野中の道 #63
『いやぁ、俺も学生時代は結構本気でいけると思ってたんだけどなぁ。周りの人間には「神童」って呼ばれてて、自分でもそう思ってたよ。同じ年代で俺に敵う人間は一人も居なかったしね。』
「私の方がお前より優秀だった」と言う同い年のジャックの声を無視して、エリオットは続けた。
『でも、大人になって現実を知っちゃうとなぁ。俺があの試験に受かるのは逆立ちしても無理だって思うよ。ってか、受けたくもない。たった一人でこの国で一番偉い爺婆に囲まれてイジメのような精神的苦痛を味わうぐらいなら、決済前の書類の山に埋もれている方が百倍マシだな。結局、俺は、こっちの方がしょうに合ってたって事なんだろう。悔しいが、ラウムの爺さんに言われた事は当たってたって訳だ。まあ、今思うと、あれたぶん「先見」の予言だしな。』
『私も今の仕事に不満はないな。毎日が充実している。』
珍しくジャックもエリオットと同意見らしく腕組みをしてしみじみとうなずいていた。
エリオットは、そんなジャックを見て苦笑していたが、ふと、隣の席でティオが眉間に深い皴を刻んで黙り込んでいるのに気づき、不思議そうに顔をのぞき込んできた。
『どうした? ジェード? 全然納得いってないような顔してるが?』
『……あの試験、そんなに大変ですか? 別に五日間食うや食わずで一睡も出来ないって訳じゃなし。ちゃんと夜は眠らせてくれましたよ。飯も食べられた。試験時間は、毎日朝八時から夜八時までの十二時間だけ。その間、正午に昼食も兼ねて一時間休憩、他にも二時間ごとにきっちり十五分休憩が入ってました。どこが過酷なんですか?……ああ、でも、俺は、はじめから落ちるつもりで手を抜いてて、無駄に肩に力が入るような事がなかったから、普通より楽に感じたのかも知れませんね。』
『……』
淡々と答えたティオに、エリオットだけでなくジャックも引きつった顔でしばらく無言になっていた。
やがて、ドンとエリオットがテーブルを拳で叩いて心中の憤りを表現していた。
『……クッ!……コイツも試験に受かった「化け物」だった事を忘れてた。普通の人間の感覚が分かる筈なかった。しかも、受かる気なくて手を抜いてたとか、マジでムカツク。』
『エリオット。ジェードを私達の常識で計るのはいい加減やめた方がいいぞ。全くの無駄だ。』
『わ、分かってる、分かってるよ、ジャック。でもなぁ……ハァ……』
エリオットは、荒ぶった気分を落ち着かせるために紅茶をグイグイ飲んでいた。
それでも、ティーカップを口元に運ぶ仕草の上品さが崩れないのは、無意識の部分までマナーが染みついているためだろう。
『……まあ、いい。とにかく、あの試験は過酷だって前提で話を進めるぞ。』
『一般的な人間は、いや、試験を受ける資格を得た者であっても、全五日間の行程でゴリゴリと体力と精神の両方を削られる。そうして、ようやく筆記と実技の試験を終えた五日目の夜、「お疲れ様」という事で、試験官全員が受験者をねぎらって豪華な料理を振舞ってくれる訳だ。で、ジェードも知っての通り、俺とジャックは、ラウム様の指示でこの会食にのみ参加した。あの会食には、俺達のように、試験官以外の人間が適宜呼ばれる事もあるんだ。』
『あー……そういや、思い出した。確かにジェード、三日前の会食の時に見たお前は、酷い仏頂面してただけで、全然疲れてなさそうだったな。お前が欠けらも愛想がないのはいつもの事だから気にしてなかったよ。』
『ねぎらいとか豪華な食事とか要らないから、さっさと解放して欲しかったんですよ。早く部屋に帰って一人になりたかった。』
『ハハ、お前らしいな。……でも、普通は、試験が終わった解放感もあって、凄く盛り上がるんだぞ。料理は最高級のものがズラリと並ぶし、いい酒も出る。って、ジェードは酷い下戸だったっけな。』
『そう、あの会食で、受験者はようやくホッとして、過酷な試験を終えた達成感もあり、気が緩む。それまで鬼のように厳しい顔と態度で接していた試験官達が、一転ニコニコ歓迎ムードで受験者を取り囲んで先を争うように話しかけてくるんだよな。平たく言うと、メチャクチャチヤホヤされる。これまでの人生でずっと空の上の存在だと思っていたこの国一番のお偉いさん達が、「自分達の新しい仲間」を心から歓迎してるって雰囲気で、もてはやしてくれるんだ。そんな会食の場で、受験者は「ああ、これから自分の輝かしい栄光の人生が始まるんだなぁ」と実感する訳だ。』
