野中の道 #66
『確かに、ラウム様の「先見」により今回の試験の結果はかねてより予言されていた。それをのぞいても、ジェード、お前がこの試験に受かってこの国の首脳陣入りするのは、予定調和だったと俺は思ってるよ。俺の「洞察」の異能力をもってしても、納得の結果だな。』
『……』
エリオットは暗い表情で黙り込んでしまったティオを励まそうと思ったらしく、いつもの饒舌でやや軽薄な雰囲気の所に、更に一段声のトーンを上げて陽気に顔をのぞき込んできた。
『なんだなんだ、ジェード! ここまで来て、まーだ覚悟が出来てないのか?』
『……』
『いい加減、自分の運命を受け入れちまった方が楽だぞ。』
『ラウム様の「先見」について、試験の結果に対する予言はともかく、これから先のお前の未来に関しては……あれは、さすがににわかには信じがたいものがあるのは分かる。』
『でも、あの予言も、おそらく当る。「先見」で見た未来は必中だしな。それだけじゃなく、俺自身も「洞察」の異能力でお前を見て、そうなるのは当然の流れだろうという実感があるんだよ。……ジャックも同意見だよな?』
『ああ。私にはラウム様のように未来を予知する力も、エリオットのように人の本質を見抜く力もないがな。それでも、何か理論的な思考を越えた所で、ジェード、お前が、将来あの予言のようになるだろう事は、定まった運命だと納得してしまう感覚がある。』
『お前は「世界の大きな運命の流れ」の只中に居る人間だ。自分がそういう人間だという事を、この辺でしっかり受け入れた方がいいぞ。何しろ、ラウム様に予知されたこれから先のお前の未来は、とても平穏とは言いがたい過酷なものなんだからな。まあ、「その時」がいつになるのかは、まだ分かってはいないけどな。今からある程度腹をくくっておいた方がいいって話だよ。』
エリオットに諭されても、ジャックに太鼓判を押されても、ティオは暗く沈んだ表情で石のように黙り込んだままだった。
エリオットが少々呆れぎみにまた何か発破を掛けようと口を開きかけるのを、長年の付き合いで察したらしいジャックが、制止するように会話に入ってきた。
『エリオット。ジェードは確かに常人離れした優秀な人間だが、それでもまだほんの子供だ。この国の首脳陣の一員となる重責に戸惑うのも仕方のない事だろう。それに、ジェードは、この国に来てまだ一年も経っていないのだぞ。』
『ええ? コイツが、こんな事で及び腰になるようなタマか?……あー……いや、うん。そうだな。……』
エリオットは、改めて隣の席に座っているティオを横目でチラと見遣った。
気まずそうに空咳をして、額に垂れていた明るい赤茶色の前髪を掻き上げる。
『……い、いや、だってほら、コイツ……ジェードは、俺達とも普通に討論出来るぐらい知識が豊富だし、頭の回転も速いだろ? それに、思考原理が地に足がついてるって言うか、この国の人間に多い机上の空論で理想をまくし立てるようなうわっついた所もないしさ。実際、本業の実力は言うまでもなく、俺の部署の仕事を手伝った時も、長年務めてる職員以上にテキパキ仕事をこなしてたんだよ。……なんて言うか、その、あまりに「出来る」ヤツなんで、つい本来の年齢を忘れちまうんだよ。考え方も大人びてるしさ。』
『……でも、本当は、まだたった十六歳だったな。いや、就任式の直後の春の祭典で十七歳か。』
『どっち道、俺やジャックがその歳の頃って、学生だったのもあって、国の政治の事なんてまるで考えもしなかったよなぁ。学業を修め、昇級試験に受かって、もっと上の階級に行く事しか考えてなかった。後、女の子の事とか?……十六、七なんて、普通そんなもんだよなぁ。』
『まあ、俺達とジェードは元々の出来が違うって言っても……確かに、まだ若いんだから、いろいろ思い悩む事もあるよな。随分一緒に居るような気がしてたが、そうか、この国に来て、まだ一年も経ってなかったんだっけなぁ。』
『……その、悪かったよ、ジェード。プレッシャー掛けるような事言っちまったな。』
エリオットは、やや軽佻浮薄で女性好きという印象はあるものの、心根の優しさを感じさせる笑顔で、ポンとティオの肩を叩いた。
『ジェード、お前達には、俺達がついてる……』
『俺に触るな!!』
その瞬間、ティオは、反射的にバシッとエリオットの手を払いのけていた。
□
『……つっ!……』
『……!……』
勢いでエリオットの手を叩く形になり、普段荒事に慣れていない文官のエリオットは、驚いて手を引っ込めていた。
