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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第四章 夢に浮かぶ鎖 <前編>何もない夢
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夢に浮かぶ鎖 #4


「おっと!……誰なのー、置きっぱなしにしてったのはー。」

 サラは、オレンジ色のコートのフードでまだ冷たい春の雨を凌ぎながら、人気がなくなった訓練場を、確認のためぐるりと見て回っていた。

 渡り廊下の柱のそばに投げ出してあった訓練用の木の剣を拾い上げ、訓練場の端にある用具倉庫に持っていった。


 用具倉庫は小さな木製の小屋で、本来は鍵が掛かるようになっており、その鍵はハンスが管理するべきものなのだろうが、サラが傭兵団に入った時、既に鍵は老朽化して壊れていた。

 おかげで鍵が掛からない訳だが、特に鍵がなくとも、たいしたものが入っている訳ではないので問題なかった。


「これで良し、と。……あれ?」

 サラは空の酒樽を再利用した訓練用の木の剣入れに、先程拾った剣をガランと突き刺し……

 ふと、用具倉庫の光景に違和感を覚えた。


 普段は、ワイワイと何人もの兵士達と入れ替わり立ち替わり剣を取りに行ったりしまったりしているので気づかなかったが、パッと見ただけで、ずいぶんと綺麗になっている気がした。

 初めてこの用具室をのぞいたのは、傭兵団の入団試験で、やはり訓練用の木の剣を取りに来た時だった。

 小屋の中は、壁に棚として木の板がつけられ、そこには、もう使われなくなった古い武具が埃をかぶって雑然と置かれていた。

 小屋の隅にも、床にも、折れた木の剣や、破れた木製の盾などが散乱し、汚れたボロ布が小山のように積まれていた。


 それが、今は、壊れて使えなくなった武具はどこかに撤去され、まだ使えそうなものだけが修理されて棚に残されている。

 汚れていた布も、だいぶ捨てられたようだったが、残りは綺麗に洗われたのちに畳まれて、同じく棚に収められていた。


「そういえば、この剣も、なんだか綺麗になってるような?」


 サラは、先程落ちていた剣を入れた樽の中にしまわれている訓練用の木の剣をジッと観察した。

 最初に入団試験で使った時には、手の汚れか土の汚れか、ベタベタしていたり黒ずんでいるものが多かったが、今はほとんど不潔さを感じなかった。

 まるで乾いた布で良く擦って磨いたかのように、汚れは取り除かれ、ツルツルと光って見えた。


 ふと足元に目をやると、床も棚も壁も、清掃が行き届いていて、チリ一つ落ちていなかった。


「誰かが掃除してくれたのかな? 誰だろう?……後で聞いてみようっと。ちゃんとお礼を言わなくっちゃ。」


 サラは、自分達の使う道具や用具倉庫を、何者かが片づけたり手入れしたりしてくれている事に気づき、少し嬉しい気持ちになっていた。



 サラが用具倉庫を出た時、雨脚は一時期よりかなり静かなものになっていた。

 といっても、一面に黒雲を敷き詰めた空から落ちてくる雨が止む気配はなく、また、どのみち後三十分もすれば元々の訓練終了時間だったため、今日は早めに訓練を切り上げた事は仕方がないと思えた。


(……それにしても、あんまり雨が降ってばっかりだと、困っちゃうなぁ。剣の練習は外でしか出来ないもんねー。……)

 そんな事を考えながら訓練場を横切っていたサラの目が、ふと人影を見つけた。


 いっときは音を立てて地面を叩いていた雨も、今は細かい粒となって、視界を白い斜線でまばらに埋めている。

 止む様子はないものの、静かで穏やかで、そして、ひんやりと冷たかった。


 サラは、一目で、その人物が誰か判別出来た。


(……ティオ……)


 見間違う筈もない。

 185cmを超える長身、ボサボサの黒髪を首の後ろで適当に一つに結んでいる。

 引きずる程長い色あせた紺のマントを羽織り、顔には瓶底を思わせる分厚いレンズのついた大きな丸い眼鏡をいつも掛けていた。

 こんな特徴だらけの目立つ人物ならば、あまり人の顔覚えの良くないサラでも、決して忘れる事はなかった。


(……あんな所で何してるんだろう、アイツ?……)