『が、これが大きな罠で……実は、この試験、筆記と実技を見る五日間のテストはただのダミーだ。受験者が試験に受かるかどうかは、この五日目の夜の会食における受験者の発言で決まる。』
『五日間にも渡って、延々と受験者にプレッシャーを掛け、頭と精神と肉体を疲労させるのは、この最後の宴会で、極限まで受験者の警戒心を解くためなんだよ。それまで長い間緊張して神経を張りつめていた分、この慰労&懇親会では、辛い試験がようやく終わったと思い込んで油断するだろう? そういう時にこそ、人間、本心がポロッと出るものなんだよな。』
いつもの知的で陽気な雰囲気の中にも、揺るぎない冷徹な意思を感じさせるエリオットのこの言葉には……
さすがのティオも目を見張って、「はあ?」と、手にしていたティーカップを空中でピタリと止めていた。
□
『冷静に考えてみろよ。そもそもこの試験を受ける人間は、事前に調べ尽くされてるんだよ。十二分に知識と技術がある事が周知されてるからこそ、受験資格を得るんだ。要するに、試験を受ける事が決まった時点で、知力、知識、技術、才能……この辺りの条件はクリアしてるって事だ。まあ、五日間に及ぶ過酷な試験を最後まで受け切る必要はあるけどな、テストの内容自体に多少ミスがあっても問題ない。あまりに酷い回答をするような人間は、そもそも受験資格を得られないからな。』
『まあ、そんな訳で、ジェード、お前は、試験に落ちようとわざとポツポツ誤答していたみたいだが、全くのムダだったな! ハッハッハッ! てか、間違えた分をさっ引いても、お前の答案、脅威の正解率だったからな?……コラ、「あの問題のどこが難しいんだ?」みたいな顔するのやめろ!……まあ、それはさておき……』
『知識や技術がいくら優れていても、この国の方針を決める最高権力者集団の一人となるには、それだけじゃ足りない。』
『基本的に頭脳労働だから、ジャックみたいに本気で身体を鍛える必要はないが、ある程度健康で体力があるのも必要最低条件になってくる。そして、精神的なタフさだな。自分よりずっと年上のおっかない爺さん婆さんに囲まれて延々と矢継ぎ早に質問を浴びせられても何ともないぐらいの神経の図太さ、強靭な胆力が必要とされる。その辺の肉体と精神の強さは、五日間の試験期間を通してもチェックされてる。……まあ、今試験官をやってる爺さん婆さんは、当然、過去にこの試験を受けて合格してる訳だからな。とんでもないメンタルお化けの集団になるのも、納得だろう?』
『そして、為政者として、もう一つ……と言うより、最も重要な要素がある。なんだか分かるか、ジェード?』
エリオットに問われたティオは、間髪置かずに短く答えた。
『人間性。』
『ハイ、正解。……要するに、その人間の根本的な思考の方向性、性格、人となりだな。どんなに頭が良くて技能が卓越していても、常識や良識のない人間や倫理観の欠如した人間に国の政治は任せられない。まあ、当たり前だな。他人を傷つけてもなんとも思わないような、冷酷で自己中心的な人間が上に立ったら国がメチャクチャになっちまうからな。』
『という訳で、その人間の本質を炙り出すために……五日間かけてプレッシャーを掛け続けた後に、一転、下にも置かない歓迎ムードで大宴会を開き、思いっきり油断させた所で、じっくり観察する訳だ。実は、ここで落ちる人間も結構居るんだよなぁ。』
『でも、いくら試験が無事に終わったと言っても、お偉いさん達の前では猫の皮を被る人間も居るでしょう? 気に入られるために、本心とは違う事を言ったりとか。』
『フフフン。なんのために、準一級ごときの俺とジャックがその宴会に呼ばれてると思ってる?』
『あ、そうか。……俺はてっきり、二人がそれぞれこの国の政治の重要な部分を担っているからかと思ってました。』
『まあ、そうだな。俺はこの国の経済と財務、ジャックは治安維持と防衛のトップを任せられてる。それも一つの理由ではある。でも、ジェード、お前が今気づいたように、俺達は、ラウム様から、あの食事会において、秘密裏に重要な任務が与えられていたんだよ。』
エリオットは、自分のティーカップの取っ手を摘んで持ち上げると、まるで乾杯でもするかのように、軽くカチッとジャックのカップに当てた。
『俺の異能力は「洞察」。そして、ジャックの異能力は「真偽」。』