軍人であるジャックも、不穏な空気に思わずガタッと椅子から立ち上がりかける。
『……すみま、せん……うっ!……』
ティオの口から謝罪の言葉が漏れた直後……
ティオは、ガッと自分の胸を鷲掴んで前かがみに身体を折り曲げていた。
腕を振り回した時に当ったらしく、目の前の端正な作りの陶器のティーカップが跳ね飛ばされ、ガチャッと不快な音を立てて割れていた。
『……ぐ、う!……がっ!……』
『ジェ、ジェード!』
『近づくな!……だ、だから、俺に触るなって、いつも言ってますよね?……』
『……すまない、つい……だ、大丈夫か?……』
『……平気です。いつもの事、ですから。すぐに……クッ!……直りま、す……』
『……』
ティオは、一瞬で血の気が引き、ブワッと冷や汗が額に浮かび上がっていた。
体中の血肉と骨が軋むような激しい苦痛に自然と顔が歪むが、それでも、歯を食いしばって必死にこらえる。
しばらくの間、ティオは、エリオットとジャックが不安げに見守る中、背中を丸めて胸を押さえ、ポタポタと冷や汗を膝に垂らしながら苦しんだのち……
なんとか立て直し、フーッと大きな息を吐くと共に、ようやく顔を上げた。
毎回感じる激痛には全く慣れる気はしないものの、激痛に襲われた時の対処には、さすがに慣れた感があった。
まだ真っ青な顔をしながらも、早くも冷静さを取り戻し、目の前に散らばる自分が壊してしまったティーカップの破片を淡々とソーサーの上に集めているティオに、エリオットも手伝おうという様子を見せたが、ティオはスッと手で遮って、さっさと自分一人で破片を片づけてしまった。
『……取り乱しました、すみません。……カップも割ってしまった。いい品だったのに、悪い事をしたな。後で爺さんには謝っておきます。』
『いや、カップの事なら俺が説明しておくよ。……それより、今もそれ、つけてるのか?』
『……まあ、一応は。……』
ティオは、大きく腕を振るったためにまくれ上がっていたローブの袖に気づいて、スッと調えた。
普段は見えないように長めの袖に隠しているが、腕の手首近くに、バラの茎を思わせる刺だらけの透明な腕輪のごときものが二本、肌に食い込むような形でしっかりとはめられているのが一瞬見てとれた。
エリオットの言葉に、ジャックもその腕輪に気づき、思わず目をしかめて言った。
『……大丈夫なのか、ジェード?……』
『大丈夫かと言われれば、完全に問題が解決した訳ではないですが、以前に比べればずっとマシです。』
『安心して下さい。これは、レプリカです。これ以上貴重なオリジナルを壊す訳にもいかないですからね。まあ、レプリカでも充分貴重なんですけれども。』
『それに、この前、塔の宝物庫を見せてもらった時に、非常に有用な物を見つけたんです。今爺さんが管理者と交渉してますが、たぶん俺に使ってもいいと許可が出ると思います。それに、最近は宝石を使った新しい方法も模索していて、こちらもかなり効果が出る予想です。』
『ですから、今後は、今までのようにこの国の重要な財産を破壊する事はなくなると思います。周りの人達やお二人に迷惑をかける事も……』
『そんな事を心配している訳じゃない。』
『……?……』
苛立ったような口調で睨むように目をしかめてこちらを見つめてくるジャックに、ティオは意味が分からずキョトンとした視線を向け、そんなティオの反応に、ジャックはハーッと溜め息を吐いていた。
口下手なジャックが、難しい顔をして腕組みをしたまま口を一文字に結び黙り込んでしまったのをフォローするように、エリオットが話を引き継いだ。
ジャックはこうして時々黙り込むと、元々がたいも良くこわもてのために、いっそう厳しい印象になるのだったが、ティオは、彼が決して怒っている訳ではない事は分かっていたので、特に気にしていなかった。
『ジェード。これだけは覚えておいてくれ。』
『俺もジャックも、お前の味方だ。』
『なあ、ジャック、そうだろう?……ああ、悪いな、コイツはへそ曲がりで頑固な所があって、こうやって時々石のようになっちまうが、まあ、悪い奴じゃない。性格的に合うか合わないかは別としてな。俺は、性格的にはコイツとは全く合わないが、悪い奴じゃないから、こうして長年縁が切れずにいるんだ。腐れ縁ってヤツだな。ともかくも……』
『ジェード、お前は、今回最難関の試験に見事合格して名実共にこの国トップの実力者となった。そんなお前には、これから先、更にいろいろと苦難が待ち受けている事だろう。お前はまだ若くて、この国で生まれた人間でもない。外の国からやって来た若造に対して、古臭い慣習に縛られて色眼鏡で見てくる頭の固い人間も、きっと多いに違いない。だから……』