 ティオは、立膝をついてうずくまっていた。

 そこは、訓練場の片隅にある、大小の木々が植えられている休憩場所だった。

 その中で、一際大きな木のそばのある岩の前にうずくまって、岩に右手を置き、うつむいて目を閉じていた。


 雨は、降り出した時こそ、大きな木の下には、伸ばした枝葉に弾かれて落ちてきていなかった。

 しかし、先程のザアザアという激しい降りで、木々の葉はすっかり濡れそぼり……

 今は、降った分だけ、葉先に溜まっている雨が押し出されて垂れてくる。


 しかし、ティオは、自分の体が雨に濡れるのを全く気にしていない様子だった。

 いや、自分の髪に、肩に、頰に、雨の雫が落ちてくる現象に、まるで気づいていないかのように見えた。

 そこに居ながら、ティオの意識は、感覚は、どこか別の遠い所にあるかのようだった。


「……」

 サラは、気がつくと、雨の中で立ち止まって、そんなティオの姿をぼんやりと見つめていた。


(……なんか、いつもと雰囲気が違う。……ティオって、こんな顔してたっけ?……)


 深く意識を沈めているティオの顔からは、今は完全に表情が消えていた。

 いつもの、人を食ったようなヘラヘラしただらしない笑みが浮かんでいなかった。

 どこか人ごとのように全てを冷めた視点で見ている、掴み所のない印象の目が、瞼によって閉ざされていた。

 微動だにしないその横顔は、陶器で出来た人形を連想させた。

 木の枝葉から時折垂れてくる雨粒に濡れて、黒髪は一層闇色にかげり、頰は血の気を失って青白く見えた。


 すぐ目の前に居るのに、まるでそこに居ない人間を見ているような、不思議な感覚。

 その姿から、現実感が急速に薄まり……

 ガラスのように透明になって、透けて……

 そのまま音もなく、どこかへとかき消えていってしまいそうな……

 ……危うい程、もろく、透き通った、冷ややかな存在……


「……サラ……」


 彫像のようにうずくまったままのティオの横顔が、その唇だけ僅かに動いて、サラの名前を刻んだ。


「……そんなとこで何してんだよ。風邪引くぞ。……」


 その言葉の後に、ティオは、フウッと軽く息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。


 サラの方に向き直った時、既にティオの顔には、いつもの能天気な笑みが浮かんでいた。



 笑っているようで笑っていない、こちらを見ているようでどこか全く別の所を見ているようでもある……

 細かい傷で白く曇った分厚い眼鏡の奥にある、掴み所のない印象の、独特の深い緑色のその瞳を……

 サラは、ジッと見つめた。

 彼が確かにそこに居るのを確認するかのように。


「どうして私だって分かったの?」

「サラの足音は特徴的だからな。すぐに分かるって。」

「え? 私の足音、そんなに変わってる?」

「変わってるって言うか、この辺でそんな体重の軽い足音させてんのはサラしか居ないって事だよ。しばらくその辺ウロウロしてただろ?」


 ティオはサラが雨に濡れるのを気にしてか、ちょいちょいと手を振って招いた。

 サラは、木の元に駆け寄りながら、(ずいぶん耳がいいなぁ。)と思った。

 確かに、サラは先程まで訓練場を見回っていたが、ティオが今居る木々のある場所には一度も近づかなかった。

 おかげで、先程なんとなく視線を動かして、そこにティオが居る事に初めて気づいたのだ。

 ティオに声を掛けられた時も、軽く10mは距離があり、おまけに、静かではあるが雨が降り続いていた。


「私は団長だから、最後まで残って点検してたのー。全員ちゃんと帰ったかなーって。まさか、こんな所にアンタが居るとは思わなかったから、ビックリしちゃった。」

「おー、さすがサラ団長、お仕事お疲れ様ー。」

「エヘヘー、まあねー。……じゃなくって、ティオも早く建物の中に行きなってばー。」


「こんな所で、何してたのよー?」


 そう口にした所で、ちょうどティオのすぐそばにたどり着いていた。

 小柄なサラと比べると軽く頭一つ分は背の高いティオを、いつものように見上げる。

 そうして、所々雨に濡れてはいるが、普段と何も変わらないティオの様子とその雰囲気……

 確かに彼がそこに存在している事をはっきりと感じて……

 サラは、酷くホッとした気持ちになっていた。


 ティオがもっと木のそばに寄るよう示したので、なんとなくその通りにしてみると……

 木の幹にピッタリと背中を貼りつかせるぐらい近い場所は、ほとんど雨粒が落ちてこなかった。

 枝葉が特に密集しているため、まだかろうじて雨が染み込んできていないらしい。

