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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第十三章 野中の道 <第九節>最後の茶会
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野中の道 #62

 

『それで? また、お前はなんでそんなイライラしてるんだよ、ジェード? せっかくこの国最難関の試験に受かったってのに。』


 ふうっと息を吐いて、エリオットが左手からティオの顔をのぞき込んできた。

 ティオを挟んで、逆の右の席ではジャックが菓子を食べ尽くし、自分の茶にミルクに続けてザバザバと大量の砂糖を無言で投入していた。


『……受かると思ってなかった。なんであんなんで受かるんだよ。……』


 うつむいて茶を口にしながら仏頂面で漏らしたティオの言葉に、察しのいいエリオットはピンときた様子だった。

 ハッとなり、がく然とした表情でティオの横顔をまじまじと見つめる。


『……ジェ、ジェード、お前……試験でわざと手を抜いたな?』


『……ああ、ラウム様からお前の筆記と実技の試験結果を聞いた時から、おかしいと思ってたんだよ。実技でも「宝石」を使わなかったらしいし、何より、お前が筆記で間違える筈ないもんなぁ。まあ、当然この国最高難易度の問題ではあったけど、お前に限って、ポロポロ誤答するなんて、何があったのかと驚いたんだぞ?……ハァー、あれ、わざとだったのかよ。あの最終試験で意図的に落ちようとするか、普通? あの試験に受かる事は、この国の全国民の憧れなんだぞ? 夢だぞ、夢!……なあ、ジャック? 俺達だって、受けられるもんなら、受けたいよなぁ?』

『いや。私もお前も、たとえ受けたところで受からないだろう、あれは。私は、自分の身の丈に釣り合わない事は望まない。』

『ま、まあ、そうだけどさ。一般論だよ、あくまでも。この国の学校に入った人間なら、子供の頃からみんな、いや、学校に通えなかった人間だって……ハアアァー……』


 エリオットはしばらく手で顔を覆い、何度も深いため息を吐いていた。

 その後、少しショックが落ち着いてくると、隣の席で相変わらず仏頂面で茶を啜っているティオを、チロッと横目で見て言った。


『……ジェード、お前がなんであの試験に受かったのか知りたいか? 実は、あの試験、からくりがあるんだよ。』

『……!……』


 ティオは、無言のままだったが、パッとエリオットの方に視線を向けていた。

 同時に、それまでほぼ無表情で銀のスプーンをグルグル回し茶に入れた砂糖を溶かしていたジャックが、身を乗り出してエリオットを睨んできた。


『おい、エリオット、それは機密事項だろう。』

『もういいんじゃないか、ジャック。ジェードにはバラしたって。コイツは試験に見事合格したんだからさ。』


『それに、どうにもジェードは、自分が試験に合格した事に納得いってないみたいだしな。いつまでもイライラされるより、ちゃんと説明した方がいいだろう。ラウム様も、それを分かってて俺達を呼んだんじゃないのか?ってか、分かってるなら、自分から話せよなぁ、あの爺さんめ!』

『だが……』

『よーし、ジェード、タネ明かししてやるぞー。聞きたいかー? んー?』

『やめろ、エリオット。』

『ただし……コイツ、ジャックと勝負して、一本取れたらな!』

『なっ……ジェードが私と勝負だと?』


 ジャックは、エリオットを盛んにとめようとしていたが、エリオットがビっと親指でジャックを示すと、急にグッと真剣な表情になり……

 ビシッと、人差し指、中指、薬指と、指を三本伸ばして突きだしてきた。


『三本。』

『は? なんだよ、ジャック?』

『私から、三本取れたら、エリオットから話を聞く事を許すぞ、ジェード。』


 一転やる気満々で目を輝かせるジャックを見て、ティオは「ゲエッ」っと声を上げ、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 「将軍」の肩書きを持つジャックから、模擬戦で三本どころか一本取るのも至難の業なのは言うまでもない。

 そんなジャックを見て、エリオットは既に腹をかかえてゲラゲラ笑っていた。


『ハハハハハ! いいね、いいね!ってか、ジャック、お前、ジェードと手合わせしたいだけだろ?……え? 何? 説明は結局俺がする事になるのかよ?……まあ、いいや。頑張れよ、ジェード! ヒューヒュー、カッコいい! 若いっていいね!』