『何か困った事があったら、遠慮なく俺達を頼れよ。』
『ああ、ラウム様から「くれぐれもよろしく頼む」って言われてるのもあるけどな、もちろんそれだけじゃないぜ。俺が、俺自身が、俺の意思で、お前の力になりたいと思ってるんだよ。……今はこんなムスッとした顔してるが、ジャックだってそうだ。』
『そうそう、お前はまだまだ若いひよっこなんだから、何かあったらドンドン大人を頼っていいんだよ。お前は何かと一人で抱え込みそうだからなぁ。お前の頭の良さや能力には信頼を置いてるが、そういう内にこもりがちな所は少し心配だ。困ったら仲間を頼れよ。』
『そう、この、優しくてカッコ良くて頼りになる「お兄さん」をな!』
『……エリオット、お前はもう「お兄さん」って歳じゃないだろう? ジェードから見たら、充分「おじさん」だ。』
『お、おじさん!?……おじさんは、ジャック、お前だけだ! 俺はまだまだ「お兄さん」だろうが!』
『私と同い年で、二人も娘が居るくせに何を言ってる。いい加減自分の歳を考えろ。お前がいつまでも若い気分で女性にデレデレするのを見ていると、こっちが恥ずかしくて穴があったら入りたくなる。』
『お前だって息子二人にデレデレしてるだろうが! この親バカが!「私の息子達は天才かも知れない、おまけに天使だ」なんて話を毎日毎日聞かされる兵士達のなんとも言えない表情を見てると、俺の方がいたたまれないんだよ! そもそも、俺は童顔で、今でも二十代前半に見られる事もあるが、お前は昔から老け顔で……』
『……あの、二人とも……』
と言うティオの声で、いつものように言い合いになりかけていたエリオットとジャックの二人は、ハッとティオに注目した。
ティオは、そんな二人を冷めた目で見つめながら、しれっと言った。
『話も終わったようなので、そろそろ帰って下さい。俺も、自分の部屋に戻って、少し休みたいんです。』
そうして、空中庭園でのエリオットとジャックとの茶会は、ほぼ予定された時刻通りにお開きになったのだった。
□
(……今更、力や権力を手に入れた所で、なんの意味があるって言うんだ。……)
建物の地上数十メートルに位置する透明なドームの中に、色とりどりの花が咲き、蝶が舞い、鳥が囀る、そんな非現実な美しい光景を、ティオは一人、見るともなしにぼんやりと見つめていた。
エリオットとジャックと別れて一旦自室に向かったティオだったが、ゆっくりする間もなく空中庭園の管理人から「忘れ物がございます」との連絡が入り、再び庭園に戻ってきていた。
既にエリオットとジャックの姿はなく、三人で茶や菓子を囲んでいたテーブルの上も綺麗に片づけられていた。
庭を調え終えていたらしい管理人は、戻ってきたティオをドームの中に招いた後、控えの小部屋へと引っ込み、現在、空中庭園にはティオしか居なかった。
ティオは、繊細な作りの白いテーブルと椅子の置かれた庭園の中央付近にやって来てすぐ、近くの木の幹にジャックが「試験に受かった祝いの品だ」と言ってティオに持ってきた、全長2m以上ある鋼の棒が立て掛けられたままになっているのに気づき、思わず顔をしかめてため息をついた。
庭園の管理人が「忘れ物」だと言ったのは、間違いなくこれなのだろうが、事情を知っているティオには、それが「忘れ物」ではなく、ジャックがわざと置いていったものだという事が分かっていた。
「要らないので持って帰って下さい」と何度も言ったのだが、押しつける形で残していったのだろう。
(……「忘れ物がある」と連絡が来た時点で、嫌な予感はしてたけどな。……)
茶会が終わった時、ティオは、エリオットとジャックの二人に先んじて庭園を去っていたため、ジャックがプレゼントに持ってきた鋼の棒をそのまま置いていった事を知らなかった。
しかし、庭園の管理人が自分で忘れ物を持ってくるでなく「取りに来てほしい」と伝えてきた事が引っ掛かっていた。
ジャックがティオ用に持ってきた鋼の棒は、ジャックのように日常的に身体を鍛えていない人間には、その重さと大きさから非常に扱いずらいものであった。
庭園の管理人は、植物の世話や掃除などをしてはいても、その体格からして腕力はない様子で、下手に動かそうとして間違って足にでも落としたら指の骨を砕きかねなかった。