『俺は「その人間の人となりを、その人間を取り巻く映像のようなイメージで見る」事が出来るし、ジャックは「その人間が、本当の事を言っているか、嘘をついているか」が分かる。俺達二人に掛かれば、どんなに厚い猫の皮を被ったって、ペロリと簡単に剥がす事が出来るって寸法だ。』
『まあ、そんなこんなで、俺とジャックは、表の仕事でも、こういう水面下でも、ラウム様の懐刀として重宝されまくってるんだよ。』
『ああ、そういや、俺達が居ない時はどうしてたんだろうな?……異能力者なんて、「人口一万人に対して一人二人は間違いなく居る」って感じで、低確率ながら確定的に出現する、ってもんでもないしなぁ。異能力を持った人間が生まれるかどうかは、完全にランダム。百年以上一人も生まれない事もままあったみたいだ。俺達を含めて同時代にこれだけの数の異能力者が現れる事自体が前代未聞だって、以前ラウムの爺さんも言ってたな。一説には、この世界が大きく変動する乱世に多くの異能力者が生まれやすいって話もあるが、それはちょっとご遠慮願いたいね。……まあ、こういう便利な異能力者が居ない時は居ないなりに、人を見抜く慧眼を持った人間を試験後の会食に呼んでたんだろうな。』
『って言うかさぁ、以前ラウムの爺さん、試験に受かる人間は全員「先見」で見てるって言ってなかったか? まあ、この国の政治を左右する人間の事だから、「世界の流れ」としてはじめから定められてるってのも、うなずけるっちゃあうなずけるんだが。……え? 俺達要らなくないか? ムダ働きじゃない?』
『そこは、万が一にも間違いがあってはいけないと思っていらっしゃるんだろう。ラウム様の深謀遠慮によるものだ。文句を言うな、エリオット。』
『でもさ、あの腹黒爺さん、たまに、俺達にわざと面倒な仕事を振って、俺達がアタフタしてるのを楽しんでるようにしか見えない時があるんだよなぁ。単なる暇潰しにそういう事をしやがるんだよ、あの爺さんは。そういう人間だから、素直に「信頼されてる!」とか、喜ぶ気持ちになれないんだよなぁ、俺は。』
『本当にお前は心が狭くて浅はかだな。昔から何も成長していない。せっかくの「洞察」の異能力も宝の持ち腐れだな。』
『はあ? お前の「真偽」の異能力なんか、「本当か嘘か」しか分かんないだろうが。黒か白かでしか感じ取れない、全て二択なんて、大雑把過ぎるんだよ。世界はもっと渾沌として複雑怪奇だ。俺の異能力は、フルカラーで、映像にしてもいろんなバリエーションがあるんだからな。お前みたいな脳筋の単細胞にだけは「浅はか」とか言われたくないね。』
『フン。健全な精神は健全な肉体に宿るのだ。全てを頭脳一辺倒で片づけようとするお前の方が、私よりずっと一元的だと言わざるを得ないだろう。お前のような人間を「頭でっかち」と言うんだ。』
『なんだぁ? 学生時代、筆記試験でずっと俺に敵わなかった事への僻みか? 未だに根に持ってるのか、女々しいヤツだな。砂糖ばっかりとってるから、脳の働きが落ちるんだよ。』
『砂糖はむしろ脳の動きを活発にする。それに実技では私の方がいつも上だった。』
『お前は技術を筋力で誤魔化してただけだろうが! 速ければいいってものじゃないんだよ! 器用さなら、俺の方がお前よりずっと上だ! なんせ俺は、希少な二刀流だからな!』
『フッ。器用だから、二刀流だから、それがなんだ。武芸では、一芸に秀でた者が、結局の所、一番の強者となるのだ。自分の道をこれと定め、その唯一無二の技に専心し日夜研鑽に励んでこそ、究極の頂に達する事が出来るのだ。』
『だから、武芸の事は言ってないだろう! なんでもそっちに話を持っていくなっての!』
『いいや、何事も極めていった先の根本は似通っているものだ。お前は、相変わらず本質が見えていないな。』
『お前が偏屈で柔軟性がないだけだ! さっきも言ったが、なんでも白か黒かで考えようとするのはお前の悪い癖だぞ!』
いつの間にか本来の話題そっちのけで言い争っているエリオットとジャックを、ティオはわざわざ止めるつもりもなかったが、聞きたい事があったので、静かに顔の高さまで挙手した。
『エリオットさん。まだ俺との話が終わってないです。』
『いいか、ジャック、俺達に必要とされる技能は、筋肉による力強さじゃなく、正確さと、ムダのなさと、計算し尽くされ、芸術的なまでに精緻な……え? 悪い、なんだって、ジェード?』
ようやくこちらに注目した自分の倍以上生きているいい大人である筈のエリオットを前にして、ティオは、深いため息を吐いていた。