『さあ、そうと決まれば、さっそくやるぞ、ジェード。久しぶりに手合わせ願おう。』

『……久しぶりって……将軍、アンタ、俺が軍を辞めてからも、三日に一度は早朝に押しかけてきてるじゃないかよ。……』


 ティオが心底ゲンナリした顔でため息をつく一方、ジャックは既に椅子から立ち上がり、近くの木の幹に立て掛けていた自分の鉄棍を手に取った。

 ティオも仕方なく覚悟を決めると、ジャックがティオに「祝いの品」として持ってきてテーブルに立て掛けてあった鋼の棒に手を伸ばしていた。



『おお! 二十分切ったよ! 凄いな!』


 椅子に斜めに腰掛けていたエリオットは手にした金の懐中時計の蓋をパチンと閉じると、チェーンをつけているベストのポケットに戻した。

 改めて顔を上げて、こちらに足早に歩いてきているティオを見ながら、笑顔でパンパンと手を叩く。

 ティオは、手にしていた2mを越える鋼の棒を、ポイとその辺りの地面に放り、先程まで座っていた自分の椅子にドサッと腰をおろした。

 乱れた前髪を掻き上げると、額にはじんわりと汗が浮いており、息も軽く上がっていたが、身体を動かすのをやめると、途端に、スウッと身体にこもっていた熱が引いていくのが感じられる。

 激しい運動のために駆動させていた肉体の機能が、パタパタと折り畳まれるように急速におさまっていっていた。

 そんなティオの様子を間近で見て、エリオットは感嘆を通り越して呆れるような声で言った。


『……ジェード、お前、そんな細っこいのに、恐ろしくタフだなぁ。……よっと、って重っ!』


 エリオットは、椅子から立ち上がって、先程ティオが適当に下草の上に投げ出した鋼の棒を片手で拾おうとしたが、顔をしかめてすぐに諦め、椅子に戻った。

 元々恵まれた体格な上に長年の研鑽が感じられるたくましい見た目のジャックと違い、エリオットは絵に描いたような文官の優男であり、身体を動かす事は苦手としていた。

 「それもついでに片づけといて」と、上着を脱ぎシャツの前もはだけてタオルで汗をぬぐっているジャックに、手をヒラヒラ振っていつもの軽い口調で呼びかけていた。


『おまけに、べらぼうに強いんだな! 話には聞いてたが、実際に見たのは初めてだったから驚いたよ。戦闘は全く門外漢な俺でも、お前が強いって事は今ので良ーく分かった。この国にまさかあの筋肉バカに勝てる人間が居たなんてなぁ。』

『お前の言う通りだ、エリオット。ジェードは是非我が軍で活躍して欲しいところだ。こんな所にこもっているなど、実にもったいない。』

『いやいや、何言ってんだよ、ジャック。肉体労働させる方がよっぽどもったいないだろうが。』


 ジャックは未だ息を切らした状態ながらも、自分の鉄棍とティオが地面に投げ置いた鋼の棒を少し離れた場所にある大きな木の幹に立て掛けると、戻ってきて元の自分の席に座った。


『エリオットさん、将軍から三本取ったので、試験のからくりを教えて下さい。』

『うわっ、本当に淡々と話を始めるな、ジェード、お前は。ちょっと待てよ、まだジャックがゼイゼイ言ってるだろう?』

『そんな事より、二人とも、アップルパイを食べないのか? せっかく出来立てを持ってきてくれたのに、食べないのは失礼だろう。作った人間にも、アップルパイにもだ。これは、絶対美味だぞ。まず、見た目が美しい。見ろ、この上部の編み目の精緻な仕上がりを。完璧な焼き色に見事な艶、まるで芸術品のようだ。また、この香りが素晴らしい。甘酸っぱいリンゴの香りにカスタードの甘い香り、そこにシナモンの少し癖のある独特な香りがアクセントとして微かに混じる。そして、それら全てを包み込むようにキツネ色に焼けたパイ生地の香ばしい香りが……』

『あーあー、分かった分かった! 今切り分けてやるから!……ジャック、お前は、本当に甘いものに関してだけは饒舌になるなぁ。』


 ティオは、給仕の人間がアップルパイを持ってきたのを理由に、自分の質問がサラリと流された事で、あからさまにムッとしたが、目の前の皿に乗ったパイを見て、グッと口を引き結んだ。

 さっそくエリオットがナイフを取って切り分け、まずティオに、それからジャック、自分という順でパイを小皿に配っていった。

 エリオットにしてもジャックにしても名家の出であるので、テーブル周りの所作は洗練されていたが、特にエリオットは、その見るからに華やかな美男の外見に相応しく、パイを切り分ける動作の一つ一つが、まるで舞台の上の演者のような魅力に満ちていた。


『うん! これは美味しいな! 甘さが控えめで、俺でも食べやすい。』

『……フーム……確かに、瑞々しいリンゴの味わいにザクザクとしたパイの触感が楽しく、素材の良さが十二分に引き出された熟練の技術を感じる見事な逸品だ。……ただ惜しむらくは、甘味が薄いな。私としては、この五倍は砂糖が入ってもなんら問題ないのだが。』