 ティオは、ごく自然にサラを一番木の幹のそばに立たせると、自分はそこから1m程離れた位置に、腕を組んで佇んだ。


「ちょっと気になった事があったから、調べてたんだよ。」

「気になった事?」

「うん。さっき、一時間ぐらい前、例の軍師様が来てただろ?」

「あー、うん! そういえば、そこの岩に座ってたねー。」

「違う違う、その隣のヤツ。ドッヘル軍師が座ってのは、さっき俺がしゃがんでた前の岩だよ。」

「えー? えっとー……」


 サラはティオに言われて辺りに点々とベンチ代わりに埋められた岩を見たが……

 どれがドッヘルが座っていたものか、全く判別がつかなかった。

 それ以前に、つい先程ティオがうずくまって手を置いていた岩さえも分からない。

 サラの頭には、辺りに植えられている木々も、ベンチ代わりに置かれた岩も、非常にザックリと「木と岩」としか認識されていなかった。


「……それでー、調べてたって、何ー?」

 サラは、分からない事についてはすぐに考えるのをやめて、ティオに尋ねた。


「ああ、ちょっとドッヘル軍師の事が気になったから、何かあの人の痕跡が残ってないかと思ってさ。」

「……ンゲッ!……」


 サラは思わず、カエルが潰れたような声にならない声を喉の奥から発していた。

 ティオが怪訝そうな顔でサラを見る。


「……えぇー……ティオって、あの人の事が……好きなの?……」

「……は?」

「……だ、だって、軍師様の何かが残ってないかって、あんなに熱心に調べてたんでしょー?……か、髪の毛とか、匂いとか、そういうヤツー?……」

「ち、違っ!……な、なんでそうなるんだよ!?」

「……ち、違うの?……えっと、良くボロツが、私の座った後の椅子をクンクン嗅いだり、落ちてる髪の毛とか拾って持っていってるから、ティオもそうなのかと思ってー。……」

「……ボロツ副団長……」


 ティオはうつむいた顔を片手で押さえて、深いため息をついていた。


「……あの人、見た目は怖そうだけど、意外と常識人だし、細かい事に気がついたり、世話好きだったり、いい人なんだけどなぁ。……」



「……と、とにかくだなぁ、俺が調べてたのは、そういう理由じゃないから!」

「そ、そうなの? じゃあ、どういう理由?」

「え、うーんと……ほら! あの人なんか変わってるだろ? あんまり軍師っぽくないっていうかさ。俺達の訓練には全く興味なさそうだし。そもそも、軍師なのに、ずっと城の中に居るっておかしくないか? 内戦真っ只中なんだから、反乱軍の立てこもってる月見の塔の麓に行って、戦の指揮をするとかさ。まあ、ずっと前線に張りついてる必要はないにしても、全く戦場を見に行ってる様子がないのは、変だと思ってさ。」

「あー、確かに。言われてみれば、あの人、全然月見の塔に行ってる感じしないねー。毎日決まった時間に傭兵団の訓練場に回ってくるぐらいだしー。うんうん、変かもー。」


 サラは、腕組みをしてコクコクうなずいたものの、また不審そうに眉をひそめてティオを見た。


「えー? でも、軍師様の行動が変とか、そんな理由って、座ってた岩なんか調べるだけで分かるもんなのー?」

「いろいろ細かく分かる訳じゃないけどな。まあ、大雑把には。」


「人にもよるんだよな。でも、ドッヘル軍師は、どうやら心の鍵が緩めみたいだから、そこそこ情報収拾出来たぜ。」

「……ん? 心の鍵?」

「ああ、えっと、心の鍵っていうのは、例えで……なんて言ったらいいか……」


「自分の事をあまり他人に知られたくない人間って居るだろ? サラは、その真逆で、誰に何を知られても全然気にしないよな。……そういう心理的な意味で、他人に対して頑ななタイプ、警戒心の強いタイプの人間は、分かりにくいんだよ。」


「まるで、心に鍵が掛かってるみたいな感じだな。」


「まあ、それでも、全く探れないって訳じゃないけどな。だけど、そういう場合は、簡単にはいかないんだよ。もっと俺も本気でやらなきゃならない。」


「幸いドッヘル軍師はそういうタイプじゃないみたいだったから、楽で良かったぜ。」


「……ん? んんんんんんー?……」

 サラは、ティオがペラペラ喋ってくる内容がさっぱり理解出来ず、コテンと首を傾げ、思いっきり眉間にしわを寄せていた。


「ああ、言い忘れたてた。」

 そんなサラの様子を見て、ティオは思い出したように言った。


「俺、岩とか石とか……いわゆる『鉱石』に残った記憶を読めるんだよ。」


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