一反乱軍が内戦に勝利したとしましょう。奴は現在国政を担っている王族や貴族をことごとく追い出し、第二王子を傀儡に実権を握ったのち、この王都や国内だけでは飽き足らず、更なる権力を求めて他国を侵略しようと軍国主義に走るやも知れません。そうなれば、この国の有り様は一変してしまう事でしょう。」


「私は、確かに、先程ティオ殿に、『表の社会の問題に裏の社会の人間が口を挟むのは、無用な混乱を招くため、するべきではない』と、持論を述べましたが、それにも例外はあります。……つまり、表の出来事が、私の管理下にあるこの王都の下町や、裏社会まで大きな影響を及ぼす場合です。表の社会と裏の社会は表裏一体の関係にあります。私も普段は、表の政治のゴタゴタによる多少の影響には目をつむっておりますが、これはさすがに看過出来ない重大な問題です。私が長年に渡ってこの王都に築き上げてきた裏社会の秩序を、この下町に住む表の政治の網から零れ落ちた貧しき人々の生活の平穏を……私の大事にしているものを……脅かすだろう大きな危険を前にして、私が大人しく傍観を決め込んでいられる筈がありません。」


「今は、普段の自分の方針を曲げ、表の二大勢力の一方に肩入れしてでも、この王都の平穏を守りたい。」


「私は、国王軍につきましょう。そして、この国とその民を醜い野心のために食い物にしようとしている害虫を、自分の庭から早急に追い払いたい。」


「そう心を決めたために、私は自分の知り得る最も頼もしい人物に助けを求めたのです。……そう、ちょうど今、私の目の前に居るあなたにです、ティオ殿。」


 テーブルに手をついて身を乗り出して訴えてくる『紫の驢馬』に、ティオはその熱気を押し返すかのごとく、自分の身体の前に軽く手を上げて苦笑した。


「『紫の驢馬』殿に高く買ってもらえるのは嬉しい事ですが……俺よりももっと影響力のあるお知り合いが、ご老人には居るのではないのですか? あなたなら、秘密裏に何人もの貴族と繋がりがあるでしょうし、大臣補佐レベルの人物ならすぐに連絡をとる事も出来るのでしょう?」

「……確かに、ティオ殿の推察通り、王城の中にも私の息の掛かった人間はおりますし、有事にこちらの都合を聞いてくれる者も何人かは心当たりがありますが……しかし、今回、内戦が勃発するにあたって、反乱軍の真の首謀者が『導きの賢者』であるという情報を私に告げた者は一人もおりませんでした。つまり、誰一人として、今回の内戦の実情を見抜けていなかった。王城内の王族や重臣達の動向も、私はある程度把握しておりますが、やはり彼らの中にも『導きの賢者』の関与を疑う様子はまるでない様子でした。……要するに、彼らは全くあてにならない。」


「たった一人、私に『導きの賢者』が危険人物である事を知らせたティオ殿、あなたを、私が頼りに思うのは、当然の成り行きではありませんかな?」

「しかし、俺は、実情、傭兵団の作戦参謀に過ぎません。『導きの賢者』を捕らえ反乱軍を打ち倒すために、多くの人員を動かせるような権力は持っていません。せいぜい、巷でゴロツキの寄せ集めと揶揄されるているところの傭兵団をせっせと鍛え、装備を調えて、軍隊としての体裁を整えたり、戦場で勝つための策を弄したりするのが、俺に出来る限界です。」

「それでも、私は、ティオ殿、他の誰でもないあなたにお願いしたい。私の周りで、あなたが一番期待と信用のおける人物なのです。もちろん、タダでなどという図々しい事は言いません。私に出来る限りの便宜をはかりましょう。金でも武器でも食料でも、あなたが必要とするものを遠慮なく言って下さい。」

「ま、まあまあ、ちょっと落ち着いて下さい、ご老人!……この王都の、下町の人々の、平穏を願うあなたの気持ちは理解しました。しかし、やはり、裏社会の首領である『紫の驢馬』が表立ってこの内戦に介入するのは、望ましくないと思いますよ? ご老人が言っていた『表の社会の問題は表の社会に生きる人間が解決すべきであり、裏の社会に生きる人間が口を出すと、不要な軋轢や波紋を生む』という意見には、俺も賛同しています。……それに……」


「俺は、あなたに請われるまでもなく、今回の内戦では国王側について動くつもりでいました。戦場では、傭兵団を勝たせるだけでなく、最終的に国王軍の勝利で決着するよう尽力するつもりです。」


「あくまで、傭兵団の作戦参謀という立場において、ですがね。」


 ティオは『紫の驢馬』の真剣な雰囲気にやや困惑した様子を見せつつも、相変わらず冷静沈着に、また飄々とした笑顔を崩す事なく、言った。


「『紫の驢馬』殿、あなたの厚意は嬉しく思いますが……俺は、あなたからの援助は受け取れませんし……」


「あなたの意向で動く事は出来ません。」


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