『うえっ! そんなに砂糖入れたら普通は甘ったるくて食えないっての。……これぐらいがちょうどいいよなぁ、ジェード、なあ?』

『……』


 盛り上がっているエリオットとジャックをよそに、ティオは切り分けられたパイを黙々と食べ、茶を飲んでいた。


『いやぁ、やっぱり料理が上手な人っていいよなぁ。いや、下手でも全然構わないんだけどさ、こう、自分のために好みの味で手作りしてもらったりすると、グッとくるって言うかさ。……ジェード、このアップルパイを作った人、誰か知ってるか? この塔の専属の料理人? それともラウム様お抱えのシェフだったり? 綺麗な人なのか?』

『……俺の先生ですね。俺が二週間前にうっかり「美味しい」って言ったら、それから毎日ずっとこれです。』

『ブフォッ!……リュ、リューズ様の手作りアップルパイだと!?』

『なるほど、凝り性なんだな。リューズ様の書いた論文もそんな感じだしな。……良かったな、エリオット、綺麗な人の手作りで。46歳の男性だがな。』

『ジャックぅー!……あ、ジェード、是非リューズ様には「大変美味しかったです。お心遣い誠にありがとうございます。」って伝えておいてくれ。』


 端正に作られたアップルパイから、製作者を麗しい女性だと想像していたらしいエリオットを、ジャックが真顔でからかって、男三人の茶会は賑やかに進んだ。

 結局、ティオの師であるリューズが差し入れたらしいアップルパイは、ティオとエリオットが一切れ食べ、なんだかんだと言っていたジャックが、ペロリと残りを全て食べ尽くして終えた。



『さて、そろそろ試験のネタばらしをするとするか。』


『機嫌の悪いジェードをなだめるために呼ばれたのに、ますます機嫌を悪くさせたまま退散する訳にもいかないからな。』


 待ちくたびれて仏頂面で頬杖をついているティオを横目に、エリオットは、給仕の人間が新しいポットに入れて持ってきた茶を自分のカップに優雅に注ぎながら言った。

 カップの繊細な持ち手を指先で摘んで顔の高さに持ち上げ、ひとしきり目を閉じて香りを楽しんだのち、一口二口飲んでから、改めて言葉を継ぐ。

『じゃあ、解説を始めるぞ。』


『そもそもこの試験は、受けるに足ると認められた人間が出た時だけ不定期に行われるものだ。試験を受ける側の人間は一人だけだが、そのたった一人に対し試験官は常時十人以上ついた状態で試験が進行される。っていうのはジェードも知ってるよな? その実際の試験で落ちる人間も居る訳だから、結果的に合格者は十年に一人とかいう割合になっちまうんだよな。』


『まあ、一言で言うと、この試験はとんでもなく過酷だ。さすがにこの国の最高難易度だけはある。』


『具体的には……試験の日程は、筆記が二日、実技が三日、そして、それらが終わった五日目の夜に、試験官達全員に俺とジャックの二人が加わって、受験者を慰労する食事会があった訳だ。』


『第一関門は、筆記試験。……これはもう、試験官それぞれが、これでもかと難しい問題を用意してくる。中には、未だに正解が分かっていないものがいくつも混じっている。そして、筆記試験という事になっているが、口頭での質疑応答もある。威圧感たっぷりの試験官達に囲まれて長時間ネチネチ質問される訳だ。問題の難しさもさる事ながら、設問の量の多さ、休憩を挟むとはいえ、二日間もの長丁場に渡って行われる事、更に、その間人員の入れ替わりはあるものの、試験官達に常に監視されているために精神的負担が半端ない。この二日間、ずっと集中力を維持し続けるのは非常にきつい。』


『第二関門の実技も同様だ。ある程度自由に行っていい部分は増えるるものの、三日間、最低限の休憩を入れながらも、次から次へと実技試験が行われる。試験官達の問いかけやリクエストに答える形もあれば、自由課題もあるが、ここで重要なのは、三日間は試験官達の前で実技を披露し続けるという事だ。筆記・口頭試験もそうだが、決まった問題を解けば終わりという訳ではない。時間制になっていて、筆記は丸二日、実技は丸三日、この期間とにかく延々と試験が続けられる。そして、その間ずっと試験官達に厳しい目でその言動を逐一監視される。』


『こういったあまりの過酷さから、肉体的、あるいは精神的に疲労困憊して倒れ伏し、続行不可能となって、泣く泣く中途退場した者が過去何人も居たそうだ。つまり、試験に受かるには、知識、実技共にこの国最高クラスの実力があるのは当然で、かつフィジカルもメンタルも相当タフじゃないとダメって事になるな。まあ、合格者は、この先、この国の中枢を担っていく事になる訳だから、この程度で根をあげる軟弱者じゃ務まらないってのも納得だけどな。』


『あんな試験に受かる人間は、いろんな意味でとんでもなく優秀で、常軌を逸した才能の持ち主で、もはや人間とは呼べないような……まあ、要するに、化け物って事だ。』


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