ジャックがティオに持ってきたものであるため勝手に触れるのを遠慮したのもあったのだろうが、何もせずにこちらに連絡してきたのは正しい判断だったとティオは思った。
ティオにとっては面倒な手間が増えた訳ではあったが。
(……全く本当に余計な事を。どうするんだ、この棒。送り返すか?……いや、こんな重い物、誰かにジャックさんの所まで運ばせるのも悪いしなぁ。……チッ。しようがないから、俺の部屋の隅にでも転がしとくか。……)
(……どうせ、もうすぐあの部屋から出ていくんだしな。正直邪魔だが、少しの間だけ我慢するか。……)
ティオはフウッと一つため息を吐いた後、鋼の棒が立て掛けてある木に向かって歩きだした。
その際、テーブルの脇を通ろうとした所で、何気なくそちらに視線を向け、いっとき足を止めた。
先程の茶会において自分のミスでティーカップを割ってしまった事を気にかけていたティオは、「こちらで片づけておきます」と管理人に言われていたが、破片が残っていないかと確認したのだった。
どうやら茶会に使っていた食器を下げると共にテーブルの上を綺麗に布巾で拭いたようで、もうカップが割れた痕跡はどこにも残っていなかった。
念のため、自分が座っていた椅子の前を指でスッとなぞったが、粉状の陶器の欠けらが皮膚についてくる事もなかった。
(……今更、力や権力を手に入れた所で、なんの意味があるって言うんだ。……)
茶会が終わり、今は一人きりになった空中庭園で、ティオは、先程までのエリオットとジャックとの会話を思い出し、自然と心の中で呟いていた。
ティオの目に映る色とりどりの花が咲き乱れる庭園の光景は、日が西に傾いた事で薄く茜色を帯びていた。
(……死んだ人間は生き返らない、絶対に。……)
(……俺の大切なものは、失われてしまった。……もう二度と、俺の元に戻る事はないんだ。……)
しばし、白いテーブルの上の空虚さをぼんやりと見つめた後、ティオはスッと顔を上げた。
そして、ジャックが置いていった鋼の棒が立て掛けられている木の元に歩み寄り、パシッと手に取ると、きびすを返し、そのまま空中庭園を後にした。
□
『今日はわざわざありがとうございました。』
エリオットとジャックに別れを告げて空中庭園を去る際、ティオは淡泊な口調ながらも二人に礼を言った。
さっそくエリオットが、ニッと白い歯を見せて笑顔で応えた。
『ちょっとでもお前のガス抜きになったんなら良かったよ。俺達もわざわざ来たかいがあったってもんだ。』
『しばらくはジェード、お間も、俺達も、式典の準備で忙しいだろうからな。就任式典と恒例の春の祝祭が重なって、今年はいつになく賑わいそうだ。式典では顔を合わせるだろうが、こんなふうにゆっくり話せるのは、当分先だな。一段落ついたら、また一緒に飯でも食おうぜ、ジェード。』
『こういうお上品なのもいいが、肉食おうぜ、肉! ジェードは若いんだからさ、もっとガツンと肉食った方が絶対いいって。お前、この一年で背は伸びたけど、まだちょっと痩せてるよなぁ。上に伸びたせいか、なんかこう、ヒョロヒョロでペラく見えるんだよ。ちゃんと食ってるのか心配になってくる。……そうだ、俺の家に来いよ! 俺の細君の作る飯は美味いぞ。娘二人も、俺と妻に似て美人なんだ。飯のついでに目の保養に見ていくといいぞ。ハハ、まあ、ただの自慢だけどな。』
『私は今日のような甘味の方がいいな。特にリューズ様の手作りのアップルパイは、是非もう一度食べたい。ああ、砂糖の量は倍にしてほしいがな。』
『出たよ、顔に似合わない甘党野郎が。お前、ちょっとはジェードの事を考えろよ。ジェードはまだ成長期だろう? 成長期って言ったら肉一択だろうが。』
『ジェードの事を考えるなら、お前こそ、この国のトップを軽々しく自宅に呼ぶな。警備や手続きで大変なんだぞ。』
『おっと、そうだったな。今度この三人で会う時は、正式な就任後かぁ。もう、「ジェード」なんて気軽に呼べないな。まあ、今でもお前は、俺達よりずっと階級が上なんだけどな、ハハハ。』
そんな話を、別れ際にエリオットとジャックとしたティオだったが……
それ以降、二人に会う事はなかった。
式典の前日の夜に、ティオがその国から去ったためだ。
この茶会の時、既に国を去る決意を固めていたティオは、これが二人に会う最後だと分かっていたが、一切顔にも態度にも出す事はなく、「じゃあ、俺はもう行きます」と淡々と背を向けた。
そんなティオの背中に、エリオットの明るい声が響いていた。
『またな、ジェード!……いや……』
『ジェード・ルウ・ラウル様!』




